またしても、想定外 前編(柊パート・過去④)
高校二年生になってからも、将平との関係は続いていた。その間にもデートを重ね、確かに将平とは前よりも仲良くなっていた。世間のカップルが経験するようなことも大体は経験した。最初の頃は手を繋ぐだけであの妙な緊張が訪れていたが、この頃には恋人らしい雰囲気の場面を迎えてもそんなことは無くなっていた。
だからと言って、違和感が消えたのかと言えば嘘になる。手を繋いだりキスをしたり。そんな場面でも、何も特別な感情を抱くことはなかった。自分にとっては初めての彼氏だったが、恋人というのは慣れてしまえばこんなものなのかなと思い始めていた。
夏休みに入ると、予備校で夏期講習が始まった。ほとんどの日をバイトと夏期講習に費やしていたために将平と直接会うことはほとんどなくなり、夜に電話をする程度だった。奈月ともバイト以外で顔を合わせることはないまま、夏休みも残り一週間を切った頃。そろそろ眠ろうかとベッドに入った直後に奈月から電話があった。
「今度の土日、どこかに泊まりに行こう」
確かに、夏休み最後の土日は夏期講習もバイトもなかった。このまま、忙しいのに退屈な夏休みで終わりたくはない。そう思っていた私は即答した。
「よし、行こう」
そんな短い会話だけで、私たちの小さな旅行が決定した。不運なことに私たちの高校には修学旅行がなく、いつか自分たちで行ければいいねと話していたのだ。とは言え、そこまで遠くに行くことはできず、電車とバスで行ける場所にあるリゾートホテルを奈月が予約してくれた。
当日、ホテルに到着したのは十五時時頃だった。リゾートホテルと言ってもそこまで立派なものではなく、山に囲まれた中にあって外観からはそれなりに歴史を感じさせるような場所だった。ホテルの中にはゲームセンターやカラオケ、プールにボウリング場などがありながら、大浴場はしっかり温泉になっている。高校生が一泊だけするには十分すぎるホテルだった。部屋には二台のシングルベッドが並ぶ単純な洋室に見えたが、部屋の中にある引き戸を開けると、六畳程度の畳が敷かれたスペースもあった。窓からは辺り一面に広がる山が見える。
部屋に荷物を置いた私たちは、またすぐにホテルを出た。三十分程歩いてようやく到着したコンビニで、お菓子やジュースを買い込んで戻る。たったそれだけで一時間以上が経過していた。私たちは温泉で汗を流し、部屋に戻って二人だけのパーティーを始めた。と言っても、テレビを観ながらずっと喋っていただけだが。何度かお邪魔した奈月の家や、私の家に奈月が来たときとやっていることは何も変わらなかったが、わざわざホテルまで来ているという高揚感からか、普段よりもやけに楽しかった。
ダラダラとお菓子を食べ続けていたために夕食のバイキングでは二人ともあまり食べることができず、すぐに部屋へ戻ってしまった。営業時間が終わるギリギリにボウリング場へ駆け込んで急いでボウリングを楽しみ、もう一度温泉に入った頃にはもう夜九時になっていた。
部屋に戻った私たちは部屋全体の灯りを消し、枕元のライトだけを点けた状態で隣り合うベッドの上から、煌々と輝くテレビをぼんやり眺めていた。二人とも特に番組の内容には興味はなく、ただ映像を眺めているだけだった。
私はこの旅行中に将平との関係について奈月に相談しようと決めていたが、ホテルに到着してからはずっと楽しい時間だけが流れ、すっかりタイミングを見失っていた。話すなら今だ。そう思った私は、奈月がベッドまで持ってきていたテレビのリモコンで音量を下げてから、こう切り出した。
「奈月、ちょっと話があるんだけどさ」
「彼氏のこと?」
相変わらずの鋭さで奈月は話題を言い当てた。
「うん。一つ訊きたいことがあって」
「なに?」
「改まって訊くのも恥ずかしいんだけどさ。奈月も彼氏と、その......いろいろしたりする?」
「いろいろって?」
「いろいろは......いろいろだよ」
「うん。いろいろするよ」
「そのときって、どんな気持ち?ドキドキしたりする?」
「うーん......してるかな。もちろん一緒にいる時はドキドキはしてるけど、『触れ合う』ときが一番ドキドキしてる」
「付き合って何年経っても、まだ変わらない?」
「うん。むしろ増してるかも。触れ合いながら『私はこの人のことが好きなんだなぁ』って改めて思う」
やはり私の気持ちとは違うようだった。私が将平のことが好きなのは確かだ。でもその「好き」がドキドキには結び付かなかった。
「どうしてそんなことが気になるの?」
「私の気持ちはそうじゃないんだ。将平といる時は楽しいんだけど、奈月の言う『触れ合う』ときは正直、楽しいとは言えなくて。最初の頃はドキドキしていたけど、それも単純に緊張からくるもので。今は何も思わないようになっちゃった。もしかしたら緊張を消すために、何も考えないようにしてるのかも」
「そういうことをするのが嫌なの?」
そう訊かれて、黙り込んでしまった。
嫌ではない、と言い切ることができなかったからだ。
そんな私を心配してか、奈月はベッドから体を起こして覗き込むように私を見た。
「まさか、アイツから無理矢理されたりしてないよね?」
「し、してない。そこは大丈夫」
私も体を起こし、二人で向かい合うようにベッドに腰掛ける形になった。
「将平と一緒にいるのは楽しいんだ。それは確かだと思う。でも、それだと友達と変わらないんじゃないかなと思って。私は、二人で『触れ合う』ことをするのが恋人と友達の大きな違いだと思ってるんだけど、それにドキドキしていない、むしろそれが無い方が楽しくいられるっていうのはどういうことだろうなって。でも別れたくもないのも確かでさ。なんとか将平に求められたことに応えたいとは思うんだけど......深く考えると混乱してくる」
「なるほど」
「奈月の彼氏はもともと友達だったんでしょ?付き合う前と後って何か違ったりする?」
「うーん......全然違うかも。友達だった頃は無邪気に遊ぶのが楽しかったし、二人きりでも大勢でも、とにかく一緒にいるのが楽しかった。でも、恋愛的な意味で好きなんだなって自覚してからは、一緒にいると楽しいだけじゃなくて『嬉しい』って思うようになったかな。それこそずっとドキドキして。自分以外の誰かと楽しそうにしているところを見ると、モヤモヤしたり。とにかく、もう好きすぎておかしくなりそうなくらい」
普段は割とクールな奈月から「好きすぎておかしくなりそう」という言葉が出たことを意外に思いながらも、それを聞いて、自分が将平に対して抱えている気持ちが、恋愛のそれとは違うのではないかという思いが更に強くなり始めていた。仮に奈月が将平と楽しそうに喋っていても、私はきっと何も思わないだろう。三人で遊ぼうと言われても、むしろ楽しそうだなと思ってしまうかもしれないと思った。
「柊はさっき『求められたことに応えたい』って言ってたけどさ。逆に柊は彼氏に何を求めてるの?」
また黙り込んでしまった。そんなことは考えたこともなかったからだ。私は一体、将平に何を求めているのか。考えても考えても、何も浮かんでこない。しばらく考え込んでいる私に、奈月は優しい声でこう言った。
「柊に恋愛はまだ早かったのかもね」
「え?」
「それだけ考えても何も出てこないってことは確かに柊の言う通り、まだアイツのことが好きじゃないのかもね。恋愛的には。告白されたって聞いて、付き合ってみたらって勧めたのは私だから勝手なことは言えないけど。柊がこれからも彼氏と一緒にいる内に好きになっていく可能性もあるかもしれないし、そうなりたいって思うなら、まだ一緒にいるのも良いと思う。せっかく付き合ってるんだから、もう少し頑張ってみたら?っていうのが私の素直な想い。だけどこれは柊の話だから、もちろん最終的には柊の決断を応援するけど」
「......うん。ほんの少しだけど、気持ちが落ち着いた気がする。ありがとう」
私は将平に何を求めるのか。私は将平とどうなっていきたいのか。自分の気持ちを考える上での材料が増えただけでも、奈月に相談してよかったと思えた。
「人から恋愛の相談を受けることなんて、柊からしかないから。偉そうなことを言ってるけど、正直自分でもよく分かってないんだ。柊の相談に答えながら、『私って、こう思ってたんだ』って気づいたりするくらいだし」
「そうなんだ。奈月は私にとっては、彼氏がいる歴では先輩だから凄く頼もしいんだけど」
私のその言葉を聞いた奈月は一瞬だけ黙ったあと、私の傍に置かれていたリモコンでテレビを消した。更に暗くなった部屋の中、奈月がこう切り出した。
「......ねえ。この際だから、私も話したいことがあるんだけど」
「なに?」
「このことを柊に言うつもりはなかったんだけど。こんなに柊が自分のことを話してくれているのなら、私も言うべきかなと思って。それに、柊なら受け止めてくれる気がして」
「ええ?なになに」
「私、ずっと嘘ついてた」
「嘘?」
奈月は少し姿勢を正すと、ふうっと息を吐いた。
「私、彼氏いないんだ」
「......は?」
何を言っているんだ。じゃあ今までのアドバイスは何だったの?
混乱している私の目を見て、奈月はこう言った。
「......彼女がいるの」
「......カノジョ?」
「うん」
「女の子が好きなの」
あまりにも予想外の発言に、私の混乱は更に加速した。頭の中で何度も奈月の言葉を繰り返し、ようやく奈月が言っている意味を理解した。それでも何と言えばいいのか分からず、「ああ......」とだけ声を絞り出して、座っていたベッドにそのまま倒れ込んだ。
「びっくりした?」
「うん。人生で一番の衝撃だったかもしれない」
「そうだよね」
それから、しばらく沈黙が流れた。私はどう言ってあげればいいのか分からず、きっと奈月も打ち明けたもののどうすればいいのか分からなかったのだと思う。
「その......今まで話してくれた彼氏っていうのが、本当は彼女だったってことかな?」
「そういうこと」
「じゃあその話とか、奈月のアドバイスとか。それは嘘じゃないんだよね?」
「うん」
「そっか......それなら何も問題はないんじゃないかな。奈月が女の子が好きで、いままでの話が彼氏じゃなくて彼女の話だったとしても、恋人の話であることには変わりないし」
「その......私を見る目が変わったりする?」
「どうだろう。まだ聞かされたばかりだから分からないけど、変わらないと思うよ?」
「気持ち悪くない?」
「それはない。むしろ、話してくれたことが嬉しいよ。私も奈月に信頼されてるってことが分かったから」
「ありがとう。でも、柊みたいな人ばかりじゃないと思うんだ。気持ち悪がられるのが怖くて、今まで誰にも話してこなかった。私と彼女の間だけの秘密」
「そんな秘密、私に言ってよかったの?」
「わからない。彼女に怒られるかも。でも、いつか誰かに言いたいっていう想いもあったから。柊に言えただけでも、かなりスッキリした」
それまで奈月の中に溜まっていた「彼女のことを話したい」という欲が、私に打ち明けたことで一気に溢れ出したらしく、それから奈月は延々と彼女との惚気話を続けた。付き合い始めた時の話なんか、聴いている私まで照れてしまった。
「ねえ奈月。一応確認していいかな?」
「なに?」
「その......奈月にとって私は何でしょうか?」
「へ?どういうこと?」
「だから、私も一応女子な訳で......」
そう尋ねると奈月はフフッと笑い、こう言った。
「大丈夫。柊はタイプじゃないから安心して。自分より背が高い人が好きなの。寝込みを襲ったりなんかしないから」
「なんか、告白してないのにフラれた感じがする......」
「なにそれ。柊はずっと親友だよ」
「ありがとう」
すっかり眠気が飛んでしまった私たちは、それからもずっと喋り続けた。
「せっかく何も予定がない土日だったのに、彼女と遊ばなくてよかったの?それこそ、こんな所で私なんかと一緒でいいの?」
「大丈夫。彼女とは夏休み終わってから約束してるよ。まあ、今日のことは言ってないけど」
「え、大丈夫なの?」
「もしいつか私が彼女を紹介しても、今日のことは言わないでね」
「わ、悪い女......」
結局、外が明るくなってきた頃にようやく眠りに就いた。そしてチェックアウト時間ギリギリに奈月に叩き起こされ、朝食も食べずに急いで帰り支度をして部屋を出たのだった。
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