第5話 二つの戦場
「敵は一般人です、網を!」
磐座穣の号令一下、臺から持ち出された大量の網が、少女たちの頭上に舞う。ただの網と侮るなかれ、軍用のそれはネット部分が練り込まれたワイヤーであり、重量は一幅数十㎏におよぶ。一度これに転倒されられたが最後、まずその戦闘中に復活することは能わない。
それでもなお。
洗脳状態で肉体のリミッターが外されているゆえか、この重量級の投網に打ち倒されてなお、立ち上がり、網を引き裂いて進む少女が居る。殺すわけにも行かないので、彼女らには盾兵があたるが、健常頑健な男の兵士が軽く押し返される。霊的資質において女性が男性を上回ること大であるとはいえ、純然たる膂力でこれとなると驚異的であった。
防衛戦がじわじわと押し切られる。
その少女たちの、意思なき行軍が唐突に雪崩を打って倒れた。木々と木々の間、低いところに見えにくく渡したロープが、少女たちの足を払う。一人が転ければその後ろは連鎖的に転げ、倒れた少女たちに1対1では力負けする。一人に対して数人でかかり、制圧し、わずかずつ収容していった。派手な奇策が百出する場面ではない。というか派手にやろうと思えばいくらでも手はあるのだが、まさか無辜の少女たちを雪の中に生き埋めにするとか、そういう手を使うわけにもいかないのでいきおい、天才・磐座穣といえど作戦力を制限される。
現場レベルでなんとか戦線を維持する統率力を見せるのは朝比奈大輔であり、その下で出水秀規は泥濘の魔術を繰り出し続けて少女たちの脚と機動力を鈍らせることに腐心する。妖精・シエルはパートナーである泥濘の術士にひたすら霊力を渡して存在が希薄になるほど消耗しており、霊体ではないから存在は薄まらないにしても先だって「先触れ」で大きな「未来の自分の力」を降ろした代償もあって大輔と出水の消耗は大きい。
文は全体を俯瞰して各部署への通達で手一杯であり、起死回生を期待される穣だがこの状況、なかなか妙計は浮かばない。もし万一完全に押し切られそうになった場合は堰を切って雪崩に少女たちを飲み込ませる算段だが、まだそこまでの段階ではないからかえってたちが悪い。
新羅がさっさとカルナ・イーシャナを打倒してくれるのが一番なのですが……まったく、あの男はとろくさい……!
………………
自分の、すさまじいまでのぶち切れ運動神経、極まったどんくささを棚上げにして、穣が毒づくように期待をかけたとき。
新羅辰馬一行は着実に、カルナのこもる祠に近づいてはいた。
近づいてはいたのだが、巨大な瀑布を前に停滞を余儀なくされている。
「この先か……つーてもこの滝、抜けるの大変だな……」
「いや、その前にこの辺……なんかヤバいっスよ」
「? なにが?」
危険を察知する盗賊の第六感が新羅辰馬、牢城雫の二人を凌ぎ、シンタが警鐘を鳴らす。とはいえ具体的な脅威が何であるかはわからない。この、滝の前の原野にある脅威と言えば……地面にぽつぼつと穿たれる、不自然な孔は……。
「間欠泉! 飛び退け!」
辰馬が、瑞穗を抱きかかえて跳ぶ。雫、厷、シンタも自力で回避したのだが、ただひとり辰馬の足が超高圧の噴水にやられて裂傷とやけどを負った。
「大丈夫ですか、辰馬さま!?」
「あー、だいじょぶだいじょーぶ。問題ねぇ」
すぐさま治癒にかかる瑞穗に強がって答えてみせるが、踵骨が砕けてはいないものの大きめの皹を負っているのが自分で分かる。外傷やダメージはともかく、治癒術で内証や骨折、飢えや渇きは癒やせない。いや、ある程度それを可能とする術士も存在するし瑞穗もその能力の一端を会得してはいるが、たとえば辰馬の母・アーシェ・ユスティニアのように治癒術特化型の能力者でない瑞穗が一瞬で骨折は癒やせない。治癒術とは違うアプローチとしてトキジクで傷口部分の時間をさかのぼらせるという手もあるが、いまからすぐに戦闘を控えているというときに切り札であるトキジクを使って、瑞穗が戦線離脱では目も当てられない。水天の魔神、カルナはおそらく水を近くにして先ほどより以上にパワーアップしているはずであり、辰馬とても1対1の真っ向勝負で楽勝とはいえないのだ。
「ごめんなさい辰馬さま、わたしを庇って……」
「あー、うん。まあ、気にすんな」
「いえ。このうえはどんな償いも……ご命令ください、なんでもします!」
「気にすんなゆーてるのにな……。んだなー……じゃあまあ、今度からちょっと身体鍛えるか? 罠とかとっさによけれるよーに」
「え……運動は……ちょっと……自信がないですけど……」
「そーやって逃げんな。つーかお前、絶対おれがエロいこと命令すると思ってただろ? そーゆー期待には応えんからな、おれ」
「はぅ……すみません、ごめんなさい……」
「いやまー、いいけど。シンタ、ちょい肩貸せ」
「? そんな悪いんですか?」
「たぶんかかとに大きいヒビがな。このままだとまともに歩けん。ちょっとテービングでガチガチに固める」
「手伝うっスけど……、にしても辰馬サン、骨やってるとは思えない落ち着きようっスよね。普通もっとギャーギャー騒ぎますが」
「騒いでどーなるもんでもねーよ。我慢するしかねぇ。それにまぁ、片腕斬られても泣き言一つ言わずに復活した男がすぐそばに居るからな。みっともないとこ見せられん」
シンタの補助を受けて、辰馬はなんのかんのでテーピングを施す。往ったとおり足首をガチガチに固め、ほとんど可動範囲がゼロの状態なので身ごなしは鈍くなる。それに加えて骨に受けたダメージから早速、身体が熱を持っていて、これまた動きを阻害する要因になるが、辰馬はそこのところ一切表に出さない。心の痛み、とくに他者を傷つけることにはすこぶる弱いが、自分の肉の痛みにはめっぽう強いのだった。
「さて。往くか……つーてもこの先間欠泉がいっぱいで……次どこから噴き出すかパターン読まねぇと進めねぇな。おれが本気出して一気になぎ払ってもいいけど、この辺り一帯廃墟の更地になっちまうし」
「魔王辰馬サンは力ありすぎて使いモンにならねーっスよねぇ……どーにか加減できないんスか?」
「ん……多少のコントロールは覚えたがまぁ、あの状態になるとな。破壊衝動が強く顕在化しちまうから手加減しようって気分にならんのだわ。だから本当に、絶体絶命どーしようもねぇって時以外、魔王化はしねぇ。まあ普通に今のおれの素で十分、行けるとは思うが。いまのおれは天壌無窮に達してるし実際、カルナと一度やりあった感触でも互角以上だったからな……問題はあいつが、水というフィールドでどんだけ力を増すのか、ってこと」
「二倍三倍なら?」
「まあ普通の盈力解放、光翼六枚でなんとかなる。それ以上だとちょっと厳しいが……そのときはおまえらに頼むわ。……で、この間欠泉群、迂回していく時間あるか、瑞穗?」
「サトリで磐座さんたち周辺の思念を読んでみましたが、かなり切迫しているようです。あまり時間はないかと……」
「んじゃ、突っ切るしかねーな。……おれが盈力で障壁張るから、シンタ、おれ担いで走ってくれ」
「あいよ。辰馬サン軽いからこーいうときは楽。つーてもやっぱ大輔とかデブがいた方が楽っスけど、まあ辰馬サンのケツを独占出るからいーか」
「ほんと……しかたねーけどなぁ……。あんまりヘンな撫で回し方すんなよ。したら殺す」
「わかってますって。さりげなくやりますから!」
「………………、ホント大丈夫かよ……」
というわけで。シンタは辰馬をおんぶして猛ダッシュ、雫が瑞穗の手を取って走り、厷もそれに追従する。悪魔の噴水に追い立てられての徒競走が始まった。辰馬の障壁で大概は弾けるとはいえ、鉄板をたやすく貫通する勢いの水槍は恐ろしい。それが連続して、前から横から後ろから、モグラ叩きのように噴き出してくるのだから心臓に悪いことこの上ない。目の前で水槍がパァン! と爆ぜると、それこそ背筋が凍る心地がする。
が、辰馬の盈力に加えて瑞穗の神力で補強された障壁結界は堅牢、一撃も通さない。ある程度なれてくるとシンタなどは「こんなもんでオレを止められっかァ、もっとすげーのもってこいや!」と調子に乗って叫び出す。
「安全なところから猛獣にでかい口訊くヤツだよな、お前って……そーいうふうだから童貞なんだよ、お前は」
「くっはあぁ!? それ言いますかね辰馬サン? 自分がちょっと経験者だからって!」
「いーからペース落とすな。このまま滝を抜けて裏の祠まで突っ切れ!」
「……、あいよ了解!」
この二人はいいとして。
「ひぃふぅ……はぅ、はひ……く、苦しいです……息が……」
「瑞穗ちゃんホントに体力ないなぁ……あたしが今度鍛えてあげるよ~♪」
「はぁ、ひぁふ……そ、そのときは、お願いします……くひ、ひへぇ……」
雫に引っ張られる瑞穗はすでにグロッキーだった。だっぷんだぷんと揺れる巨大すぎる乳房に押しつぶされているのか、瑞穂の運動神経は低い。磐座穣に比べればまだ人並みとはいえ、ここにいる連中は瑞穗以外全員が体育会系、思いっきり文系の瑞穗が太刀打ちできるものでなく、ひぃひぃ舌を突き出してみっともなくあえぐしかできない。見ようによっては扇情的な姿かもしれないが、本人はそれどころではなかった。
「そのまま吶ぁ―喊んっ!!」
「うしゃあ! 突っ込みます」
辰馬の号令。シンタが応じ、頭から滝に突っ込む。唐突にたたきつけられる秒間数トンの、純物理的な水圧は障壁結界をもってしても防ぎえず、粉砕されるが、すぐさま瀑布の内側に突っ込んでしまうので問題なし。
「おらあぁ! カルナ、さっきの借りを返しに来たぞぉあ!」
祠に突撃し、咆哮する辰馬。狭い、水と湿気に満ちた祠内で、わずかに数メートルを挟んで魔王の継嗣と水天の魔人は再び……いや、正しくは三度対峙する。
「五月蠅い……小僧だ。まあ、いい。どちら、にせよ……、魔王の……血に連なる者……は、すべてことごとく……殺す……!」
吃音ながらもよどみなく、褐色の肌と黒髪の魔人は、静かに魔神への恚(いか)りを燃え立たせ、銀髪緋眼の魔神は愛しき少女たちを嬲ってくれた魔神への怒りに奮い立つ。あふれる気迫は力として具象化する。辰馬の金銀黒白、六枚の翼に対して、カルナのそれは陽炎の中に立つ巨大な鬼神。
「なんでそんな魔王とか魔族が憎いのか知らんが……ともかく今までおれに殺すってゆーた相手で、ホントにおれを殺せた相手はいねーんだよ。お前もこれからギッタギタにのして、『恥ずかしくもでけー口叩いたばかたれリスト』に入れてやっから覚悟しろや、ぼんくら」
「口の……悪い事だ……。大言、壮語は……お前の方、だがな……」
………………
互い、いよいよ身構える。カルナが疾走。まずは脚、シンタを狙う!
「クソがよ!」
シンタは辰馬の尻にあてがった片手を離して懐からダガーを抜き、目にも止まらぬ速度で投擲、小型の爆雷と化したダガーはシンタの霊力を受けて本来あり得ない曲線的かつ変則的な軌道を描いてカルナを襲うが、カルナは腰帯に指したクリス・ナイフを抜きざま、こちらも神速の斬撃で六本のダガーことごとくを打ち落とす。投擲したのは七本、最後の一本は他の六本をカモフラージュに迂回してカルナの死角から襲うが、これすらカルナは超反応で打ち落としてのけた。
そのまま肉薄。指呼の間に逼る!
「っち! 天楼絶禍ァ!」
シンタの背からとっさに天楼を振るい、氷霜を降らす辰馬。その力の根源は魔力、魔王に連なるものを認めて、カルナの瞳がいよいよ恨みに燃える。
「っあぁぁ!!」
クリスを構え直し、虚空を攪拌するように振るうカルナ。大気がぐわんと揺れた。まるで空気が水に満たされたようになり、水桶の中でかき回される洗濯物のように三半規管が揺らぐ。たちまちふらふらになり、まともに立てなくなるシンタと、その背の辰馬。ほとんど人事不省のシンタの腹をカルナが思い切り足刀で打つと、シンタはあえなく崩れ辰馬があおむけに打ち倒される。カルナはシンタには目もくれず、辰馬を襲う! 馬乗り、クリスを振り上げる。
「死ね……、魔王、の……血脈!」
透徹した水の気を纏うクリス・ナイフが、ぎらりと光った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます