私は、そうなの? 後編(悠夏パート・過去④)

「やっと着いた!」


十月の修学旅行で、大阪駅に到着したところで朱里が叫んだ。


「長かったねぇ」


早朝に駅で集合した私たちは、新幹線を乗り継いで関西まで向かった。二週間前に修学旅行へ行ったという湊美の高校は飛行機に乗って一時間半ほどで着いたと聞いていたから、私の高校は無駄な時間を使っている気がしてならなかった。


 有名な観光名所を巡ったり、大きな商店街で食べ歩きをしたり、テーマパークの中をのんびり歩いたり。修学旅行のほとんどを朱里と二人で過ごした。


 テーマパークでお土産を選んでいるとき、朱里はやたらと気合が入っていた。やはり私に気を遣っていたのか本人は口に出さなかったが、同じマフラーを二本選び、ペアストラップを吟味しているその様子は、明らかに彼氏へのお土産を選んでいると分かった。一方の私は、家族へのお土産をさっさと選んだあとは、朱里の買い物が終わるのをぼんやり棚に並んだ商品を眺めながら待っているだけだった。湊美は二週間前に同じ場所へ来ていたし、お土産を買うほど親しい友達は同じ高校にしかいなかったからだ。中学の頃によく遊んでいた友達とは、湊美を覗いてほとんど連絡を取らなくなっていた。


 そんな風に修学旅行はあっという間に過ぎて行き、最後の夜を迎えた。初めの二泊とは違うホテルで、朱里との二人部屋だった。ここで私は、朱里に自分の悩みを打ち明けることを決心した。毎日のように一緒にいてくれて、悩んでいる私を心から心配してくれている朱里には、全てを話そうと思えた。


 朱里がベッドの上でのんびりしながら、旅行中に買ったお菓子を食べていた時に切り出した。


「朱里。ひとつ話したいことがあるの」

「え?なに?」

「前に話した、私が好きになった人のこと」


私からこの話を切り出すとは思っていなかったようで、朱里は驚いていた。


「なに?どうしたの?急に」

「朱里に話そうかどうかずっと迷ってたんだ。でも、ずっと一人で悩んでるのが辛くて。朱里なら相談に乗ってくれるかと思ったの」

「もちろん。私が応えられる相談ならなんでも聞くよ」


さっきまでダラダラとお菓子を食べていたとは思えないほど、すぐに朱里は真剣な表情になっていた。


「びっくりさせちゃうと思うんだけど」

「うん。なに?」

「その、私が好きになった人っていうのがね。......女の子なの」

「......え?」

「女の子を好きになっちゃったの」

「そ、そうなんだ......」


朱里は私から目を逸らし、横に並んだベッドの間へ視線を落とした。


「朱里から好きな人ができた時の気持ちを聞いて、この気持ちが恋なのかもって思ったの。朱里にも『それは恋だと思うよ』って言われて、確信した。私はあの子を好きになっちゃったんだなって」

「うん」

「私、片想いをしたのが初めてだったから。誰かを好きになったのが初めてだったから。今でも、その子を忘れることができないの。調べたら、同じ性別の人を好きになる人もいるって分かったんだけど、私が好きになったのはその子だけだから、分からないの。たまたま初めて好きになった人が女の子だっただけなのか、それとも私は女の子しか好きになれないのか。


 もし女の子しか好きになれなかったらどうしようとか、そのことを家族が知ったらどう思うか、今まで友達として一緒にいてくれた友達はどう思うのか......不安で仕方なくて。誰にも相談できなかったの。だけど朱里なら、私のこの悩みを聞いてくれるんじゃないかと思って......」

「そっか......」


ようやく悩みを打ち明けることができた私も、朱里と同じように視線を下げた。


「......びっくりした?」

「......うん」


そう言った朱里は、しばらく黙ってしまった。やっぱり、言うべきことじゃなかったかもしれない。せめて、修学旅行が終わってから言うべきだった。困ったように俯いてしまっている朱里を見て、少しずつ後悔が押し寄せてきた。


「ご、ごめんね。こんなこと言わなければよかったね」

「......なんで謝るの?」


顔を上げると、真っすぐな眼をした朱里と視線がぶつかった。


「だって、朱里を困らせちゃったから」

「困ってなんかないよ」

「でも......」

「でもじゃない!ずっと一人で悩んでたんでしょ?」


朱里の声が大きくなった。


「一人で抱え込まないでよ。私はなんでも相談に乗るっていったでしょ?親友の悠夏が一人で悩んでいるところを見ると、私まで苦しくなっちゃうから。悠夏は、いつも楽しそうな悠夏でいてほしいの。だから、少しでも辛いことがあったら、私に相談して?」


朱里のその言葉を聞いて、だんだん自分の眼が熱くなっていくのを感じた。


「うん......ありがとう」

「いいの。こっちこそ、ありがとう。打ち明けてくれて」


そう言った朱里はまた、いつもの笑顔に戻っていた。


「朱里」

「なに?」

「このことは、朱里にしか話してないんだ。他の人に話すつもりも今はないの。だから、私たちの間だけの秘密にしてほしい」

「うん。分かった」

「これからも私は、このことで悩み続けるかもしれない。また辛くなったら、朱里に相談してもいい?」

「もちろん」

「あの......頼りないかもしれないけど、朱里も何か相談したいことがあったら私に言ってね」

「うん。ありがとう」


 その夜は二人とも疲れていたこともあり、消灯時間よりも前にベッドに入った。そこで私は真っ暗な部屋の中で薄く見える天井を眺め、これからの自分の人生について考えていた。


朱里に打ち明けることができたように、他の人にも打ち明けることができる日はくるのかな。


湊美にも言える日がくるのかな。


家族にも言える日がくるのかな。


それまでも同じように考えることはあったけれど、それまでとは違い前向きに考えることができていた。


この悩みを朱里は受け入れてくれた。


きっと他のみんなも、受け入れてくれるはず。


悩みや迷いしかなかった私の気持ちに、少しずつ希望が見え始めていた。


よっぽど疲れていたのか、隣のベッドで既に寝息を立てていた朱里を見て思った。


あの日と同じように、朱里に悩みを打ち明けると気持ちが軽くなった。なんでも受け止めてくれる朱里を心から尊敬して、信頼していた。


朱里とは、いつまでも親友でいたい。あの時の私は確かにそう思っていた。



*********



 卒業式の日。ホールで一連の式が行われた後で、それぞれのクラスが教室へ戻って最後のホームルームをする。式ではクラスの代表が受け取った卒業証書を一人ずつ担任の先生から受け取り、短いスピーチをしていく。楽しそうに笑う人、淡々と感謝の気持ちを話す人、感極まって言葉に詰まってしまう人。色々な人がいた。一人が話し終わる度に、教室からは拍手が起こる。


「じゃあ次、黛悠夏」


 名前を呼ばれ、黒板の前まで向かった。先生から証書を受け取った私は「ありがとうございました」とだけ言って、小さくお辞儀をしてから自分の席に戻った。私の言葉の短さに戸惑ったのか、まばらな拍手が面倒くさそうに教室に響いた。窓際の一番後ろにある自分の席に座った私は、晴れた外をぼんやり眺めながら「早く終わらないかな」とだけ考えていた。


「三年間、お疲れ様。全員、これからも頑張ってくれよ」


長かった先生の話が終わり、解散となった。既にまとめていた荷物を持って、急いで教室を出た。下級生がそれぞれの部活の先輩などを待ちながら賑やかにしている間を縫うようにして歩き、一人で校舎から出た。その時の私には最早、この建物に対してなんの感情も抱いていなかった。


 それから一年間、私は予備校に通って勉強をした。早くこの場所から抜け出したい。苦しい思い出が詰まったこの場所から逃げ出したい。その一心で浪人生活をして、なんとか東京の大学に合格することができた。


 東京に引っ越したその日、髪の毛を黒く染めた。東京に来た私は、今までの私じゃない。なるべく目立たないように。友達なんて、もういらない。あんな思いをするくらいなら、ずっと孤独に生きていく。そう決意していた。


 香月さん......柊と再会するまでは。

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