第2話 折花攀柳(せっかはんりゅう)

「あたしは、あなたのものでいいから……」


 この言葉を引き出して、カルナ・イーシャナは間違いなく、過去最大級に油断した。雫も本気で観念したつもりだったが、相手が油断したとあれば乗じない手はない。全身のバネを全開にしてベッドから床に飛び降り、うち捨てられた愛刀、白露を手に取る!


 取るや抜き打ち、必殺の瞬点七斬。神伏の太刀は芸術的とすらいっていい太刀筋でカルナに吸い込まれ……そして、瑞穂の手に鉄筋を叩いたような衝撃を残し、腕をしびれさせて終わる。


「………………!?」


 瞠目。


 そして、ぱちくりと瞬き。


 峰打ちとはいえ、直撃してただで済む攻撃ではなかったはずだ。しかし現にカルナは無傷で、平然と立っている。動揺が走り、根源的に理解させられる実力差に身体が震えた。カルナが無造作に間をつめる……というより距離をつぶしてくる。雫が下がるより、カルナの前身が疾い。


追い詰めたところで、どぅふっ! と拳打。かしいだ雫のみぞおちに膝の一撃。そこからはもはやリンチである、殴打、連打、乱打。牢城雫ともあろうものがまるでサンドバッグであり、そしてカルナは相手が女と言うことを全く考えに入れていないような無造作さで殴り、蹴り、組み伏せ、踏みにじる。


「きゃうっ! ぁ……けふ、かはぁ……ッ!?」

「優しく、していると……つけあがる……徹底、的な……しつけが……必要、だな」

「……ゃあっ、やめ……げふ、かは……っ、やめ……くあぁぅっ……!」

「抵抗、してみろ……その、上から、潰す……お前が従順に、なる、まで、いつまででも……殴る」


 冷淡な吃音のしゃべりが、異様なほどに恐怖をあおり立てる。雫は心が萎えて折れかかるのを感じた。こんなとき一番勇気をくれる弟分はもういない、この、目の前の男に刺されて命があるのかどうかも分からない。せめて仇を討ちたいけれど、それが果たせるほどに現実は甘くなかった。ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンをすら圧倒して無窮の高みに上ったはずの雫が、このカルナという褐色の男の前では全くといっていいほどに通用せず、痛痒を与えること能わない。


 そして顔面に、痛烈な拳打の一撃。雫の反射神経も先読み回避も完全に凌駕して、まともに雫の童顔を打ち据え、仰向けに数メートル吹っ飛ばす。カルナは吹っ飛ぶ雫を折って前方跳躍、ピンク・ブロンドを鷲づかんでどぅ、と床にたたきつけた。レンガ造りの床である。一撃で意識が刈り取られるような衝撃があった。


しかしなお、諦めることはない。つかみに来た腕に、雫は逆につかみかかる。新羅江南流擒拿(きんな)術、一式。「ッ!?」雫の、容姿からは想像もつかない握力に、カルナの鉄面皮がややゆがみ、頭をつかんでくる手が緩む。雫にしては珍しいことに、刀を捨てて搏打にシフト、相手の手首を極めた状態から、腹筋と下半身のバネを使ってカルナの後頭部に蹴り。カルナはうるさい、とばかりその蹴り足を払うが、剣術のようにまったくなんのダメージも受けていないわけではないらしい。おそらく対斬撃、あるいは対金属に対する耐性があるのだろうが、搏打なら光明はある、そう考えた雫は活力を増し、敵をたたき伏せるべく深呼吸、全身のひねり、身の置き所、そして呼吸の気息、それらを外ではなく内に吸い込み、引きずり込んで息吹。全身に力を行き渡らせる。


「……油断した……。次は、ない……」

「そーだな。次はねーわ。ここでブッ殺すからな、テメーはよッ!」


 清澄無比の声響き。

次の瞬間、壁面が派手に吹っ飛ぶ。物騒なことをいいながら、現れるのは、言うまでもなし、ぶっ殺すなどといいながら、声自体はどこまでも癒やし系な、玲瓏月華の美少年、まがうかたなき、新羅辰馬。


「よお。さっきの借りを返しに来たぜ、クソ野郎。ついでに瑞穂やら磐座やら、しず姉やらのうけた肉体的精神的損害にも謝罪してもらわんとな」

「……フン……」


 目にもとまらぬ超神速で、カルナは辰馬に肉薄した。クリスを抜くや、顔面めがけてなんらの躊躇もない突き。しかし突き立った、と思ったその刹那、辰馬はすでにそこにない。


「鈍(のろ)い鈍い。さっきまでのおれだったら今ので即死だが……まあ、今のおれには通用しねーわ。つかさ、そろそろ実力差に気づいたんじゃねーの? 狩る側から駆られる側に転落、おめでとぉ!」


そして反撃の左拳、ショートの3クォーターで打ち出されたフックは、ほとんどフルストロークのストレートの勢いで打ち抜かれる! 直撃、蹈鞴(たたら)を踏んで踏みとどまるカルナに、無造作に突き進んで追いすがる辰馬。さっきまでの雫の分をお返しすると言わんばかりに、拳で蹴りで肘で膝で頭突きで裏拳でかかとで肩で背中で、間断なく打ち据える。まさに乱舞。

「ち……っ」


 バックステップから転移術で、いったん逃れるカルナ。転移が苦手な辰馬としては追うすべがない。まぁいーや、と雫に向き直り、


「しず姉、だいじょーぶか?」

「え? ぁ、うん。こんくらいの傷はねー、ししょーのシゴきに比べたらへっちゃらへーちゃらだよー」

「……とか言って膝笑ってるし。しばらくしがみついとけ。……ったく、女相手にあんなボコボコしやがって……殺すぞホントに……」

「……なんか、たぁくん強くなったね?」

「あー、まぁなー。多少は?」

「いままであたしがたぁくんを護る役だったのになー、やだなー……存在意義が……」

「そげんこと言われても、強さなんて別に存在意義とつながらんと思うが。まあ力がほしいならしず姉も鍛えりゃいーよ。瑞穂たちも大輔たちも」

「うん……そーする」


……

…………

………………


「ようやく出動ですか。新羅には「あとから来てうまい汁だけ吸っていく気か」などと文句を言われそうですが」

「新羅くんには悪いと思っていますが、軍隊組織の中で勝手な動きをするわけにも行きませんからね。まあ、狼門近辺まで出兵、彼らだけで十分であれば帰投しましょう……少し新羅くんに会っていきたい気もしますが」


 一師団24000人を率いて、北嶺院文(ほくれいいん・あや)は雪原を征く。その傍らに毅然として佇立するのは、隻腕の剣士厷武人(かいな・たけひと)。本田姫沙良による、狼紋の魔人、および制圧された楼門一帯の攻略をわずか1小隊で行わせる暴挙に憤った文は姫沙良に談判してこの1師を動かさせることをなんとか承服させたが、その出動は2日以上遅れた。新羅辰馬の愛妾の一人として、やはり過保護なまでに辰馬を案じる文としては、狼紋の魔人に辰馬が殺されてはいないかと内心、気が気でない。その情動を見て取って、武人は辰馬の抱える罪業にため息するのだった。


「何人女を泣かせれば気が済むんだ、あの女顔は……」


 そう思うのだが泣かされる女性がすべからくそれを喜んで受け入れているあたりが、新羅辰馬の器というか甲斐性というか。女性だけでなく朝比奈大輔、出水秀規、上杉慎太郎らが命もいらぬと言うほどの忠勤を見せているのは学生時代からのことであり、ただ人柄だけでこれほどの紐帯を見せる人間を武人はほかに知らない。


「あいつ、あれで魔王なんだがな……」


 といいつつ、厷からして新羅辰馬の人的魅力にからめとられつつあるのは否定できない。なんというかあの少年は、完成されていない、不安定な危うさがあるからこちらは支えてやらねばという気持ちになる。天才性とか魔王の継嗣とか、そういうのははっきり言ってしまえば枝葉のことでしかなく、新羅辰馬の一番の武器は「隙の多さ」だろうと思う。ある意味、誰も彼もが保護者の心地になってしまうわけで、そういう意味で新羅辰馬は世界みんなから(庇護対象として)中心になってしまうかもしれない。


「前方にクールマ・ガルパびとらしき男が二人……いかがなさいますか?」

「十中八九、魔人カルナかその縁者でしょうね。注意して接近、接触を図ります」


………………


「ここまで逃げてきたっつーのに、アカツキの国軍かよ!? どーするドゥフ? こいつら皆殺しにしてカルナと合流すっか?」

「2万……ってとこか……あのガキにやられてストレスフルになってるところだしなぁ、血祭って気を鎮めるかァ……」


 二人の無窮術士……魔神殺し(アスラージット)の無窮の魔人たちは2万の兵を前に臆しもしない。彼らにとって恐れるのは万軍の羊ではなく一頭の獅子であり、そして目の前の2万の中に獅子はいないと判断した。


「んじゃ、行くか……」

「へへ、いい女がいりゃあいーけどなァ」


 獰猛に笑い合い、そして突撃を敢行。疾駆する二人の魔人が、北嶺院文率いる軍中に躍り込む!


 喊声。


 血しぶきが舞う。


 武装した2万の中に躍り込んだわずか2人の魔人、その腹いせの大暴れに、北嶺院文師団は一気に縦横に裂かれる。ここで文が徹底抗戦に固執したなら壊滅的打撃を受けるところ、かつての頑迷な男嫌いであった文であればそうなりかねなかったが、今の文はいい意味での柔軟性を身につけている。敵の戦闘力を瞬時に測って兵士たちには荷重と判断すると、師を左右に別たせた。道が開かれ、中央に広場ができる形になる。


「厷(かいな)さん、ひとまず頼みます。近くに新羅くんたちが居るはず、彼らがここを見つけて駆けつけるまでの時間を稼いでください」

「了解しました、師団長。さて……、我はアカツキの武人(ぶじん)

、厷武人(かいな・たけひと)、貴公らクールマ・ガルパの練達とお見受けする。一手ご教示願おうか!」


「あァ?」

「なんだ、あいつ……」


 いぶかしげなドゥフシャーサナと、シャクニ。ほとんど人外、異次元の戦闘力を見せつける彼らから、逃げるならわかるが悠然、寄ってくる隻眼の剣士。


「まァ~なんでもいーや、死ねァ、火天狂瀾(アーグネーア)!!」


 ドゥフシャーサナの咆哮。呼応して荒ぶるは逆巻く紅蓮の炎。沖天に太陽のごとく浮かぶ巨大な焔……真焔から、怒濤のごとく奔流をなして厷を襲う無尽の猛火。


 それを。


「シッ……」


 鞘を地に立て、倒れていく鞘から抜刀。一息に十数の斬撃が舞う。牢城雫の瞬点七斬に匹敵するかそれ以上の剣速であり、あまりの速度で空が裂けるほど。そして裂けた空間は戻る際に、邪魔をなす炎を飲み込んで食い尽くす!


「へえぇ……やるじゃん」

「片腕の剣士なんざものの役に立たねぇとか思ったけどなァ。ちったぁ楽しめそーじゃねぇか……」


 二人の魔人は狂騒から冷酷に、表情を変える。品性や態度はチンピラだが、この二人の実力は不意打ちとはいえ神楽坂瑞穂、磐座穣を完封したほど。新羅辰馬に瞬殺されたとはいえ、なお圧倒的強者の座から退いていない。


ドゥフシャーサナは収斂させ、一口の剣に変える。


「行くぜぇアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!」


 猛進。瞬時に間がつまり、互いの剣が打ち合わされる。一合二合の打ち合いはたちまち数十、数百と数を重ね、驚異的なことにお互い完璧な守備で相手の剣をかすらせもしない。


馬力の差か、わずかに厷が圧される。


飛び退いた。


「貰ったぜぇ……月光牢(チャンドァーン・ジル)!」


 そこに、シャクニの声。瞬く、淡い月光。玲瓏なる月の牢獄が厷を取り込み……神光が炸裂する前に、厷は一刀で牢を断つ。シャクニの顔が、驚きにゆがんだ。まさか1日に2度も、この必殺の絶技を破られると思っていなかった。


 魔人たちに走る、心理的な揺らぎ。天秤は厷に傾く。無窮の魔神殺しが、こんなところで負ける……? それを思い、命知らずの心に命惜しさが顔をのぞかせる。


「馬鹿野ろォが、シャクニ、しっかりしろやァ!」

「っ!」

「たかが一撃破られたくれぇでビビってんじゃねーよ! オレらは特別だ、あんなやろーに負けるかよ!」

「お、おう!」


 戦友の檄に、シャクニは自分を取り戻す。


「待って貰って悪りぃな、ニーチャン。悪いが、これでもうお前に勝ちの目はねーよ!」

「さて……どうだか」


 厷は秀麗なまぶたをわずかに伏せると、剣を腰だめに構える。居合いの構え。とはいえ、鞘は捨てているために正確には居合いとは言わない。ただ最速で切っ先を敵に届けるための構え。


「降魔払邪之神剣・布津御魂(ごうまふつじゃのしんけん・ふつのみたま)」


 呟く。それがこの太刀の銘。喚ばれた瞬間、刀身から立ち上る青白い神気は凄絶、秋霜烈日の気。気の弱い人間なら息が詰まるほどの。


「2対1は分が悪い。こちらも2人で往こう」


 剣は剣士の伴侶という。ゆえに力を「起」こした神剣を1人と数え、自分と合わせて2人。


「ッハァ! いいねぇ、そーいうハッタリ嫌いじゃねーぜぇ!」


 焔剣を手に、全身にもまた焔を纏い、ドゥフシャーサナの吶喊。


 次の厷の太刀、その起こりを、ドゥフシャーサナもシャクニも認識できない。


 ただ、気がつけばドゥフシャーサナの焔剣が天高く跳ね上げられ。たたきつけられる怒濤の連撃。その数、64閃。


もともとは新羅辰馬の蛇腹刀、天桜から繰り出される64の刃、あれをすべて打ち落とすための、瞬時に64斬。


 まともに食らって、ドゥフシャーサナは……倒れず。

「へへ……く、そがよぉ……ッ」


 立ったまま凄絶に笑い、しかしそこまでで意識を失う。


 残るは1人。


「ちぃ……お前も『無窮』の使い手かよ……」

「?」

「知らねぇのか……まぁ、いい。なんにせよ、オレの勝ちだ! どんな手を使ってもなぁ!!」


 シャクニはそう叫ぶと、観衆の兵士たちに向けて月光の霊威を放つ!

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