初めての約束 前編(柊パート・現在②)

「最高だったよぉ」


今日は無事に座ることができた食堂で美玖の惚気話が始まる。彼氏とデートをした翌日は決まってデートの感想を聞かされるのがお決まりだ。「つまらなかった」という感想は一度も聞いたことがないけれど。昨日は彼氏の大学で待ち合わせをして、そのまま電車で『夢の国』に行ってきたらしい。


「午後から入場しても以外と楽しめるもんだね。チケットも安いし。アトラクションに並んでるときもライトアップされた景色が見えて飽きないし、もう最高なの!」

「あんたは彼氏と一緒なら、たとえどこかの山奥に行ったって最高なんでしょ」


真希が冷たく指摘する。そんな真希だって、昨日は彼氏と会っていたくせに。


「あんたは何してたの」


美玖が左手に持った箸で私を指しながら訊いてくる。私が先端恐怖症だったらぶっ飛ばしてるよ。


「あのまま電車に乗って、途中で降りて本屋に行って、それからまた電車で家に帰った」

「それで?」

「買った本を一冊読んで寝た」

「それだけ?」

「あ、パスタ作って食べた」

「もっと他にないの?」

「うーん......実はびっくりすることがあってさ」


そう言うと二人は、なんだなんだと言って少し身を乗り出した。


「その本屋で、中学校の頃のクラスメイトがバイトしてたの」


二人は更に身を乗り出す。


「え?偶然?」

「偶然」

「東京でばったり再会。しかも行きつけの店の店員と客?それって運命じゃん!」

「ん?」

「さっさと告白して付き合っちゃえ」

「女の子だよ」


そう言った瞬間、同時に二人はがっかりした顔で背もたれに寄り掛かった。


「つまんないね」

「ね」


二人が呆れた顔で目を合わせている。勝手に早とちりしておいて、勝手にがっかりされたくはない。


「あんたからそういう話、一回もされたことないから期待したのに」

「何か浮いた話のひとつでもないわけ?」


またこれだよ。


「逆にあると思います?この私に」

「もう大学二年生だよ?二十歳になる年。全く無い方が不思議だよ」


そう言う美玖に真希も続く。


「そうだよ。今までそんな話を柊から聞いたことないもん。好きな人がいるって話も聞かないし、どんな男がタイプなのかも知らない。そこそこ可愛い顔してるんだから、モテないこともないでしょ」


二人の言うことは信用していない。今まで容姿を褒められたことなんて無いから。それに、大学にいるときは大体二人と一緒にいるから、男と知り合う機会なんてない。逆に二人はいつの間に彼氏を作ったのだと問い詰めたいくらいだ。


「生まれてから、気になる男とかできたことないの?」


気になる男......というべきか。そうか、このことは二人に話したことなかったな。


「彼氏はいたことあるよ」








あれ、時間の流れでも止まったかな。


「おーい」


揃って固まっている二人に呼びかける。


先に口を開いたのは真希だった。


「いつ」

「高校の時」

「何で言わなかったの」

「訊かれなかったから」


信じられない、という表情の美玖が反論してくる。それからは二人が交互に質問攻めにしてくる。


「何回も訊いたでしょうよ」

「『彼氏いないの?』ってね。『彼氏いたことないの?』って訊かれたら言ってましたよ」

「そういうの屁理屈って言うんだよ」

「屁理屈だって理屈だよ」

「どんな彼氏?」

「"元"彼氏ね。いい人だったよ。頭いいし。今でもたまに連絡とるよ」

「よく別れた男と仲良くできるね」

「色々あったの」

「今どこで何してるの」

「京都大学に通ってる」


「京都大学!?」


二人の重なった声が食堂に響いた。周りの席の人たちがこちらを見ている。


「いいから。ほら、もう授業始まるよ」


目を見合わせて呆然としている二人を置き去りにして、食器を片付けるために席を立った。



*********



 今日は土曜日。カフェでのバイトはお昼からだけど、今日はいつもより少し早めに家を出て電車に乗った。目的は、あの本屋に行くこと。もしまゆずみさんがいれば、話しかけてみようと思ったからだ。レジで会計してもらったときのあの反応を見るに、おそらく黛さんは私に気付いていた。せっかく同じように東京で暮らしているのだから仲良くなれたら、なんて思っている自分がおかしくて思わず笑ってしまう。中学校の頃とは大違いだな。


 駅から出て本屋までの道を歩く。平日のこの時間帯にこの道を歩いたことはないけど、きっと土曜日だから人は多い方なのだろうと思う。そういえば、いつもここに来るときは大学の帰りだけだったな。わざわざ来ることになるなんて。しかも目的は本ではなく黛さん。今になって黛さんのことを考えるようになるなんて思いもしなかった。


 平日の午後と全く変わらない自動ドアの開く音を聞きながら店に入る。まずレジを確認したけど、そこには年配の女性店員が一人立っているだけだった。今日は休みなのかな。そう思って店の中を見渡すと、壁の棚に並んだ児童書のコーナーで本の整理をしている黛さんを見つけた。仕事中に話しかけると迷惑かなと思ったけど、ラッキーなことに他の店員は近くにいなかった。こっそり近づいて、後ろから声をかけた。


「あの、すみませーん」

「はい?......あっ」

「やっぱり。黛さんだよね?久しぶり」

「ひ、久しぶり......ですね」

「私のこと覚えてる?」

「香月さん......でしょ?」


前よりも近くで見る黛さん。髪の毛は黒くなったけど、全然変わってないな。なんか黛さん、緊張してる?仕事中にいきなり声かけちゃったのがまずかったかな。


「えっと......香月さん?何かあった?」

「え?」

「探してる本とかあったのかなぁと」


そう言われて初めて、黛さんに話しかけようと思ってここまで来たのに、何を話そうか決めていなかったことに気が付いた。


「あ、えっとね。実は何もないの」


笑ってごまかしてみる。


「そ、そっか」


黛さんも笑ってくれた。固い笑顔だけど。


「黛さんがここで働いてることがわかったから、久しぶりに話せたらなと思って。ただそれだけなの。ごめんね、仕事中に迷惑だった?」

「そんなことないよ」

「よかった。でも仕事中にずっと話す訳にはいかないよね......そうだ、バイトって何時に終わる?」

「えっと......五時までの予定だけど」

「そっか。私もこれからバイトで六時までなの。よかったら待ち合わせしてご飯でも食べない?」

「え?うん......い、いいよ」

「よかった。じゃあ、あそこの駅に六時時半でいい?一時間半くらい暇になっちゃうけど」

「大丈夫」


勢いで話していたら、つい夕食の約束をしてしまった。大丈夫だったかな。なんか私、一方的に喋っちゃった。


「じゃあ、あとでね」と言おうとした時だった。


「いかがなさいましたか?」


声をかけられて振り返ると、見慣れた男の店員さんが立っていた。


「あ、えっと。えーっと......」

「私がおすすめの本を訊いたんです」


黛さんが慌てていたから、そういうことにした。それと同時に、自分たちが児童書のコーナーにいることを思い出した。


「その、小さい弟がいまして。二歳児におすすめの本はないか訊いたんです」

「申し訳ございません、こちら最近入ったばかりの新人でして」

「いえいえ、しっかり教えて頂きましたよ」


近くにあった絵本を適当に取って、「ね?」と黛さんに視線を送った。黛さんもまだ少し慌てていたけど、すぐに話を合わせてくれた。そんな私たちを見て店員さんも納得してくれたようだった。


「そうでしたか。他に何かお探しですか?」

「いえ、もうこれでバッチリです。ありがとうございました」

「ではレジの方へご案内いたします」


店員さんはまるでバスガイドのように丁寧に手でレジの方向を示した。私は黛さんに「ありがとうございました」とお礼をした後で、声を出さずに口の形だけで「ろくじはん」と言った。伝わったかどうかわからないけど、黛さんはコクリと頷いてくれた。そのまま私はレジで会計をしてもらい、また「いつもありがとうございます」と言われ、軽く会釈をして店から出た。


......この絵本どうすんのよ。

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