初めての約束 後編(柊パート・現在②)

「何?この絵本」


荷物と一緒に絵本が入ったビニール袋を置いたら、由香里ゆかりさんに笑われた。


「口から出まかせで喋ってたら、買っちゃったんです」

「どういうこと?」

「一昨日、行きつけの本屋に行ったら中学校の頃のクラスメイトがバイトしてたんです。それでさっき本屋まで行ってきて、働いてるところを声かけて。今日六時半に約束したんですけど、その会話を他の店員さんからごまかすために買っちゃったんです」

「へぇ。じゃあこの後デートなんだ」


なぜか嬉しそうな笑顔で見てくる。


「女の子です」

「なーんだ」


出た。由香里さんの口癖「なーんだ」。普段は大人っぽいのに、これを言う瞬間は急に子供っぽくなる。というか、なんで由香里さんまで勝手にがっかりしてるの。美玖と真希だけじゃなくて、やっぱりみんなそういう風に捉えるのかな。


「あ、地元のカフェで一緒にバイトしてたって子?」

「それは高校時代の友達です」

「なーんだ。その子、いつか連れてきてよ。柊ちゃんにカフェの仕事を教えてくれたお礼したいから」

「余計なお世話ですね」


でも確かに、東京に出てきてからすぐにこのカフェでバイトを始められたのも、高校時代に奈月がカフェのバイトを紹介してくれたからだった。確かに、いつか二人を会わせてみたいな。



 東京に出てきたばかりの頃。東京に浮足立っていろんな場所に遊びに行った帰りにこのカフェを見つけた。きっと、地元を思い出させる物に飢えていたのだろう。気がついたらドアを開けて入っていた。テーブル席が少しあって、カウンターの中に女性が一人立っていた。茶色のショートカットで黒いエプロンを身に着けており、照明の効果もあってかすごく大人な女性に見えた。


「いらっしゃいませ」と声をかけられ、カウンター席に座った。昔の私なら真っすぐテーブル席に座ってただろうな。いや、そもそもカフェに入ってすらいないか。そんなことを考えながらコーヒーを注文した。目の前で淹れてくれたそれは凄く美味しかった。


「大学生?」


カウンターの中から声をかけられた。


「はい。いや、まだですかね。来週から学校が始まるので、五日前に東京に来たばかりなんです」

「ということは、一人暮らしデビューしたばっかり?」

「正解です」


話しやすい人だな、と思った。初対面の人と二人きりでこんなに話せるようになった自分にも驚いたけど。


「どう?東京は」

「今はまだ観光気分ですね。アパートの部屋にいても、なんかホテルに泊まってるみたいな感覚で。まだ楽しいんですけど、そのうちホームシックになりそうですね」

「そっか。私は東京出身だから、『上京』っていう感覚が分からないの。逆にずっと東京にいると、田舎暮らしに憧れたりするのよね」

「私の地元は、それなりに田舎だと思います。田園風景が広がっているとか、そこまでではないですけど」


東京に来て、ここまで誰かと話したのは初めてだった。


「なんか既に懐かしい感覚になってきました。高校生の頃、カフェでバイトしてたんです」

「そうなの?」

「はい。高校の友達の実家が喫茶店で。その友達の紹介で、カフェで一緒にバイトさせてもらって。だからきっと、地元を思い出す何かを求めてここにフラッと入ったのかもしれません」

「なーんだ。なんか恥ずかしい」

「はい?」

「いや、あなたが入ってきたときに『あ、この子は東京に出てきたばかりで、カフェでひとりコーヒーを飲むことに憧れてるんだろうな』って思ったの。だからちょっとカッコつけながら接してたんだけど」

「そ、そんなこと思ってたんですか......」

「カフェに慣れてるんだったら、『こいつカッコつけてるな』ってバレてたでしょ」

「いえ。『大人の女性だ』って思いましたよ」

「あら、ありがとう」


 この会話をきっかけに、由香里さんは一気にフランクになった。数分前まであんなに大人の女性に見えてたのに、急に同い年くらいに感じるほどだった。由香里さんは「どうせもう誰も来ないでしょ」と言って、入り口のドアに下げているプレートを『OPEN』から『CLOSE』にひっくり返してしまった。「ここで夕飯食べていきなよ」と言われ、目の前で料理を作ってくれた。食後のコーヒーをご馳走になる頃には、由香里さんもカウンターの外に出てきて私の隣に並んで座っていた。


「すみません。何から何までお世話になってしまって。そろそろ失礼します」


かなり入り浸ってしまっていたことに気付いた私が立ち上がると、由香里さんが「あのさ」と言いながら私をもう一度座らせた。


「な、なんでしょう」

「あなた、今アルバイトは?」

「探しているところです」

「うちで働かない?」


思わぬ提案だった。


「い、良いんですか?」

「もちろん。見ての通り狭い店だし、お客さんも大勢来てくれる訳じゃないけど。それでも、私だけだとしんどい時もあってね。カフェでバイトしてた子が働いてくれたら助かるなと思って。どう?」


カフェでしかバイトしたことなかったから、私にとっても最高の提案だった。


「よろしくお願いします!」


こうして、このカフェでのバイトが始まったのだった。


 それから一年が経ち、すっかりここのバイトにも慣れた。地元のカフェでは基本的にウェイター役だったけど、由香里さんと二人だけのこのカフェでは、カウンターの中からの接客も必要になってくる。最初のうちは戸惑ったけど、今ではお客さんとそれなりに気さくに話せるようになった。


 六時になると、お客さんもほとんど来なくなる。今日は六時に終わる予定だったけど、由香里さんが気を遣ってくれたのか少し早く仕事を上がらせてくれた。


「お疲れさまでした」

「お疲れ。デート楽しんでね」

「だから違いますって」


ニヤニヤした由香里さんの視線を背中に感じながら店を出た。あの人、まだデートの可能性あると思ってるのかな。由香里さんはいつも私の恋愛事情を探ろうとしてくるから、今度は逆に由香里さんに彼氏はいないのか問い詰めてみようかと思ったけど、自分に特大ブーメランが返ってくるのが簡単に想像できるから止めておこう。


 平日の帰宅ラッシュほどではないが、土曜の六時過ぎの電車はそれなりに混んでいる。温かくなってきたとはいえ、そこまで日は長くない。電車に乗り込んだ頃には、窓に吊り革を握った自分が薄く反射する程度には外が暗くなっていた。それを鏡代わりに、自分の服装を客観的に見る。白い花柄のワンピースの上からデニムジャケット。そこまでオシャレに敏感ではないけど、ある程度は気を遣っているつもりだ。「春=花柄」なんていう安易な発想だけど、全身真っ黒で一年中過ごしていた中学時代よりはかなりマシになったと思う。


 暗くなった時間にこの改札を出るのは初めてだ。時間を確認すると、六時二十分を少し過ぎていた。入口の周辺には人が多く立っている。きっと私と同じように待ち合わせの人たちだろう。そういえば、いつも美玖や真希と待ち合わせをするときはスマホで連絡を取りながら合流していたけど、黛さんとは時間と駅しか指定していない。


 中学生の頃に家族で出かけた時、両親が駅の入口にある大きなステンドグラスを眺めながら「昔はよくこの辺りで待ち合わせしたんだよ」と言っていた。昔はそのステンドグラスと、大きな銅像があってそこが待ち合わせする時の定番の目印だったらしい。昔は携帯電話もなくて、きっちり時間と場所を決めておかないと会えなかったからと。


 その時代の人たちはこんな気持ちだったのかな、なんて事を考える。この日の入り直前の薄暗い中で、しっかり黛さんと会えるのか不安になってきた。そもそも、よく考えたらバイト中の黛さんに一方的に話しかけて約束を取り付けてしまったけど、黛さんは来てくれるのだろうか。


 そんなことを考えながら辺りを見渡していると、駅の正面から伸びる横断歩道の向こうで信号を待つ黛さんを見つけた。距離と薄暗さが相まって、表情はよくわからない。だけど、間違いなく黛さんだ。ちゃんと来てくれたことにほっとして、気づいたら黛さんに向かって大きく手を振っていた。信号が青になってこちらへ近づいて来る。横断歩道の真ん中辺りで黛さんも私に気づいたのか、少し控えめに手を振ってくれた。


「ごめんね、待った?」

「いや、今来たところ。それよりこっちこそごめんね。バイト終わってから暇だったでしょ?」

「大丈夫。私のアパート近いから、一回帰ってから来たの」

「そうなんだ。ここからどのくらい?」

「えっと......」

「あ、ごめん。お店入ってからゆっくり話せばいいね。どこ行こうか?この辺でどこかおすすめのお店とかある?」

「ああ、実は私もまだ来たばっかりだからそこまで詳しくないの」

「そうなんだ」


どうしようかな。せっかくだからどこかオシャレなお店にでも入りたいけど、全然思いつかないな。美玖と真希とファミレスかファストフードでしかご飯を食べたことがないのが弊害になっている。


「わ、私はどこでもいいよ!」


私が悩んでいるのを察した黛さんが気を遣ってくれた。


「そう?じゃあ......ファミレスでいい?」

「いいよ。全然」

「じゃあ、本屋さんからもうちょっと歩いたところにあるファミレスわかる?」

「うん。一回行ったことある」

「そこ行こうか」

「うん」


結局ファミレスか。まあ、女子大生らしくていいんじゃない?


......本当に女子大生らしいのかな。あの二人とずっと一緒にいると、世間の女子大生がどう過ごしてるのか分からなくなる。


黛さんが渡ってきた横断歩道の前で信号が変わるのを待つ。


「ごめん。せっかくこっちまで来てくれたのに、また戻って行くことになっちゃうけど」

「全然いいよ。気にしないで」


なんか私、ずっと一方的だな。


「あ、青だ。行こう」

「うん」


気を遣わせてしまっていることに申し訳なく思いながら歩きだした。


 東京の街で、黛さんと並んで歩いている。こんなことになるなんて。隣を歩く黛さんを見ながら思う。


 地元で最後に黛さんと会ったのはいつだったかな。

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