高校一年、殻を破って 後編(柊パート・過去②)

 文化祭も無事に終わり、季節は秋から冬に差し掛かっていたある日の朝。そろそろ制服のブレザーだけだと寒いなと思いながら駅のホームで電車を待っていると、ホームの黄色い線の上あたりをサッと横切る女子高生が目に入った。


 明るめの茶色い髪の毛に、短く折った制服のスカート。うちの学校にも多少は制服を着崩す女子はいて、よく生活指導の先生に注意されていた。それでも、割と偏差値の良い高校だったから、そのような生徒は少数派だった。でも、その朝に目撃した子はかなり目立っていた。


 あの髪、染めてるのかな。うちだったら確実に問題になるだろうな。確かに短いスカートは可愛く見えるかもしれないけど、この寒さの中で生足を出して平気なのかな。そんなことを考えながらその子を目で追っていると、私が並んでいる列の隣の乗車口の位置に彼女が並んだ。ホームのスピーカーからアナウンスが流れて遠くから電車の走行音が近づいてくると同時に彼女が顔を上げた。


まゆずみさんだった。


 久しぶりに目撃した黛さんに驚いていると、電車はホームに停車し、ドアが開いて列が進み出した。そのまま電車に乗り込んだ私は、中でサラリーマンや他校の生徒に囲まれながら黛さんの姿を思い返していた。中学時代から茶色かった髪の毛は更に明るくなっていた。


 あの黛さんのことだ。きっと高校でも持ち前のコミュニケーション力で大勢の友達を作っているのだろうな。休み時間には大騒ぎしながら学食で買ったパンとか食べてるんだろうな。私も高校で友達ができたけど、流石にそこまでのレベルには行ける気がしない。そんなことを考えながら、必死に吊り革を掴んでいた。


 その日の昼休み。奈月に黛さんのことを話した。


「今朝ね、駅で中学校の時に同じクラスだった子を見つけたんだけどさ。髪を茶色に染めて、スカートも短くして、なんかいかにも女子高生って感じになってた」

「へぇ。確かに、うちはそういうタイプは少ないからな。その子は仲良かったの?」

「いや。同じクラスだったの二年生の時だけだったし。その子は完全にクラスの中心で、私はずっと一人で本を読む地味な女子。全然違う世界の人だと思ってたよ。というか、むしろ仲悪いと言ってもいいかも」

「なんかあったの?」


そこで私は初めて奈月に、黛さんと私の間に起こった一連の出来事を話した。


「その子、びっくりしただろうねぇ。大人しい子だと思ってたら急に怒鳴られたんでしょ?」

「あの頃は本当にコミュニケーションが取れない人間だったから。ちょっと自分の気持ちを言おうと思ったら、何故か大きい声が出ちゃってさ。自分でもびっくりしながら、止まらなかったんだよ」

「きっとその子も私と同じで、単純に柊と仲良くしたかっただけだと思うよ。でも、良かった。私は怒鳴られなくて」


確かに。黛さんのことは怒鳴って拒否したのに、なぜ奈月とはここまで仲良くなれたのだろうか。


「ねえ、なんで奈月は私に声をかけたの?」


あの日の放課後の教室で黛さんにしたときと同じ質問をぶつけてみた。


「うーん。まあ、単に席が後ろだったっていうのはあるけどね。同じ中学の友達が一人もいなくて、早く友達が欲しかったんだよね」

「ふーん......」


そうだよね。それだけだよね。ただ席が前後だっただけ。少しの寂しさを感じていると、奈月が笑いだした。


「なに?」

「そんな寂しそうにしないでよ」

「べ、別に寂しくないもん」

「いや、本当はね。入学式から気になってたんだ。私が周りを見ながら、知らない人ばっかりだなぁと思っていたら、隣に座ってた柊の顔が目に入ってさ。その柊の顔が、周りをシャットアウトしてる感じが丸出しだったんだよ。友達ができるか不安に思っている私と違って、この子はそんなこと何も考えてなさそうだなと思って。そのときに何故か、『この子と友達になりたい』って感じたんだよね」


確かに入学式の間は「早く終わらないかな」としか思っていなかったから、式のことはほとんど覚えていなかった。その話を聞いて、初めて入学式で奈月が隣に座っていたことも知ったくらいだ。奈月の口からはっきりと「友達になりたいと感じた」という言葉に照れくささを感じていると、「照れるなって」と笑われた。高校に入ってから、私は感情が顔に出やすくなったようだった。それもきっと、奈月が私を殻の外に出してくれたおかげ。


 その日の夜。ベッドの上で私は、中学の卒業アルバムを初めて開いた。個人写真以外に私が映っている写真は少なかったけど、その全てに真顔で映っていた。まるで感情がないアンドロイドのようだった。その写真の中には、二年生の夏休みが明けた始業式の写真もあった。遠くから学年全体を映した写真だけど、私が相変わらず真顔で校長先生の話を聞いているのは分かった。

 

この日の放課後、私は黛さんと二人きりになった。


黛さんが言った言葉。


「誰も話す相手がいないのって、寂しいでしょ?」


「私が気軽に話せる関係になれたら、香月さんが学校に来るのが楽しくなるんじゃないかと思って」


この言葉を振り返って分かった。きっとそのときの私も、密かに友達ができる事を期待していたんだと思う。だから、私に話しかけてくる理由を訊いたんだ。


期待してたのかな。「友達になりたい」という言葉を。


 そんな中で黛さんの言った「私が話せる関係になれたら、香月さんが楽しくなるんじゃないかと思って」という言葉に、劣等感を感じてしまったんだと思う。私が寂しい人間だということを認めさせられたような気がして、悲しかったんだ。友達なんていらないと自分をごまかしていただけで、心の中では寂しかったんだ。


 再び卒業アルバムに目を落とすと、黛さんの表情の豊かさに気が付いた。授業で真剣にノートを書いている写真や、体育祭で必死に応援する写真。教室で、カメラに向かって満面の笑みを浮かべている写真。私のように真顔で映っている写真は一枚もなかった。休み時間の満面の笑顔や、体育祭で必死にクラスを応援する表情。とにかくどれも楽しそうで、何よりも輝いて見えた。


だけど、私の記憶の中には黛さんの悲しげな表情が強く残っている。


こんなに輝いていた黛さんを、私は悲しませてしまったんだ。


 改めて振り返って初めて、黛さんも親切で話しかけてくれていたことが理解できた。奈月と友達になって、他人と打ち解ける楽しさを知ったからこそ、黛さんの気持ちも理解できた。


 それからも、たまに朝の駅で黛さんを見かけていたが、ただそれだけだった。


 いつもより少し帰りが遅くなったある日。電車に乗ると、窓際の席に座っている黛さんを見つけた。帰りの電車で見かけたのは初めてだった。


 黛さんがいる。


そう思っているうちに、後ろから乗り込んでくる乗客の流れに押され、黛さんのすぐ近くまで来てしまった。電車が動き出し、吊り革に掴まりながら横目で黛さんの様子を見ていた。席に座りながら黛さんはスマホに両手で何かを打ち込んでいる。きっと友達とやり取りしてるんだろうな。そんなことを思っていると、黛さんがふとスマホを膝の上に置いて顔を上げた。


その瞬間、目が合ってしまった。


黛さんは少し驚いた表情をしたあと、少し慌てながらまたスマホに目をやった。黛さんと目が合ったのはあの教室以来。気まずく思うのも当然だった。私もあまりじっと見ないようにしながらも、どうしても黛さんが気になってしまった。


 卒業アルバムを見て以来、黛さんに対して申し訳ないという気持ちが強くなっていた。同じ路線の電車を使っているから、これからもこのように電車の中で会うこともあるだろう。いつか、黛さんにあの日のことを謝れたらいいな。そんなことを考えていた。


 吊り革を掴みながら窓の外を見ていると、電車は駅に停車するために速度を落とし始めた。窓の外を高速で流れていた景色もはっきり見えるようになり、この駅で電車から降りる乗客は動きを見せ始める。やがて電車が完全に停車すると、黛さんの隣に座っていた乗客がカバンを持って立ち上がった。そのまま電車から降りていき、黛さんの隣が空いた。


あ、空いた。


気がつくと私は、咄嗟にその空いた席に座っていた。

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