第8話 焔魔背水

「美咲ちゃん完璧すぎだよ……あたしたちがめいっぱい努力してもよゆーでその先行くんだもん……」


 牢城雫は敗北感にうちひしがれた表情でそう言った。いわれた晦日美咲のほうはなにがなにやらという顔で「……なにが、ですか?」と当惑の体だが、最近とみにマセてきたご主君、小日向ゆかは「ふっふーん、そーでしょ。美咲はすごいんだから!」と従者に唯一足りない部分を補うにように豊かな胸を張る。


「てゆーか、おまえら弁当持ってきすぎ……おれが丸々肥え太ったらどーすんだよ?」


 新羅辰馬も茫洋と途方に暮れていた。雫(と、一応手伝ったことになっている瑞穗)といい穣といい美咲といい、やたら精のつきそうな弁当を五重とか七重とかのとんでもない量積んできた。運動能力が落ちたところにこんなもん食わせられてどうしろと言うのか。


「新羅、動かないでください。ひとがせっかく食べさせてあげてるんですよ?」


 磐座穣は辰馬のベッド脇に陣取ると、ひとまず自慢の角煮を箸でつかみ、ぼぐっ、と思い切り辰馬の口腔内に固く太い肉塊を突き入れた。


「んぼぉぉ!? げほ、がふっ……おま、こんなでかいモンいきなりつっこむんじゃねーわ。死ぬかと思った……」


 それを見ていた雫と瑞穗。


「そーいや、たぁくんってお口とかお胸とか要求しないよね」

「そうですね……そういえば……」

「「?」」

「しず姉……病院でそーいう話やめよーや……」


 野放図放胆な雫の言葉に、辰馬は疲れ気味に苦言を呈す。それなりに性知識がある雫やさんざんヒノミヤで欲望の吐け口にされた瑞穗は「そういう行為」への知識があるが、穣は五十六とノーマルな行為しか経験していないし美咲に至っては辰馬と関係を持つまでそっちの知識ゼロだったから、ピンと来ていない。理解させたら向こうから要求されそうな気がして恐ろしく、辰馬としては小心翼々とするしかなかった。


がらっ、と引き戸が開き。

「新羅さん? 今日からリハビリやりますよ~」


 白衣の女性が姿を現す。年の頃は雫とおなじくらいか、茶色の髪を三つ編みに束ねたその女性を見て、雫が


「チェンジで」


 間髪を入れず断言した。


「な、なに、何がです?」

「若くて美人の先生とかダメだって! たぁくんのことだから絶対不祥事起こすよ!」

「なにゆってんだばかたれぇ! しず姉アンタひとのこと信じてねえなぁ!」

「あ、いえいえ。私は女の子っぽい男の子よりガチムチの熊みたいなおじさまが好きなので……」

「ホントぉ~? そーいうこというひとがみんな、たぁくんに絡め取られるんだよ」

「だから……ちったぁ弟を信用しよーや、しず姉」


 そうして平和な入院生活が始まる……などというはずは当然、なく。


 リハビリに向かった瞬間、病院が。というより太宰全土が撼れた。


………………


狼紋で新羅辰馬がカルナ・イーシャナと激闘を繰り広げた約10日前、ヴェスローディア。


オランィエ海岸沿いの砂丘。女王騎士エーリカは水際に炎の魔神ローゲとその配下の勢数万を追い詰めた。ただでさえ寒冷なヴェスローディアで、海に追い落としてやれば魔神最強、「五将星」の一人であろうと耐えられるものではあるまい。


「一斉突撃! まず最初の魔神を斃す栄誉は、わがヴェスローディアにあるべし!」


 砂塵を巻き上げ地を響もし、騎馬を降りた騎士たちが魔族の兵団に猛進する。ローゲ配下の炎の眷属たちは水を畏れる。いわゆる「衢地」に置かれ、恐怖に震えた。


 しかしここでローゲも、言葉巧みに配下を励ます。


「下がるな、進め! 下がれば死ぬぞ、生の門は前にしかない! 生き延びたければ人間どもを食い破り、踏みつぶし、勝利の栄光を掴め!」


 先陣に立ってローゲは荒れ狂う。はからずも、所謂背水の陣。ここに追い詰められたことが逆に彼ら炎の眷属を奮わせ、ヴェスローディアの剽悍な騎士たちを押し返す。戦意さえ盛り返せば実力で魔族は負けない。実力に必死の勢が乗り、次第に形勢は魔軍の優位に傾く。


 エーリカは瞠目する。相手を叩くには衢地に落として叩くべし、そこまでは兵法常道のとおりだったが、逃げ場を残していなかったことが逆に覚悟を決めさせ、思わぬ反撃を招くことを理解できていなかった。「囲師は必ず闕く(包囲するなら逃げ場を残す)」べしであるのに、ガチガチに包囲し逃げ場を封じたために、窮鼠は自分達が猫を殺せる事を思い出してしまう。こういう戦術家としての手腕において、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアは一流ではあっても新羅辰馬や神楽坂瑞穗、磐座穣といった超一流にははるか及ばない。


 戦局が自分のものになったと悟るや、ローゲは戦果を最大限広げるべくその霊威をふるう。自らを巨大な火球と変え、戦場を縦横に突破し、突き抜け、断ち割って、擾乱する。


エーリカはヴェスローディアの旗を従騎士に持たせるとフォイルと聖盾アンドヴァラナートをかかげ前身、暗黒大陸の5将星が1人の突撃に挑んだ。


「出てきたか、姫さん! オレの突破力とアンタの盾、どちらが勝るか勝負と行こうじゃないか!」

「望むところ、かかってきなさい!」


 ローゲは再び、火球と変わって猛突撃。


 エーリカ、聖盾を構え下肢を踏ん張って受ける。


 真っ向でぶつかった。


 止まった……かに見えたのは一瞬。盾とぶつかったその地点から、ローゲはさらに猛く荒々しく加速を重ね、ガンガンガンと盾の上からぶつかり続ける。なお聖盾を打ち抜くことは叶わないが、エーリカの生身は灼熱の火球であるローゲ、その突撃を受け続けて限界に近づく。かろうじて踏みとどまるのは彼女の矜持、兄と伯父を弑して王座についた自分が簡単に外敵に屈するわけにはいかないという闘志ゆえだが、それでもなお耐えぬくには足りない。やがてエーリカの手から聖盾がはじかれ、爆炎たなびかせる火球は若く美しい金髪の女王を弾き飛ばした。


「オレたちの勝ちだぁ! 勝ち鬨をあげろ!!」


 かくて。オランイェ海岸の戦いは魔軍の勝利。エーリカ・リスティ・ヴェスローディア、囚わる。


………………


巨人が、太宰の市街を跳梁していた。


瑞穗が使役する神力の巨人、だいだらぼっちに似ていなくもないが、あの不可視の巨人はここまで野卑かつ攻撃的ではない。あまりに原初的・根源的な巨大な暴力は、人びとに圧倒的な恐怖を強いた。あちらこちらで民衆が踏みにじられ、踏みつぶされ、あるいは掴み上げられて頭からバリバリと喰われる。


「う……くそが、あいつらブチのめす!」


病室の窓から巨人たちの蛮勇を見せつけられた辰馬は窓から飛び降り……ようとして瑞穗と雫に腰を捕まれた。全力でしがみつかれ、へたんとへたり込んだ。


「なにすんだおめーら! 急がんといかんやろ!」

「なにすんだは辰馬さまの方です! 右足!」

 

 瑞穗が、彼女には珍しい剣幕で吼える。辰馬はきょとん、とした顔になり、なんのこっちゃ、というふうで右足を見て、……としばし沈黙。


「……あぁ……ま、どってこと……」

「どってことあるでしょーが、このばかたれ! この子ったらほんとーに無茶したがりなんだから!」

「なんでそんな怒ってんだよ……んじゃ、ゆっくり階段降りていくから……」


 どべき!


「へぅ!?」

「たぁくんはしばらく療養! 行くよ、みずほちゃん! みのりん、美咲ちゃんも!」

「はい!」

「みのりんって誰ですか!?」

「出ます! 辰馬さまはゆかさまを!」

「ぁ……おー……」


 嵐のように飛び出していった女性陣に、取り残される辰馬。同じく残されたゆかに、「とりあえず……将棋でも指すか?」病室になんとなく備え付けの将棋盤を指さしてみせるのだった。


………………


「さて……たぁくんに啖呵切った手前、ここで梃子摺るわけにも行かないし。みずほちゃん?」

「はい、トキジク10秒!」


 瑞穗と雫以外の全ての時間が止まる。一緒に病院から飛び出た穣や美咲もまた、動きを止めてしまう。


「10秒あれば充分。全開で行くよっ!」


 止まった時間の中で、牢城雫は小柄な身体を躍動させる。ピンクのポニーテールがふわりとたなびき、次の瞬間には巨人たちの後ろへと抜けた。10秒後、時間が再び正常に刻まれ始めると、数十匹いた巨人の群れはことごとく筋や腱を切断され、崩れ落ちた。


「ざっとこんなもんよ! 次いっくよー♪」


 それ剣は神速、気と剣と息の一致。凄絶にして精妙無比の剣閃が閃くところ、倒れない敵はいない。巨人たちは圧倒的なパワーの持ち主ではあったが、雫から見れば鈍重なだけの的でしかなかった。


 トキジクは連発できないために瑞穗は下がって休憩、それを穣が宝杖「万象自在」の神通力で守り、美咲は雫に追いついて鋼糸を閃かし、巨人たちの腕を落とし足を切り目を潰す。わずか4人の少女によって、数百におよんだ魔族の巨人たちは圧倒された。あとは気勢が削がれて逃げ腰となったところに駆けつけた国軍が銃撃からの抜剣突撃で、一挙殲滅を果たす。


「……あのバカ姉、ホントに人類と全面戦争するつもりか……?」


 とりあえず雫たちが負けるはずもないと安心してゆかと将棋を指した(3局指して3敗した)辰馬は、戦局が終わる頃そう呟いた。


「? なーにー、お兄ちゃん?」

「いや……なんでもねーわ……おれと喧嘩したいってのが理由とか、正気かあいつ……。つーか、おれが動機だったり理由だったりすんなら、この国から出た方がいいよな……」

「おにーちゃんブツブツ気持ち悪いよー?」

「あー、うん。おれに気持ち悪りーとか言ってくれんのお前だけだわ」

「……アカツキを出られるならば。是非ともヴェスローディアへ」

「? そこか」


 辰馬は枕元の鉛筆を取ってひょい、と投擲。鉛筆はなにもない空間に当たってぽとりと落ち、わずかのタイムラグがあって外套を脱いだ、白髪の壮年男性が現れる。


「新羅辰馬さま……創世の神の二柱が一、真なる魔王の継承者ノイシュ・ウシュナハさまと見受けます。私はハゲネ・グングォルト、ヴェスローディア女王エーリカ・リスティ・ヴェスローディアさまの傅役にして武術師範にして将軍であり、現在ここにまかり越しましたるは我が主君を救っていただきたく思うため。どうか焔獄の魔神ローゲを斃したまい、我が主エーリカさまをお救いくださいませ」

「ハゲネ……あぁ、エーリカの話に何度か出たな。いろいろ庇ってくれた武芸師範って」

「では……?」

「そーだな。ひとまずそれもいいか……」


 と頷きかけたとき、瑞穗たちが戻ってくる。

穣は二人連れの男女を伴っていた。赤い将軍章を身につけた長船言継と、その副官らしき白腕章の女士官。女士官は昨年、辰馬のことを長船の新しい愛人と勘違いして突っかかってきたあの女性だった。


 ハゲネは長船に見つかる前に、再び姿隠しの外套をかぶって身を隠している。長船とて相当な手練れであり、彼に気取られることなく身を隠してのけた時点でハゲネがかなりの練達であることは間違いない。


 長船は、この常に不敵で図々しい男にしては珍しく、歯切れのわるい態度で言いたくなさげに口を開いた。


「新羅公、ちょいと柱天まで」

「城に……? なんの用だよ?」

「まあちっと……あんまりあんたにとって嬉しいこっちゃないかもしれませんが」

「だからなんだよ?」

「とにかく城まで来て下さいや。皇帝陛下のお召しです」

「皇帝とか知るかばかたれ。理由も分からんまま、何処にも行けるか」

「……あー、もうめんどくせえ。『新羅辰馬を正統の勇者として魔王クズノハ討伐に向かわせる』、以上です!」

「は……? ……おい、おれとクズノハと、姉弟で殺し合いさせるつもりか?」

「……相手は魔王で、あんたは勇者ですよ」

「違うだろーが! いままでおれが勇者なんて呼ばれたことも名乗ったこともねぇ!」

「………………」

「黙んな長船!」

「勅旨です。背けば三族族滅ですよ?」

「……城に行くだけ、話だけ聞いてやる。昏君に一言言ってやらんと気が済まんわ。にしても……おまえ、もっと気宇の大きい男だと思ってたけどな……」

「宮使えってのはこういうことなんですよ。早く偉くなって、俺が自由に振る舞える社会にして下さいや」

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