ツーペア 後編(悠夏パート・現在⑧)

 駅から出て、大学に向けて歩く。入学したばかりの頃は人混みを避けるために遠回りすることもあったけど、今ではあまり気にならなくなった。些細な事だけど、これも成長の証かもしれない。


 今日は特に寒いな。そんなことをぼんやり考えていると、後ろから肩を叩かれた。反射的に振り返った次の瞬間、左頬に何かが当たる感覚があった。


「ん?」

「おはよ」


もう少し顔を動かすと、妙に嬉しそうな笑顔の柊が立っていた。私の頬に刺さっているのは、柊の右手の人差し指だった。


「な、なんでしょうか?」

「これ、一回やってみたかったんだ」


私の肩から手を降ろし、定位置の左隣まで移動してきた柊が、なんだかいつも以上に可愛らしく見える。たったあれだけの悪戯に成功したことに大喜びしているその姿は、まるで小学生みたいだ。


 そんなことを考えていた私の視線に気がついたのか、柊も私の方に視線を向けた。横並びでゆっくり歩きながら、二人で見つめ合うような形になっている。


「な、なに?」


そう訊いても、柊は何も言ってくれない。じっと真剣な眼を私に向けたままだ。


すると、柊の右手が私に向かって伸びてきた。


「え?ちょっと......」


次の瞬間、私の左頬がひんやり冷たくなった。


「あったかいね」


私の頬に触れながら、柊が笑っている。


「指で少し触っただけなのに、あったかいのが分かったから。つい触りたくなっちゃった」

「そ、そっか......」

「私の手、冷たいでしょ。最近、冷え性気味なんだよね。名前の漢字に冬が入ってるからかな」

「関係ないんじゃない......かな」

「だって、悠夏はあったかいもん。名前に夏が入ってるから」


どこまで真面目に話しているのか分からないけど。


私の顔が熱いのは、おそらく貴方のせいです。


「この時間に一緒に大学まで歩くのって珍しいよね。帰りは大体一緒だけど」


ようやく私から手を離してくれた柊が、思い出したように話し始めた。気持ちを落ち着けるために少し深めに呼吸をしてから、「そうだね」と答えた。


「柊はなんでこの時間に来たの?今日は三限目からでしょ」

「うん。でもちょっと用事があって。いろいろ調べものとか」

「そっか」

「この時間に行けば悠夏と会えるかなと思って。やっぱり会えたね」


このような日常の会話の中で、柊は頻繁に私をドキドキさせる。いつも不意打ちだから、攻撃力が高い。


「だから、今日は私が食堂の場所とっておくね」

「うん。ありがとう」


そろそろ大学が近づいてきた。



たまには、私からもアクションを起こしたい。


私だけドキドキさせられてばかりなのは、なんか悔しい。


覚悟を決めた私は、何も言わずに柊の右手を握った。



柊は繋がれた手を見てから、私の顔に視線を移した。


「なに?どうしたの?珍しいね。悠夏から繋いでくれるなんて」


少し驚いているように見えたけど、相変わらずの笑顔から表情は変わらない。


「......反撃というか」

「え?」

「いや、なんでもない。柊の手が冷たいなら、私が温かくしてあげようかと......」

「そっか。ありがとう」


そう言った柊は、「今日は何を食べようかなぁ」なんて呑気に呟いている。


一方の私は、自分の勇気が空振りに終わった恥ずかしさと、大学までの道で柊と手を繋いでいる事への高揚感が重なり合い、どんどん心拍数が上がっていく。そんな中で、いつまでも私は柊をドキドキさせることができないのだという事を思い知らされてしまった。



*********



 二限目の英語の授業は人数が少なくて教室も小さい。前期はまだ広かったのに、後期になった途端この教室に変わってしまった。黒板と窓が向かい合うように配置されていて、授業を受ける私たちの背後に窓がくる形になっている。つまり、授業を受ける時の私の定位置である「最後列の窓際」の席が存在しない。仕方なく、最後列の一番通路側に座っている。


 授業の内容は難しいけど、なんとかついていけている。中学時代の私が今の私を見たら驚くだろう。あの頃は英語と数学が特に苦手だったから。今は数学系の授業はないけれど、別に意図的に避けたわけではなく、今は数学も嫌いではない。こうやって昔のことを振り返ることができるようになった自分自身に感心しつつ、先生の話に耳を傾けた。


 もう授業も終盤に差し掛かった頃。カバンの中でマナーモードにしてあるスマホが震える音が聞こえた。机の下でこっそり確認すると、柊からメッセージが届いていた。



『ごめん』

『帰ることになった』

『食堂にいけない』



帰ることになった......?


柊は昼休みの後にも授業があったはずだけど。


どうしたんだろう。



『わかった』

『どうしたの?』



急いで返信したそのメッセージは柊に読まれないまま、授業が進んでいった。柊が授業を休むなんて、よほど大変なことがあったのではないのか。柊のことが気になりすぎて、全く授業の内容が頭に入ってこない。


 結局そのまま授業は終わってしまい、柊のいない昼休みがやってきた。柊に何があったのかを訊きたいけれど、大変な時にしつこくメッセージを送ったり電話をするのは気が引ける。今から食堂に行っても席を確保するのは難しいかもしれないな。それに、あの集団の中で一人で昼食を食べる気にはなれない。適当に学外で食べるしかないか。そんなことを考えていると、美玖さんからメッセージが届いた。


『大学にいる?』


階段を慎重に降りながら、それに返信する。


『いるよ』

『柊から連絡あった?』

『あった』

『お昼は?』

『考え中』

『悠夏の席は一応確保してるよ』


それは、ありがたい。きっとあの二人にも私と同じタイミングで柊から報せがあったのだろうな。


『行ってもいい?』

『もちろん』


私は歩くスピードを上げて、いつも通り食堂へ向かった。



*********



 この三人だけで集まるのは初めてだ。人で溢れた食堂の中で、私の向かいに美玖さんと真希さんが並んで座っている。いつも柊が座る位置には、美玖さんのリュックサックが乗っている。


「悠夏も知らないんだ」


真希さんがハンバーグを箸でひと口大に切り分けながら言った。どうやら、二人も事情は知らないようだ。


「うん。さっき授業中に言われた」

「悠夏なら知ってると思ったんだけど」

「私も、二人なら知ってるんじゃないかと」

「どうしたんだろう」

「電話してみようか?」


スマホを取り出した美玖さんを真希さんが制する。


「なんか割と大事っぽいから、柊から連絡がくるまで待った方がいいと思う」

「そうだね......」


自分の考えを否定された寂しさか、それとも真希さんに同調して反省したのか。美玖さんは静かにスマホをしまい、いちご牛乳の紙パックから伸びるストローを寂しそうに咥えた。それを横目に、真希さんは話を続ける。


「このあと授業は?」

「五限目まで入ってる」

「うわ。大変だね」

「うん。失敗した」

「私たちは四限目で終わりだから、一緒には帰れないか。待ってようか?」

「いや、大丈夫だよ。申し訳ないし」

「そっか」


しばらく沈黙が流れた。私だけではなく、きっと二人も頭のどこかで柊のことが気になっているんだろうな。


「ひと口ちょうだい」


いつの間にか立ち直っていた美玖さんが真希さんのハンバーグに箸を伸ばすのとほぼ同時に、私のスマホが鳴った。画面を見ると、『どうしたの?』という私のメッセージに柊から返信が届いていた。


そのメッセージを読んだ瞬間、思わず「えっ」と声を出してしまった。そんな私を見て、柊からメッセージが届いたことを二人とも理解したのだろう。美玖さんが尋ねてきた。


「柊、なんだって?」


柊から届いたメッセージの通りに答える。


「実家に帰るって」

「え、なんで?」


スマホから顔を上げ、その言葉を目の前の二人に伝える。


「お祖父さんが亡くなったって」

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