第36話 Art Of War
磐座穣、晦日美咲の参入により形勢を五分に戻した北嶺院文のアカツキ遠征軍だが、穣と文はまだ合流できていない。
穣・美咲隊と文隊の間に敵本体が盤踞している状態で、これを除かなければどうしようもないのだが敵大将にして先鋒・魔狼ガルムは穣や文の挑発にも乗らず、じりじりと持久戦を仕掛けてくる。地味な戦術だが、遠国はるばるやってきて補給線の細い文にとってこれが一番つらい。多少の補給物資なら穣の……アウズフムラの側にあるのだが、それを通す道を完全に遮断されており、南北から挟撃の形をとっていながら穣たちはむしろ苦境を強いられていた。
「こう動けば相手は……つ……さすがに少し、つらいですね……」
地形図に駒をさし、自他の動きをシミュレートする穣だが、おなかの子が暴れてなかなか、本来の思考がまとまらない。腹を蹴るのは元気な証拠、とは思うものの、今ばかりはお淑やかにして欲しい。
「大丈夫ですか、磐座さん?」
「ええ……大丈夫です。そんなに心配しないで平気ですよ?」
美咲の心配に、微笑んで返す。美咲は美咲で初子を抱えた穣を過剰に心配していて、その気遣いはありがたいが正直なところ過保護すぎだ。これは小日向ゆかという少女の保護者である立場がさせるのかもしれないが、とにかく身重の穣を甘やかせようとしてくるので困る。今はゆっくりしている場合ではないのだ。
ふと気づいて。
「……晦日さん、右翼の指揮は?」
聞いてみる。美咲には激戦区になる右翼の指揮をお願いしていたはず、それが今本営にいて穣の心配などしているということは……
「インガエウさんにお願いしています。左翼のハゲネさんの指揮も見事ですから、簡単に破られることはありませんよ」
「なら、いいんですが。あまり軽々に持ち場を離れるのは困りますよ、軍紀の面から言っても」
「は、はい……」
いきなり説教モードに入る穣に、しゅんとなる美咲。基本的に万能でなんでもできる美咲なのだが、こと穣相手だとなんだか小さく見える。相性的にそうなのだろうが、美咲が穣の妹のような雰囲気になるのだった。
「まあ、長々とお説教する時間も惜しいですからね。すぐ右翼に戻って、魚鱗の陣形で突撃、敵陣に穴を開けてください、そのできた穴に、わたしが本陣で乗り入れます!」
「……はい!」
美咲は威に打たれて敬礼、返答すると即時自陣に立ち戻っていく。
磐座穣には、希世の将器・新羅辰馬とも明智の軍師・神楽坂瑞穗とも違う点がある。それは彼女が軍師でありながらにして指揮官でもある、ということだ。作戦立案から現場の指揮統率までを、彼女は一人でこなす。ヒノミヤという巨大組織の、政略に関しては長兄・創に任せていたが軍略面においてはほぼ穣が独掌、将軍として次兄・遷がいたものの過保護な兄はむしろ穣の戦略頭脳の前に邪魔であり、ほとんどすべてを穣が決して、穣が実行してきた。それはすべて神月五十六のためだったのだが、今、自分が誰のため、なんのために作戦を立て、指揮杖を振るうのかと考えると頭がもやもやする。
……まあ、今更あいつのことを認めないとか、そういうわけでもありませんが。というかさっさとこちらに来なさいというんです、この子だって待ってるんですから。
考えるといらいらしてきた。胸はぽかぽかと暖かくなるのだが、頭はイライラと不機嫌になる。……これってわたしがツンデレだからですか? と誰にともなく考えて、穣はやや膨らみが目立ちはじめたおなかをなでる。
「あなたは悪い男にだまされては駄目ですからね!」
と、新羅辰馬のことを「自分をだました悪い男」で断じる。と同時に指揮杖変わりの宝杖・万象自在を取った。
……この杖……。
万象自在は当然ながら、ヒノミヤのもと大神官、いまはアカツキの囚人神月五十六から拝領したものだ。穣が14歳の結婚規定年齢に達し、自ら乞うて五十六の愛妾となり身を捧げた、そのとき臥所の寝物語にねだったのである。自分の力、「見る目聞く耳」は情報を集める能力ただそれだけ、それだけでは五十六さまのお役に立てないので力を与えてはくださいませんかと。
五十六はこのあと、薬物と快楽で穣を籠絡し、性処理や汚れ仕事の管理など、自分の都合の良い存在へと穣を変えたわけだが、穣が可愛くなかったわけではないらしい。その証拠にヒノミヤが管理する「神話級」の遺産の中でも最強級の万象自在を、惜しみなく穣に与えている。
この宝杖の権能は一般には「断罪の神雷」とされているが、本領はそこにはない。使用者の意のままに現実を変質・変容させ、望むままの世界を現出させるところにこそ、本領がある。ある意味女神グロリア・ファル・イーリスや魔王オディナ、わずかに格は落ちるが魔軍5将星の一角・混元聖母、そしてなにより魔王継嗣新羅辰馬らの操る「盈力(=ゲアラッハ。盈ちたる力)」にもにた創世の力を持つというわけだ。あいにくと穣は万象自在の本来の力を、存分に引き出したことがないわけだが。
……いつまでもこれを使っているのも、未練かも知れませんね……。
神月五十六への想いは愛ではなかったと今なら分かる。しかし間違いなく思慕であり、憧憬であったわけだから、切り棄てるのは難しい。辰馬が居るから五十六はもういい、などと簡単に割り切ることは、穣にはできない。
宝杖を握りしめ、折ろうとして、そしてため息一つ。
……まあ、わたしの力で折れませんけどね、もともと。
わずか瞑目して、意識を切り替える。男のことでうだうだ考える時間は終わりだ。ひとまず目の前の敵を討ち果たす。
花火が上がった。信号弾。美咲が敵の先陣に穴を開けたらしい。それならすぐに続かねば。穣は居住まいをただし、陣幕から将士たちの前に、姿を現す。輿に乗り、8人の壮士がそれを担ぐ。万象自在を指揮杖にして、かざした。
「出撃! 左翼が開けた穴に突撃、戦果を拡大します!」
猛然と。奔流のごとく穣率いる本陣中翼が進む。穣の用兵は単純と言えば単純明快、「常に敵の弱勢に自分の強勢を当てる」これだけである。新羅辰馬なら「敵の左手側に回れ」というやり方で、殆ど同根。ただそれを直感でやる辰馬と、理知でやる穣とではやはりだいぶ違う。軍隊の反射速度という点なら辰馬が優れるだろうが、確実着実、正確を期すなら穣になる。
しかもここ数日の対陣中、穣は自らの情報網に加え美咲を間諜にはなって敵の陣容を見定めている。誰がどんな利と理で動くかを見極めている彼女が、ここで調略を仕掛けない手はない。
敵陣に向け、使者を走らせる。対陣中どころか戦陣のまっただ中で行う、寝返り工作。それぞれに金をさしだし女をあてがい土地を約束し、適切な条件を提示された魔族の指揮官はまず一人二人が寝返り、一人二人が寝返ると雪崩を打って一気に寝返る。
「磐座さんがやったみたいね。厷さん、抜剣突撃隊、突撃! 私も続きます!」
北の均衡が破れたのをみてとり、北嶺院文もまたこれを好機とみた。厷武人に切り込み隊長を任せ、自らもその後塵に続く。
「ち……なにをやっている! なにが起こっているんだ!?」
魔軍指揮官・魔狼ガルムは周章狼狽する味方の中、直接統括する人狼隊こそは堅守したが、全軍の崩壊はとめられない。瞳を怒らせ、歯噛みして悔しがる。美貌の魔狼もかたなしであった。
「こうなれば敵の指揮官を仕留める! 北と南に……」
「西方から敵影!」
「なにィ!? 数は!?」
「数……多くはありません、3000、いや、2000!」
「……なら西方を突き破って脱出する! 続け!」
「えらい混戦になってんな……」
ヴェントウェルペン夜襲戦からあの町に1000の守備兵を残し、2300を強行軍させて駆けつけた新羅辰馬は少々高めの丘に布陣、差し出された双眼鏡をのぞくまでもなく、シンタが言い当てる。
「北から磐座が敵の弱点に突撃、そのまま傷口を広げてそこに南方から会長が呼応突撃、って形勢みたいっス。あと、魔族なのにこっちに寝返ってる部隊がいくつか」
「……おまえ、相変わらず目、いいな……。おれだって結構目は良いはずなんだが」
「まあほら、盗賊なんてモンやってますから」
「そーいうもんか……じゃ、こっちに逃げてくる奴を相手しますかね……まずは砲撃。サティア、フィー、アトロファ、頼んだ!」
「「「はぁい!」」」
陣前に並ぶ女神と聖女。敗残の魔狼たちは麗しの美女たちを蹂躙して一矢にしようとするが、その鼻先に光剣が爆発し、閃光が薙ぎ払い、妖光が命を吸い上げる。初手で腰砕けになった敵陣、なお数万を残す相手に辰馬は1000で突撃命令、正面を避け、いったん迂回して側面突撃を加えて叩き崩し、怯んだ相手にシンタの1000が一斉射撃。そちらを叩こうとすればまた辰馬の1000が横から殴り、そちらに対応すればシンタが撃つ。それを繰り返すうち、魔軍の兵はたちまち先細りになった。指揮官ガルムはこんなところで死にたくはないと単身、敵中突破して逃走、残りはほとんど全滅するという有様を呈す。
「お久しぶりです、辰馬さま」
「お、おぅ……ぅげぇぇぇ~っぷ……ぇぐ……久しぶり、晦日……」
戦後、ヴェントウェルペンに続いて歴史に残るレベルの寡兵による大兵殲滅を決めた辰馬は、今回も相変わらず泣きながら紙袋にゲロを吐いていた。
「だから、いい加減に心を強く持つでゴザルよ、主様! 指揮官がブレたら兵が困るでゴザろう!?」
出水が叱咤する。辰馬とて頭ではその通りと分かっているのである。問題は心が受け付けないので困っている。
「わかってるって……うぇぷ……、わかってっけど……割り切れるもんじゃねーんだってこれが……うげえぇぇぇぇぇぇぇぇ~っ!」
「た、辰馬さま、大丈夫ですか!?」
泣きながら激しくえずく辰馬に、美咲は慌てて駆け寄り背中をさする。すると出水は美咲にも舌鋒を向けた。
「晦日ぃ! そんなふーに甘やかす必要、ないでゴザル! これは主様が乗り越えるべきこと!」
「鬼教官かよ、デブオタ……」
「まあ、間違ったことは言ってない、な……」
出水の剣幕に、シンタと大輔も鼻白む。戦場にあって大輔は辰馬の副将、シンタは遊撃の将としての役割を担うが、出水にはそれがない。あまり将帥向きの才能がないのに加え、性格的にも協調性がないので将いる者、としては的確でないという辰馬の判断。それを恨みに思っているわけでもないが、自分を外したならそれに見合う活躍を見せて欲しいというのは出水の中にある。出水にとって新羅辰馬は絶対のスーパーヒーローでなくてはならず、女々しく泣きながらゲロ吐いているような弱さを見せられると腹が立ってしまうのだ。
「まったく、惰弱なところを見せないで欲しいでゴザルよ! 拙者はちょっと散歩してくるでゴザル! なんだか悪役にされそうな風向きでゴザルからな!」
「出水……あんまし遠く行くなよ、敵の残党、まだいるかも、しんねーし……ぇぷ……」
「了解でゴザルよ!」
ズシン、ズシンと自重に任せて去って行く出水。シンタと大輔は顔を見合わせ、どちらともなくため息をつく。
「あれもまぁ、辰馬サンへの期待値が高すぎるってコトなんかね……」
「だな。アイツが悪いわけでもないし……まあ、新羅さんへの暴言と言うだけで許しがたいが」
「辰馬さま、気が楽になるお薬です、どうぞ」
「……ぁ~、うん……んく……」
「お疲れさまです……って、大丈夫ですか、新羅? 真っ青ですけど」
「おー、磐座……赤ちゃんは? おれと、お前の子……」
ズボリゥッ、と瑞穂、雫、エーリカの臓腑がえぐられる。誰より辰馬に近しくしているはずのこの三人が懐妊せず、やや隔意を置いていた穣が最初に懐妊したのだからそれは悔しくもある。ここで悔しいねたましいと泣きわめくような狭量さは三人にないとはいえ、瑞穂は詠嘆して、雫はやははと笑い、エーリカは頭をかいて、それぞれに気を紛らわした。
「いますよ、無事です」
「はー……あんまり大きくなってねーな、おなか。こんなんで大丈夫か?」
「まだ3ヶ月ってところですから。これからですよ」
「あ、そう……男か女かって分かってんの?」
「女の子、だそうです。男の子が良かったですか、新羅としては?」
「どっちでも。どっちでも可愛いモンは可愛いわ。そかー、女の子か……」
「それで、名前ですが」
「すせり」
「へ?」
「ここに来るまで考えてたんだわ。女の子なら須勢理か此葉、男なら八雲か武尊」
「へ、へぇ……。新羅にしては、ちゃんと考えてるじゃないですか……」
穣は少し戸惑ったような、驚きを隠せない表情を浮かべる。彼女自身の他に誰も知らないことではあるが、穣が「ヒノミヤの時期教主」として創案した名前が須勢理(すせり)だった。すせりもこのはも、古代の神話に言う姫神の名。
「で、でも、すせりはちょっとできすぎの名前ですね。それじゃ、このはで……」
こうして、のちの赤竜帝国第一皇女新羅このはの姓名が決まった。のち数十年後、エーリカとの政争を避けた穣はこのはを連れてヒノミヤに戻るが、そこでこのはは覇城瀬名と結婚、ヒノミヤ三代目教主として生まれた子供の名前は、穣が一度は没をつけた名前「すせり」であった。
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