心の扉 前編(柊パート・現在⑨)

 大学の図書館で本を借りた直後、母からその報せが届いた。


『おじいちゃんが亡くなった』


その文字の並びを見た瞬間、うわぁ、と声が漏れた。力が抜けて、思わず脇に抱えていた数冊の本を落としてしまった。それを拾おうとしたときに、一冊の本の表紙が目に入った。その瞬間、涙が込み上げてきた。


おじいちゃん。


もう少し待っていて欲しかったな。


聞きたいことがあったのに。



*********



 病院に到着したのは、すっかり夜になってからだった。ロビーで待ってくれていた母と一緒に、おじいちゃんが眠っている部屋に入った。


 顔に白い布をかけられたおじいちゃんを囲むように、父や藍、親戚の人みんなが並んで立っていた。その列から少し外れて、おじいちゃんのすぐ横で車椅子に座っているおばあちゃんが、私に気づいて優しく微笑んだ。そしておじいちゃんの耳元に顔を近づけて、「柊が来てくれたよ」と語り掛けた。だけど、おじいちゃんは返事をしない。何も反応しない。じっと眠り続けているだけ。その光景を見た瞬間、実感が湧いてしまった。


もう、おじいちゃんは目を覚まさない。


胸の奥からこみ上げたものが、一気に目から溢れ出した。力が入らず、その場にしゃがみこんで泣いた。私の背中を誰かが擦ってくれている。それが誰かも分からないほど、涙が止まらなかった。


 それからは、慌ただしく時間が過ぎていった。おじいちゃんはおばあちゃんと二人で暮らしていた家に帰った。そこで両親とおばあちゃんは通夜や葬儀の準備に追われ、悲しむ暇もないようだった。何かを手伝いたかったけど、私にできそうなことは何もなかった。私は藍と二人で、眠るおじいちゃんのそばに座っていることしかできなかった。


 この部屋でよく、おじいちゃんに遊んでもらった。小さい頃から友達がいなかった私にとって、おじいちゃんとおばあちゃんが唯一の友達のような存在だった。古い遊びをよく知っているおじいちゃんに憧れていたし、私が本を好きになったのも小説好きのおじいちゃんの影響だ。


 中学生になってからは昔のように無邪気に遊ぶことはなくなったけど、お互いに面白い小説を教え合ったりと良い関係が続いていた。少しずつ会う機会は減っていたけど、毎年の正月やお盆には顔を合わせていた。私が大学に合格したときには大喜びしてくれた。


そんなことを思い出すと、止まっていた涙がまた溢れてきた。


 慌ただしい雰囲気が収まることはないまま、通夜と葬儀が終わった。時間の感覚を失うほどあっという間で、何日経ったのかもはっきりとは分からなかった。葬儀が終わり、棺の中で眠るおじいちゃんと一緒に私たちは火葬場へ到着した。それは、おじいちゃんとの別れが刻一刻と近づいていることを意味していた。



おじいちゃんが、いなくなっちゃう。


私や藍を優しく見つめてくれる、綺麗な眼も。


丁寧に本のページをめくる、しわしわの手も。


駆け寄る私を抱きしめてくれた、温かい腕も。


私と一緒に公園を駆け回った、長い脚も。


綺麗に生えそろったことが自慢だった、白い髪の毛も。


みんな、消えちゃう。



 火葬炉の前でお坊さんがお経を読んでいる間、私たちは手を合わせた。そしてそれが終わると、いよいよ棺が炉の中へ入れられる。火葬が終わるまで、この部屋でみんなで待つようだったけど、どうしても耐えられなくなった私は部屋を飛び出した。


 外に出て、花壇の前に腰を下ろす。そこで初めて、後ろから藍がついて来ていたことに気づいた。


「大丈夫?」

「......うん」


私を心配してくれている藍が、隣に座った。


「やっぱり、あの部屋には入れない?」

「うん。無理かもしれない」

「そっか」


藍は、私の背中を擦ってくれた。その感覚で、あの時、泣き崩れた私のそばに来てくれたのも藍だったのかなと気づく。本当に、こういうところは藍の方がしっかりしている。藍だって悲しいに決まっているのに。私が東京にいる間にも、藍はおじいちゃんが体調を崩してから入院するまでを間近で見てきたのだから。


「夏にお姉ちゃんが帰ってきたときには、かなり具合は悪かったみたい。それでも、お姉ちゃんが帰ってくるのを楽しみにしてたんだよ」 


 今年の春先に、おじいちゃんが入院したということを聞いた。心配していた私は、お盆に帰省したときにお見舞いへ行った。病院のベッドの上で本を読んでいたおじいちゃんは、少し痩せたようにも見えたけど、変わらず私を笑顔で迎えてくれた。元気そうでよかったと安心した私は、まさかそれが最後になるなんて思ってもみなかった。


「お姉ちゃんが東京に戻ってからも、すぐに『柊はいつ帰ってくるんだ』って言い出してさ。年末には帰ってくると思うよって言ったら、『それまでには退院しないとな』って。本当にお姉ちゃんのことが好きだったんだね。私も孫なんですけどって言いたくなるくらい」

「......私も、次に帰ってきたときに会えるのを楽しみにしてたんだ。最近は特に、おじいちゃんに訊きたいことがあったから」

「訊きたいこと?」

「うん。最近、おじいちゃんのことを考えてたんだ」

「どうして?」

「私の将来のことで、相談したいことがあったから」



*********



 夏休み中に東京へ来た藍からの「将来のことは、しっかり考えた方がいい」という忠告を受けて、私は少しずつ卒業後の進路のことを考えだしていた。


 大学で受けている心理学コースの授業を活かせる職業を探していると、「カウンセラー」という職業が目に留まった。悩みを抱えている人や、心が不安定になってしまっている人から話を聞き、メンタルケアを行う仕事。存在は知っていたが、あまり意識したことがなかったその職業の詳細を調べるうちに、あることに気がついた。


これ、おじいちゃんがやってた仕事だ。


 おじいちゃんは福祉の業界に関わっていて、病院や施設など回って相談を受けたり、生活のサポートなどをする仕事をしていたという。現役で働いている姿は見たことがないが、おじいちゃんは退職してからも度々、福祉施設を訪れたりしていた。詳しい話は聞いたことがなかったが、この仕事を通して、支援学校に通っていたおばあちゃんと出会ったと教えてくれた記憶がある。


 さらに詳しく調べていくと、おじいちゃんのように福祉業界に携わる仕事の他にも、学生の話を聞くスクールカウンセラーや、社会人の相談を受けるキャリアコンサルタントなど様々な仕事があることを知った。

 

 私は誰かから相談を受けたことなんてない。昔は人と関わることを拒絶していたから。高校時代には逆に、奈月に相談することが多かった。唯一心当たりがある出来事といえば、旅行中に悠夏から過去の出来事を聞いたことくらいだ。


おじいちゃんは、どうしてこの仕事を選んだんだろう。


ふと、そんな疑問が浮かんだ。


カウンセラーという仕事に興味を持った私は、次におじいちゃんと会ったときに、相談も兼ねて訊いてみようと思った。


そして次の日、カウンセラーに関する本を探すために、大学の図書館へ向かったところだった。



*********



「そっか。確かに、おじいちゃんの仕事の話は詳しく聞いたことないかも」


風に乗って地面を這っていく枯葉を目で追いながら、藍が言った。


「そう。だから詳しく聞いてみようと思ったの。それに、私が自分と同じ仕事が気になってることを知ったら、おじいちゃんはどう思うかなって。喜んでくれるか、それとも反対されるのか気になってた」

「反対はされないと思うけど。きっと今も、この話を聞いて喜んでると思うよ」


そう言って、藍は空を見上げた。私も上を向くと、火葬場から煙が昇っていくのが見えた。白い煙が、ゆっくりと空と繋がるように伸びていく。


おじいちゃんが煙になっちゃった。


あのまま、天国まで行くのかな。



おじいちゃん。


将来の相談はできなかったけど、自分なりに頑張ってみるよ。


私がそっちに行ったときに、褒めてもらえるように。


またね。

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