第33話 ヴェスローディア風雲

 新羅辰馬たちが半月ほど根を張った町も、一枚岩ではない。


 魔族と通じている人間も、いた。彼らにしてみればわずか数千の辰馬たちを頼むより魔族に靡いて穏便に暮らせた方が良い。これを寄らば大樹の陰というかどうか分からないが、少なくとも魔族の側を頼もしいと見る一派があったことは確かであり、彼らは辰馬たちの情報を逐一、魔族の将領に注進していた。


 この地方の魔将は消極的であったことはすでに述べた。しかしさすがに、魔神ローゲもそこまで鈍くはない。新羅辰馬を倒し、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアに敗北宣言をさせるため、信頼する腹心、女巨人アンカルドゥザともと神族の娘シグンを派遣、アンカルドゥザは着任するや大兵をまとめて一挙辰馬たちの町を揉み潰そうとするが、それをシグンが制して町人の手で辰馬たちの寝首をかかせることを提案する。


 というわけで、事態は危急、明日は兵をまとめてハウェルペンに出立、と、酒かっ喰らってグースカ寝入っている辰馬たち、その酒場の隅で剣呑な刃が鈍く光る。


 刺客は若い女だった。目立つ容姿はしていないし、残忍な暗殺行為が似合う雰囲気もまとっていない、あくまでただの一般人A。しかし家族を殺す、婚約者を殺す、あるいは町を破壊すると脅されて、弱小勢力の辰馬たちに希望を見いだせなかった彼女が魔軍への間諜の役を果たしたのは無理からぬこと。まさか暗殺任務まで命ぜられるとは思っていなかっただろうが、やらねばシグンは確実に自分を殺すだろうと思えばやるしかなかった。


 雫とエーリカに押しつぶされるようにして、床に押し倒されなにやら苦悶の表情で寝入る辰馬。そこまで歩を進めて女は辰馬のあまりに可憐な容姿にほんの少しだけ動揺するが、しかしすぐに気を引き締める。この少年を殺せば、すくなくとも自分たちとこの町だけは生き延びられるのだと。


 凶刃を振り上げて、


 下ろすことはできなかった。首から下の身体の動きが完全に停止している。麻痺したとか石化したとか、そういうものとはたぐいが違う。いうなれば部分的に、時間の流れをせき止められたかのような感覚。


「貴方が、間諜でしたか……」

 神楽坂瑞穗はそう言って、狸寝入りから起き上がる。トキジクの力。あるいは時空を歪め、あるいは未来からの可能性を召喚する、それらすさまじい権能を使いこなす瑞穂にとって、ごく限られた範囲の時間を加速、減速、停止させる、それらは息をするほどにたやすい。


「魔族の将領から頼まれたのですね。逆らえばこの町を滅ぼすといわれた、違いますか?」

 静かだが、有無を言わせぬ誰何。瑞穂の迫力に圧され、逆に女はキレてみせる。かろうじて動く首だけを激しく上下させ、ヒステリックにまなじりをつり上げ、大声で怒鳴った。

「……だったら何よ! あなたたちがわたしたちを救ってくれるというの!?」

「はい。救います。わたしたちと辰馬さまにお任せください」

 強い言葉にも、瑞穂は怯まない。かつての臆病だったヒノミヤの首座は、この2年で精神的に大きく成長している。相手の言葉を真っ向で受け止め、優しく、しかし力強く応じた。


「……任せられるわけ、ないでしょう! 少しでも逆らえば殺される! あなたたちにそれを止める力は、ないッ!」


「んー……なんとかすっから静かにしてくれ。飲み過ぎで頭いてーんだわ」

 三番目の声は二人の足下、雫とエーリカの下から聞こえた。二日酔いに顔をしかめてそんな表情すらなお美しい新羅辰馬は、太平楽に寝こけている姉貴分とこの国の女王をぞんざいに蹴りどかすと、ややふらついた足取りで立ち上がる。


「辰馬さま!? 起きて、らっしゃったのですか?」

「いや、今起きた……まあ、ウチの所帯が小さくて頼りないのはわかるけど。こっから出て行く前になんとでもするから、まー安心してくれ」

「安心するには! あなたを殺さないことにはどうにもならないのよ! 私が戻らないとブラギが、婚約者が殺される!」

「じゃ、戻っていーや。……いいよな、瑞穂?」

「はい。辰馬さま殺害には成功、ただし周囲の騒動により首を取ることはできなかった……これで、しばらくの時間稼ぎにはなるかと思います。その間に魔軍を蹴散らしましょう」

 辰馬と瑞穂は一瞬、視線を交わし。共通の見解として彼女を敵陣営に帰すことを決する。そうしなければまず彼女の婚約者は確実に殺されるだろうし、連絡がない=任務失敗だとして払暁を待たずにこの町を屠(ころ)しに大軍がくるかも知れない。時間稼ぎのためにも帰らせるのが最善だった。


 とはいえ。


「ほ……本気? あなたたちが倒した数万の比じゃないのよ、アンカルドゥザが率いるのは数十万! どう戦っても勝ち目は……」

「大丈夫。ウチの軍師は優秀なんでな」

「はい。わたしの大将さまも最高ですから」

 さすがに気がとがめるのか歯切れの悪くなる女に、辰馬と瑞穂は自信満々、そう言ってのける。二人の間には絶対の信頼と、揺るぎのない自信があった。


………………

「ってなわけで。出立前にここの魔将、倒していくぞ!」

 明けて翌朝。辰馬は自分の子飼いたちを前にして、そう気勢を上げる。


「敵将は女巨人アンカルドゥザと、もと神族の娘シグン。アンカルドゥザは智慧足りない猛将のようですが、シグンには知略がありそうです。間を使うに際して裏切られないよう配偶者を人質にとる方法といい」

 瑞穂が説明すると、シンタが手を上げる。ヘラリと笑って、


「相手が女ならアレっすよ、辰馬サンがちょっと誘惑すれば一発なんじゃねースか?」

「お前まじめに考えろな。しばくぞばかたれ」

「いや、案外本気なんスけど……いやー、アレか、辰馬サン男としちゃあ魅力ナシだから……」

「あ゛!?」

「ちょ、新羅さん、イキらないでくださいよ、シンタのつまらん挑発でしょう?」

 辰馬がガタッ! と立ち上がったのに、隣に座っていた大輔が狼狽え気味でたしなめる。新羅辰馬という少年は「男らしくない」という言葉には過敏すぎるほど過敏だった。


「よし、やっちゃる。女巨人ともと神族? OK、おれが堕としてくりゃあいーんだろーが!」

 いきりにいきりたってそのまま的陣営の町に単身、乗り込みそうな辰馬の後頭部を、雫の鞘とエーリカの盾がはたく。


「ぶぁっ!? ……って、なにすんだよ!?」

「たぁくんさー、夕べ寝てるあたしのこと、蹴ったよね~? なにやってくれてんのかなぁ?」

「ぁ……ごめん……」

 かわいくすごむ雫に、小さくうなだれる辰馬。さらにエーリカが


「大体あたしたち置いて他の女を落しに行くとか、許すわけねーでしょーが! あんた女遊びも大概にしなさいよ!」

 女王だてらにガラの悪い口調で言うと


「そんな話はしてねぇし女遊びした覚えもねーわ!」

 復調して言い返すものの、女性陣がなにやらジト目で自分を睨んでくるのに圧されて口ごもる。


「ごほん。辰馬さまの女性遍歴については後日追求するとして」

「するんかよ」

「します。……さておき、ここは離間を使って両虎共食といきましょう」

 瑞穂の言う離間、と両虎共食、の二言に、反応できたのは辰馬一人。ほかの連中は頭の上に「?」マークを浮かべているが、辰馬は瞬時に至当に理解した。


「あぁ、トップが二人居るならやりやすいか」

「はい。先ほどの女性はシグンに属しているはずですから、町長に言ってアンカルドゥザへのパイプを作りましょう……そして辰馬さまはしばらく、死んだものとして扱います。ベッドへ」

「は……? いや、死んだって話にしとけばいいわけで……」

「他の間諜が入ってきて辰馬さまが生きているとバレたらだいなしでしょう? だから死んだと装って貰います。牢城先生、エーリカさま、連行!」

「はーい……くすん、たぁくんが死んじゃったよぉ~……」

「惜しいやつを亡くしたわ~……」

「おまえら、ノリノリで何言ってんだばかたれぇ!」


………………

 その前夜、ハウェルペン。


 緑の野を青い軍争の兵士たちが突き進む。魔軍の防衛戦もなんのその、統制のとれた規律ある用兵は個体としての強弱を逆転させ、集団としての強さで圧倒する。アカツキ皇国少将・大公家公女・北嶺院文の変幻自在の用兵は敵を翻弄し味方を鼓舞し、効果的に敵を切り崩していった。6万の兵と1万の駿馬、3万挺の新式ライフルという、数はともかく室に置いて皇国の最精鋭と言って良い彼らは、文という戦乙女の指揮を獲て次々に橋頭堡を奪い、要害を破壊し、魔軍兵たちを打ち倒す。


「新羅くんがこちらに向かっているはず、と読んだのだけど……タイミングを間違えたかしら?」

「男にかまけている場合ではないでしょう、将軍。最初の突撃と前進は奏功したが、敵も盛り返す。抜剣突撃隊出陣の許可を」

 小首をかしげて眼鏡を直す文に向かい、やや苛立ち含みの声を上げるのは厷武人。厷は大陸有数の剣士として、肌感覚で今の優勢が絶対的なものではないことを理解していた。魔軍は確かに統制で人間に劣るが、大物が数体、前進してくれば「統率と集団線の優位」はたやすく崩される。魔族は個としての力がそれほどに大きいのだ。


 果たして、陣前に一人の貴族的な軍装の優男。


 それが月を仰ぐや、華は尖り牙が伸び、体躯は倍ほどにもふくれ上がって前進に獣毛が生える。


 人狼。


「我が名はガルム、冥府の番の魔狼なり!」


 そう吼えるなり、奔った。


 颶風。


 そう言うほかはない。およそ人の目にとまらぬほどのスピードで駆け、手足を振るうごとにアカツキの精兵たちの手足が千切れ、首が飛ぶ、ガルムの一騎当千に狼狽したアカツキ軍がわずかに陣を緩めるや、後方の魔軍が一気にガルムに続き、これまでの退勢を盛り返すべくして押し返す。乱戦となり、乱戦なれば人間より肉体で、魔力で圧倒する魔族が負けるはずもない。一方的になった。


「抜剣突撃隊、突撃!」

 最終的壊滅の寸前で投入された突撃隊……厷武人が自ら選抜した剣の達人320名による遊撃剣士隊……の奮戦により敗北、壊滅は免れたものの、勝負は敗北だった。それもたったひとり、人狼ガルムのために敗れたと言って良い。


 救いとしてはガルムの側にも余裕はなかったことだ。本来この場を指揮するべき銀狼フェンリルは魔王クズノハの弟であるとある少年の鍛錬に付き合わされて現在、瀕死の状態にあり、ガルムは前線司令官でありながらフェンリルが果たすべき方面総司令官の角目も果たさねばならず、うかつな行動がとれない。むやみな追撃などもってのほかであり、そのためにアカツキ皇国軍は命脈を保ちえた。


 この膠着を打破したのは魔軍の後背、あまりにも神出鬼没で陣が崩されるまで誰一人として認知できなかったが、数千人単位の小規模団体がすさまじい勢いで後方を叩く。これが作戦立案=磐座穣、実戦指揮=晦日美咲による解放地下組織アウズフムラの突撃部隊であると知れたときには10万を超えていた魔軍の戦闘力は半壊させられており、かくて磐座穣の作戦力のすさまじさと晦日美咲の統率力は天下に知れ渡ることになった。


「好機逸すべからず! 全軍前進!」

 文もここを先途と突撃命令を下し、ハウェルペンの戦線は次のフェイズへと移る。

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