第3話 十種の神宝もて誓願奉る


 厷武人(かいな・たけひと)は1797年、アカツキ第二の都市少弐に生まれる。家は貴族ではないがそれなりの富裕層であり、家族構成は両親の他、妹が一人。


 生後半月で木剣を取るほどの、生来の剣術バカだった。3才で道場に通い、5歳の時には黒帯を取る。幼年学校に上がる頃には、少弐近隣に彼と並ぶものはいなくなっていた。


 あまり社交的な子供ではなく、容姿は端正な美男であるがどこか陰があったのは、自分と考えを共有できる友人がいなかったことが挙げられよう。陰気な顔で、無口な少年時代の彼は、しばしば誤解を受けた。本人からして誤解をただそうという気持ちがゼロだったので、周囲との摩擦・軋轢はどんどん大きくなっていく。ましてや剣術をやっていて幼年学校ですでに黒帯というのが、悪童たちの癇に障った。


 悪童たちはあの手この手で厷を屈服させようとしたが、厷はその都度、涼しい顔でそれらのすべてを踏み越えてのけた。剣術の修行に比べれば、悪童たちの嫌がらせなどは取るに足らないいたずらでしかなかったのかもしれない。


 そうこうするうち、厷は中等学校の3年を迎える。進路は太宰の蒼月館を希望だったが、このとき彼の人生を一変させる事件が起きる。


 すなわち、彼を屈服させることをなお諦めていない悪童たちが、妹・ほのかを誘拐したのだった。


 平素冷静で泰然自若の厷だが、このときばかりは取り乱した。厷武人は自他共に認めるシスコンであり、妹を穢されることに我慢がならない。必至に少弐の町中をかけずり回り、見つけられず、そこでギルド「玉衛館」に踏み入れると雲衝くような巨漢がいた。それが彼が終生敬愛する、明染焔との出会いである。


 焔はたちまちに場所を特定……といっても、彼は捜索能力において優秀なわけでもないので、そちらに優れたスタッフを手配したに過ぎないのだが……実際焔が働いたのは場所が特定された後である。すさまじい拳法の技で、悪童数十人をたちまちに制圧してしまった。なによりすさまじかったのは痕跡を残さず痛みだけを与える技法で、官憲司直からの追求に対しても焔は正当防衛を主張、これを通してしまう。


 という次第で受験生の厷の経歴に傷をつけることもなく、またほのかを傷物にすることもなく事態を処した焔(焔自身も無罪放免と言うことで、「罪人に助けられた」と言われることもなかった)に、厷が非常な敬愛と信頼を寄せたのは理の当然。そのため厷は蒼月館ではなく、焔の卒業校である勁風館に進路を変えた。


 勁風館において厷はそれまでの陰にこもりがちな性格を改善、物静かではあるがしっかりとした自己主張のある若者に成長を遂げる。「煌玉展覧武術界」3連覇、焔が果たせなかった勁風館によるアカツキ学生武檀制覇を果たす。


 しかし士官学校入学試験に失敗。その翌年、新羅辰馬と知遇を得てヒノミヤ事変を戦い、大将首8つを含む大戦果を挙げるもののこの戦いで右腕を失い、士官学校にはまた落ちる。三度目の正直、今度は近衛武官として受験し、ようやく合格して今、大元帥殿前都点検(だいげんすい・でんぜんとてんけん)・本田姫沙良の直属、宣武軍鎮衛将(せんぶぐんちんえいしょう)・北嶺院文(ほくれいいん・あや)大佐の近衛として剣を振るう。


 厷の身体的特徴、剣術理念城の特徴としては、まず両腕の握力が等しく強い。左右ともに81㎏であり、握力だけでなく文字書きその他の細かい動きも右と左で遜色なくできた。彼が右腕を切れ飛ばされてなお剣術に絶望せずに済んだのはそれゆえである。左にスイッチしてもほとんど、厷は違和感なく剣を振るうことができた。当然、片手がない以上バランスがおかしくなるのは間違いないからそれを修正しつつの再修行にはなったが、おかげで厷は普通の剣士以上にボディバランスというものに精妙になった。


 とはいえ独学独習や、学校教官レベルの指導者に師事したところで、今の厷の域に達することはできない。厷が師匠と仰いだのは蔵人宗嚴(くらんど・むねよし)、アカツキの剣術界には幾百幾千の流派が存在するが、その中にあってもっても実戦的と言うことで知られる「烏丸流」の継承者である。


 蔵人は厷の片腕をもって判断せず、普通の門下生と同様に扱い同等の試煉を課した。腕を失ったことで克己心の塊になった厷はむしろおおいに喜んで試練に挑み、ことごとくこれを達成。師匠蔵人を脅かすほどの成長を見せる。ヒノミヤ事変から士官学校入学までの約1年で、厷は烏丸流の本目録を皆伝されるに至った。佩刀・布津之御魂(ふつのみたま)は師から餞別として送られたものである。本来の形状としては神話に言う直刀・十握剣(とつかのつるぎ)だが、それを反らせて刀の拵えに打ち直したもので、刀身の長さは130センチほどもある。普通の太刀のそれが90センチをやや下回る程度だから、1.5倍近い長さだ。その大段平を、厷は自在に扱う。長い分重く、扱いづらい太刀で牢城雫を上回るほどの剣速を発揮するのはひとえに全く、たゆまぬ修練のたまもの。


………………


 ともかくその厷が、まだ弱かった頃明染焔に救われて感化された厷が弱者を見捨てることができるはずがなく。


 友軍の兵たちに向けて放たれたシャクニの月光霊威に、厷は挺身、仲間たちをカバーに入った。


「っあぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 月光の霊威は太陽のように激しく燃やすのではなく、魂を焼いて消滅させる。厷はまさしく魂を焼かれ、さすがにたまらず頽(くずお)れた。


 シャクニが悠々と、厷に近づく。


「おら!」


 げしっ!


 蹴り。型もなにもない、乱雑なトゥキック。大ダメージにうめく厷に、それを躱す余裕はない。なすすべなく蹴られ、さらにまた蹴られる。つま先蹴りはつま先やあばらの隙間やみぞおちに突き立てられ、執拗に体力を削いだ。


「……っ! ………………っッ!」


 声もなくうめく厷。難敵を制圧したことで気が大きくなっているシャクニは、力の誇示のため殊更に厷を蹴り回す。


 師団長・北嶺院文(ほくれいいん・あや)は勇士を救うべく兵士を5人ずつ 編成、前衛二人に短兵、後衛二人に長物、そして最後尾の一人に網を取らせてシャクニにかからせるが、やはりシャクニは無窮の域にあるもの、5人がかり程度ではどうしようもないし、一度にそれ以上の数でかかっても混戦になってこちらに損害が増えるばかりだ。手の施しようがない。


「諸兵、散会!」


 可憐ながらも勇ましい、戦乙女と言うべき声が場を劈き、兵士たちははじかれるように散会、シャクニから離れる。


 シャクニの方からおどりかかる、 その一刹那。シャクニの身体がストップモーションのように固まり、次の瞬間天から一極集中でたたきつけられるは青き神雷。


「そこまでです! それ以上はやらせません!」


 トキジクで時間を止めた神楽坂瑞穂と、神雷を降らせたのは磐座穣。常人なら即死でもおかしくないコンビネーションにしかしシャクニは耐え抜き、そして二人の少女を認めてニタリ、下卑た笑みを浮かべる。


「ふひひぃ~……、なんだお前ら、せっかくあのガキが助けてくれたのに……結局、俺に抱かれたいのかあぁ~?」

「クールマ・ガルパの無窮術士は、どいつもこいつも品性下劣ですね……。あいにく、不意打ちでなければ貴方などに……!」


 穣が宝杖・万象自在を構えるが、その手足はわずかに震えていた。植え付けられた恐怖は根深く、一朝一夕では克服しがたい。


 そこに。


 パァン!


「くぁ!?」


 甲高い発砲音とともに、鉛玉がシャクニの肩肉をはじく。500メートル以上の距離からの超遠隔精密射撃を成功させるのはこの世に一人、上杉慎太郎しかいない。そして馬蹄をとどろかせ、二人乗りで突っ込むのは朝比奈大輔、および出水秀規。


「というわけで、真打ち登場、でゴザルな」

「おい。真打ちは俺だろ?」

「は?」

「心底意味分かんねぇ、って顔してんな! ここは白兵戦だろーが、虚弱デブは下がってろっての!」

「いやー、ただの喧嘩師に無窮術士の相手は難しいと思うでゴザルよ?」

「お前もな! ただのザコ魔術師!」

「ただのとはー!? 拙者はシエルたんを召喚したほどの選ばれし者でゴザルぞ!?」

「やかましいわとにかくここは俺が!」

「いやいや拙者が!」


「いいから、漫才やってねぇで二人一緒に来いや、ガキども……一瞬で殺してやるからよ」


 シャクニがうんざりしたという顔でそう言うと、そんじゃ遠慮なく、と大輔、出水は二人で身構える。

「まったく……ザコがこの場にしゃしゃり出てんじゃねーぞ、クソガキども。まあ、すぐに殺す。今だけ存分にしゃべっとくんだな」

「おー、せいぜい油断してくれや……瑞穂ちゃん、『先触れ』を」


 大輔が瑞穂にそう声をかける。瑞穂が、穣の勧めで修行に着手した二つの技、それが『ままごと』と『先触れ』。ままごとは無限にある未来の分岐をこちらの任意に絞って行動を制約、支配してしまうもので、先触れは存在するであろう可能性の未来を、一時的に現在の身体に降ろすもの。どちらも異常なほどに強力だが代償として瑞穂は丸数日間昏睡することになるし、そもそもがまだ術として完成の域に達していない。しかしながらこの局面打開のためには未完成だなんだと言っていられない。


「はい……! 天に居ましますは日輪、智慧と豊穣、火之赤大神(ホノアカノオオカミ)、地に境界を塞がれますは嵐と大気、武辺の弓取り、武速神(タケハヤノカミ)、海原と地下の主なるは落花流水、呪術の白月神(シロツキノカミ)、三柱の女神に誓願奉る! 詞に曰く、甲乙丙丁戊己庚辛壬(きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ)、一二三四五六七八九十瓊音(ひふみよいむなやことにのおと)、布留部由良由良(ふるべゆらゆら)、十種の神宝(とくさのかんだから)もて、かく祈りせば時の揺らぎすら我が意のままなるべし! 加持奉る神通神妙神力加持!」


 瑞穂の詠唱。最近は巫女としての勤行もかなりおろそかなため、あらかじめ奉納してある神力での略式詠唱が出来ない。ちなみに十種の神宝とは澳津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死返玉(まかるがえしのたま)、道返玉(みちがえしのたま)、蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はちひれ)、品々比礼(くさぐさのひれ)のことであるが、ここでは巫女、あるいはもっと広義に人間が納めるべき徳目を現し、特別な道具を意味しない。


 神力の昂ぶりに、シャクニは危険を察知。術の発動前に瑞穂を叩こうと躍りかかるが、その挙動を遠距離からシンタが狙撃して阻む。


 そして、術式発動。


「時の調べよ、かかる勇士の未来の姿を、現在に重ね給え! “先触れ”!」


 力の奔流が、大輔と出水を包む。現在の未熟に、最高の状態で成長を重ね全盛期を迎えた場合の彼らの姿が重なる。


「……ふぅ……、あれ、なんか背ぇ伸びた? おれ、これだとシンタより背ぇ高くね?」

「拙者は変わらんでゴザルなぁ~……成長しても痩せんかぁ……」

「だいじょーぶ、ヒデちゃんはぽっちゃりがかわいーからいいんだよっ!」

「ありがとさんでゴザル。シエルたんもなんだか大人びたでゴザルな……。さて、やるでゴザルか」

「ん。そんじゃまずお先に」


 ふっ。


 大輔の身体が、残像を残して消える。そしてシャクニの面前に現れるや、


 どごぉあっ!


右のボディアッパー炸裂。石油缶を思いっきりたたきつぶしたようなきしむ轟音を立て、シャクニのつま先が宙に浮く。


「かふ……っ!?」

「まーた兵隊さんたちの方、攻撃されたりするとやっかいだしなぁ。このまま決めるぜ……フッ、シッ、シッ、ラ、ウラァッ!!」


左フック、右ボディ、左膝からの、右上段回し蹴り。高角度から急降下する独特の蹴り足が、痛烈にシャクニを打ち据える。


「大輔―、一人で決められると拙者の見せ場がないでゴザルよー」

「おー、悪い」

「……っそが、舐めんなクソガキィ!!」


 のんきに言い合う二人に、片膝ついて遺産を吐瀉したシャクニが身を奮い立たせる。殴り合いでは大輔やや有利、ゆえにシャクニはバックステップ、間合いを開け、視界に二人を捕らえて腕をなぎ払い、叫ぶ。


「月光牢(チャンドァーン・ジル)!」


月光玲瓏。


 しかしながら。


「回避できないなら止めればいいでゴザルよ。堅壁連城(けんぺきれんじょう)!!」

「はーい、力貸しまーす」


 出水の生み出した天衝く居城の偉容が、それに霊力を流し込むシエルの力が、月光を遮り止める。


「で。男を拘束しても絵面が悪いのでゴザルが……まぁ」


 出水はひょいと城壁に上り、指先一降り。まず地面が泥濘と化してシャクニを捕らえ、さらに地面から伸びた泥濘は絞首台を形作って完璧にシャクニの首と両手を拘束してしまう。さながら、王城の前につながれる咎人のごとく。


「く、クソがあぁ! 離しやがれ、殺すぞクソガキィ!!」

「ふぅ……離すわけないでゴザろーが。にしても無詠唱で術がガンガン使えるの便利でゴザルなー。いまの拙者、土属性世界最強なんじゃゴザらんか?」

「知らん。まあ俺の空手もこのレベルになんのかー、って気分にはなるなぁ。つーかいまこのレベルを体験したから、それを目標に頑張った結果としてこうなるんか……」


 シエルとちゅっちゅしながら戦勝祝いモードの出水と、一時的に手にした未来の自分に感動の面持ちな大輔。そこにシンタもやってきて、「おめーらだけズリィよなぁ~、オレは? 瑞穂ねーさん、オレってどんな具合になんの?」

「は……はい? ぁ……わかり、ました……もう一度、ですね……天にいまします……」

「ちょ、待ちなさい上杉! つまらない理由で瑞穂さんに先触れを使わせないでもらえますか? これがどれだけの消耗を伴うか……あまり目に余るなら新羅に言いつけますよ?」


 無邪気にねだるシンタとけなげに応じようとする瑞穂、それを押しとどめてシンタにやめさせるのは穣。そして10分後、未来の自分を降ろした反動で大輔と出水は瀕死になり、シンタは胸をなで下ろした。拘束したシャクニはともかくドゥフシャーサナの見張りが必要でこれには魂を焼くダメージから復活した厷があたり、軍の陣容をととのえた文は自ら指揮官としての座を外し瑞穂たちのもとにやってきて労をねぎらう。そうこうするうちカルナ・イーシャナを取り逃がした辰馬と雫も合流、ここに晦日美咲、小日向ゆか以外の新羅家ご一行が揃った。

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