第37話 盈ちる力の女神

「穣、あんたよくこんな連中味方につけたわよね……」

 エーリカは感嘆とも呆れともつかない表情で呟く。ハウェルペンの町に入来するに際して、穣が調略で味方につけた魔族の将帥たち、彼らに引き合わされての一言だが、まずそう言うほかはなかっただろう。人間の地回りなど比較にならない強面の連中が、町の外に整然と整列しているのである。利によって釣られた彼らではあるが、穣の統御がよほど行き届いているのかその態度は神妙そのもの、反抗心などみじんも見せない。


「簡単ですよ? それぞれの性格と特性を理解して、利で誘っただけです。あとはわたしに逆らわないよう、魔軍の指揮官よりわたしのほうが優秀であることを示すだけです」

「はあ……まあ、あんた優秀なのは認めるけど……はあ……」

 約束の財貨、食料、土地、女などのリストと魔族たちの顔を見比べて、エーリカは本当に参ったとばかり詠嘆する。穣がやったのはほとんど考え得る限り、完璧な仕事だった。彼らを誘引し、魔軍を崩さなければハウェルペン郊外戦における勝利はおぼつかなかった……というより確実に敗北していただろう。磐座穣という少女の天才ぶりはまさに驚嘆すべきもの、といえた。

「あのさ、穣。ヴェスローディアの軍師になる気って……」

「エーリカ、この先は任せていいか? 身重の磐座にあんまし無理させるのもな」

 穣を隣で支える辰馬が、やたら心配そうな顔で口を出す。エーリカは心中頭をくしゃりとかき回したい気分に駆られるものの、さすがにここで反駁するほど子供でもない。穣が身重なのは確かなのだ。ヴェスローディアに穣を迎えたいという意向は、ひとまず抑制する。というか穣を迎えたとして、辰馬の初子を生んだ穣と仲良くやれるかどうかということを考えると難しい。近くには居ない方がいいかもしれないと思い、しかし穣の才能は是非にほしいとも思う。


「……はいはい、新妻さんには優しくしないといけないもんね~、ま、こっちはあたしに任せてもらって、お二人さんは行っていいわよ」

「おう、んじゃ、磐座」

 と、辰馬が手を差し出して支えようとすると、穣は気色悪いものを見る目でわずかに腰を引いた。


「新羅、気持ち悪いですよ? もっと横柄に憎まれ口叩くのがあなたのキャラでしょう?」

「誰が横柄だよ、それはお前がいつも喧嘩売ってくるからだろーが」

「あぁ、それです、それ。その態度」

「………………」

「いっつも思うけど、あんたら仲いいわよねぇ~……」

「「誰が(誰がですか)!」」


………………

「主様に自覚を持たせるには、どうすればいいでゴザルかな……」

 出水秀規はため息とともに、妖精の少女・シエルに呟いてみせる。ここは町外れの大きな建物……白亜作りの、城塞にも似た建造物の前。アカツキで瑞穂が入院したあの第一総合病院に似た造りであり、まさしくそのとおりにここがマウリッツの言う件の精神病院なのだが、激高の興奮状態からは醒めたもののまだ多少の混迷状態にある出水はそれに気づくことがなかった。


「アイツの気の持ちようなんかどーでもいいんじゃない? そんなことより元気出せ、ヒデちゃん!」

「いやー、そうもいかんでゴザル……拙者にとって主様は……新羅辰馬という男は厚恩ある存在でゴザれば。将として生きると決めたのなら将としての気構えをしてもらわねば、あの甘さではいつか死んでしまうでゴザるよ……」

 出水は軍略の人ではないが、素人目故に辰馬の欠点がわかってしまう。本来なら思考と同時の行動という1アクションで動けるはずの辰馬が、こと軍事において思考から逡巡、しかるのちようやく行動に移るという3アクション、下手をすれば逡巡の長さでもっとかかることが見えてしまう。辰馬の元々の思考速度が図抜けて速いために今のところはこの欠点も浮き彫りにはなっていないが、いつか同格以上の相手を敵に回したとき、辰馬は自らのこの欠点で敗れるだろう。


 それを防ぐのは自分の役割だと、出水は思い定めている。辰馬に妄信的なシンタや大輔では、これは出来まい。といってどうすれば辰馬に覚悟を持たせられるか、それも出水にはわかっていないのだが。


「下手すると食卓の魚にすら長々と頭下げるような主様でゴザルからなぁ……そこがいいところではゴザルが」

「なにがいいのかわかんなーい。単に気が弱いだけでしょ?」

「いや、気が弱いというか優しいというか……そう悪く言うものでもないでゴザルよ、シエルたん」

「だってアイツ煮え切らないんだもん。男らしくないよね!」

「……うーん、実際、拙者自身同じようなことを主様本人に言ったでゴザルからなぁ……」

「あなたたち……」

「!?」

 会話に突然割り込んでくる、か細いが強く凜とした声。含まれるは神韻、見上げる華服(漢服)姿のかんばせは神々しく、それだけで人の意識を刈る。


 明らかに人間とは違う相手に、とっさに飛び退いて距離をとったのは普段から新羅辰馬という人外を相手にしているゆえ。出水の頭脳は相手が人間でも魔族でもないことを本能で理解する。人でなく魔でなく、そして竜種とも違うのであれば残るは一つ。


「神様で、ゴザルか……」

 口を動かすのもおっくうになるプレッシャーのなかで、どうにか言葉を紡ぐ。相対するだけで、全身の細胞がぐずぐずにされるような感覚があった。かつての、敵対的であったサティア・エル・ファリスからも似たような力を感じたが、この存在から受ける力はサティアのそれに等しいか、上回る。


「私は混元聖母。桃華帝国の主神……あなたたちはローゲを倒したいのでしょう……? 手を、貸す。かわりにわたしの願いを聞いて……」

「桃華の主神がなんでこんな西方にいるでゴザルか!? ……シエルたん、主様に連絡! こいつは危険でゴザル!」

「わ、わかった! ヒデちゃん、無理しないでね!」


………………

「デブオタ、帰ってこねぇなぁ」

「さすがに言い過ぎたと反省しているんじゃないか? 戻ってくるのが気恥ずかしいんだろうよ」

 シンタと大輔はトランプでカブをやっていた。

 いつものように酒場を屯所がわりの拠点に今後の方策を練っているところだが、肝心要の辰馬はおらず作戦担当、瑞穂は今厨房で雫の指導の下料理特訓中。別テーブルではインガエウがいらだちも隠さず貧乏揺すりをしながらソーセージを食い散らかしてビールを呷り、3人の従者がやれやれへえへえと主人をなだめすかしている。インガエウとしては穣を辰馬に盗られたと思って憤慨しきりらしい。


 マウリッツとレンナートの師弟も、ここを拠点として投機に余念がなかった。破壊された建造物、施設の修理・改築などに投資して人と金の流れを自分の色に染めていく。気がつけばこの町の政庁も学校も工場も農場も道路に至るまで、すべてがマウリッツの単独資本ということになる。独占禁止法違反といいたいところだがこの世界にそんな法はないし、あったとしてマウリッツを頼る以外に再建の方途がない。ともかくとしてマウリッツのおかげで町の東西には再建事業の人夫が走り、市には客を呼び込む声が満ちた。


「……新羅公はまだですかな?」

 そのマウリッツが、シンタたちに声をかける。テレビ局を押さえてPV撮影、その段取りを詰めたいのだという。


「あー、そろそろじゃねーっスか? 磐座連れて戻ると思うんで」

「あぁ、あのかわいらしいレディ。……まさか新羅公があの若さで結婚されているとも思いませんでしたが、まず納得ですな」

「いやまぁ、ほかの子らもみんな手ぇつけてんですけどね、辰馬サンは。女の子の側もそれ全部納得ずくっつーか、むしろ女の子たちが辰馬君にまたがる勢いっつーか」

「ほう」

 マウリッツは驚きに口をOの字にしたが、それは単純な驚きの表現ではない。彼の頭の中では新羅辰馬の意外な好色、それをどう利用すべきかが超スピードではじかれている。新羅辰馬が将来、大陸に覇を唱える覇王となるとして、自分の親族の娘をあてがうだけの価値があるか否か。


「赤ザル、よけーなこと喋んな。マウリッツ公も」

「悪い」

「失礼」

「そーだよぉ~、それに、これ以上たぁくんのお嫁さん候補を増やされても困るんだなぁ~」

 言いながら、雫と瑞穂が厨房から出てきて料理皿を並べる。アスパラガスのホワイトソースかけにロブスターのバター焼き、羊肉のパン粉焼きとエンドウ豆のスープ。雫が創ったのならまあ、「気合い入れたっスね」で済ませる料理だがしてやったりという顔の雫を見るに、おそらく作ったのは(9割方雫の指導があったとはいえ)瑞穂。ほとんど家庭的技能において無能と言ってよかった箱入りの齋姫としては、長足の進歩である。


「ふっふーん、これ、みずほちゃんが作ったんだよ~。食べて食べて、そして感想ちょーだい♪」

「はい、お恥ずかしいですが……えーと、「おあがりよ」って言うんでしたか?」

「そーそー。それ」

「また雫ちゃん先生が変なこと吹き込んで……けどまあ、実際うまそうな……あ、ちょーどいいとこに辰馬サン」

「おーす……出水がまだ戻ってない? なにやってんだ、あいつ……」

「新羅公、テレビを使った情報戦略の算段ですが……」

「あぁ、そこいらへんはウチの軍師と話し合うとして……」

「辰馬―っ!! ヒデちゃんが、ヒデちゃん大ピンチ! 早く来て、今すぐ!」


………………

辰馬たちは精神病院近郊の雑木林に駆けつける。


そこには。


「げぅ……が、ふっ……主、様……」

 全身から血を流し、瀕死の出水の姿があった。辰馬は駆け寄ってその身体を支えてやり、横たえると前に進み出る。


「おう、後は任せろ……おれの弟分にこんだけのことをしてくれて、そんだけでもう許す選択肢はないが……一応、聞こうか。お前は何モンで、何のために出水をボコった?」

「……この子が、邪魔をするから……」

 ひぅ!

 天桜の抜き打ち。64枚の魔法の氷刃は、しかし辰馬がとめたわけではなく混元聖母の掌前でたやすく止められる。


「蒼海、久しい」

「?」

「……その剣の本当の名前。私の紅羿の対」

 聖母は袖中から一口の短刀を抜くと、辰馬がやったようにひぅ、と抜き打ちに振るって見せた。同じく64枚の魔法の刃、しかしこちらは氷霜ではなく、紅蓮の炎。


辰馬は天桜で迎え撃つ。ぎん、と打ち合う。蛇腹という形状的につばぜり合いにはならず、はじかれ合うが、一合でわかる、この相手には分が悪い。しかし不利と危険と思うほどに、辰馬の中の負けず嫌いが首をもたげる。


「わたしは敵ではないのだけれど……」

「やかましーわ、ばかたれぇあ! ……原初の創神(プルシャ)にして護持の神(デーヴァ)、破壊の神(アスラ)でもある三位一体、万物の父なる水にして三界の支配者、光の王にして闇の主、太陽であり月であり星なるもの! 至高の神、汝は我にして我は汝なり! 我が意より発して嵐を為せ! ……吹っ飛べ、焉奏・輪転聖王・梵(ルドラ・チャクリン・ブラフマシラス)!!」

 呪文と同時に魔王としての力を解放、発現する金銀黒白の翼、天謳い地がさんざめき、その状態から繰り出す輪転聖王・梵は紛れもなく世界最強の火力。人であろうが魔であろうが神であろうが、盈力なしにこれを止めることは不可能といっていい。殺すつもりはないが、確実に「倒す」意思を込めたこの一撃。


 しかしこれを。


 混元聖母は一枚の旗を展開、輪転聖王の超威力を飲み込んでみせる。


「!?」

「輪転聖王が……消された……」

「嘘……」

 辰馬だけでなく、一緒に来た瑞穂や雫もが愕然と驚愕した。せざるを得ない。


「わたしはもとより神であり、魔でもある存在。当然この身に流れる力は、盈力……協力してくれないというのなら、あなたたちも、邪魔」


「っ、伏せろーッ!!」

 辰馬の叫びもあらばこそ。一度飲み込まれた輪転聖王のエネルギーが、大地を荒れ狂いえぐり返す。辰馬の力をそのままに返すのではなく、聖母の力で数倍に倍加しての打ち返し。ために辰馬の展開した障壁すらも、かろうじて命を保つ以上の役には立たなかった。


「もうあなたたちには頼らない……。神と魔の決戦、それを黙ってみていなさい、人間……。それが終わったら……粛正する」

 そう、言い残して。混元聖母は姿を消した。

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