友情と恋の境(悠夏パート・現在③)

 香月さんと駅で別れた後、なんとなく家に帰る気にはなれずにアパートの近所を適当に散策した。アパートや一軒家が並ぶこの辺りを歩いていると、東京にもこんな場所があるんだなと意外に思う。あの頃はこの場所を特別に思っていたけれど、いざ足を踏み入れてみればなんてことはない、ただの街だ。


 この少しの高揚感はきっと、香月さんが「もちろん。友達だよ」と言ってくれたからだ。私と香月さんは、やっと友達になれたらしい。


 そしてもうひとつ。「友達だよ」と香月さんから言われることで、例の感情にケリをつけることができると思ったから。せっかく友達になれたのに、その感情に邪魔されるわけにはいかない。


 何も考えず、スマホのマップも見ずにひたすら歩いていた。細い道を適当に曲がりながら歩いていると、見慣れているはずの駅が違う角度で目の前に現れた。いつの間にか、別の道を経由してUターンしていたらしい。ようやくスマホを見ると、十七時時をとっくに過ぎていた。もう一時間以上ものんびり歩いていたことになる。それでも家に帰るよりは、まだどこかへ出かけていたい気分だ。どこかでご飯を食べようか。一人でも行けるような場所はどこだろう。


 そういえば、香月さんは今日バイトがあると言っていた。バイト先のカフェは、あのファミレスでなんとなく場所を聞いている。


 ......行ってみようかな。



*********



 初めて来る駅で降りて、スマホの地図を頼りに歩く。空は薄暗くなり始めていて、仕事を終えた人たちが私が歩く道を逆に歩いて行く。大きな通りから一つ外れた道に入ると、小さなカフェの看板が見えた。きっとあそこだ。でも前に置いてある小さな看板が暗くなっていて、営業しているような雰囲気は感じ取れない。


 近づいて中を覗くと、カウンターに女性が一人立っていて、その前にはこちらに背を向けた香月さんが座っていいた。なんだかそのカウンターの女性は楽しそうに笑っている。香月さんの表情は見えない。入ろうと思ったけど、ドアには思いきり「CLOSE」という札が下がっている。もう終わっちゃったのか。ここまで来ちゃったけど、どうしよう。


 悩んでいたら、カウンターの女性と目が合ってしまった。その女性が何かを言って、香月さんもこちらを振り向く。香月さんが驚いているのがドア越しに分かる。「どうしたの!?」と驚く声が漏れてきた。いざ見つかってしまうと、恥ずかしくなってくるな。



*********



「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。すみません。わざわざ開けて頂いて」

「いいえ。せっかく来てくれたんだから。ちょっと待っててね。今からご飯作るから」

「申し訳ないです」


すごく大人っぽい女の人だ。ファミレスで香月さんが言っていたような、子供っぽい人には思えないけれど。


「びっくりしたよ。まさかここに黛さんが来るなんて」

「どこかでご飯食べたいなと思って。香月さんがバイトだって言ってたことを思い出したんだけど。時間的にも開いているか分からなかったけど、勢いで来ちゃった」

「なんか嬉しい」

「前に私のバイト先に香月さんが来てくれたからね。今度は私の番」

「そうなるね。ああ、そうだ。この人が店主の由香里さん。前に話したよね?」

「うん」

「柊ちゃんにどんな風に言われたの?」


料理をしている由香里さんに訊かれた。ここは正直に言おう。


「ええと......子供っぽい人だって」


それを聞いた由香里さんは、なんだって?と冗談っぽく言いながら笑った。


「だってそうじゃないですか。気分ですぐお店閉めちゃうし、勝手に私の話で盛り上がるし」

「せっかく初対面だから大人っぽく振る舞おうとしたのに、台無しじゃない。さっき話した私の昔話を聞いても、まだ子供っぽいって言える?」

「まあ、確かに大人なんだなとは思いましたけど」

「柊ちゃんね、さっきまで私に散々結婚の話とか高校時代の話とか訊いてきたんだよ」


由香里さんがフライパンで何かを炒めながら、少し大きな声で言った。


「高校時代の話は想定外でしたけどね」


それに対抗して香月さんも大きな声を出す。


「結婚の話?」

「うん。いつも私に彼氏はいないのか、とか訊いてくるから。逆に私から訊いてみたの。当分結婚はなさそうだよ」


こんな意地悪そうな香月さんの顔、初めて見た。


「余計なお世話よ」


そう言いながら、由香里さんは私たちの前に二人前のオムライスを置いてくれた。オシャレなお皿に乗った綺麗なオムライスだ。


「こんなものしか作れないけど」

「とんでもないです。美味しそうじゃないですか」

「いただきまーす」


目の前で作ってくれたオムライス。すごく美味しい。実家で食べたオムライスも美味しいけど、正直由香里さんの勝ちかな。


「美味しいです」

「ありがとう。可愛い娘ねぇ。名前なんだっけ?」

「黛悠夏です」

「悠夏ちゃんね。これからも来てね。いつでも開けてあげるから」

「ありがとうございます」


香月さんが言うような子供っぽい人だとは思えない。すごく綺麗で、格好いい人だけどな。


「そうだ。悠夏ちゃん知らない?柊ちゃんが高校の頃に付き合っていた彼氏のこと」

「え?」

「やめてくださいよ。せっかくその話題が終わったと思ったのに」

「やめる訳ないでしょ。知り合ってから一年で、やっと柊ちゃんから男の話題が出たんだから。逃さないよ」


だんだん由香里さんの顔が意地悪な顔になってきた。ついさっき見た香月さんの表情と似ている。


「ねえ、悠夏ちゃん知らないの?」

「黛さんは知らないですよ。知らないよね?」

「......うん。知らない」


ここは嘘をつくしかない。もし「知っている」なんて言ったら、香月さんからも由香里さんからも色々問い質されてしまう。要らないことまで言ってしまうかもしれない。


「ねえ、どんな彼氏だったの?」

「良い人ですよ。それなりに格好よかったし、勉強もできましたから。今、京都大学に通ってるんですよ」

「京都大学!?それは凄い」

「税理士を目指して、一年浪人して合格したんです」

「税理士かぁ。柊ちゃん、大きい魚を逃したねぇ」

「変な言い方しないでください」


知っているとはいえ、私はあのイルミネーションの下で見かけただけだ。そんな凄い彼氏だったなんて。踏ん切りをつけたい気持ちが、また少しずつ広がり始めている。コーヒーを飲んで落ち着こう。


「というか、今でも連絡取ってるの?『目指してます』とか、現在進行形な言い方だったけど」

「はい。たまにですけど」


そうなんだ......


「ヨリ戻したりしないの?いい男なんでしょ?」

「しませんよ。京都にいますし、今は友達ですから」


今は友達......


「どれくらい付き合ってたのよ」

「一年も付き合ってませんよ」

「ええ?それ彼氏って言えるの?」

「まあ、一応彼氏です」


私が見かけたあの日の時点で、二人が付き合ってどれくらい経っていたのだろう。


「どう思う?悠夏ちゃん」

「は、はい?」

「一年も付き合ってないってさ。どう思う?」

「えっと......人ぞれぞれでいいんじゃないでしょうか」

「ほら。私が付き合ってたって言ってるんだから。いいじゃないですか」

「なんで別れたのよ」

「いろいろあったんです。喧嘩別れとかじゃないですよ。むしろ、喧嘩は一回もしたことないです」

「ますます分からないんだけど」

「私たちにしか分からない事情があったんです」

「なーんだ。もっと面白い話だと思ってた。京都大学で税理士を目指してるっていう辺りは盛り上がったんだけど」


由香里さんが露骨に残念がっている。


「ねえ、悠夏ちゃんはどうなの?彼氏とか」


まずい。由香里さんの悪戯な笑顔のターゲットになってしまった。


「い、いません」

「本当?悠夏ちゃん可愛いのに。逆に男の選択肢が多すぎて選べない感じ?」

「違います、違います」


否定しているのに、由香里さんの雰囲気がどんどん楽しそうになっていく。ニヤニヤしているこの顔、なんだか不気味だ。


「......悠夏ちゃん、好きな人いるでしょ」


な、何を言い出すんだこの人は!


「い、いないです!」

「ちょっと。私と話すときのテンションを黛さんに向けないでくださいよ」

「だって、可愛いんだもん。悠夏ちゃん、顔赤いよ?」

「それは、お店のライトが当たっているからです!」


ダメだ。この人、やっぱり大人だ。全部を見抜かれている気がする。香月さんの横でこの話題は避けて欲しいのだけど、抵抗しても無駄な気がしてしまう。


「昔の話でも良いから。何かキュンキュンする話とかないの?」

「ないです。今まで誰かと付き合ったことなんてないですよ......」

「ええ?嘘だぁ」

「そうなの?意外だね」


待ってよ。香月さんまでそちら側に回らないでよ。


「中学校の頃、男子ともずっと仲良さそうに話してたから、誰かとは付き合ってるのかなと思ってた」

「へえ、そうだったの?」

「そうですよ。私は教室で一人ぼっち、黛さんはいつも大勢で楽しそうにしてる、全く逆の存在でしたよ」

「へえ。それはもう学生時代にモテる娘のルートに入ってるけどね」

「入ってません!」

「高校の頃、制服も可愛く着こなして綺麗な茶色い髪の毛で。モテたんじゃない?」


香月さん。新しい情報を由香里さんに提供しないで。


「私が思っていた感じとは違うな。むしろ柊ちゃんがそっちのタイプかと思ってた」

「全然です。高校でやっと友達ができたんですから」

「その話も面白そうだね」

「いつか気が向いたら話しますから。悠夏ちゃん、もう帰ろうか」


よかった。香月さんが正気に戻ってくれた。立ち上がった香月さんに続いて私も立ち上がる。


......あ、あれ?


今、私のことを......


「ごちそうさま、由香里さん」

「あ、ごちそうさまでした。美味しかったです」

「どうしたの?黛さん」


普段通りか。気のせいだったかな。


「いや、なんでもない」

「また来てね」

「はい」

「もう悠夏ちゃんを問い詰めるのはやめてくださいね」

「はーい」


......やっぱり。今は確実に言った。香月さんは気づいていないようで、カフェを出たところで笑いながら話しかけてくる。


「ごめんね。うるさいでしょ、由香里さん」

「ま、まあ。でも優しい人だと思う」

「悔しいけど、そうなんだよね」


なんだかモヤモヤするから、思い切って訊いてみる。


「香月さん?」

「なに?」

「さっき、私のこと『悠夏ちゃん』って呼んでたよ」

「えっ、嘘?」


やっぱり、覚えてなかったんだ


「本当。二回くらい」

「無意識だね......由香里さんがそう呼んでたから、移っちゃったのかも」


香月さんが恥ずかしそうに笑う。恥ずかしいのは私の方だよ。まだ香月さんと再会して数日だけど、地元に居た頃には見られなかった、いろんな表情を見ることができている。間近で香月さんの表情を見ると、どうしても顔を背けてしまう。仕返しに私も『柊ちゃん』と呼んでみようかと思ったけど、私の顔がまた顔が赤くなったら大変だから止めておく。


今、もう既に赤かったらどうしよう。

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