高校一年、再会 前編(悠夏パート・過去②)


「久しぶり、まゆずみさん」


香月かつきさんはそう言いながら私の隣に座った。そんなことが起こるなんて想像もしていなかった。


 あの放課後から私は香月さんに話しかけることを止め、卒業まで一度も話すことはなかった。香月さんがどこの高校に入ったのかも知らないまま、私は高校生活を送り始めた。


 高校で新しい友達もたくさんできて、すっかり香月さんのことも忘れていた頃だった。帰宅する学生やサラリーマンで溢れる帰りの電車で、運よく窓際の席に座ることができたあの日。高校でできた友達の朱里とスマホでやり取りをしながら電車に揺られていた私は、少し首が疲れてスマホから顔を上げた。その時、私が座る席のすぐ近くに立っている香月さんと目が合った。もちろん香月さんと目が合ったのもあの日以来だったけど、すぐに香月さんだと分かった。少し髪が短くなったけど、中学の頃とほとんど変わっていなかった。


 私が顔を上げた時には、もう香月さんは私をじっと見ていた。その視線で、あの放課後の記憶がより鮮明に蘇ってきた。私の身体もあの日のことを思い出したのか、あの日と同じように胸の辺りが苦しくなってきた。どうすることもできず、私はまたスマホを開く。落ち着こうとしても、全く治まる気配がなかった。


 気持ちを落ち着かせるためだけに開いたスマホをただ適当に操作していると、車内にアナウンスが流れた。もうすぐ駅に止まる頃。私の隣に座っていた人も降りるための準備を始めた。完全に電車が停まり、ドアが開く音が鳴る。私の隣の席が空き、少しはリラックスできるかなと思った瞬間の出来事だった。


 ほんの先ほどまで、目が合っただけでどうすればいいのか分からなくなっていたのに。その一瞬で香月さんは私の隣に座っていた。どこを見ればいいのか分からず、目の前の乗客の足元に視線を落とした。


「隣に座っても良い?と言っても、もう座っちゃってるけど」

「うん。大丈夫だけど......」


 短い会話を交わした後、しばらく沈黙が続いた。私は香月さんが何を考えているのかが分からなかった。それに、香月さんの方から話しかけられたことにも驚いた。なぜ私の隣に座ったのか。話したいことがあったのか、それともどうしても座席に座りたかった所でたまたま私の隣が空いたから座ったのか。隣同士で座っているのにスマホを見るのもなんとなく気が引けて、私たちは二人で無言のまま電車が走る音を聴いていた。


 次の駅に停車したときだった。沈黙を破ったのは香月さんの方だった。


「いつもこの時間の電車に乗ってるの?」

「う、うん」

「そっか。私はいつもはもう少し早い時間なんだ。だから帰りは会わなかったんだね」

「......帰りは?」


帰りも何も、高校に入ってからは初めて会ったはずだけどな。そう思って訊いてみると、香月さんは少し恥ずかしそうに言った。


「あ、えっと......実はたまに、朝の駅で黛さんを見かけてたんだ」

「そうなんだ。ごめんね、全然気が付かなかった」

「いや、私も遠くから見てたから。気持ち悪いよね」

「そんなことないって」


香月さんとこんなに話すことができていることに驚きながら、私たちは降りる駅まで会話を続けた。ただ、なんとなくあの放課後の事は避けて話していた。せっかく楽しく話せているのに、わざわざあの苦しい思い出を持ち出す必要はないかなと思ったからだ。きっと香月さんも似たような考えだったのかもしれない。


 香月さんは中学校の頃からは想像できないくらい声がやわらかくなっていて、その顔には笑みが浮かんでいた。そのまま二人で一緒に電車から降りて、駅の改札を出たところで別れた。


「じゃあ、またね」

「う、うん。またね、香月さん」


「明日の朝、一緒に電車に乗らない?」と言いかけたけど、寸前のところで踏み止まった。久しぶりに会って話をしただけで、一気に距離を詰めるのも気が引けたからだ。また距離感を誤って、香月さんから拒絶されたくはない。香月さんの方から話しかけてくれて、楽しく話をしながら一緒に帰ることができた。それだけで十分だ。そう考えて、私は駅から家まで歩いて帰った。


 それから、朝に駅で香月さんを見つけることが多くなった。目が合った時には、お互いに小さく手を振った。朝のラッシュの時間はそれだけだったけど、帰りの電車で会うことができた日は一緒に喋りながら帰るようになった。待ち合わせをしている訳ではなかったから会える日は少なかったけど、それでも香月さんと一緒に帰れる日は楽しかった。



*********



「彼氏できた?」


高校の昼休みに学食でお昼ご飯を食べていると、朱里あかりから突然こう訊かれた。


「お!遂に悠夏にも彼氏か」


朱里の言葉を機に、同じテーブルに座っていた秀太と海斗が何故だか楽しそうに身を乗り出してくる。高校ではこの三人の友達と基本的に一緒にいるようになっていた。


「そんなわけないでしょ。なんでそうなったの」


事の発端である朱里に理由を尋ねると、「なんか最近楽しそうだから」というだけだった。でも確かに、香月さんと一緒に帰れる日が楽しみになっていたのは事実だった。


「別に、なんでもないって。それよりも朱里はどうなの」

「昨日も湯本先輩、かっこよかったよぉ」


湯本先輩というのは、朱里が最近バイトを始めたファストフード店の先輩。イケメンの大学生らしく、朱里はいつもこの先輩の魅力を熱弁していた。後に朱里の恋が成就して二人は付き合うことになるのは、もう少し先の出来事だ。


「その先輩は俺たちよりかっこいいのか?」


海斗が冗談っぽく訊くと、朱里が割と真剣に「当たり前でしょ!」と怒り出した。この海斗と秀太も、中学校の頃から付き合っている彼女がいるようだった。高校に入っても、相変わらず恋愛をしていないのは仲の良いグループで私だけだった。


「その先輩のどういう所がいいの?」

「顔」


秀太の質問に即答する朱里。


「だけかよ」

「いや、もちろん優しいし、仕事も早いし、顔だけじゃないんだけど。好きになったきっかけは顔。休憩中に向かい合って喋った時に、一瞬目が合ったんだ。それまでイケメンだとは思ってたけど、その瞬間、一気に私のハートは撃ち抜かれたね。自分の心臓がドキって鳴るのが聞こえたよ。それからはもう先輩のことを考えるだけでずっとドキドキしっぱなしだよ」


もの凄い勢いで語り出した朱里。私がこの話を聞くのはこの時が3回目だったけど、楽しそうに喋っているから笑顔でスルーした。


「さっさと告白しろよ」

「無理だって。まだバイト先でしか会ったことないのに」

「関係ないだろ。当たって砕けろだ」

「砕けたくないもん!」


秀太と海斗が意地悪そうに笑っていた。


 ハートが撃ち抜かれるってどういうことだろう。自分の心臓が鳴るのが聞こえるってどういう感じなんだろう。そんなことを思いながら、いつか自分も誰かに恋をする瞬間がくるのかなと漠然と考えていた。中学の頃に湊美や周りが恋愛をしたり、精神的に大人になって言うことに焦っていたけど、高校に入る頃にはもうすっかり諦めがついていた。私だっていつかは大人になれるだろう。焦る必要はない。そう考えるようになっていた。


 このように恋愛に関してはまだ何も分かっていなかった。ただ、それを抜きにすれば私は高校生活を十分に楽しんでいたと思う。湊美とは違う高校になり、他の中学の頃の友達もほとんどが違う高校へ行ってしまって不安に感じていたけれど、すぐに友達はたくさんできた。学校の行事も中学校の頃とは比べ物にならないほどスケールが大きく、中学の頃に遠い先の話だと思っていた高校生活の魅力にどっぷり浸かっていた。またすぐ先に待っている高校卒業後の進路のことは考えないようにしていた。

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