第7話 癒えない傷/盾の女王

「本当に、大丈夫ですか?」


 カルナ戦後。

 神楽坂瑞穗は気遣わしげにそう聞いた。ただでさえ気の優しい少女である。辰馬がかかとに負った傷が自分を庇ったために拠るものと思えば、なおさら平気な顔はできない。


「あー、だいじょーぶだいじょぶ。こんなもん怪我のうちに……っ……」


 瑞穗の気遣いが分かるだけに、辰馬も虚勢を張らざるを得ない。ことさらに足を上げ下げし、かかとを打ち付けて見せ、そして苦痛に呻く。骨から神経まで抜けているダメージは薬物その他の治療のおよぶ状況ではすでになく、トキジクでかかとの部位の時間を遡らせてみてもすでに現在の肉体と同化してしまっているダメージを消すことは不可能。ありていにいってお手上げだった。


 ともかく。

「あーもー、辰馬サンいらん意地張るから。ちょっとお邪魔しますよ……っと」


 脂汗を搔きながら苦痛に耐える辰馬を横から支えたのは、シンタこと上杉慎太郎。普段のいやらしい手つきではなく、真摯な所作で脇に腕を差し入れ、肩を貸す。


「おま、シンタ勝手に触んなコラ、このエロ!」

「そーいうこというならケツだって触りますが。んなこと言ってられる場合じゃねーでしょーが……っと、軽い軽い、さっきも思いましたけど辰馬サン軽すぎですって。もっと食わんと」

「いらん世話だっての……悪いな」

「いえいえー、役得っス」

「なにが役得だよばかたれ……ま、いーか」


 シンタに身体を預けた辰馬に、瑞穗と雫が顔を見合わせる。


「なに、なによその安心した顔!? 相手シンタくんだよ? エロホモ野郎だよ? 安心しちゃだめでしょたぁくん、たぁくーん!」

「余人の介在を許さないような親密な雰囲気……普段から仲がよろしいとは思っていましたけど、もしかしてお二人はやっぱり、そういうご関係で……」


「え? やっぱそー見える? うひゃひゃひゃ、悪いな、瑞穗ねーさん、雫ちゃん先生! 見てのとーりだから!」

「なにゆってんだおまえばかたれぇ! 勝手なこと言ってっと本気で殺すぞ! 瑞穗、しず姉も騙されんなよ、違うからな!」

「必死で否定するところが怪しい……」

「怪しくねーわしず姉! あんたおれと何度も……その、ご同衾してるだろーが! 今更疑うなや!」


 本当に怪しいくらい、必死で否定する辰馬。美少女顔とか男に見えないとか果ては聖女さまなどと言われて不名誉を被っているのだ、これ以上の不名誉は御免被りたい。


「にしても……ホントにその足そのままなんスかね? 瑞穗ねーさんでもどうにもならねーってなると……」

「もしかしたら……磐座さんならなんとか出来るかも知れません」

「へ?」

「磐座さんは博覧強記で、その頭脳には古今東西の医学書も修められています。その知識と宝杖・万象自在の力があれば……」

「へえ……おれ的にあいつがそんなすげーヤツってイメージないんだが。気が強くてどんくせー、相手しづらい女だとばかり……」

「辰馬さま……ヒノミヤ事変におけるヒノミヤ側の戦略戦術のほとんどは磐座さんの頭脳一つから出たものですよ? 彼女が天才なのは間違いないんです」

「あー、もうヒノミヤのこととか半分忘れてるからな……そーいえばさんざん、苦労させられたか……」

「あのときあなたを殺すことができず、いま本当に忌々しい思いをしています。だれがどんくさい強気女ですか!」

「うわ、びっくりした!?」


 辰馬は痛みで散漫になっており、雫も辰馬を案じてそぞろになっていたため、この距離になるまで気づかなかった。声に気がついて顔を上げてみれば、すぐ近くに朝比奈大輔、出水秀規と護衛の兵士100人余を従えた磐座穣が立っている。


「人のいない場所で悪口とか、器の小ささ、お里が知れるというものですね。これだから新羅は嫌なんです」

「別に悪口言ってねーわ。お前がどんくせーのも気が強いのも事実だろーが!」

「素直に謝ることもできないんですね、本当に狭量なやつ!」

「あのなぁ、おまえホント大概しばくぞ!?」

「なにかといえばすぐ暴力。最低ですね」

「その暴力でおまえら助かったんだろーがよ!」

「ま、まぁまぁ。辰馬さまおちついて、磐座さんも、むやみにひとを挑発するような真似はあなたらしくないと思いますよ?」

「……すみません、神楽坂さん。なんだか、新羅の顔を見てるとつい言ってしまうんです。理性では言うべきでないとわかるのですが……」


 瑞穗に宥められ、穣はばつ悪げに呟く。これまでの人生で穣は抑圧されること、それに耐えることに慣れきっており、そうした圧迫を感じる必要がない新羅辰馬という相手の前ではつい甘えて感情を過剰に発露させるところがある。これで辰馬がもっと人格的に完成されていれば優しく包容力で迎えられるのだろうが、新羅辰馬はまだまだ未完成。文句をつけられば悪態で返し、互いに角突き合わせる関係になってしまう。にもかかわらず、互いに相手が憎いわけではないのだ。


「ともかく。辰馬さまが足を怪我しているのですけど。磐座さん、看てもらえますか?」

「……構いませんが。ほら、見せてください」

「偉そーにすんな……ほれ」


 辰馬はテーピングを何重にも巻いた足を、「おらよ」と差し出す。「そのぞんざいな態度、どうにかならないんですか?」穣はそう言いつつも、慣れた手際でテーピングをほどき、触診をはじめる。


「っ……痛てぇ、痛いって……!」

「いい気味……じゃなくて。少し我慢してください。こっちですか、それともこちら?」


 言いながら、足裏側とかかと側の両方から指を押し込む穣。


「足首側。かかとのほうはそんなでもない」

「そうですか……ふむ」


「どう、ですか?」

 瑞穗が、心配げながらも食い気味に訊いた。勢いよくその巨大な存在感の乳房をつきつけられ、圧倒されてのけぞる穣は、すこしだけ悔しげな顔を浮かべるもののすぐ怜悧さを取り戻し、見立てを述べ始める。


「おそらく、神経を損壊しています。現行の医学や魔術ではこれ以上治すことはできないでしょう」


 その言葉に愕然としたのは瑞穗たちであり、見立てを述べた穣も動揺を隠し得なかったが、ひとり辰馬自身はむしろ平然としていた。瑞穗たちを心配させないためにことさら大丈夫と言い張ってはいたが、もとよりこの傷が不治であることは分かっていたことだ。むしろはっきりと宣告されたことですっきりする。


「まー仕方ねぇなぁ。悪かったな、磐座」

「怒らない、んですか?」

「治療法がないのに医者に文句つけられんだろーが……さて、そんじゃ学生会長のとこに戻るか」


 臺へ帰陣する道すがら。


「新羅さんのまえではあんな態度ですが、磐座、すごい新羅さんのこと心配してましたから。悪く思わんでやってください」

「思わねーよ。別にあいつのこと嫌いでもねーし。単につっかかられるから売り言葉に買い言葉になっちまうだけでな。磐座が悪人じゃないのはわかってる」

「主(ぬし)さま、それ本人に言った方がいいでゴザルよ?」

「そーよアンタ誤解されやすいんだから!」

「うるせーわ。自分からそーいうこと言うの気恥ずかしいだろーが」


 そっぽをむいてそういう辰馬に、朝比奈大輔、出水秀規、妖精シエルはやれやれとため息をつく。


 宣撫軍鎮営臺。


「分隊長、磐座穣。戻りました」

「小隊長新羅辰馬、戻りました」

「はい、お帰りなさい」




「仲がいいこと……と言っていられる状態ではなさそうね」


 穣に肩を貸される辰馬を見て、文はつとめて軽く、だが痛ましげに言った。


「傷の具合は?」

「右踵骨にひび……こちらは全治1月というところですが、神経損傷による右下肢不随。これはおそらく今後、治りません」

「そう……魔軍との戦いがこれからという状況で……残念ね。でも仕方ありません、新羅くんは太宰に戻って入院しなさい」

「は? こんくらいで……」

「このくらい、じゃないでしょう、新羅! このまま、無理な使い方をしていたら二度と右足が使えなくなりますよ!」

「……言われてもなぁ……おれの感覚では無理するのが当然だし……」

「無理するな! 上官命令!」

「う……」

「磐座大尉にも予備役を命じます。一緒に太宰へ」

「……はい、拝命しました」


 こうして、新羅辰馬の初任務「狼紋の魔人カルナ・イーシャナの討伐」は成功したが、右足に大きな損傷を負ってしまう。文以外の辰馬、瑞穗、雫、穣、シンタ、大輔、出水は汽車に乗って太宰に戻り、辰馬はなかば強制的に病院へブチ込まれる。


 高校時代、新羅辰馬は小日向ゆかを(無理矢理に)娶らされ、蒼月館敷地内に新羅邸を建てさせられてそこに家族……少女たちを住まわせたわけだが、蒼月館卒業と同時にあの新羅邸は撤去となった。


 そのため牢城雫は実家(艾川、新羅家近く)住まいに戻り、神楽坂瑞穗は牢城家に下宿、磐座穣は兄とともに旧ヒノミヤ近郊の下宿住まい。そして新羅辰馬はアカツキ王城柱天にほど近くに、やや広めの下宿をとった。


 なぜ辰馬の下宿が広めのそれなのかといえば同居人がいるためであり、11歳になった正妻・小日向ゆかと、そしてその侍従でメイドで密偵であり、辰馬の正妻ではないが実質的にこちらのほうが関係深い晦日美咲が一緒に住むため、である。


 そして。


 辰馬入院となれば。

 

 われこそ新羅辰馬の正妻とばかり雫・瑞穗が艾川沿い牢城邸から、穣がヒノミヤ山麓の下宿から、美咲が新羅辰馬実家から、それぞれ「一番最初に辰馬のもとに駆けつける」ことを期して、夜通し必殺の弁当を作り翌日を迎える。


 牢城雫は自慢のおねーちゃん家事能力を発揮して辰馬の好物をたっぷり詰めた弁当を作成、家事能力に関してお姫様育ちでありほとんど役に立たない瑞穗、さらには低血圧で「あと5分……お願いです~」と泣き言言う瑞穗を無慈悲にたたき起こして昼一番に駆けつけ、磐座穣は「別に新羅の気を引きたいつもりでもないですが」と誰にいうともなく言い訳しながら、味見しようとする兄をものすごい目で睨んで料理知識を傾注した弁当を作り馳せ参じる。しかし彼女らが太宰記念病院の門で鉢合わせて一緒に309号室のドアをくぐったとき、すでに晦日美咲が『間違いなくプロ級の』弁当を持って辰馬の枕元に座り、りんごを剥いて辰馬に差し出しているのを見て、三人の競争者はかいがいしすぎる敵の強大さに膝から崩れ落ちた。


………………


その頃。暗黒大陸アムドゥシアスからの魔軍は各地で人間社会を壊滅に追いやりつつあった。大規模転移方陣から数万~10数万単位で何処にだろうと瞬時に送り込まれる精強無比の軍勢は一騎当千、1万で10万の兵を凌ぐ。


ヴェスローディア攻略軍の司令官はローゲという魔神だった。


かつて魔皇女クズノハの恋人であり、魔王オディナとの戦いにおいて圧倒的すぎる魔王の霊威を前に屈服してクズノハを裏切った男だが、いままた魔王の座についたクズノハに阿って魔軍5将星……つい先日1名増員され、6芒将となった……の一角に収った。クズノハから人格的には信頼されていないが、もとより先代魔王に反逆したときの将の一角。実力的には相当な物がある。


そして、ヴェスローディアの兵力25万に対し、魔軍14万。魔軍の戦闘力から言ってこの兵力は人間140万に匹敵し、ヴェスローディア絶体絶命……のはずだったが。


「まさか、人間がここまでやるとはな……」


魔神ローゲは魔族特有の、凄絶なまでの美貌に、苦悩と懊悩のしわを刻ませた。


ヴェスローディアの「11人の聖女」、その中においても格別な光彩を放つ「盾の乙女」エーリカ・リスティ・ヴェスローディア。兄と伯父の政争をむしろ利して彼らを廃し、自ら王位に登極した若き女王にして聖女は、自分が最前線で敵を打ち崩す役を担うわけではないが聖女としてもっとも目立つ場所で旗を振り士気を鼓舞し、そして優秀な武将たちを指揮して精強ではあるが組織力に欠ける魔軍を挫くという統率力を見せる。


しかも状況が状況ということもあろうが、相当にダーティでドラスティックなこともやってのける。自分達が「奪う側、蹂躙する側」と信じて疑わなかった魔軍にとって、夜襲、焼き討ちという自分達のお株を奪うやりかたは却って脅威であった。そしてエーリカは取った捕虜を惨殺して魔軍の士気を大いに挫くなど、やれるかぎりの真似をやってのける。


「クズノハ……人間がお行儀の良い戦い方しかしないと思ったら大間違いよ。どれだけ泥臭くて汚いやりかただろうと、この国は私が守り抜く!!」


 タフで図太い名将に成長を遂げたエーリカ・リスティ・ヴェスローディアは、馬上旗をかざしながら気勢を上げる。そしてなお、彼女の本領はそこではない。


「ハゲネ! 諸国に檄を! 八葉大陸全土に『人類大反魔同盟』を提議します!」


 18歳の少女王、それが諸国に先んじて、全人類の反魔族同盟の盟主となりつつあった。

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