聖地に立つ(柊パート・現在⑦)

「晴れてよかったね」


東京から電車で約一時間半。私たちは熱海駅に到着した。八月最後の日だからか、意外にも観光客はそこまで多くなさそうに見える。


今日は約束していた旅行の日。そして、悠夏の二十歳の誕生日だ。


「とりあえず、一旦ホテルに荷物を預けに行こう。歩いて十五分くらいだって」

「分かった。行こう」


悠夏は、この旅行の段取りを全て私に任せると言っていた。行き先からホテルまで全て私が決めてしまったから、せめて悠夏の行きたい場所を巡りたいと思っていたのだけれど、悠夏は「柊が行きたい場所に行きたい」と言ってくれた。前に遊びに出かけたときも、こんなことがあった気がする。私たちは、よくお互いがお互いの行きたい場所を優先したがって、らちが明かなくなる。今回の旅行は悠夏への誕生日プレゼントという意味も込めているから、悠夏の意思を尊重して、私が行きたい場所をいくつかピックアップさせてもらった。


 二人揃ってキャリーバッグを転がしながらホテルを目指して歩く。想像していたよりも建物が密集していて、近くに海が広がっているとは思えない風景だ。それでも風に運ばれてくる潮の香りから、その存在感は確かに感じることができる。


「ねえ、柊?本当にこの道で合ってるの?」

「合ってる......はず」


スマホのマップアプリで示された道を恐る恐る歩いて行くが、その道はどんどん路地裏へ続いていく。いよいよ歩道と車道の境も無くなってしまい、キャリーバッグの転がし方をより慎重にする。


「もうすぐホテルがあるはずなんだけど......」


マップに描かれた最後の曲がり角を曲がると、突然それは私たちの前に姿を現した。


「おお、海だ」


車道を挟んだ向こう側にヤシの木が並んで植えられている。その隙間から、太陽の光が反射した海面が揺れているのが見える。


「......渡っちゃう?」

「......うん」


はやる気持ちを抑えつつ、私たちは車道を渡りヤシの木の下を潜っていった。何も視界を遮るものは無くなり、広いビーチと大きな海がはっきりと確認できた。もう海開きは終わっていて、海水浴場は閉まっているようだ。そのおかげでビーチには人が少なく、海の美しさがより一層際立って見えた。


「ビーチを歩きたいけど......荷物を預けなきゃ。ホテルもこの近くのはずなんだけど」

「ねえ、あれじゃない?」


悠夏が私の肩をポンポンと叩いてそう言った。後ろを振り向くと、私たちが泊まるホテルの名前が書いてある建物が目に入った。壁に客室の窓がいくつも並んでいるのが見える。あの中のどれかが、今夜私たちが泊まる部屋だろう。


「そうだね。さっき歩いて来た道ってホテルの裏だったんだ」

「みたい。いい場所だね。海が目の前だ」


悠夏が海とホテルを交互に見ながら言う。


「そう。だからこのホテルにしたの。私たちの部屋からも海が見えるんだよ。ほら、行こう」


チェックインは十五時からだが、その前に荷物を預かってもらえるサービスを利用することにしていた。二人分のキャリーバッグをフロントに預け、身軽になった私たちは再びホテルの外へ出た。


 ビーチを散歩してたくさん写真を撮った後、私たちはもう一度駅の方まで歩いて戻り、商店街を散策した。そこは「アーケード」というよりも、文字通り「商店街」という感じの雰囲気で、昔から営業されているようなお店がたくさん並んでいた。その中にある海鮮料理のお店で昼食を食べた後、来た道を戻りながら温泉まんじゅうなどを食べ歩きした。


「なんか、昔の映画の世界に入ったみたいだね」


温泉まんじゅうが入っていた包み紙を丸めながら、悠夏が呟いた。


「ほんと。古き良きって感じがする。それ、もらうよ」

「あ、ありがとう」


悠夏から丸くなった紙を受け取り、カバンの中のビニール袋へ入れた。


「ねえ、次はどこに行くの?」

「少し歩いた場所に美術館があるんだって。そこに行こうと思ってたんだけど、いいかな?」

「うん。行こう」



*********



「なんか......すごかったね」

「うん......」


美術館を出た私たちは、なんとなく口数が減ってしまった。美術館の外観を見たときや、入り口の所にあった幻想的にライティングされた階段を登っているときは二人ともワクワクしていた。しかし中に入ってしまうと、肝心の展示物の魅力はいまいち理解することができないまま、やけにスムーズに出口まで辿り着いてしまった。


「私たちにはまだ早かったかな?」

「そうだね......」

「もうちょっと大人になったら、また来てみようか」

「うん。また来たいね」


私はその言葉に、私たちがもっと色々なことを経験して大人になっても、ずっと友達でいようというメッセージを込めたつもりだ。悠夏の返事にも、同じような想いが含まれていたのなら嬉しい。


 美術館を早く出てしまったため、まだチェックインの時間まで余裕があった。


「どうしようか。まだ時間あるね」

「せっかくだから、また海に行きたいな」


ここに来てから初めて、悠夏が自分の行きたい場所を口にしてくれた。


「そうだね。行こうか」

「......柊」


遠くにぼんやりと見えている海の方向へ歩こうとすると、悠夏に呼び止められた。


「ん?どうしたの?」


そう尋ねると、悠夏が何も言わずに左手をこちらへ差し出した。その左手と悠夏の表情を見て、私はすぐに理解した。


「なに?」


少しイタズラ心が働いて、気づかないフリをしてみる。


「......手、繋ぎたい。今日はまだ繋いでなかったから」


手を繋ぎたいと言う悠夏は、顔を少し赤くして下を向く。


「わかった。はい」


悠夏の左隣に並び直し、その手を握ってから歩き出した。



*********



さっきとは逆方向からビーチを歩いていると、悠夏がある場所を見つけた。


「あの飛び出してる場所って何かな」


指を指す方向を見ると確かに、浜辺から一部が海の方へ飛び出している。よく見ると、人影も確認できる。


「行ってみようか?」

「うん」


私たちは手を繋いだまま、その場所を目指して歩いた。


 そこは公園の中にある、海を見渡すことができるテラスだった。いちばん先には、羽ばたいている鳥の像が立っている。


「すごい。海の上に立ってるみたいだね」


テラスの端から下を覗きながら悠夏が言った。


「うん。でも下を見るの、ちょっと怖いかも。落ちないでね?」

「え?」

「手を繋いでるんだから、悠夏が落ちたら私まで落ちちゃうからね」

「大丈夫だって」


悠夏は笑いながらも、体を戻してくれた。


「そういえば今日の夜、海の上で花火が上がるみたいだよ」

「そうなんだ。楽しみだね」

「部屋から見えるんじゃないかな。あ、時間過ぎてる。ホテル行こうか」

「うん」


テラスから降りようとした時。鳥の像の下に、二つの手形がついた四角い石碑があることに気付いた。


「なんだろうこれ」


近づいてみると、そこには文字が書かれたプレートが付いていた。


「へえ。『恋人の聖地』だって」


私がそれを読んだ瞬間、悠夏が繋いでいた手をパッと離してしまった。


「どうしたの?」

「いや。えっと、その......」


悠夏は石碑を見ながら、私の手と繋がっていた左手の指を右手で触っている。


ああ、なるほどね。


「もしかして周りに勘違いされると思った?」


そう訊くと、悠夏は黙ったまま頷いた。それがおかしくて思わず吹き出してしまった。


「悠夏って、そんなこと気にするんだね」

「だ、だって」

「大丈夫だよ。女の子同士だし、誰もそんなこと思ってないって。それに、もし勘違いされたって何も問題ないじゃん」

「でも.......」

「周りにそう見られてるのなら、そう見えるくらい私たちは仲が良いってことだよ」

「.......気持ち悪いって思ったりしない?」


妙に不安そうに私の目を見て、悠夏が呟く。そんなに気にすることなのかな。それとも、周りから「そう」見られることが気持ち悪いのかな。


それは......なんか嫌だな。


「しないって。ほら」


もう一度、右手を差し出してみる。


悠夏は私の右手をじっと見つめたあと、コクリと頷いて左手を重ねてくれた。よかった。手を繋ぐこと自体は気持ち悪いと思われていないみたいだ。


「じゃあ、行こうか」

「うん」


私たちは海と『恋人の聖地』に背を向けて、再びゆっくりと歩き出した。

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