私の将来は 後編(柊パート・現在⑥)

「開いてるよ!」


少し大きめの声でそう呼びかけると、悠夏はゆっくり扉を開けて「お邪魔します」と言いながら入って来た。その悠夏に起きた変化に、私はすぐに気が付いた。


「あれ、髪色戻したの?」

「う、うん。面倒になっちゃって......どうかな?」


悠夏は恥ずかしそうに自分の髪を触っている。


「似合ってるよ。というよりも、懐かしいね」

「悠夏ちゃん、その方が似合うんじゃない?今ね、ちょうど悠夏ちゃんの話をしてたの」

「そうだったんですか......あっ」


少し恥ずかしそうに店の中に入って来た悠夏は、由香里さんの隣に座っている藍を見つけたようだ。


「これ、私の妹」

「藍です。姉がお世話になってます」

「い、いえいえ。えっと、黛悠夏です」


悠夏が自己紹介をすると、藍の表情が変わった。「ああ!」と言って立ち上がると、悠夏の近くまで駆け寄った。


「もしかして、滝本先輩のお友達の黛先輩ですか?」

「えっ......そ、そうかな......」

「滝本先輩って?」

「お姉ちゃん同級生でしょ?私、一年生のときに委員会が一緒でよく喋ってたんだ」

「もしかして、悠夏がいつも一緒にいたあの子?」


そう訊くと、悠夏は声を出さずに小さく頷いた。


「帰り道で、滝本先輩が楽しそうに黛先輩と話しているのをよく見かけて。可愛い人だなぁって思ってたんですよ。それで滝本先輩に名前を聞いたんです」

「へえ......」

「今でも滝本先輩と連絡取ってますか?」

「い、いや.......」


明らかにテンションが上がっていく藍に対して、悠夏は反応に困っているように見える。いくら私の妹とはいえ、会ってから数分しか経っていない女にこの熱量で迫られたら、困惑するのも無理はない。


「ちょっと、藍。悠夏が困ってるでしょ。話は落ち着いてからにして。ほら、悠夏」


藍を制して、自分が飲むために淹れたばかりのコーヒーを悠夏の前に置いた。悠夏は小さく「ありがとう」と言い、私の目の前の椅子に座った。


「悠夏は地元の友達とあんまり連絡してないんだよね?」

「うん......」

「そうだったんですか。すみません」

「い、いいの。全然。大丈夫だから」


さすがに藍も悠夏の雰囲気を察して、自分の態度を改めたようだ。少し反省している様子の藍に、優しい悠夏は気を遣って話しかけてくれた。


「藍ちゃん......で合ってるよね?」

「あ、はい」

「私たちと同じ大学を受けるんだよね?」

「そうです」

「どの学部?」


悠夏、その話題は......


「教育学部です。教師を目指しているので。悠夏さんは卒業した後の進路って考えてますか?」


やっぱり。


「いや......私はまだ一年生だから」

「あ、そうなんですか?」

「そう。一年浪人して入ったから。だからまだ細かくは考えてないけど、どこかに就職できればって感じかなぁ」

「なるほど。聞いてくださいよ。お姉ちゃんったら、何も考えてないんですよ?もう二年生なのに」

「わ、私だって就職するもん」

「さっきはそれすら言わなかったじゃん」


先ほどまでの面倒な藍が帰って来てしまった。


「それは、就職は大前提の話だと思ったからだよ」

「あっそ。私は、お姉ちゃんなら就職しない可能性もあるかなって思ってたんだけど」

「ええ?」

「高校の時も今もカフェでバイトしてるし、自分でカフェを開くんじゃないかとか。昔からずっと本ばっかり読んでるし、小説家になったりするんじゃないかとか」

「それはないって」


「あ、そうだ」


苦笑いしながら私たちの会話を聞いていた悠夏が、突然バッグの中を探り始めた。


「これ。返そうと思って来たんだ」


悠夏が取り出したのは、私が貸していた小説だった。


「ああ。貸してたの忘れてた」

「ちょっとずつ読んでたんだけど、柊たちがいない間に一気に読んじゃった」

「どうだった?」

「全部面白かった。今まで読んでこなかったけど、小説って面白いね。バイト先でも何冊か小説を買っちゃった」


手元の本をパラパラとめくりながら、悠夏が嬉しそうに話してくれている。


その本は、中学校の教室で初めて悠夏が話しかけてくれたときに読んでいた小説だ。


あの頃は私に話しかけてくる悠夏を不思議に思っていたし、面倒くさいとすら思っていた。その感情を、夏休み明けの教室で爆発させてしまうことになるのだけど。


でも、もし私が教室で本を読むことすらせずに、机に突っ伏して寝ていたりしたら。



悠夏に話しかけてもらうこともなかったのかな。


悠夏と私の人生が交わることもなかったのかな。



高校生の頃、少しだけ悠夏と一緒に帰っていた時期があった。


電車の中で見つけた悠夏に、私から声をかけた。


その事に対して悠夏は「話しかけてくれてありがとう」と言った。



大学で、初めて悠夏を学食へ誘ったとき。


悠夏は「誘ってくれてありがとう」と言った。



手を繋ぎながらカフェから帰ったあの日。


悠夏は「こうやって一緒にいれるのは柊のおかげ」と言った。



でも全ては、あのとき悠夏が私に話しかけてくれたことから始まっているんだ。



「ねえ、なに読んでるの?」



そう言った悠夏の声と表情は、今でも鮮明に覚えている。


あのときと同じ髪色に戻った悠夏が、私が読んでいた小説を嬉しそうにめくっている。



私が好きなものを悠夏も好きになってくれて、嬉しい。」


「......え?」

「ん?」


悠夏が本から手を離して、私の方をまん丸な目で見ている。しばらく目が合ったままでいると、少しずつ悠夏の顔が赤くなっていく。


「ん?どうしたの?」

「お姉ちゃん、らしくないこと言うね」

「な、なにが?」

「柊ちゃん、可愛いこと言うじゃない」


そう言ってニヤニヤしている由香里さんを見て、ようやく理解した。知らない間に、思ったことが口に出ていたようだ。それに気づいた途端、顔の辺りが熱くなってきた。


「べ、別にいいじゃないですか。自分の趣味を友達が好きになってくれたら、嬉しいに決まってるでしょ」

「いや、いいんだけど。それをわざわざ言葉に出すのがお姉ちゃんらしくないってこと」

「そ、そんなことないでしょ」

「そんなことある。やっぱり大都会東京は、人を変えるんだねぇ」


何故か感慨深そうにコーヒーを飲みながらそう言った藍に、由香里さんがニヤリと笑った。


「東京が柊ちゃんを変えたんじゃなくて、悠夏ちゃんが変えたのよ」

「......詳しく聞かせてください」


それから由香里さんは藍に、私の話を延々と続けた。



東京で初めて悠夏と話をした日の私は、今までで一楽しそうだったとか。


名前で呼び合うということだけで私がソワソワしていたとか。


バイトをしていても私は悠夏の話ばかりするとか。


悠夏が由香里さんと海へ行ったことを知った私が嫉妬していたとか。


そんな私は、もはや悠夏に依存しているとか。



楽しそうに話す由香里さんと、無駄に真剣な表情で聞いている藍。二人がヒートアップしていく一方で、カウンター越しに向かい合って座っている私たちはどうしたら良いのか分からず、黙ったまま俯くことしかできない。悠夏の顔を見ると、やっぱり顔を真っ赤にしている。私の顔も同じくらい赤くなっているだろうな。


「あとねぇ......」

「ストップ!」


まだ続けようとする由香里さんをなんとか制止した。


「......もう帰ります」

「そ、そうだね」


私の言葉に続き、悠夏も立ち上がった。


「ほら、藍も。明日の朝の新幹線で帰るんだから。早めに準備とかしないと」

「大丈夫だよ。昨日の夜のうちにある程度まとめたもん」

「あら、今日は夕飯食べていかないの?」

「由香里さんのご飯、食べたいなぁ」


私が帰りたがっている理由はお見通しのようで、2人とも同じような顔で私たちを見ている。


「じゃ、じゃあ私たちだけ先に帰るよ?」


これ以上由香里さんが藍に余計な話をするのを食い止めたかったが、それよりも一刻も早くこの場から逃げ出したい気持ちの方が強かった。


「うん。アパートの場所は分かるから大丈夫」

「だんだん暗くなってくるし、寄り道とかしないで帰って来てよ?由香里さんも、お願いしますよ」

「大丈夫」

「じゃあお先に失礼します。悠夏、行こう」

「う、うん.......」


「それでね?柊ちゃんったら......」


すぐに話の続きを始めた由香里さんの声から逃げるように、急いで店から出た。



*********



「なんか......ごめん。妹、邪魔だったよね」


私は、店を出て駅に向かって歩き始めてからすぐ悠夏に謝った。それでも悠夏は首を横に振りながら「全然そんなことないよ」と言ってくれた。


「本当?」

「うん。会いたかったし。あんまり似てないね」

「でしょ?顔も性格も昔から全然違うの」

「もっとお話ししたかったな......」


悠夏がポツリと呟いた。


「え、そうだったの?ごめん!無理に連れ出しちゃったね」

「いや、違うの。ほら、まさか藍ちゃんが私のことを知ってるとは思わなかったから。急に中学校の頃のことが頭に浮かんだりして、何を話したらいいのか分からなくなっちゃったの。それで私が黙ったから、藍ちゃんも困ってたし。私がしっかり話せたらよかったなって。初めて柊の妹に会うときは、しっかりしなきゃって思ってたんだけど......」


まさか悠夏が、藍と会うということをそこまで大事に思ってくれていたなんて。そんなに重く考えなくていいのに、とも思うけど、それも優しい性格の悠夏らしさが伝わってきて、心が温かくなる。


「そっか。藍は全然気にしてないと思うよ?それに、妹のことを褒めるのは嫌なんだけど、藍は私よりも勉強ができるし大学にも受かると思うから。そうしたら、また会えるでしょ?」

「そうだね。次に会うときはしっかりしないと。一応、私が一年先輩になるわけだし。柊たちが私を迎え入れてくれたみたいに、今度は私が藍ちゃんを迎え入れる立場になりたいな」


その言葉を聞いて、想像してみる。



もし悠夏と藍が、今の私たちみたいに仲良くなったら......


一緒に大学まで行って、一緒に帰って、一緒に遊んで......



なんかモヤモヤする。



ああ、そうか......



「ねえ、悠夏」

「なに?」

「さっき由香里さんが藍に話してたでしょ?私のこと」

「うん」

「大袈裟に話してるなと思ってたんだけど、やっぱり由香里さんの言う通りかもしれない」

「な、何が?」

「私、嫉妬してる」

「......え?」


こちらを見ている悠夏の左手をそっと握ってみる。初めて手を繋いでから、私はこの欲を抑える事ができなくなってきている。悠夏に気持ち悪いと思われないように、控えなければと思っているのに。遂に今日は、「手を握りたい」と思う前に行動してしまった。



周りを歩く人の目なんて、全く気にならない。



悠夏は驚いたのか、一瞬手を引いたけど、すぐに握り返してくれた。



「悠夏が藍と仲良くなりたいと思ってくれてるのはすごく嬉しいよ。でも、今の私といるみたいに悠夏が藍と仲良くしているところを想像したら......ちょっと嫌だなって思っちゃった」

「そ、そっか......」


私の右手を握る悠夏の左手に、少し力が入るのを感じた。


「私は......柊がそう思ってくれてるなら嬉しいよ。柊の特別な......特別でいたいから」

「前にここを手を繋ぎながら帰ったときも言ったでしょ?悠夏は特別な友達だよ」

「......そうだよね。うん。ありがとう」


悠夏の顔を覗くと、口を結びながら何回も頷いている。その顔を見て、強く思う。



私と手を繋いで恥ずかしがる悠夏は、私だけのものにしておきたい。



*********



 悠夏と手を繋いだまま歩き続けた私は、駅に到着したところで自分の失態に気が付いた。


「あれ、カフェにスマホ忘れたかも」

「えっ」

「どうしよう。スマホの電子マネー使うから、現金持ってきてないんだ。取りに戻るしかないか。ごめん、今日はここで別れよ」

「ま、待って!」


カフェに戻ろうとすると、悠夏は両手で私の手を少し引っ張った。


「......私、現金持ってる。だから、切符買ってあげるよ」

「え、悪いよ」

「いいの。東京で初めて会った日、ファミレスでご馳走になっちゃったから。小さいけど、そのお返し」

「でも......」

「それと......もう少し二人でいたいの」


悠夏が上目遣いで見つめてくる。


旅行に誘われたときと同じ目だ。


この顔でお願いされると弱い。


「分かった。甘えさせてもらいます」

「うん!」


頷いた悠夏は、券売機まで切符を買いに行ってくれた。さすがに繋いでいた手は離してしまったけど。



由香里さん。悔しいけど、あなたは正しいみたいです。



私、悠夏に依存しちゃってます。

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