第35話 ヴェントウェルペン夜襲戦-2

「おおおおぉっ!!」

 シンタの咆哮が夜気を劈く。軽盾とライフルを装備した1000人の銃士隊は全軍の先陣を切って突き進み、その後ろを本陣がこじ開ける。魔軍指揮官アンカルドゥザにとっては完全に予想外の奇襲になり、個人としては強いが集団としての統制がもろい魔族の弱点を見事に突いた形となった。


 敵の間諜がまだ残っていることを見越し、仲間たちにも本当の情報を知らせず軍師の瑞穂と指揮官・辰馬だけで共有し、敵が本戦は明日と思い込んでいるところに夜襲をかける。この手の詭計、いわゆるペテンは辰馬の好むところではなかったが、兵力差20倍である。詭計の一つや二つ使わねば勝てるものではない。


 そのために、さすがの辰馬も今回、殺すなとは言えなかった。戦場で人が死ぬのは陣中の習い。それゆえ戦場で兵士が死んでも敵を殺してもやむなしと思ってきた辰馬だが、今回その感覚では甘い。羅刹となる必要があった。


「殺せ! 死にたくなかったら殺して進め!」


 朱唇から、およそ新羅辰馬の言葉とも思えない命令が飛ぶ。殺到する敵を打ち倒すためには主将たる辰馬が揺らいでいては、どうにもならなかった。殺したくない、可能な限り殺すなと叫びたいのをいつもの嘔吐感とともに飲み込み、「殺!」と吠え続ける。まなじりには大粒の涙が浮かび、握ったこぶしは爪が食い込むほど。自己嫌悪と殺した相手への憐憫の情で心は砕けそうであり、息は浅く激しくなり心臓は早鐘、脳はヒリつく痛みを訴え、両足は重くしびれる。それでもなお全軍への命の責任を負う以上、投げ出すことはできず、辰馬は美貌と美声に秋霜烈日の気迫を込めて全身を命じ続けた。


 多少は統制のある相手が持ち直し、魔術の弾丸を打ってくる。辰馬は障壁を展開するより、「輪天聖王ッ!」の一撃をぶっ放し、弾丸を打ち消しつつ敵を粉砕。女神サティアや神月五十六、カルナ・イーシャナレベルの存在力があればまだしも、尋常一様、十把一絡げ、有象無象の魔族どもが金銀黒白の光の柱に抗えるかずもない、影も、霊魂すら残さず消滅した。自分のなした地獄に辰馬は馬上めまいを覚え落馬しかかるも、そこは大輔が支えて馬上に戻す。


「主様、甘ったれたこといってるんじゃねーでゴザルよ! これが主様の選んだ道でゴザル!」


 出水の叱咤。「わかっとるわ……」悪態ついて返すも、キレのない辰馬。しかしその間の指揮ぶりと言ったら軍神もかくやの天才ぶり。兵を巧みに進退させ、敵の弱点を巧妙に突く。突き、崩し、破砕するという手法はやはり、彼が弓取りの家に生まれた武道家ゆえか。その進退攻防の技術があまりにも卓絶しており、一切の魔術的技能を要さずして辰馬の用兵は奇術的ですらある。そこに超大威力の魔術(盈術)輪天聖王が乗るのだから推して知るべしだ。


………………

してやられたと知ったアンカルドゥザは、炎の剣をとると一振りした。


 びゅぼぅ!


 猛然たる燎原の炎が舞う。この剣の銘はレーヴァティン、かつて世界を焼き尽くした破壊の魔王スルトの佩剣であり、その力を完全に開放すればアンカルドゥザの魔力でもヴぇスローディア一国を焦土と化すくらいのことはたやすいだろう。しかしこの剣を完全のものとするには魔王妃シンモラの術式が必要であり、それはまず到底間に合わない。


 だからどうするかというと。


「おいお前!」

「はっ!?」


 幕舎から出たアンカルドゥザは、手近の伝令兵にこの剣を放る。


「その剣、ローゲ様に返しとけ!」

「将軍閣下は……、どうなさるおつもりで‥‥‥?」

「オレにはこの腕と体があらぁ! どんだけ不利だろうと新羅辰馬に肉薄して、あの細首をへし折ってやりゃあこっちの勝ちよ!」

 かくて。巨人女アンカルドゥザは壊乱する10数万を擲ち、供回り数百でもって新羅辰馬の本陣強襲を画策する。


………………

「と、来るでしょうから、次は……」

「ん。ここはエーリカに任せておれが300で出る」

 辰馬と瑞穂が、二人だけに分かる言葉をかわしあうのに、エーリカはもとより雫でさえも疎外感を禁じ得ない。こと軍略に関しては雫もエーリカも辰馬と同じ土俵に立つことがかなわず、瑞穂だけが辰馬の思考と対等でいられるのだからそれは嫉妬もする。いとしい少女たちのそんな心の動きには気づきもせず、辰馬は打破した魔軍指揮官の鎧に着替えた。強襲突撃隊300にも敵から鹵獲した武装をまとわせ、瞳には人間とばれないよう赤いカラコンを入れさせる。


「さて……。そんじゃ、影武者頼むわ、エーリカ」

「はーい。任せなさいよ」

 男装し髪を染め、髪型も辰馬のそれに似せて片側結わえにしたエーリカが軽甲の上から胸を叩いてみせる。大きな胸を男物の胸当てで無理に押さえつけてありやや窮屈そうだが、身長164センチと166センチ(エーリカのほうが2センチ高い)、背格好はだいたい同じ風になった。


「この先の作戦は全部瑞穂に任せてあっから。そんじゃ、おれは出る!」

 貧相な魔族に扮した辰馬と、その最精鋭たる強襲突撃隊300が本隊を離れる。辰馬の護衛としては女神サティアと聖女アトロファ、ラケシス。ラケシスはともかく普段なら「簡単に殺してしまう」二人を陣に伴うことはしない辰馬だが、今日この大一番は殺せるだけ殺さなければならない。動物やモンスターだって殺すのをためらう辰馬にとって人と同じ言葉を解し話す魔族との殺し合いは甚大なストレスとなるが、今ばかりはそれを言っていられなかった。


………………

 新羅辰馬が魔族に紛れて突撃隊を進発させたのとほぼ同時、アンカルドゥザも数百の決死隊を率いての突撃を敢行、双方の最精鋭がそれぞれ、敵本陣めがけて矢のごとく放たれたことになる。


 好むと好まざるとにかかわらず。殺戒、という箍、抑制がなければ辰馬はまったく無敵といってよい。魔族に紛れて敵中に突撃した辰馬は軽く家伝の宝刀・天桜を振るう。64枚、ワイヤーでつながれた氷の刃は信じられないほど精緻な軌道で生きているもののように敵の中をかいくぐり、そして切り裂く。たちまち数人を斬り捨てにした辰馬に続き、300の強襲部隊もそれぞれの獲物で魔族兵たちを撫で斬り、個としての戦闘力では劣るかもしれないが指揮官として史上最高の天才を戴いていることで、彼らは魔族を圧する。ひとまずこの時点で全体の趨勢、辰馬たち3300はアンカルドゥザの10数万を圧倒していた。


「あ゛-……気分悪い……」

 戦闘の合間。瑞穂たちが見ていないということもあり、つい弱音が口をつく。我慢していた吐き気が戻ってきてうぷ、とえずきかけるのを、すかさず横から紙袋をさしだしてラケシスがフォローした。


「大丈夫、たつまくん?」

「‥‥‥大丈夫。いかんな、今日は甘いこと言わんって決めたとこなのに……」

 べしん! 大きな音がするほどに両の頬を張り、気合を入れなおして辰馬はまた指揮に戻る。


「フィー、あんがとな」

 と、別れしなにさりげなくそんなことを言うから、ラケシスとしては辰馬からなかなか離れがたい。新羅辰馬という少年は無意識で少女たちのこころをからめとって、悪い言い方をすれば天然で誑かしているのでタチが悪かった。辰馬が前線指揮に戻った後、その場で少しぽーっとなっているラケシスをアトロファがからかって遊んだのは言うまでもないが、その彼女らにしても今日は遊んでいてもらっては困る。


「砲撃頼んだ!」

 砲撃、といってもここに大砲の一門もない。ラケシス・フィーネ・ロザリンドはす、と瞳を細め、呪文の詠唱に入る。


「書、宝輪、角笛、杖、盾、天秤、炎の剣! 顕現して神敵を討つべし、神の使徒たる七位の天使! 神奏・七天熾天使(セプティムス・セーラフィーム)!」


 砲撃級大規模魔法。もともと辰馬の叔母であるルーチェ・ユスティニア・十六夜の得意とする一撃であり、ラケシスの気質とはやや異なる魔術だが、こちらで再会したラケシスはこの術で魔族や魔徒を容赦なく狩り殺すようになっていた。それについては蒼月館時代に受けた凌辱やらアトロファの教唆などがあったのだろうが、この、彼女には似合わない破壊の術、その容赦のなさが今日は心強い。


 閃光と爆音。なぎ倒される敵兵。乱戦の中だが基本的に周囲には敵しかいないから、味方殺しの心配はない。


 そして敵がひるんだところに、辰馬を先頭にして突撃隊が躍りかかる。騎上の辰馬は巧みな馬術で馬を御しつつ、右に左に敵魔族兵を斬り捨てる。その技前は凄絶というほかなく、炎の巨人族主体で構成されたアンカルドゥザ麾下の精兵たちが次から次と膾にされる。


 辰馬は足に深く重い傷を負っており、以前であればまともに馬を操ることはできなかったはずだが、さすがに傷を負って長い。今の辰馬は脱解法……脱力によってより大きな力を引き出す技法……を身につけ、以前以上のパフォーマンスを発揮できるまでになっている。それが完成したことは昨日の対アンカルドゥザ戦でかの巨人娘を圧倒したことでも瞭然。そこらの雑魚魔族が辰馬を止められるはずがなかった。


 たちまちヴェントウェルペンの本陣幕舎に達した辰馬だが、ローゲにとって大きな力となるであろう炎の剣、レーヴァティンはすでに京師へ持ち去られたあとだった。


「仕方ねー。んじゃ、転身! たぶん今頃本陣狙いのアンカルドゥザが突撃してるはずだから、その背中を撃つ!」

………………

 その同じ頃。

 アンカルドゥザは辰馬の予見したとおり、本陣を目指して猛突進していた。完全に辰馬と瑞穂の掌の上なのだが、本人はまったくそれに気づいていないところが滑稽であり、悲壮でもあった。背後から辰馬が自分を挟み撃ちに狙っていることなど、アンカルドゥザは考えの片隅にも思っていない。自分がこうして突撃していること自体、気づかれているはずがないと自負しており、本陣を落として辰馬を殺し、それで決着、と信じ込んでいる。頭から敗北の可能性など考えていない。


「ウラあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!!」

咆吼と吶喊。

ついにアンカルドゥザが辰馬の本陣に突入、大輔と雫が銀髪の主将を守るべくカバーに入る。アンカルドゥザ以下数百はここで一気に戦力を叩きつけた。魔族としての力の解放、異形化。巨人娘といっても2メートル少々だったアンカルドゥザは、たちまち10メートル近い本物の巨人と化し、配下の魔族たちもその本来の力を最大限発揮できる姿へと変貌を遂げる。


さすがの雫も、魔神に準じる力を解放したアンカルドゥザが相手では他の連中まで手が回らない、大輔も猛犬化した狗頭人相手に苦戦させられ、術を編もうとした瑞穂はその強大な力を発揮するために掛かる時間という隙を突かれて制圧される。


「ッハァ! どーだぁ、新羅辰馬! これでオレらの勝ちだァァッ!」

「そう?」

 といって兜を脱ぐ、明らかに女声。銀髪であり髪型は辰馬に似せてあるが、明らかに顔が違った。辰馬より気が強そう。この少女がヴェスローディア女王エーリカ・リスティ・ヴェスローディアであると分かっていればその人質的価値は計り知れないアンカルドゥザの大金星だったはずだが、あいにくアンカルドゥザは気づかない。その背中に。


「これでシャー・ルフ(王手)、だな」

 後背を制し転身した辰馬たちが戻る。


「てめえぇ……!」

「おまえ殺さんと決着にならねーし。今日ばかりは殺させて貰う……原初の創神(プルシャ)にして護持の神(デーヴァ)、破壊の神(アスラ)でもある三位一体、万物の父なる水にして三界の支配者、光の王にして闇の主、太陽であり月であり星なるもの! 至高の神、汝は我にして我は汝なり! 我が意より発して嵐を為せ! 焉奏・輪転聖王・梵(ルドラ・チャクリン・ブラフマシラス)!!」

 いきなり、問答無用の最大火力。なにかする間も与えず、辰馬はアンカルドゥザを消滅させた。


「てめーらの大将は死んだぞー! お前らも、死にたくなかったら逃げろー!」

 声を限りにそう叫ぶ辰馬。これが戦場のあちこちで伝令兵により拡散されて、「アンカルドゥザ死す」が喧伝、個人の戦闘力についてくるのであって忠誠という概念のない魔族はたちまち崩れた。瓦解して四方に逃げ散る。逃げず最後まで戦った勇敢な魔族もいるが、それを討ち取ることは難しくない。


 こうして、ヴェントウェルペン夜襲戦は決着し、辰馬も想う存分に後悔と慚愧と嘔吐ができるようになり、瑞穂たちに背中をさすられながらため込んだ感情を爆発させてひいひい泣くわけだった。

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