忘れようとした気持ち(悠夏パート・現在②)
「
ファミレスで席に案内され、メニューを眺めているときに香月さんがそう尋ねてきた。
「8月。8月31日」
「夏だね。あれ、黛さんの『ゆうか』って、夏の字が入ってるよね?」
「うん。お母さんが先に『ゆうか』っていう名前を決めて、お父さんが字を当てたんだって。『夏に生まれたから、夏を入れよう』って。でも8月の終わりだから、そこまで夏って感じもしないんだけど」
「でも大学だと、夏休みのど真ん中だね」
「そっか。大学は夏休み長いんだね。私、一年生だからまだよく分かってないんだ」
私がそう言うと、香月さんは私の顔を見て固まっていた。
「一年生?」
「そう。一年浪人して、今年から東京に来たの」
「ああ、なるほどね。そうだったんだ。黛さん、どうしてるのかなって気になってたんだ。ほら私、中学校の頃に友達がいなかったでしょ?だから黛さんのことを誰かに聞くこともできなくて」
「気にしてくれてたの?」
「うん。だって、やっと電車で一緒に話せるようになった頃にパタッと会えなくなっちゃったじゃん。気になって、黛さんが乗る電車に時間を合わせたりもしたよ。それでも会えなかったから、どうしちゃったのかなって」
「えっと......まあ、バイト始めたからかな。学校から少し歩いたところのコンビニでバイトを始めて、帰りが遅くなったから」
「なんだ。よかった。もしかしたら私、避けられてるのかなと思ってたし」
「そ、そんな訳ないでしょ」
そんな訳はない、こともない。確かに私も会いたくて、香月さんを探したこともあった。だけどあの日を境に、会いたかくても香月さんを避けるようになった。会いたいからこそ、会わないようにしていた。こんなことは、絶対に香月さんには言えない。
バイト先で先輩から言われて気になっていたことを確認すると、本当に香月さんは私と同じ大学だということが判明した。お互いに偶然ってあるんだね、なんて言いながらメニューに視線を戻した。
ドリンクバーで飲み物を汲んで席に戻ったときに、疑問に思ったことを訊いてみた。
「なんで急に私の誕生日を確認したの?」
「ああ。メニューをめくってたらワインの写真があったから気になったの。私たち今年で二十歳でしょ?それで訊いてみた」
「ああ、なるほど。香月さんは?」
「私は12月17日。まだまだ先だよ。だから、先に成人するのは黛さんだね」
「私の方が後輩なのにね」
二人で笑っているところに、ピザと取り皿が運ばれてきた。薄っぺらい、いかにもファミレスのピザという感じだけど、この親しみやすい感じが私は好きだ。それを切り分けて食べていると、それぞれが注文した料理も運ばれてきた。
それからは、香月さんが東京に来てからの話を聞いた。大学で出来た友達が面白いという話や、バイトをしているカフェの話。一人暮らしは楽しいけど大変だよというアドバイス。緊張していても、久しぶりに香月さんの話を聞けるのは楽しい。考えてみれば、私たちは中学校の教室と電車でしか会話をしたことがなかったから、こうやって一緒にご飯を食べているという状況は初めてだ。
「黛さんはどう?東京の一人暮らしは」
「まだ慣れないかな」
「親みたいなこと訊くけど、ちゃんと食べてる?」
「うん。大体コンビニだけど」
「コンビニばっかりはダメだよ?今度、ご飯作りに行ってあげようか」
「い、いやいや。それは大丈夫」
「ええ?私、結構料理するの好きなんだ。美玖と真希......あ、その大学の友達にも結構評判いいんだから」
「へ、へぇ......」
香月さんは電車で話していた頃よりも、更に表情が豊かになっていた。黒かった髪の毛が少し茶色く染められているせいか、華やかでいかにも「東京の女子大生」という感じがした。
「髪の毛、染めたんだね」
「ああ、うん。東京に来てからね。美容院で『ちょっとだけ染めてみませんか?』って言われたから、『じゃあ、お願いします』みたいな感じで。それからずっと染めてるの。逆に黛さんは、茶色くするのやめたんだ」
「......というか、黒く染めてるの」
「え?あの色って地毛だったの?」
「そうだよ。高校の頃はもうちょっと明るくするために染めてたけど。中学校の頃は完全に地の色だよ。一年生の頃なんかはよく先生に『染めてるだろ』って言われてたけどね」
「私もてっきり染めているものかと。中学生で髪の毛染めるなんて凄いなと思ってたんだけど。なんで黒くしたの?」
「......まあ、なんとなく」
自分を変えようとして染めた、なんて言えない。
「だから私、最初に黛さんにレジで会計してもらったときに気が付かなかったんだよ。帰りの電車の中でやっと黛さんだったんだって分かったの」
「やっぱりそうだったんだ。私はすぐに気付いたけど香月さんは淡々としてたから、ああ、これは忘れられちゃったかなと思ってたんだ」
「ごめんね。まさか東京にいると思わなかったから。それも、私がよく行くあのお店に」
「みたいだね。仕事を教えてくれている先輩が『あの人、よく来てくれるんだよ』って言ってたから」
「やっぱり覚えられてるんだ」
香月さんは苦笑いすると、残り少ないオレンジジュースを飲み干して席を立つ。ドリンクバーへ向かう香月さんの背中を見ながら、ここまでの自分を振り返る。
大丈夫だよね?私、ちゃんと香月さんと話せてるよね?
......顔、赤くなってないよね?
「黛さんは地元に友達も多いでしょ?こっちに来てる友達とかいないの?」
グラスにファミレス以外で見たことがない緑色のメロンソーダを汲んで戻って来た香月さんが、座りながら私に尋ねてきた。
やっぱり香月さんの中の私の印象は、電車で一緒に喋りながら帰ったあの頃のまま止まっているんだな。まあ、会っていなかったのだから当然だけど。せっかく楽しく話している場で私の過去の話をする気にはなれず、なるべく香月さんの中の「黛さん」を崩さないようにごまかす。
「こっちにはいないけど、連絡は取ってるかな」
「そっか。私もいないんだ。だから黛さんが東京に来てくれて良かったよ。しかも同じ大学。学年は違うけど、まさか東京でまた同じ学校に通うことになるなんてね。せっかく友達同士、同じ大学に入ったんだからこれからも遊ぼうよ」
「う、うん」
すると、香月さんは「はい」と言ってスマホを差し出した。
「なに?」
「連絡先。交換しようよ。高校のときにしてなかったから」
「ああ、そ、そうだったね」
私のスマホの連絡先の一番上に、香月さんの名前が加わった。あの頃、結局聞けずじまいだった香月さんの連絡先。そのすぐ下にはお母さん、そしてその下からは朱里や湊美など、やり取りをした順番に友達の名前が並ぶ。秀太や海斗など高校のクラスメイト、もう少し下には中学の頃の友達の名前がある。
四日前にやり取りをしたお母さんの名前のすぐ下には、朱里の名前がある。久しぶりにその名前を押してみると、彼女とのやり取りが表示された。最後のやり取りは「じゃあね」「じゃあね」という短い言葉で交わされていた。高校の帰りの電車を待っているときのお決まりだったやり取り。二年前のこのやり取りを最後に、朱里との連絡は途切れている。今この画面を見せたら、香月さんはどう思うだろうか。
*********
アパートに到着して部屋に入り、そのままベッドの上に転がった。朝にこの部屋を出て行った時は、こんなことになるとは想像もしていなかった。またどうせ、一人で寂しくコンビニのパスタなんかをここで食べていると思ってた。それが、香月さんと一緒にご飯を食べて、おまけに「私が強引に誘っちゃったから」と言ってご馳走になってしまった。次は私が出さなきゃな。そう思っていると丁度、香月さんからメッセージが来た。
『今日はごめんね。楽しかったよ。月曜のお昼、もし大学にいたら学食でお昼食べない?』
そうか。同じ大学にいるから、会おうと思えば会えるんだな。
『わかった。またその時間になったら連絡するね』
『うん。誰かと予定あったら無理しないでね』
『了解』
何も書かれていなかった香月さんとのメッセージの画面に、初めて会話が描かれた。その画面を眺めているだけで、なんだか顔が熱くなってくる。
私の向かいに座っていた香月さんの言葉を思い返す。
「気になって、黛さんが乗る電車に時間を合わせたりもしたよ」
知らなかった。あの時、会いたいと思っていたのは私だけじゃなかったんだ。初めて知る事実に嬉しく思いながらも、三年以上も前の記憶に縋りついて一喜一憂している自分を、冷静に気持ち悪いとも思う。
香月さんは「友達同士、同じ大学にいるんだからこれからも遊ぼうよ」と言ってくれた。香月さんは私のことを友達だと思ってくれているのなら、私もそれに応えたい。
香月さんのことを考えていると、あの頃の気持ちがだんだんと蘇ってきてしまう。ここが東京であることも、自分が大学生になったことも忘れそうになる。今日の昼間、香月さんに声をかけられてから、あのドキドキが帰って来てしまった。この気持ちは、心に蓋をして閉じ込めておいたはずなのに。少し隙を見せた途端、あっという間に私の心はこのドキドキで埋め尽くされてしまっている。
次に大学で香月さんと会う前に、この気持ちに蓋をしなければ。
*********
『食堂で待ってるね』
授業中に届いたこのメッセージに『分かった』と返信をして、チャイムが鳴ると同時にすぐに教室を出た。いつも学生で溢れているあの食堂には入ったことがない。人が多い場所に単独で突入するなんて、そんな無謀なことをする気にはなれなかったけど、香月さんがいるなら大丈夫だろう。
食堂の入口から覗くと、やっぱり相変わらず人が多い。座席は結構多いと思うけど、空席があるようには見えない。恐る恐る中へ入っていくと、奥の方の席で手を振る香月さんが見えた。安心してもっと近づいてみると、同じテーブルには香月さんの他に、二人の女の子がいた。
「席、取っておいたよ」
「ありがとう」
「それで、この二人。昨日言った、美玖と真希」
「ああ......」
その2人は、ニコニコしながら手を振っている。
「私たちも一緒でいい?」
「あ、はい。もちろん」
「じゃあ、食券買いに行こうか」
初めての食堂。仕組みはよく分かっていないから、三人の後ろをついて歩く。食券機で適当にカレーライスの食券を買い、また先を進む三人を追う。受取口でカレーを受け取り、席に戻った。
「柊と同級生なんでしょ?」
食べ始めてから少しして、美玖さんが尋ねてきた。
「えっと......はい。中学二年生のときに同じクラスでした」
「どんな子だった?」
「まあ、どちらかと言えば大人しい感じですかね」
「どちらかと言えばじゃなくて、完全に大人しかったよ」
笑いながら香月さんが指摘してくる。
「友達いなかったって言ってたもんね」
真希さんも話に入ってくる。髪の色が暗い方が真希さんか。
「そうだよ。完全に一人ぼっち。そんな中で、唯一話しかけてくれたのが黛さんだったの」
「へえ。じゃあ、たった一人の友達だったんだ」
「っていう訳でもないんだけど」
え?と言って美玖さんと真希さんが私の方を見てきたから、私が説明をした。中学校の頃は私がしつこくしてしまい友達にはなれなかったこと、高校に入ってから再会して仲良く喋れるようになったこと、だけど連絡先を交換したのは昨日だということ。
「なんか、複雑な距離感だね」
「そう。だから、やっと一緒にいられるって感じ」
香月さんは笑顔で二人にそう言った。嬉しそうに話してくれているように見えるのは気のせいだろうか。
三人が楽しそうに話しているのを聞きながら、カレーライスを食べ終わった。結構美味しかった。見ると、三人もほとんど食べ終わっていた。きっとこの三人は、大学で出会ってからずっとこんな感じで楽しく過ごしてきたんだろうな。
「黛さん、この後は授業あるの?」
時計を見ながら香月さんから訊かれた。
「うん。一つだけ。今日はそれで終わり」
「私たちはもう終わりなんだ」
そう言うと、真希さんが「あっ」と声を上げた。
「もしかして、倫理学?」
「ああ、そうです」
「私も去年取ってたんだ。難しいでしょ」
「はい。先生が何を言っているのかよくわからなくて」
「そうなんだよ。あの先生、ひたすらマイクで喋り続けるだけだから」
「ああ。去年、真希が文句言ってたあの先生ね」
香月さんと美玖さんも心当たりがあるようだった。
「そうだよ。柊は倫理学、取ってなかったからね。授業のこと聞けないから大変だったよ。美玖はそもそも頼りにならないし。だから、分からないことがあったら私に聞いてね」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ、出ようか」
私たちは一斉に立ち上がり、食器が乗ったトレーを持ち上げて席を離れる。返却口にそれを置いて、また三人の後ろをついて行く。
「あ、一つだけいい?」
食堂から出たところで、美玖さんがこう言った。
「は、はい。なんですか?」
「それ、やめてよ」
それ、とは?
「何をですか?」
「それだって。敬語。同い年なんだから、普通にタメ口でいいでしょ。柊とは普通に喋るのに、私と真希には敬語ってなんか疲れない?」
「でも、同い年とはいえ大学では私が後輩ですし」
「そんなこと気にしないで。柊の友達は、私たちの友達。友達同士は敬語は使わない。オーケー?」
「は、はい」
「はい、じゃなくて?」
「......オーケー」
「よし」
大きく頷いた美玖さんは、妙に満足気に笑った。
「じゃあね、黛さん」
そう言って香月さんは三人と一緒に歩き出した。真希さんも小さく手を振ってくれた。恥ずかしいけど、私も振り返してみた。大学の出口へ向かって歩き出した三人が醸し出す雰囲気は、誰がどう見ても友達だと分かるくらい楽し気だった。
柊の友達は、私たちの友達......か。
あの輪の中に、私も入れるのかな。
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