第6話 跛の魔王と魔人の死

必殺にして決殺の一撃が振り下ろされる。


それはカルナほどの腕ならば、絶対に外し得ない距離。


にもかかわらず、顔面を刺し貫くべく振り下ろされたクリスの切っ先は辰馬の顔を避ける。まるで憚ったように、あるいは自分の腕を、なにか巨大なそんざいのままごと人形にされて動かされたかのように。


「先触れ」に並ぶ神楽坂瑞穗の新技、「ままごと」。これが無数に存在する未来の中から、辰馬の命を取り逃す未来を選択させる。それによって辰馬は命を拾う!


「……助かった、瑞穗! うらぁ!」


 マウントされた状態から、ブリッジしつつ蹴り脚を思い切り伸ばしてカルナの後頭部を打撃、それを嫌ったカルナが前のめりに転がって逃れる隙に、辰馬も横転しつつ立ち上がる。


 ……っ、これは、下手すると一生モンの傷になるな……。


 意外なほど深くかかとを穿ちむしばむ痛み。たぶん今の挙動で皹だったものは完全な裂傷になった。


……戦場で人死に見せつけられたときの吐き気やらなんやらに比べりゃあな、こんなもんは……どってこともねぇが……。


そう強がるが、この状態ほぼ完全に歩法を封じられているのはどうしようもない。戦士としては致命的であった。


それでも。


「まあ、ちょうど良いハンデだわ、こんくらい。かかってこい、色黒」

「ふん……この、寒い中……汗が……止まないほどに、傷が深いか……色白」


 辰馬の挑発に、カルナは口の端をつり上げて挑発を返す。辰馬がかかとをやったあの瞬間、どうやらなんらかの法術で見ていたらしい。クリスを油断なく構えつつ、カルナは周囲を見渡す。


 目の前2、3メートルのところに新羅辰馬、そのやや後方に、強烈に下腹を打ち抜かれ失神しているシンタの姿がありさらに後方4、5メートル離れて牢城雫が、神楽坂瑞穗を守る。なんらかの術か加護かで金物、あるいは刃物に対して無敵状態のカルナ対策として、今の雫は珍しく辰馬とおなじ、江南流の拳法構え。


……さっきから、おれの、動きを……掣肘する、のは……あの娘か……。


たん、と地を蹴る。この場における最大の脅威を魔王霊威・新羅辰馬より神楽坂瑞穗と認め、まずまっさきに瑞穗を仕留めんと襲いかかる。


「させるかよ!」


 脇を抜かれる寸前で、辰馬が強烈にタックル。かかとをさらに痛めつつ、今度は辰馬がカルナに馬乗りになる。


「こーいう格好で決着つーのも、好きくないんだが……ま、いーや。これでシャー・ルフ(王手)だぜ、カルナ? 降参しろや」

「馬鹿らしい……この、程度で、おれの……動きを、封じた……つもりか?」


 カルナが念を懲らす。たちまち周囲にほとばしる瀑布の奔流、そこかしこの水たまり、それらすべての水が意思を持つ。かつて1年前の正月、瑞穗や雫たちを襲った異形の海魔たち、あれに似てあれ以上凶悪な、無数の腕持つ強靱無比の触手を象る!


 触手は伸縮自在、数も自在の触腕を伸ばし、辰馬を襲う。本来の身体能力万全な辰馬であればそのことごとくを回避することは難しくないはずだが、とにかくかかとを粉砕されているというこの現実が新羅辰馬の機動力を激しく削ぎ、また本人が強い意志で押さえ込んではいるものの、激痛による集中の妨げは辰馬の盈力から本来の精彩を欠く。


「つぅ……っの、うっとーしいわ、ばかたれぇ!」


 輪転聖王・梵(ルドラ・チャクリン・ブラフマシラス)で接触した触手をはじき飛ばすものの、相手は水の塊。接続の一カ所を断てば別個体であり、一撃でその巨大な触手塊を吹き飛ばすに至らない。これとても辰馬本来の盈力の冴えが健在ならば問答無用なのだが、本人が強がる以上に心身に抱えるダメージは大きい。


 くそ、この程度の傷……。ここで負けたら瑞穗が、しず姉が奪われるんだぞ、新羅辰馬! 泣き言っとらんでけっぱらんか!


「力を貸そう」


 そこで動いたのは厷武人。隻腕に神剣・布津御魂を携え、無造作に白刃を閃かせつつ辰馬と触手の間に入る。とはいえ辰馬と武人の連携は初であり、互いに優れた武人であるとはいえ相手の心底を読み切って信じ合うということができるはずもない。動きはぎこちなくなり、そこを触手につけ込まれる。危機的状況だった。


 辰馬を触手に任せて、カルナは瑞穗に歩み寄る。


 その豊満きわまりない121センチの肉塊に、カルナは一瞬、圧倒されるように息を呑み、そして好色に薄笑い。


「そちらの……半妖精といい、魔王、の眷属には……勿体ない、奴隷たちだ……俺が、貰ってやる。貴様は、そこで死ね……」

「甘く見ないで貰えますか(貰えるかな)? 辰馬さま(たぁくん)はあなたなんかに負けません(負けないよっ)! そして、わたし(あたし)たちも!」


 二人の少女は異口同音に叫ぶ。


すかさず、引き絞られた矢のように、猛然と飛び出す雫。掌底。まともに入る。顎が開く。ショートのボディブロー。そして動きを止めるべく鉈のようなローキックで足首を薙ぎ、相手が踏ん張って残そうとしたところに靠(タックル)をたたき込む! 蹈鞴を踏んでよろめくそこに、さらにドン! 岩場がみしりと砕けるような剛震脚から。


 足首を回す、その捻力のまま膝、股関節、腰、肩、上腕、肘、手首と回し。


 突き出した掌、呼吸力とともに爆発させる! 新羅江南流の不二打(二の打ち要らず)、竜牙崩撃。またの名を猛虎硬爬山!


「くぁ……かふ……ッ!? お前、が……こんなに、強い、はずが……」 

「あんまり舐めないでくれるかな。剣は効かないけど拳が効く、それさえ分かればどーとでもなるよっ!」

「そうか……なら、今度こそ……おれも、本気で……お前をたたき伏せる!」

「させません! トキジク10秒!」

「ッ!? ………………」


 瑞穗の裂帛。カルナの周囲の時間が止まる。


「さんきゅーみずほちゃん! さぁ、これで決めるっ!」


 再び雫、竜牙崩撃の構え。


 その刹那。あまりにも強大でまがまがしい力がカルナからあふれ、トキジクの時間牢獄を破る。その形相は鬼神のそれであり、およそ魔神殺しの神の徒とは思えないほどの殃禍を感じさせる。すでに彼は人の領分を越えて、魔の域に足を踏み入れているのではないか。


 腕を振るう。雫が前に出て、受けるが、一瞬ではじき飛ばされる。雫は外見より遙かに強靱な膂力の持ち主だが、それをもってしてまるで子供と大人の力量差があった。完璧な受けで威力を殺した腕が、腕甲の下で腫れ上がっているのがわかる。


「もう、お前たちは要らない。俺に刃向かうもの、我が水天宮の流れに飲まれ、塵一つ残さず消えよ」


 そういう言葉は吃音ではなく、なめらかで、しかし洗練されすぎてひどい耳障りの悪さを感じさせる。


 その背後に。


「いるとかいらねーとか、お前が決めんな、ばかたれ」


 満身創痍の新羅辰馬が立った。


 触手に苦戦していたのは序盤の数分のみ。前述したように辰馬も武人も練達の武人である。相手の動きを見ながら自分がどう動くべきか、戦いの中でそれを習得していくぐらいのスキルは当然のごとく身に備えており、あとはそれが有機的に機能するようになるまでの数分間を凌ぎさえすればよかった。今、触手はその力のほぼすべてを使い果たせられ、厷武人一人にあしらわれている。


辰馬の掌が、カルナの脇腹に添えられた。


「輪転聖王・梵」


 盈力の光翼、そのぶんの力もすべて注ぎ込み、放たれる一撃。天に向け、極光を纏いたちのぼる光の柱に、カルナは声もなく倒れ伏す。


「ふぃ……まぁざっとこんなもんよ……。つーか……あーもう、これ言っていーよな。ぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~、いてえぇぇ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、足が、足砕けるっていでででぇあぁぁぁぁぁぁぁ~っ!!」

「あぁっ、辰馬さま、だいじょーぶですか!?」

「たぁくん、おねーちゃんがふーふーしてあげる。ふー、ふーっ!」


………………


「これは完全に、複雑骨折だね……たぶんもう……」

 しばらく辰馬の足を看た雫が、そう言って悲痛げにかぶりをふった。


「あー……そか」

「早く町に戻って処置しないと。足から壊死して最悪、切断ってことも……」

「まー……仕方ねーなぁ……」

「辰馬サン、すんません! まさかオレが寝てた所為で……」

「シンタ関係ねーわ。おれが無理したからだよ」

「とにかく、はやく戻りましょう。齋姫の名前を使って一番優秀なお医者様を手配します!」

「んー……そのまえに。よっ、と」

「だからたぁくん! 足、使っちゃ駄目だってば!」

「仕事が終わってねーからなー……たぷん祭壇がこのあたりに……あぁ、あった。えーと……これが術式? これを書き換えて……んー……たぶんこれで、水天宮の発動はなし。と。よし、そんじゃ帰るか。厷-、そこの色黒抱えて……」


 そこまで言って、気がついた。


 誰も気づかない間に、水天の魔人は封神符の拘束を逃れ、いずこかへと逃れていた。


………………

…………

……


 水から水へと転移して逃れたカルナがようやく、人心地ついたところで。


「それで、どこへ行くのかしら、負け犬さん?」


 女の、弄うような声が背にかかった。


「……ッ、魔王!?」


 咄嗟に振り向き、身構える。新代魔王クズノハは薄く妖艶な笑みを浮かべたまま、微動だにしない。そしてクズノハの前には先日、カルナに完敗を喫したデックアールヴ、オリエの姿がある。


 わずかにカルナは安心した。今の状態で魔王に挑むのは無謀だが、オリエを盾にすればこの場は逃げられる。


 その思いを読んだように。


「さ、オリエ。雪辱の時よ。お前がどれだけ強くなったか、わたしにしっかり見せて頂戴?」

「はい、姫様。いえ、魔王陛下」


 オリエはカルナの面前……ほとんど2メートルもない距離で、矢を弓に番え引き絞る。


 明らかに、弓を使う間合いではない。


 カルナもそう思い、内心で嘲弄した。


「死ね……!」


 クリスを振る。


 同時に、オリエが矢を放つ。


どぅ!


 痛みと衝撃は背中から来た。


「っは!? がぁ!?」


 間違いなく、矢は目の前で引き絞られ、威力を発揮する飛距離を走ることもなかったはず。であるのに、最高に威力の乗った矢が、背中を打ち貫く。


「この……技……次元を、越えて?」

「ご名答。うちのオリエがこの力を手に入れたのはあなたのおかげ。感謝するわ……ただし、感謝はしてあげるけど、同胞の仇を許して上げるほどわたしは、寛容ではないのよね」


 魔王クズノハはやおらゆるりと右手を挙げる。その掌に遊び半分で纏われただけの燐火ひとつで、十分この狼紋一帯を消し飛ばすに足りよう。新羅辰馬や自分、さらには目の前のオリエと比べてすらなお、隔絶した魔力。


 カルナは覚悟を決めた。身を焼く矢の痛みに耐え、身構える。勝つこと能わずとも、一矢報いる。


「……お待ちください、陛下」

「? どうしたの、なにか面白い趣向を思いついた?」

「はい。この男、どうやら魂を魔に染めつつあるようで……」

「なるほど。……五将星が六芒将になっても、まあ大した問題ではないわね」

「なにを……言っている?」


 自分を無視して話を進める魔王とその腹心に、訝る声を向けるカルナ。その額をがし、とクズノハがつかんだ。ものすごい熱が烙印のように頭を焼くが、どう暴れても拘束を解くことはかなわない。


「あなたは死ぬわ。ただし、魔族として生まれ変わりなさい。そしてわたしのために働くの。それがあなたのなすべき償いよ」

「……ッ!? おぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~ッ!!」


………………


 カルナ・イーシャナの支配力が除かれたことで、北嶺院文、磐座穣たちは無力化した少女たちを難なく制圧することに成功した。朝比奈大輔、出水秀規とともに大急ぎで辰馬を迎えるべく進発した磐座穣は、途中郊外の雪深い獣道でカルナ・イーシャナのものと見られる遺体を発見する。護衛官の兵士のうち、検官の心得がある兵士が「おそらく、逃走中に力尽きて獣に襲われたのでしょう」と告げたが、それにしては遺体に血が付着していないことと、なにより以上に魂の感覚が希薄に感じられることが穣の心をざわつかせた。

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