みんなの世界 後編(悠夏パート・過去①)
「私、
そう切り出されたのは、中学三年生が始まった頃だった。
「別れたって、要するに......別れたってこと?」
「うん。そう言ってるよね」
昂というのは、小学生の頃から私と湊美の親友だった男子。小学生の頃はこの三人ともう一人、
でも、そういう訳にはいかなかった。まず中学校に上がるとすぐに、雅紀が野球部に入った。毎日、朝早く学校へ行って放課後は遅く帰る。私たちと一緒にいる時間が減って、いつの間にか遊ばなくなってしまった。しばらく湊美と昂と三人で遊んでいたけど、二年生に上がると同時に私は一人で登下校するようになった。湊美と昂が彼氏彼女の関係になったからだ。
あの日も湊美の部屋だった。土曜日に呼び出され、部屋へ入ると湊美が正座で待ち構えていた。いつもより緊張した面持ちの湊美から、昂に告白されたことを聞かされた。
「どうすればいいと思う?」
「どうすればって、何が?」
「告白を断った方がいいのかなと思って」
「どうして?」
「それは.......もし私たちが付き合い始めたら、悠夏が一緒に居づらくなるかと思って」
湊美なりに私に気を遣っていたんだと思う。正直な気持ちを言うと、湊美の言う通りだった。二人が付き合っているのに私が割って入るわけにはいかない。だからって、「私の居場所がなくなるから断って!」なんて言えるはずもない。そもそも自分で告白を断らずに、私を家にわざわざ呼んで「どうすればいい?」なんて相談をしている時点で、本当は付き合いたいという気持ちが見え見えだった。
「なんで私に気を遣うの?断りづらいから、私を理由にしようとしてる?昂とは付き合いたくないの?」
「そんなことはないよ。でも......」
「ほら。付き合いたいんでしょ?私のことなんか考えなくていいよ。これからも友達でいてくれるならそれでいいから」
「もちろん。ずっと友達だよ」
「それなら、湊美のしたいようにしなよ」
「わかった。ありがとう」
湊美はその場で昂に電話をして、告白に返事をした。電話を切った湊美に「よかったね」とは言ったけど、寂しかったのは事実だ。
私だけ彼氏がいないからじゃない。急に二人が私より大人になった気がしたからだ。
小学六年生の頃、初めて男子から告白された。その子のことは別に嫌いではなくて、むしろ好きだったと思う。でも私の「好き」は、「付き合う」と直結する意味での「好き」とは多分違う。そう思って正直に断った。中学校に入っても一人から告白されたけど、同じ理由で断った。
気がつけば周りには誰かと付き合っている人が多くなっていた。私にもいつか「好きな人」ができるのかなと考えたりもしたけど、よくわからないままだった。そんな中で一番身近にいた湊美と昂が付き合い始めたから、一気に寂しさが襲ってきたのだと思う。
たくさんの友達と一緒にいることが好きだった私は、いつまでもみんなで楽しく無邪気に遊んでいたかった。でも、そういうわけにはいかないということも理解していた。この寂しさが消える日が来ることを願っていた。
だけど、湊美と昂が別れたというその報告で寂しさは消えるどころか、更に加速してしまった。
「なんで別れたの?毎日一緒に帰るくらい仲良かったでしょ」
「一緒に帰ってただけ」
「......どういうこと?」
「なんか、楽しくなくなってたんだよね。友達だったときよりも。ただ習慣だから一緒に帰ってた感じ」
「うん......よくわからない」
「とにかく、もう一緒にいてもドキドキしなくなったの。付き合い始めたときはずっとスマホでメッセージのやり取りしてたけど、それも減ってたしね。昂が他の女子と仲良くしてるところを見ても、なんとも思わなくなってさ。ああ、これはもう終わりかもなって。それで、昨日の帰りに別れようって言ったの」
「そうしたら?」
「『わかった』って。ただそれだけ。多分、昂も私と同じだったんだと思うよ」
「そうなんだ......」
それからしばらく会話が止まってしまった。何を言えばいいのかわからなかった。湊美は慰めてほしいのか。でも、別に悲しそうでもないし。困っていたら、そんな私に気遣ったのか湊美が先に口を開いた。
「だからさ、また明日から一緒に帰れるよ」
「そうだね......」
「大丈夫だよ。悠夏に彼氏ができたら、今度は私が身を引くから」
その言葉に笑ってみたけど、多分苦笑いになっていたと思う。
恋愛経験のない私でも、その「明日から一緒に帰れる」状況に昂が含まれないことくらいは理解できた。二人が親友から恋人になったことは寂しかったけど、二人が幸せならそれでいいと思っていた。でも、その恋人という関係が破綻してしまった以上、もう親友という関係にも戻れないんだろう。「いつまでも一緒に遊んでいたい」という私の願望は、そこで完全に崩れ去ってしまった。
その言葉通り、湊美は一緒に学校から帰ってくれるようになった。でも湊美は、教室でも一緒に帰っているときも、恋愛の話題を多く話すようになった。サッカー部の一年生がカッコイイとか、クラスの誰と誰が付き合い始めたとか、悠夏はいつ付き合うのとか。
それまで湊美と一緒にいるときは決まって楽しかったのに。そんな湊美と一緒にいるのは息苦しかった。
「同じクラスの浅川いるでしょ?去年、体育祭のリレーで一組のアンカーだった陸上部のヤツ。悠夏のこと好きらしいよ?」
「へ、へぇ」
「どう思う?」
「どうって......嫌われるよりは好かれる方がいいけど」
「......それだけ?」
「うん」
「マジかぁ。アイツ顔も良いし、背も高くて運動神経抜群。結構モテるんだよ?アイツなら悠夏の御眼鏡に適うと思ったんだけどなぁ」
「御眼鏡って。私をなんだと思ってるの」
笑って言ったけど、心の中はあまり穏やかじゃなかった。湊美と険悪になりたくはなかったから、言葉には出さなかっただけ。
中学生になったら恋愛しなきゃダメなの?
好きな男子を作らなきゃダメなの?
ずっと楽しく遊んでいたいだけじゃダメなの?
みんなが恋愛をしたい訳じゃないと思うよ。
そう思った時、あの日の香月さんのことが頭に浮かんだ。
「みんながみんな、大勢でいることが好きな訳じゃないの」と言っていた。
あの時、香月さんも今の私と同じような気持ちだったのかな。
*********
「どこの高校受けるの?」
久しぶりに湊美が恋愛以外の話題を切り出したと思ったら、また私の苦手な話だった。
「ま、まだ考えてない......」
「もう夏だよ?」
「だって受験は冬でしょ?」
「準備ってもんがあるでしょうよ」
そんなことは分かっていた。この頃の私は恋愛の話題だけではなく、高校受験や将来の夢のような話題が苦手だった。ずっとみんなで遊んでいたかった私は、そんな考えが子供じみているということに気づき始めていながらも、本当に自分が高校受験をする時が来るなんて考えもしていなかった。
いや、考えたくなかったのかもしれない。今になって思えば、この頃にはもう心のどこかで分かっていたんだ。湊美や他のみんなが恋愛に興味を持つことも、自分の将来について考えることも、自然なことだということを。いつまでも子供でいたい私は、それを認めたくなかったんだ。
だけど、この頃の私はみんながどんどん大人になっていくことに寂しさを覚え、自分でそれを拒んでも無駄だということがただ悲しかった。
テストの点数の悪さを私と笑い合っていた湊美も三年生になると塾に通い始め、受験へ向けて成績を上げていった。再び一緒に帰れなくなり、放課後や休日に遊ぶ時間もなくなった。スマホのメッセージの返信も遅くなって、学校の休み時間くらいにしかやり取りをしなくなっていった。
夏休みに唯一湊美と出かけたのは、高校のオープンスクールの日だった。湊美が行きたがっている公立の高校に、受験を考えている中学三年生が集まる。そこには、部活に打ち込む高校生や、集会の運営を手伝う高校生がたくさんいた。あの中には私とたった一歳しか変わらない人もいるはずだったけど、自分があと半年ほどでこの集団の中に入るなんて全く実感が湧かなかった。
その集会の中では、この高校を卒業した後の進路についても話があった。進学と就職の割合、大学進学者が何人で専門学校進学が何人とか。高校進学にさえ実感が湧いていないのに、その後の進路なんて。話を聞いているうちに目眩がしたのを覚えている。
結局、私も八月に入ると塾に行かされた。ほとんど勉強をしていなかったから、一年生からの基礎の復習ばかりで、学校のテストの点数で湊美に追いつくことはなかった。
そのまま季節はどんどん過ぎて行き、年が明けた一月に私は私立高校を受験して合格。悠夏はその後も受験勉強を続け、三月に公立の高校を受験して合格した。
遂に迎えた卒業式は、意外なほど淡々と過ぎた。中には泣いている人もいたけど、私は自分でも驚くほど冷静で、あれだけ大人になっていくのが嫌だったはずなのに、その象徴とも言える儀式の卒業式には特に何も思わなかった。きっとその頃には、湊美や他の友達の変化と自分が成長することに対して諦めがついていたのだと思う。これから生きていくには、それを受け入れるしかないんだって。
私の中学校は、一人ずつ呼ばれて卒業証書を受け取るのが恒例だった。そのとき、三年生では別のクラスだった香月さんを久しぶりに見た。名前を呼ばれ、小さな声で返事をして壇上に上がった香月さんは、二年生の頃よりも少し髪が短くなっていた。そのまま香月さんは淡々と証書を受け取って自分の席に戻って行った。その姿を遠目に見ながら私は考えていた。
私も、一人で過ごしていた方がよかったかもしれないな。
友達が大人になっていく寂しさを味わうくらいなら。
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