特別な友達 後編(悠夏パート・現在④)
「へえ、あの二人一緒に住むんだ」
「みたいなんです。それで柊が拗ねちゃって」
「だから拗ねてないって」
由香里さんのカフェにお店が閉まる直前に行って、柊と三人でコーヒーを飲んでいる。由香里さんとお揃いの黒いエプロンを着てカウンターに立つ柊を見るのが好きで、毎週一回か二回はここを訪れている。由香里さんには色々なことを察知されそうで怖いから、気を抜かないように気を付けながら過ごすことにしている。
「あらら?柊ちゃんも一緒に住みたかったの?」
「違いますって。ただ、別に相談してくれてもよかったのになっていうだけです」
「ああ、仲間外れにされちゃったのが寂しいのね」
「別に?あの二人がお互いに、私よりも仲が良いことは分かってましたし。私には悠夏がいるからいいもん」
「んっ」
......不意にそういうことを言わないでほしい。特に由香里さんの前では危険だから。
「そうよ。あなたたちも一緒に住んじゃえばいいじゃない」
「い、いやいや。それはどうなのでしょうか」
「そうですね。悠夏、一緒に住んじゃおう!あの二人よりも大きいマンションに」
柊はカウンターの中から出てきて、私に訴えてくる。
「大きさで勝てばいいって問題じゃないでしょ!」
「悠夏ちゃんは嫌なの?」
「嫌なわけないじゃないですか。その、嫌じゃないからまずいというか、なんと言うか......柊に迷惑かけたくないんです!」
「明日からマンション探そうよ」
柊がぐっと近づいてくる。まるでコーヒーの飲みすぎで酔っ払ってしまったかのような勢いだ。
「ちょっ、どうしちゃったの?」
「美玖と真希に負けてられない。私たちを放っておいて一緒に住むなんて。だから、ね?私たちも」
柊は拗ねているというか、もはや嫉妬しているようにすら見える。真剣な顔で一緒に住もうと誘ってくる柊は、あの二人への対抗心で完全に変なモードに入ってしまっているみたいだ。
柊と一緒に住むなんて。想像するだけで私の身が持たない。会う度に好きになっていくのに、家に帰っても一緒にいるなんて......なんだか顔が熱くなってきた。これは早く、柊を落ち着かせなくては。
「そ、そんなに急いで美玖さんと真希さんの真似する必要ないって。別に一緒に住まなくたって友達でしょ?それに二人だって柊のことを放っておくとか、そんなつもりじゃないって」
「......そうかな?」
「そうだよ。だって美玖さんが私に『柊の友達は私たちの友達だよ』って言ってくれたんだよ?あの二人とは大学に入ってから一年以上ずっと一緒にいるんでしょ?二人が一緒に住んだくらいで、柊を見捨てる訳ないじゃん」
「......うん」
「柊があの二人に私を会わせてくれたでしょ?『黛さんも二人と友達になれると思った』って。私もそれに感謝してるんだから。そんな寂しいこと言わないでよ。美玖さんと真希さんのこと、好きなんでしょ?」
「......そうだね。ごめんなさい、少し取り乱しました」
そう言って、柊はカウンター席に腰を下ろした。
「ちょっと。私が放っておかれてるんですけど」
「あ、ごめんなさい。由香里さんのこと忘れてました」
「ひどい。でも、放っておかれている間に聞いていたけど、悠夏ちゃんの言う通りだと思う。今のあなたたちの会話を聞いてると、すごく仲が良いのが伝わってくるもの。初めて悠夏ちゃんがここに来たときは、まだ二人とも緊張しているように見えたけど。今はすごく自然体に見えるし、『親友』って感じがする。一緒に住むとか、そんなの関係ない。お互いがお互いにとって特別な存在だって分かっていればいいじゃない。もちろん、美玖ちゃんと真希ちゃんのこともね」
由香里さんが、今までより格段に大人の女性に見えた。
「......なんか、由香里さんにそんなことを言われるのって悔しいです」
「どういう意味よ。ほら、落ち着きなさい」
そう言うと由香里さんは柊の前にそっと、コーヒーの入ったカップを置いた。それをひと口飲んだ柊がポツリと呟いた。
「でも、最初に『あなたたちも一緒に住んじゃえばいいじゃない』って
「あれ、そうだっけ?」
ああ、いつもの由香里さんだ。
*********
「美玖と真希が特別に仲が良いのは分かってたつもりなんだけどな」
カフェからの帰り道、左隣を歩く柊が言った。
「そんな二人と一緒にいながら、会話を聞いたり遊びに行ったりするのが好きだったはずなんだけど。でも二人が一緒に住むって聞いた途端、急に仲間外れにされるんじゃないかと思っちゃって。拗ねてたというより、寂しかったのかもしれない。急にそんな風になるなんて、変だよね」
柊は暗い地面に視線を落としながら、恥ずかしそうに笑っている。そんな柊の話を聞いて、私の頭には朱里や湊美たちの顔が浮かんできた。今はどこで何をしているのか分からない、昔の友達。
「変じゃないと思う。私も昔、同じような事を思ったから」
久しぶりに二人の顔を思い出して、昔のことを話せる気がした。それを自覚した瞬間、自分でも驚くほど自然に話し始めていた。
「中学校の頃に、ずっと一緒に遊んでた友達同士が付き合い始めたり、私は全然考えていなかった将来の話を始めたりして。ずっと一緒にいたのに、友達だけが成長していって私は置いて行かれちゃうんじゃないかって不安に思ってた。高校で新しくできた友達とも、ずっと一緒にいたいと思うくらい信頼してたんだけど......色々あって、そうもいかなくなっちゃって。
だから東京に来たときも、寂しくなるくらいなら友達はいらないかもって思ってたんだ。だけど、柊が話しかけてくれて、美玖さんと真希さんを紹介してくれて。仲良くなるのが怖かったんだけど、今はみんなと一緒にいれて本当に嬉しいし、毎日が楽しい。さっきも言ったけど、本当に柊には感謝してる。
中学生の時は私から話しかけたけど、今こうやって一緒にいれるのは、柊が声をかけてくれたおかげ。だから、そんな柊には私みたいに諦めてほしくないんだ」
こんなことを話せるようになったのは、間違いなく柊と美玖さん、真希さんのおかげだと思う。
きっと高校を卒業してからの私は「友達なんていらない」と本気で思っていた訳ではなくて、そう自分を騙していたんだ。もう傷つきたくなかったから。
そんな私に柊が手を差し伸べてくれた。その柊が友達との関係で寂しく思っているなら、今度は私が手を差し伸べたい。高校の頃とは違う。もう柊に歩み寄ることに怖気づいたりはしない。私の好きな人のためになるのなら。
「ありがとう。悠夏は優しいね」
「柊が優しいからだよ。優しさを返したいの」
「おかげで気持ちに整理がついたよ。美玖と真希の引っ越し、私たちで手伝おうね」
「もちろん。さっき柊が言っていたのと同じで、私も三人が楽しそうに喋ってるのを聞くのが好きだから」
「そっか。あの二人も、私たちの会話とか聞いてるのかな」
「どうだろうね」
「あの二人からも、私たちは特別仲良く見えてたら嬉しいな」
「......うん。そうだね」
「私は悠夏のこと、特別な友達だと思ってるからね」
私の顔を覗き込むようにして、柊の笑顔が視界に飛び込んできた。暗い道の中、ちょうど街灯の下を通った瞬間だったから、柊の笑顔がまともに飛び込んできた。
私にとっての「特別」と、柊の「特別」は違う。それは分かっていても、「特別な友達」と言われると飛び上がるくらい嬉しくて、幸せな気持ちになる。
「......私も」
「よかった」
次の瞬間、左手が急に温かくなった。見ると、柊が私の左手を右手で握っている。
「えっ!?ちょ、ちょっと!」
「どうしたの?」
「て、手......」
「繋ぎたくなったんだもん。美玖と真希もよく手を繋いで歩いてるし。特別な友達の証だよ」
「そ、そうなの?」
「......嫌?」
嫌じゃないんです。だから困るんです。
「嫌じゃない。けど......」
「じゃあ、いいじゃん。駅に着いたら離すから。ね?」
「......うん」
柊の温もりが左手を中心に体全体に流れ込んできて、夏の夜の蒸し暑さを上書きしていく。気を抜けば浮いてしまいそうなほど、心が不安定にふわふわしている。
黙ったまま。手を繋いだまま。柊と並んだまま、駅まで歩く。
激しく鳴る心臓の音は、柊にも聞こえているだろうか。
*********
「黛さんは夏休みにどこか行ったりするの?」
バイト先の休憩室で柊から借りた本を読んでいると、先輩に訊かれた。
「いえ、特にこれといった予定はないですけど」
「勿体ないよ。遊べる夏休みは二年生までだからね。三年生になると就活関係でいろいろ始まるし」
「ああ、そうですよね。先輩はどこか行ったりしました?」
「二年生のときに彼女と沖縄に行った」
「沖縄ですか。結構な旅行ですね」
「うん。一年生の頃から付き合ってて、彼女が『沖縄に行きたい』って言ってたんだけど、二人とも金がなくてさ。だから一年間バイト頑張って、やっと行けたんだよ」
「楽しかったですか?」
「最高。何も考えずにひたすら楽しんだよ。大学二年の夏休みって、もしかしたら一番楽しい時間かもしれない。黛さんは来年までの間に、やりたいことをできるだけやっておいた方がいいよ」
その言葉ではっとした。毎日のように柊や美玖さん、真希さんと一緒にいるから忘れかけていたけど、私はまだ一年生で、三人は二年生なんだ。
今はまだ時間も合って一緒に居てくれているけど、いつかはそうもいかなくなる。来年になれば柊たちは就職へ向けた準備に入る。私が三年になれば、柊たちは本格的に就活に入る。私が就活に入れば、四人はきっと既に社会へ飛び出している。
やりたいことを、できるだけやっておく......
「黛さん?」
「は、はいっ」
「そろそろ休憩終わりじゃない?」
「あ、そうですね。すみません」
途中から全く頭に入ってきていなかった本を閉じて、仕事に戻る。だけど私の頭の中は、そのことで埋め尽くされている。
柊と一緒に......
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