高校一年、殻を破って 前編(柊パート・過去②)

 高校に入学した私は、もちろん『高校デビュー』を図るつもりなど全くなかった。それまでと同じように淡々と三年間を送ることになるだろうと思っていた。正確に言えば、そんなことを思ってすらいなかったかもしれない。私にとって学校での過ごし方はそれが当たり前であり、そんな高校生活が待っていることに何も感情は抱かなかった。嬉しくも悲しくもない。ただ、当たり前のこと。


 入学式の翌日。本格的に高校生活が始まった日だった。小学校から中学校へ上がった時とは違い、クラスの人のほとんどがお互いに知らない関係だからか、教室全体が妙な緊張感と共に静まり返っていた。それまでと同じように本を開いて読み始めてみても、なんだか落ち着かない。きっと、それまでは教室の騒がしさの中で読むのが当たり前だったからだろう。その事に気づいたとき、なんだか調教された動物のような気分になった。


 授業はなく、高校の案内や自己紹介などで時間が過ぎていった。昼休みには、それぞれが自分の席で昼食を食べる。まだまだ静かな教室の中で私がお弁当を食べていたときだった。


「落ち着かないよね。静かすぎると」


誰かに声をかけられた。顔を上げると、前の席の子がこちらを振り向いていた。


「え、まぁ......うん」

「どうせ一週間もしない間に騒がしくなるんだろうけどね」

「うん」

「中学はどうだった?うるさかった?」

「......うん」

「キミ、『うん』しか言えないの?」

「いや」

「よかった」


彼女はそう言い残して自分の席に向き直った。なんとなく彼女の背中越しに覗いてみると、おしゃれな紙に包まれたサンドイッチを食べていた。コンビニで売ってるものじゃなさそうだな。そんなことをぼんやりと考えていると、また彼女が振り向いた。いきなりだったから、意図せず目が合ってしまった。


「なに?食べたいの?」

「いらない」

「じゃあ、なんで見てたの」

「......別に」

「遠慮しなくていいよ。はい、あげる」


私の弁当箱の蓋の上に、彼女が半分にちぎったサンドイッチが置かれた。顔を見ると、彼女はニコっと笑ってまた前を向く。そんなに欲しそうに見えたかなと思い恥ずかしさを覚えながらも、わざわざ返すのも面倒だなと思い、そのサンドイッチを一口かじった。細かく刻んだピクルスが入ったツナサンド。コンビニで買って食べるものよりも美味しかった。


 自分のお弁当と頂き物のサンドイッチを食べきり、机の横に下げたリュックから本を取り出そうとしていると、また彼女に話しかけられた。


「どうだった?サンドイッチ」

「......美味しかった」

「でしょ?ツナにピクルスを混ぜるのがお父さんのこだわりなの。私の家、喫茶店なんだ。そこで出してるツナサンド」

「へぇ......」

「明日はたまごサンド持ってくるよ」

「いや、いいって」

「遠慮しないでよ」


そう言い残すと彼女は席を立ってどこかへ行ってしまった。


 昼休みの残りの時間、本を読み進めたけど内容があまり入ってこなかった。目で字を追いながら頭では違うことを考えていた。


 いきなり厄介な人に捉まっちゃったな。


 早く席替えしてほしいな。


 明日はたまごサンド......


 次の日、彼女は本当にたまごサンドを持ってきた。しかもご丁寧に、私の分を別に包んで。でもそれは私がイメージしていたたまごサンドとは違い、厚焼き玉子が挟んであるものだった。それも美味しかったけど、少しボリュームが多くてお腹が膨れてしまった。


 その日の昼休みも終わりに近づいた頃。もう終盤になった本を読んでいると、また彼女に話しかけられた。何かを食べているとき以外では初めてだった。彼女は私が机に出していた次の授業の教科書に書いてある私の名前を指さしながら「これでシュウって読むの?」と訊いてきた。


自己紹介で言った名前を覚えていたようだった。私は覚えてなかったけど。


「......うん」

香月柊かつき しゅう。なんか宝塚の男役みたいな名前だね」

「そう?」

「うん。月が入るからかな。私も名前に月が入るけど、下の名前だから宝塚っぽさはないね」

「......はぁ」

「私の名前、覚えてないでしょ?」

「うん」


そう言うと彼女は笑って名前を教えてくれた。


「なつき。奈良の奈に、月。奈月」

「そっか」


「......」

「......」


「呼んでくれないの?」

「なんで?」

「呼んで欲しいじゃん」


かなり面倒な人だな、と思った。中学時代の黛さんとの出来事が頭に過ぎっていた私は、あの日のように自分で感情をコントロールできなくなる前に、早いうちに言っておこうと思った。


「じゃあ。な、なつきさん」

「奈月でいいよ」

「......奈月。私、一人でいるのが好きなの。今、本を読んでたでしょ?本に集中してるときに話しかけられるの苦手なんだよね。申し訳ないけど」

「あ、そうだよね。ごめん」


そう言って奈月は前を向いた。これでこの子と話すことはないだろうな。そう思って本に視線を戻した。



*********



「はい、これデザート代わりに」


私なりの断交宣言をしたつもりだったのだけれど、翌日の昼休みに奈月は私の目の前に、茶色いパンでバナナを挟んだサンドイッチを置いた。


「......何これ」

「チョコバナナサンド。これ、チョコ味の食パンなんだよ」

「いや、それはなんとなく分かるんだけど。私、昨日あなたに何て言ったっけ?」

「『本に集中してるときに話しかけられるのが嫌だ』って」

「そう。だから......」

「だから昼休みに弁当箱広げるまで待ってたの」

「......それ屁理屈だよ」

「屁理屈だって理屈だよ。ちゃんと言われた通りにしたでしょ?」

「じゃあ、その本を読んでるときにっていう部分じゃなくて、『一人でいるのが好き』っていう部分を汲み取ってほしかったな」

「そんなこと言った?」

「言った」

「まあ、いいじゃん。約束通り、本を読んでるときは話しかけないからさ」

「いや、だから......」

「食べな。美味しいよ、そのチョコバナナサンド」


奈月はなぜか満足気な表情で前に向き直った。勘弁してほしいなと思いつつも、目の前のチョコバナナサンドに手を伸ばしていた。ほんのりチョコの味がする食パンで輪切りのバナナと生クリームを挟んでいる。食べて分かったけど、クリームの中にチョコチップも入ってた。


確かに、それは美味しかった。


......かなり美味しかった。


 結局それからも、奈月は昼休みになると話しかけてきた。サンドイッチの日はおすそ分けもあった。私の言ってることが伝わってないなと思ったけど、どうせ注意しても聞かないだろうと思って諦めた。これだけ話しかけてくるのに、奈月は何故か「本を読んでいるときは話しかけない」というルールだけはきっちり守っていた。


 高校が始まって二週間ほどが経過した頃だった。三時間目が終わった後の休み時間に、前の奈月の席からガサガサと音が聞こえてきた。覗いてみると、奈月は教科書の準備をしながら片手でサンドイッチを頬張っていた。


「ちょっと。まだ昼休みじゃないよ?」


思わず話しかけていた。私の声を聞いた奈月はなんだか嬉しそうに振り向いて、「知ってるよ」と言った。


「じゃあ、なんで食べてるの。そんなにお腹空いたの?」

「いや?いきなり目の前でサンドイッチ食べ出したら、さすがに柊も話しかけてくるんじゃないかと思って。たとえ本を読んでいても」


まんまと奈月の作戦に引っ掛かってしまっていた。それも悔しかったけど、サンドイッチという餌に誘われた感じが間抜けで恥ずかしかった。


「大成功だね。ほら、柊の大好物の我が家特製ツナサンド」


「あのさ......」と呆れながらも自然にそれを受け取ってしまう自分が情けなかった。


 それから奈月は昼休み以外にも少しずつ話しかけてくるようになった。私も本を読みながら対応しているうちに、奈月と話す時間が多くなっていった。奈月がトイレへ行くのに付き合わされたり、駅前のコンビニで無駄話を延々と聞かされたり。当然、面倒で断ることもあった。しかし不思議なもので、何度も何度も繰り返されると、なんとなく気分が向いてそれに付いて行ってしまうことが増えた。徐々に本を開く時間が減っていき、気がつけば私は本を学校に持って行くことがなくなった。


 席替えをしても奈月は私の席まで来て話しかけてきた。携帯電話を奪い取られ、半ば無理やり連絡先を交換した。自分の携帯電話に家族以外の連絡先が加わったのは初めてだった。そのせいで、家にいても奈月から電話がかかってくるようになってしまった。休日に呼び出され、買い物や映画に付き合わされるようになった。


いつの間にか、私には友達ができていた。


 そのうち、奈月以外の人とも会話するようになっていった。夏休みには友達と遊びに行ったし、秋頃には奈月の紹介でカフェのバイトも始めた。十月の文化祭では奈月と一緒に模擬店の責任者になってしまい、クラスの中心になって働いたりもした。


 それまで学校では自分の殻に閉じこもっていて、その殻を外側から一方的にこじ開けられるのが苦しかった。だけど奈月は私に、その殻を自分で破らせた。そして殻を破って出た世界は、想像以上に楽しかった。あれだけ嫌っていた学校行事を、私はまんまと楽しんでしまっていた。


 中学までの私は、みんなのように友達がいなくて大勢で楽しく過ごすことができないから、殻に閉じこもるのが好きだと思い込んでいただけ。きっと私は無意識のうちにきっかけを求めていたんだ。そのきっかけを奈月が与えてくれたんだな。そう思うようになっていた。

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