番外編① まさか......

「うん。アパートの場所は分かるから大丈夫」

「もう暗くなってきてるし、帰りに寄り道とかしないでね?由香里さんも、お願いしますよ」

「大丈夫よ」

「じゃ、じゃあお先に失礼します。悠夏、行こう」

「うん.......」


お姉ちゃんがまゆずみ先輩を連れてカフェから出た。すると、入口のドアが閉まりきるのを待たずに由香里さんが再び話し始める。


「それでね?柊ちゃんったら、電話で私にお説教してくるのよ。『悠夏を連れまわさなでください!』って」

「ああ、そういえば実家のお姉ちゃんの部屋から、大声で話す声が聞こえてました。由香里さんと電話してたんですか」

「柊ちゃんって、悠夏ちゃんの話題になると人が変わるの。普段から私が怠けたりすると怒られるんだけど、声のトーンが全然違うのよね」

「昨日も黛先輩とスマホでやり取りしてるとき、なんかソワソワしてましたね」

「ほんと、カップルみたいなんだから」

「ですね」


私が同調すると、由香里さんは「ご飯作るね」と言いながら立ち上がった。


「ありがとうございます」

「久しぶりに柊ちゃんたちと夕飯食べられると思って楽しみにしてたんだけどな」

「ちょっと意地悪しすぎちゃいましたね」

「だって、恥ずかしがる二人を見るのが楽しいんだもん。まあ、あの2人とはいつでも食べられるし、今日は藍ちゃんとお近づきの印に二人きりのディナーね」

「楽しみです」


フフッと笑った由香里さんは、カウンターの中へ入っていく。


「あ、そうだ。藍ちゃんに訊こうと思ってたんだけど」

「なんですか?」

「柊ちゃんが高校時代に付き合ってた彼氏と会ったことある?」



お姉ちゃんが


高校時代に


付き合ってた


彼氏......?



「は、はい?」

「京大に通ってるっていう柊ちゃんの元カレ。どんな人なのか気になってるんだけど、全然教えてくれないのよ。藍ちゃんならどんな人だったか知ってるかなと思って」

「きょうだいって......京都大学ですか?」

「そう」



お姉ちゃんが京都大学に受かるような男と高校時代に付き合ってた?



「ぜんっぜん知らないです!」


カウンターまで駆け寄ってそう叫んだ私に、由香里さんが体をビクッと震わせながら驚いた。


「もしかして、聞かされてなかった?」

「全くですよ!マジな話ですか?」

「わざわざ柊ちゃんがそんな嘘をつくとは思えないし、本当なんじゃない?」

「ええ......」


お姉ちゃんが高校に入ってから、何度「彼氏できた?」と訊いたことか。その度にお姉ちゃんに「そんなわけないでしょ」と軽くあしらわれた記憶しかない。


「由香里さんはどんなことを知ってますか?」

「京大に通ってて税理士を目指してるってこと。あとは、一年くらいしか付き合ってなかったとか。それくらいしか聞かされてないわよ」


なるほど。少なくとも一年間は私に嘘をついていたということか。


「これは、今日は帰ったら問い詰めなきゃですね」

「私も相当しつこく訊いたんだけどね。全然教えてくれない」

「そうですか......」


なんだか体の力が抜けてしまい、カウンター席に崩れるように座り込んだ。


「びっくりしましたしたけど......でも、ちょっと安心しました」

「安心?なんで?」

「いや、お姉ちゃんからはそんな恋の話とか一切聞いたことがないので。お姉ちゃんが誰かを好きなることってあるのかな、なんて心配してたんですよ。昔も、私がイケメンのアイドルグループが歌番組に出てるのを見ながら『カッコイイね』って言っても『そう?』とか言うだけで全く興味なさそうでしたし」

「私もよ。今年になって初めて、彼氏がいたこと聞いてびっくりしたんだから。でも、その彼氏ともそこまで盛り上がらないまま別れたっぽいし、あんまり恋愛に興味がないのは事実なんじゃない?」

「なんですかね。まあ確かに、男の人にデレデレしてるお姉ちゃんは見たくないような......」

「そう?私は見てみたいけど」


ご飯を作る準備をしながら、カウンターの中で由香里さんがニヤニヤしている。


「黛先輩は彼氏いるんですかね?」

「それが、悠夏ちゃんも彼氏いたことないんだってよ」

「本当ですか?あんなに可愛いのに。隠してるだけじゃないですか?」

「でも悠夏ちゃんに『彼氏いないの?』とか言うと、急に慌てたりするのよ。いかにも初心な女の子って感じで」

「へえ。中学生の頃、二年後輩の私の同級生の男子も黛先輩のこと可愛いって言ってたくらいですから、モテてきたと思うんですけどね」

「大学にイイ男いないのかな」

「大都会東京なんですから、イケメンも大勢いると思うんですけど」

「前に『好きな人いるでしょ?』って訊いてたら、顔を真っ赤にして『いないです!』って言ってたから、たぶん気になる人はいると思うのよね。いつか悠夏ちゃんからも恋の話を聞かせて欲しいんだけど......あれ?」


楽しそうに喋っていた由香里さんがピタリと手を止めた。


「どうしました?」

「これって、誰の?」


由香里さんの手には、見覚えのあるスマホが握られている。


「あ、お姉ちゃんのです。忘れて行ったんですね」

「そっか。藍ちゃんいて良かったね。なんかイタズラしちゃう?」

「暗証番号知らないので無理ですよ......あれ?」


そういえばお姉ちゃん、現金持ってないって言ってた気がするけど。


「どうしたの?」

「お姉ちゃん、スマホの電子マネーで電車に乗るはずなので、電車に乗れないかもしれません」

「あらら。現金持ってないの?」

「持ってなかったと思います。追いかけて渡してきます」

「頑張って。まだ駅には着いてないと思う」

「行ってきます」



*********



 お姉ちゃんのスマホを持ってカフェを出てからしばらく走っていたけど、なかなか二人の姿が見えてこない。結局疲れてしまい、走るのを止めたところで気づく。


駅でスマホが無いことに気付けば、カフェまで戻って来るよね。


無駄に走ってしまった......


でも、ここまで来てしまえばカフェへ戻るよりも駅まで行った方が早い。お姉ちゃんたちも近いと思うし。走る気にはなれなくて、少し早歩きで駅まで向かう。


あ、いたいた。お姉ちゃんと黛先輩。



お姉ちゃーん。スマホ忘れてるよー。



そう大きな声で呼びかけようとしたけど、声が出なかった。


思わず脚が止まった。



......手を繋いでる?



見間違い?


いや、しっかり繋いでるな。


まあ別に、女子の友達同士が手を繋ぐのはよくあることだし。私も友達とたまに手を繋いだりするけど。


ただ、お姉ちゃんもそういうことをするとは意外だ。



とは言え......二人、近くない?



お姉ちゃんの右肩が、黛先輩の左肩の下辺りにときどき触れている。


なぜか見つかってはいけない気がして、少し離れた距離を保ったままこっそりついて行く。



......スマホ、どのタイミングで渡そうか。



そう思いながら歩いているうちに、二人は駅まで辿り着いてしまった。入口を前にお姉ちゃんは、何やらバッグの中を探っている。やっと忘れ物に気づいたな。よし、ここで......



「ま、待って!」



黛先輩の声が私の方まで聞こえてきた。よく見ると、両手でお姉ちゃんの手を握っている。


何を話しているのかは分からない。


けど、黛先輩がじっとお姉ちゃんの顔を見つめながら何かを言っているのは分かる。


駅の入口の目の前で。手を繋ぎながら。


由香里さんがあの二人を「カップルみたいなんだから」なんて言っていたけど。本当にそんな雰囲気を感じてしまう。



......うん?



いやいや。それはさすがに.....



あ、先輩が動いた。



券売機の前まで行って、路線図を指さし確認している。


もしかして、お姉ちゃんの分の切符を買うのかな。


スマホどうしようか。


なんとなく、今の二人に割って入るのは気が引けるし。



気がつくと、券売機の前から黛先輩がお姉ちゃんのところまで駆け寄っていくのが見えた。



スマホは必要なさそうだな。アパートで渡そう。



*********



 急いで走ってきた道をゆっくり歩いて戻る。なんとなくお姉ちゃんのスマホを開くと、暗証番号を要求された。試しにお姉ちゃんの誕生日を入力してみたけど、違うみたいだ。



 ずっと手を繋ぎながら歩いていた二人の後ろ姿。


 あの二人の距離感。


 お姉ちゃんの手を両手で握りながら、真っすぐお姉ちゃんを見つめる先輩の顔が頭から離れない。



「前に『好きな人いるでしょ?』って訊いてたら、顔を真っ赤にして『いないです!』って言ってたから、たぶん気になる人はいると思うのよね」



ついさっき由香里さんから聞かされた話が浮かんできた。



実家の部屋で、やけに大きな声で電話をしていたお姉ちゃん。


昨日の夜にアパートで、私が話しかけたら妙に慌てていたお姉ちゃん。


私が好きなものを悠夏も好きになってくれて嬉しい、と言ったお姉ちゃん。


悠夏ちゃんには好きな人がいるかもしれない、と由香里さん。


駅まで手を繋ぎながら歩く二人。


まるでカップルみたいな雰囲気の二人。



そういうこと......なのかな。



*********



「じゃ、気をつけてね」

「新幹線の運転手に言ってよ」


お姉ちゃんは、わざわざ駅の改札まで見送りに来てくれた。別にいいって言ったのに。


昨日の夜、アパートで何度もお姉ちゃんに訊こうと思った。でも、いまいちタイミングが掴めないまま、ここまで来てしまった。


今は、どちらでもいいかなと思ってる。その関係がどんなものであっても、二人が仲良くしていることには変わりないんだし。


でも、もし本当に二人がそういう関係なのだとしたら。


妹として、できる限り応援してあげようと思う。


今までお姉ちゃんと一緒に過ごしてきた中で、黛先輩の隣にいるお姉ちゃんが一番、楽しそうに見えたから。


「ねえ、お姉ちゃん」

「なに」

「何か相談したいことがあったら、いつでも電話してね」


お姉ちゃんが眉間にしわを寄せて、難しい顔をする。


「......いや、私のセリフ」

「え?」

「なんで私が受験生の妹に相談することがあるの。逆でしょ」

「ああ......そっか」

「まさに今『大学のことで知りたいことがあったら連絡して』って言おうと思ってたんだけど」

「じゃあ、お互いに相談したいことがあったら、電話しよう」


お姉ちゃんはまだ首を捻っている。


「よく分かんないけど。分かったよ」

「それじゃあ、行ってきます」

「うん。お父さんとお母さんによろしく」

「わかった。私も、先輩と由香里さんによろしく」

「はいはい」


ガラガラと音を立ててキャリーバッグを引きながら、改札を通った。


後ろを振り向くと、お姉ちゃんが控え目に手を振っている。私も控えめに手を振り返す。


次に会うお姉ちゃんは、どんな表情をしているのかな。


楽しみだ。

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