特別な友達 前編(悠夏パート・現在④)
梅雨が明けた途端、大学や街には薄着の人が増えた。その光景を見ると、もうすぐそこまで夏が迫っていることを嫌でも実感させられる。外を歩いていると汗が滲み、いつもは苦行に近い満員電車も、クーラーが効いているだけ外を歩き続けるよりはまだマシに思えてしまう。
「いま降ります」
スマホに届いたメッセージを確認してから改札を通った。電車の乗客で混雑する駅の構内で、その人を探す。
「悠夏!こっち!」
声が聞こえてきた方を見ると、小さな子どものように柊がぴょんぴょん跳ねながら手を振っていた。
「お待たせ。すごい人だね」
「日曜だもんね。急いで電車乗っちゃおうか」
「そうだね。行こう」
柊から「映画を観に行こう」と誘われたのは三日前。柊が好きな小説家の本が映画化された作品で、私もバイト先にポスターを貼ったりしていたから情報は知っていた。せっかくなら映画だけではなく色々遊んで回ろうということになり、朝から私の最寄り駅で待ち合わせをした。
「いつか四人で遊びたい」と言っていた美玖さんのために柊はあの二人も誘ったのだけど、二人とも予定があるからと言って断られてしまった。最近、妙に美玖さんと真希さんがコソコソしているような気がする。大学が終わると二人でさっさと帰ってしまうし、私と柊に何かを隠している気がしてならない。近いうちに、少し探ってみよう。
映画館に到着すると、柊が予約していたチケットを発券してくれた。売店に並んでいた私に合流した柊がチケットを渡しながら「想像以上に混んでるね」と呟いた。
「そんなに人気なの?私たちが観る映画」
「予約したときはそこまで埋まってなかったんだけど」
そんな会話をしながら、どれだけの人が同じ映画を観るのか少し不安に思っていたけど、ロビーに溢れていた人のほとんどが人気のアニメ映画に入って行く光景を見て、私たちは目を会わせて苦笑いをした。一つのポップコーンと二本のドリンクを買った私たちは、エントランスを通ってシアターの中へ入った。
チケットに書かれた番号の座席に並んで座る。全体の座席の半分ほどが埋まっていた。客層はあまり若いとは言えない。おそらく私たちが一番若いだろう。あまり映画を観ない私が、この人たちと同じように楽しんで観れるのか不安になる。柊の好みは同世代よりも少し大人びているのだろうか。
本編が始まる前に予告編が流れている段階から、柊は楽しそうだった。自分の好みの映画の予告が流れると、「おお」とか「観ようかな」と呟いている。本当に映画が好きなんだろうな。
「柊はよく来るの?映画館」
「うん。美玖と真希と三人で来たことも何回かあるけど、基本的には一人で来ることが多い」
「私はあんまり映画館に来ないんだよね。昔に家族と何回か行ったことがあるだけ」
「そっか。楽しいよ。この落ち着く雰囲気が好きなんだ」
本当に好きなんだな。薄暗い照明の下だけど、柊の瞳が輝いているのが分かる。
考えてみれば、いつも柊と会っているのは大学とお互いのバイト先に顔を出したときくらいで、待ち合わせをして二人きりで出かけるのは再会したあの日の夜以来だ。
二人で出かけられるという事だけで嬉しいのに、柊が好きな場所に私を誘ってくれたという事実で舞い上がってしまいそうになる。
この恋を自覚してから私は、何度も忘れようとしてきた。それなのに、忘れそうになると柊の方から歩み寄って来てくれる。東京で声をかけてくれて、大学でも一緒にいてくれて、名前で呼び合おうと提案してくれた。この想いを忘れるどころか、どんどん大きくなっている気がする。
今の私はもはや、この気持ちを忘れることを諦めかけている。何度この気持ちを閉じ込めても、柊に会う度に、柊に名前を呼ばれる度に、私の胸はこの気持ちで埋め尽くされるからだ。
もちろん、柊が私と同じ気持ちを抱いていないことは分かっている。私のこの恋心は一方通行のまま。それでも、気持ちを捨てられずに悩み続けるなら、いつまでもこの幸せな片想いに浸っていようと思った。
劇場内の照明が消されて真っ暗になり、スクリーンの明るさが際立って目に飛び込んでくる。小学生の頃は不気味に思っていた、頭部がカメラの男による奇妙なダンスも、柊と一緒に観ているというだけで愛おしさすら感じた。
*********
映画館の外へ出て青い空を見た瞬間、妙な感覚に襲われた。きっと映画のラストシーンが星空の下だったからかもしれない。思いのほか映画にのめり込んでいたのか、すっかり体内の感覚が夜になっていたようだ。
「なんか変な感じがする。さっきまで夜だったのに、一気に明るくなったみたい」
私がそう言うと、柊は嬉しそうに笑った。
「でしょ?この感覚が好きなの。映画館を出た瞬間に、一気に現実に引き戻されるこの感覚。これは映画館でしか味わえないんだよね」
「確かに。観る前は私に理解できるか不安だったけど、気が付いたら夢中になってた。面白かったよ。柊はどうだった?」
「うん。面白かったよ。まあでも、原作を何回も読んでるからね。ストーリーが面白いというよりは、『このシーンはこうまとめたんだな』とか、『あのシーンはカットしちゃったのか』とか。そういう楽しみ方にはなっちゃうよね」
「なるほどね。私も読んでみようかな。本もあんまり読まないんだよね」
「貸してあげるよ!明日大学に持って行ってあげる」
「ほんと?ありがとう」
私たちは映画の感想を話しつつ、次にどこへ行こうか相談した。
「どうしようか?」
「お昼も食べないとね。悠夏はどこか行きたいところとかないの?」
「うーん。思いつかないなぁ。今日は柊が行きたい場所について行こうと思ってたから」
私がそう言うと、柊は恥ずかしそうに笑った。
「実は私も、映画が終わったら悠夏が行きたい場所に行こうと思ってたんだよね」
「そうなの?」
「うん。美玖と真希と遊ぶときも、基本的には二人について行くことばっかりだから」
「私はそもそも学校とバイト以外で出かけることが少ないから、まだ東京でどう遊んでいいのか分からないんだよね」
「そっか......どうしよう?」
「とりあえずお昼ご飯だよねぇ」
ゆっくり歩きながらそう話していると、柊が何かを思い出したように口を開いた。
「......あっ、私行きたい場所あった」
「ほんと?じゃあ、そこ行こうか」
*********
「ここでいいでしょ?」
「そうだね」
柊の「行きたい場所」とは、私たちが初めて二人でご飯を食べたファミレスだった。日曜の午後でも、お店の中は比較的空いている。
ご飯を食べながら、私たちの会話は最近の美玖さんと真希さんの話題になった。先に切り出したのは柊だ。
「あの二人、最近何か隠してるよね」
やっぱり柊も気が付いていた。よく考えれば柊とあの二人の付き合いは私よりも長いのだから、柊はもっと敏感に二人の異変を感じ取っていたのかもしれない。
「うん。絶対怪しいよね」
「本人たちは気づかれてないと思ってるのかな」
「だと思うけど。でも、わざわざ私たちに隠すことってある?」
「心当たりはないけどね。明日のお昼、二人で問い詰めてみようか」
柊が一気に意地悪な笑顔になった。
「い、いいの?確かに私も知りたいけど」
「なら訊こうよ。取り調べだよ」
いかにも悪いことを思いついたようなこの笑顔、由香里さんにそっくりだ。そう思ったけど、柊には言わないでおくことにする。
*********
「私たち、二人に報告があるんだ」
美玖さんと真希さんが何を隠しているのかを探るため、柊と二人で意気揚々と学食へ乗り込んだ。だけど、この話題へ先に踏み込んだのは、意外なことに美玖さんだった。
「なに?」
柊がそう訊くと、美玖さんと真希さんは顔を見合わせたあとに頷き、真希さんが「報告」をした。
「私たち、一緒に住むことにした」
それを聞き、今度は私たちが顔を見合わせてしまった。
「でも、美玖さんはあれからずっと真希さんのアパートで一緒にいるでしょ?」
「うん。でも二人だと狭いから、私と真希で別の場所に引っ越すことにしたの」
「ああ、なるほど......」
声に出して確認しなくても、お互いの空気感で分かる。きっと柊も私と同じことを考えているはず。すると柊が口を開いた。
「え、それだけ?」
ほら、やっぱり。私と同じ感想だ。
「それだけ?ってどういう意味」
「だって、ずっと二人がこそこそ何かしてたから。私たちに気付かれたらまずいことでもあるんじゃないかと思って。悠夏と二人で、今日はそのことを問い詰めようと思ってたんだから」
「あれ、バレてた?」
「当たり前でしょ?一年以上一緒にいるんだから」
「悠夏も気づいてたの?」
「うん」
「えー、そうなの?びっくりさせようと思ったんだけど」
美玖さんと真希さんが何故か残念そうな顔をしている。
「びっくりすることだったのかもしれないけど、期待値が高すぎた」
「勝手に期待しないでよ」
「それで、引っ越す家は決まったの?」
「まだ正式ではないけど、ほぼ決まり。小さいマンションなんだけど、今の私のアパートよりは広いから」
「ふーん......」
それから私が二人にマンションの場所や家賃の質問をしていたのだけど、その間の柊はひと言も喋っていない。向かいに座っていた真希さんも柊の異変に気が付いたようだった。
「柊、どうしたの?」
「......なにが?」
「なんか怒ってる?」
「全然怒ってないよ?」
「あれ、もしかして拗ねちゃった?私たちが柊に相談しなかったから」
美玖さんがニヤニヤしながらそう言うと、柊は少し口を尖らせながら「拗ねてないもん」と呟き、お皿の上の唐揚げを箸で転がし始めた。
あ、拗ねてる。
「柊、ごめんって。びっくりさせたかっただけなの」
「機嫌治してよ」
謝る美玖さんと真希さんの言葉をスルーし続け、昼休みが終わるまで柊はひと言も話さなかった。
柊は完全に拗ねてしまったようだ。
そんな柊が可愛いな、なんて思ってしまった。
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