海の見える場所? 前編(悠夏パート・現在⑤)
柊が地元へ帰省しているお盆休み。美玖さんと真希さんも同様に帰省していて、私は東京でしばらく一人で過ごすことになるはずだった。
「いい天気だねぇ」
「そうですね」
それなのに、私は由香里さんが運転する車で東京の街を走っている。
朝早く、由香里さんから突然の電話があった。「暇でしょ?今からカフェに来てよ」とだけ言い残し、電話は切れた。事情はさっぱり分からなかったけど、確かに暇ではあったので言われた通り由香里さんのカフェに向かった。すると、サングラスをかけた由香里さんが待ち構えており、あれよあれよという間に助手席に乗せられてしまったのだ。
「あの、どこに行くんですか?」
「海」
「う、うみ?」
「急に見たくなったの」
「じゃあ一人で行ってくださいよ」
「そんな寂しいこと言わないで。みんな地元に帰っちゃって暇なんでしょ?」
「まあ、そうですけど」
考えてみれば、東京に来てから車に乗ったのは初めてだ。車の中から眺める東京は新鮮に感じる。
「なんで悠夏ちゃんは帰らなかったの?柊ちゃんと同じ地元なんだから、一緒に帰ればよかったんじゃない?」
由香里さんが、途中のコンビニで買ったアイスコーヒーを手に取りながら尋ねてくる。
「あんまり帰りたくないんですよね」
「なんで?」
「......いい思い出がないので。東京に来たのは、地元から離れたかっただけですから」
「そんなに嫌なの?」
「地元が嫌いというよりは、地元にいた頃の嫌な思い出を振り返りたくないんです」
もちろん、楽しい思い出もたくさんあった。でもそれは、すぐに苦しい記憶によってかき消されてしまう。
「そっか。私はずっと東京だから、地元に帰るっていう感覚が分からないんだよね。楽しい思い出も苦しい思い出も、ずっと引きずって生きてるよ」
いつ会っても変わらず楽しそうに見える由香里さんにも、苦しい思い出はあるんだな。私よりも長く生きているのだから当然と言えば当然のことだけど。
「東京が嫌になったりしませんか?」
「嫌になるというほどではないけど、無性に東京から出たくなるときはあるね。最近は特に。どこか田舎でカフェを開いて、一日に一人くらいしかお客さんが来ない中でのんびり過ごしたいな、なんて考えたりもする」
「なんか、大人な夢ですね」
「そう?東京で生まれ育った人間は、誰だってそんなことを考えると思うよ」
「ないものねだりみたいなものじゃないですか?」
「いつか悠夏ちゃんも分かると思うよ。東京に疲れて、地元に帰りたくなる時がくるよ」
「......そうですかねぇ」
私は、可能な限りは柊の隣にいたいと思っている。そんな私が柊と一緒に地元へ帰ることができたにも関わらず、東京で柊の帰りを待つことを選んだ。それが、私が過去と向き合うことを避けているという何よりの証拠だ。こんな私でも、本当にいつか自分の過去が懐かしく思う日がくるのだろうか。
*********
高速道路は使わずに下道をのんびりと三時間ほど走り続け、ようやく目的地に到着した。
「久しぶりに来た!湘南!」
駐車場で車から降りた由香里さんがサングラスを外し、遠くに広がっている海を見ながらピョンピョン飛び跳ねている。運転しているときはあんなに大人っぽかったのに。
「ここが湘南ですか」
「初めて?」
「もちろんですよ。久しぶりってことは、前にも来たことがあるんですか?」
海の方に向かって歩き出しながら質問した。
「大学生の頃に、友達何人かとよく来てた」
「へえ。いいですね」
「楽しかったなぁ。特に今の悠夏ちゃんたちと同じくらいの頃は。何も悩みとかなかったもん。ひたすら海水浴とサーフィンしてたな」
「めちゃくちゃ大学生活をエンジョイしてるじゃないですか」
「もちろん、あの頃は東京に生まれてよかったと思ってたよ。十八歳になってすぐに車の免許を取って、あちこち遊びまわってた」
「想像つきます」
しばらく歩くと海が大きく目の前に広がった。眩しい太陽の下に、真っ青な海が果てしなく続いている。すぐ側の浜辺は海水浴場になっていて、たくさんの人が楽しそうしているのが見える。
「今日は最高のコンディションだね。天気が悪かったりすると、海も黒く見えるの。ねえ、お腹空いてない?」
「まあまあ空いてます」
「近くに良いカフェがあるんだ。そこに行ってみよう」
由香里さんについて行った先にあったカフェ。お店の中には水槽があったり、サーフボードや浮輪なんかが飾ってある。窓際の席に座ると、湘南の海が一望できた。
「いい眺めですね」
「でしょ?いつもここでご飯を食べるのが決まりだった」
由香里さんが好きだったというカレーライスを二人分注文した。由香里さんはテーブルに頬杖をつきながら海を眺めている。
「大学を卒業してからは来てなかったんですか?」
「うん。大学卒業する直前、ドライブがてら友達と来たのが最後かな」
「そのお友達とは今も?」
「たまに連絡取るくらいだね。ほとんど会ってない」
「やっぱり就職しちゃうと会えなくなるものですか?」
そう訊くと、由香里さんは少し笑ってこう言った。
「いや、私が意図的に会わないようにしてたの」
「どうしてですか?」
「悠夏ちゃんには言ってないと思うけど、私カフェをやる前に一回就職してるのね。でも全然仕事が合わなくて、すぐ辞めたの。その頃までは頻繁に連絡取り合って、よく一緒にお酒飲んだりしてたんだけど。仕事を辞めてからはその誘いを断るようになった。他のみんなは頑張って働いてるのに私はすぐにリタイアしちゃったから、引け目を感じて会いづらくて。だからカフェを開いたことも言ってないし、なんなら仕事を辞めてることも知らないかもしれない」
「そうだったんですか......」
そこで、カレーライスが運ばれてきた。私が今まで食べてきた普通のカレーライスよりもルーの色が明るくて、ルーとご飯の間には目玉焼きが乗っている。それを見た由香里さんは嬉しそうに「これこれ」と言いながらスプーンを手に取り、目玉焼きの黄身の部分に突き刺した。半熟状態の黄身が溢れ出し、白身の上を流れていく。
「だからさ。さっき車の中で悠夏ちゃんが言ってたこと、私も分かる気がする。昔の友達に会いたいかって言われたら、会いたくないのかも。仕事を辞めて悩んでた頃の気持ちが蘇りそうで。だから、ここにも来てなかった。楽しい思い出が詰まっている分、その先の苦しいことまで思い出したくなかったんだね」
まさに、私が帰省したくない理由と同じだ。
「じゃあ、なんで今日ここに来たんですか?」
「あなたたち見てたら、懐かしくなっちゃって」
「私たち?」
「そう。あなたと柊ちゃん、あと美玖ちゃんと真希ちゃんもね。ほとんど毎日一緒にいるでしょ?そんなあなたたちを見て、大学時代の私たちを思い出してたの。そうしたら、私の人生で一番楽しかった大学時代を自分から遠ざけているんじゃないかって思い始めて。初めてちゃんと、あの頃が『懐かしい』と思えた。私も少しは大人になれたのかな。いつかここに来ようと思ってたところで、悠夏ちゃんが一人東京に残るって知って。いつもお店に来てくれるけど、悠夏ちゃんと二人きりになることってなかったじゃない?だから、折角の機会だと思って誘ってみたの」
「そうでしたか......」
「うん。ほら、冷めちゃうよ。食べて食べて」
「あ、はい。いただきます」
由香里さんの真似をして、最初に目玉焼きの黄身を割る。やっと手をつけたカレーライスは確かに少し冷めてしまっていたけど、十分美味しかった。また今度来たときには、温かい状態で食べたいな。
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