第45話 大兵雲霞

「40万……」

 10倍の敵を迎えて、さしもの放胆な公姫も呻かざるを得ない。彼女は今回の戦いがこれまでにない大戦になると感じ取り、覚悟を持って過去にない4万2千の兵力を動員したが、対するヘスティアのオスマンはその覚悟を打ち砕くべく未曾有の大兵を、自ら率いてきた。はからずも5年前、シュテファンと同じ時期に即位したオスマンはこれまで国内の反乱に手を焼かれていたがついにそれも平定、ほかの9大国がそれぞれ内外の事情に手を割かれている中に、満を持して登壇する。


 オスマンは英才だった。雪深く、冬場は行動を制限されるヘスティアの皇帝たちはことごとくウォッカを呷って贅色美食にふけり肥満体であったが、彼に限ってはその限りではない。長身の、寒気がするほどの美男。あまりに美男で才気が過ぎるということでかえって父帝から忌まれた男は怜悧酷薄であり、父ウクバが倒れたときも冷静であり彼が謀殺したというまことしやかな噂が流れたほどであって肉親の情には薄い。このあたり、弟を追慕して心を壊した同年のトルゴウシュテ領主とはまずもって相容れない人物ではあるが、将才という点ではシュテファンに劣らぬ。これまでシュテファンに対して劣勢だったのは大貴族アフマド・パシャとその取り巻きたちを相手にして対外戦略を後手にせざるを得なかったためで、それを完全に平定した今、彼は全力でトルゴウシュテに対することが出来る。相手を小国の主と侮る気持ちはオスマンには全くなく、これまで帝国に苦杯をなめさせた敵手を全力を尽くして叩き伏せる意気が横溢していた。神魔の脅威を彼が理解していないはずもないが、この脅威にアルティミシアのほかの大国が忙殺されている今こそヘスティアにとっての好機と、彼はそうとらえる。


 そんな男を、公姫シュテファン・バートリは相手にしなくてはならない。


「国を、焼きますか……」

 シュテファンはそう呟く。国を焼く。焦土戦術。国を焼き町を焼き、井戸という井戸に毒を流し、進軍してきた大軍を徹底的に疲弊させて鏖殺する。このうえはそれ以外に作戦などないかのように思える。しかしそれは自分の手で我が身を斬りつけるに等しい苦肉の策でもあった。


「小国が身の丈に合わぬ服を着ようとして、その結果がこれだ! だから私は公の戦争には反対した!」

 小貴族のひとりが金切り声で叫んだ。と、それに呼応して髄鞘する声がつぎつぎと上がる。わたしたちは悪くない、戦争を進めたのは公だ、公の責任、最初からこうなると思っていた、責任を取ってヘスティア皇帝に臣従を誓え! 醜い男たちの責任転嫁はたちまちシュテファンを覆い尽くし、シュテファンは応えない。責任の一端は確かに自分にあると、彼女は理解していた。新羅辰馬に諭されてヘスティアとの対話の余地……感情はともかく、私怨で国を戦争に邁進させる必要はなかったのではないかと気づかされた彼女としては、理解せざるを得ない。


「はいはいそれまで~。おじさんたち、ちょ~っと見苦しいんじゃないかなぁ?」

「そーだな。それにまあ、勝てないと決まったわけでもねーんだし」

 牢城雫が人だかりを割り、辰馬がそれに続いて口を開く。辰馬とて過去にこの規模の戦争を経験したことはないが、ここはハッタリをきかせて余裕を装う。さすがに背筋に汗をかくし胃がキリキリ言うが、そこは肝っ玉でこらえる。大丈夫、ヒノミヤ事変の風嘯平で、10倍くらいの敵は破ってのけたじゃないかと。


「使節どのは黙っていてもらおうか! これはわがトルゴウシュテ公国の問題!」

「いや、あんたらがふつーに勝てるってなら黙るが。正直勝てないだろ? だからシュテファンを生け贄にして、逃げようとしてるわけだし」

 生け贄、と露骨に言われて、小貴族たちは口を噤み、押し黙る。その通りであり、事実であるだけに彼らは後ろめたい。だが後ろめたさを塗糊するかのように、金切り声を上げるものが居る。


「ならば使節どのは勝てると仰せか!? 10倍の、40万の大兵を相手に、どう戦うと!?」

 もちろんこれを言ってくれないと、辰馬は次を続けられない。相手に感謝して、次の言葉を舌に乗せる。


「そらもう、どーにかする。40万がなんぼのもんかと」


………………

陛下スルタン、敵影見えました」

「うむ。……女神ウルリカは偉大なり!」

「「「女神は偉大なり!!」」」

「かかれ!」

 エッダとトルゴウシュテの国境、森深き山谷の沼地で、皇帝オスマンは攻撃命令を下す。地形は逐次間諜の報告と、オスマン自身が地図を検証して熟考済み。ここは平地、敵が頼むべき険要はない。


………………

 ここが平地で、敵の重装騎兵が安心して突撃してくる。それが罠にかけるべき心理的陥穽。勢いよく突撃してくるヘスティア兵の面前で、トルゴウシュテの兵は左右に展開、足下になにやら投げると側翼から痛撃を与える。ヘスティア兵もさすがに精鋭、すかさず反撃に転じるが、トルゴウシュテ兵が前に押し出す荷車戦車の前に動きを阻害されて重装騎兵は思うように動けない。どうにか動こうとすると今度はトルゴウシュテ兵が投げたもの……手近な町で集めた布きれ……に足を取られ、そこに槌矛メイスやからざお《フレイル》で武装したトルゴウシュテ兵の打撃が、鎧の上からヘスティア兵を猛襲する。


「引け」

 ここで徒に後続を突撃させなかったのはオスマンの叡慮だった。彼はここでの戦闘に利なしとみるやすかさず兵を引く。戦闘は激しかったが、トルゴウシュテがヘスティアに与えた実質の被害は1000人に満たない。


 それでも士気は大いに上がる。なにしろこちらの損害と言ったらまったくのゼロで、敵の先鋒をみごとに挫いてのけたのだから上々に過ぎる戦果といってよかった。


「……まずはこんなもんか。にしても、さすがに戦い慣れてんな、トルゴウシュテの兵は。付け焼き刃のワゴンブルクがこんなにはまるとは思わんかった」

「辰馬さんの指揮が素晴らしかったのもあります。まさかこんな才能があったなんて……わたしも兵略には多少の自負があったのですけど、井の中の蛙でした」

 茫洋としたものいいで平然と今日の戦果を上げた新羅辰馬を、公姫シュテファン・バートリは頼もしげに見つめる。可愛いだけと思っていた弟キャラが隠し持っていた実力に、驚くやら喜ぶやら。


「いや、あの戦術は瑞穂の。さらにその瑞穂のもになった戦術家はクーベルシュルトのトクロノフ公」

「外界の戦術の進歩、ですね。トルゴウシュテはなかなか外の情報が入ってきませんから……」

「まあ、言っちゃ悪いが田舎だもんな。……さて、まず主導権を握ったところで、うまいこと敵を誘導するとしようか」

「はい!」


………………

 この先、戦況は終始トルゴウシュテが主導することとなる。二、三の小競り合いでヘスティアが押し切ることもあったが、トルゴウシュテ勢はみごとに引き際をわきまえて損害を出す前に撤退、伏兵と奇襲でたちまわり、特にオスマンの指揮する本隊は徹底的に避け、彼に劣る将帥たちを相手に損耗を与え続けること8日。ヘスティア側の損害は2万を超えた。総兵力の5%である。オスマンとしても自分が指揮しないところで分隊を叩かれるのは如何ともしがたく、聡明な彼は敵の妙手を認めて、引き際を考え始める。しかしそれにはきっかけが必要だった。


………………

9日目。


「そろそろ、決戦か」

「いよいよトルゴウシュテ軽騎兵隊の出番ですね!」

「ん。頼んだ。こっちはこっちでやっとくし……、決着はシュテファンが自分で決めた方がいいだろ」


………………

9日目の夜、あるいは10日目払暁。


 たっぷり敵を引きずり回して渓谷地帯に引きずり込んだトルゴウシュテ兵は、ここを先途とばかりに敵本陣へ殺到する。突撃部隊を指揮するのはシュテファン・バートリ自身。


 敵勢を打ち払い、なぎ倒して進むトルゴウシュテ兵。本陣を守るヘスティア兵は頑強に抵抗するが、夜陰に乗じ、地形を駆使し、しかも疲弊しているところへ最精鋭を投入されてはひとたまりもない。すりつぶすように粉砕された。この一挙のみで戦死者2000を超える。


 が。


 ヘスティア皇帝オスマンの姿は本陣にはなかった。敗勢を悟った彼は本陣をおとりにして、まんまと戦場を離脱、3時間にわたる血戦の間にすでに安全な所まで落ち延び、悠々とヘスティアへの帰途へついている。本陣に『音物』として置き捨てられた宝箱の中には財宝と「余の負けだ、見事である異邦の君。汝の望みを一つ叶えよう」という書き付けが遺されていた。異邦の君。どうやら、辰馬がトルゴウシュテに加勢したことは知られていたらしい。そしておそらくは辰馬の望みもわかっている、ということなのだろう。武力による勢力伸長を阻止された今、今度は連合の中での発言権を願うという所かも知れない。


………………

「オスマンが引き際知っててよかった。泥沼の消耗戦が一番、心配だったところだしな」

 辰馬はそう言って胸をなで下ろす。実際、オスマンが消耗戦を挑んできたらどうあっても勝てないところだっただけに、退いてくれたのは暁幸だったと言っていい。ほぼ完勝だったにもかかわらず「勝たせてもらった」感があり、実力で勝ったという気のしない相手だった。


 さておいて。


 戦後さっそく、新羅辰馬はトルゴウシュテと連合の外交使節としてヘスティアの国境都市サライを訪れる。そして拍子抜けするほど簡単に、トルゴウシュテとの不可侵条約締結、商人の自由貿易の印可、そして連合への参加をとりつけた。


「それにしても、余を負かした男がそんな、童女のような顔をしていたとはな。にわかには信じがたい話だ」

 皇帝オスマンは気さくな男で、そう言って呵々と笑う。


「済まんね、こんな顔で」

「いや、素晴らしい姿貌ではないか。英雄児の相である。なにせこの余に勝ったのだからな」

「そらどーも。そんじゃ、さっそく動いてもらっていいか?」

「うむ。オスマンの総力……とは、いかんがな。半数は国に残すとして、30万で連合へ参戦するとしよう」


………………

ヴェスローディア、ハウェルペン。10月。


 エーリカたち連合の軍は劣勢にあった。先走って神軍の後背を襲った連合の友軍が粉砕され、それを救おうとした部隊が連鎖的に衝き崩されして一気に瓦解せられたうえ、撤退を始めた連合の後背をこんどは魔軍が襲ったのである。盟主エーリカ・リスティ…ヴェスローディアはインガエウ・フリスキャルヴを大将に任じてどうにか軍の消滅を免れたが、この収拾をつけるために要した損害は一度の敗戦で全軍の4割に及んだ。


「あーもう、こんなときになにやってんのよ、たつまは!?」

 いつも怒っている感のあるエーリカだが、今回ばかりはかんしゃくを起こすのも無理はない。


「東方から騎影! その数……数十万!?」

 歩哨のシンタが叫んで飛び上がる。200万の兵が4割減で120万、それが各地に分散して今現在、ハウェルペンの守りは10万に満たない。しかもここのところの敗戦で士気は低いときている。


「数十万!? そんなのどうしようも……」

「いや……あれは、辰馬サン!」

「たつま!?」


 そう聞き返したところに、雲霞の騎影から飛び出す2組の騎馬。一騎は銀髪と紫髪の男女を乗せ、いま一気にはピンクのポニーテール。


「いま帰った!」

 呼ばわる、少女の声と聞き違うような美声。


 新羅辰馬、30万のヘスティア重装騎兵を連れて、帰還。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る