一人の世界(柊パート・過去①)

 初めてまゆずみさんと会話をしたのは中学二年生の時。制服が夏服に変わり、少し暑くなり始めた頃だった。クラスメイトは新たなクラスに慣れたようで、休み時間には下敷きで顔を扇ぎながら楽しそうに話していた。そんなクラスの中で私は、後ろの席でずっと本を読んでいた。


 小学生の頃からそうだった。学校に図書館があることに感激して、毎日お昼休みに本を借りては自分の席でずっと本を読んでいた。あまり覚えていないけど、友達が要らなかったわけでは無いと思う。


「一緒に遊ぼうよ」

「わたし、本を読むから」


こんな会話を繰り返していたら、誰も私に話しかけてこなくなっただけ。その末に行き着いた自分の状況など全く気にしていなかった。みんなが教室でおしゃべりしたり校庭で遊んでいるのと、私が1人で本を読んでいるのは同じこと。自分がやりたいことをやっているだけ。何も不思議に思わなかった。


 ところが、小学校高学年くらいになると少しずつ気がついてくる。どうやら私のような人は少数派だということに。


 本を読んでいても、周りの会話は耳に入ってくることがあった。ある日、いつものように休み時間に本を読んでいたら、ふと私の耳に近くの人たちの会話が飛び込んできた。


「あいつ、いつも本読んでるよな」

「だろ?俺も去年同じクラスだったけど、毎日あれだったよ」

「友達いないんだろうね」

「寂しいな」


私のことを言っているのだとすぐにわかった。教室中を見渡しても、独りぼっちで本を読んでいるのは私だけだったから。その時気が付いた。


私は友達がいないんだ。


私は寂しい人間なんだ。


 中学生になっても、私は変わらなかった。最初は本ばかり読むのを止めて、友達を作ろうかとも思った。でも、クラスの半分以上は私と同じ小学校の人。中学生になった途端に無理をしていると思われたくなかったから、結局その努力をすることもなかった。


 そしてある時、ふと気づく。私が独りぼっちで本を読むことで、みんなに迷惑をかけてる?いや、かけてないよね。じゃあ、何も問題ない。自分の好きなようにすればいいんだ。


 それからは自分に対して開き直ることができた。クラスの係の仕事なんかのことで事務的に話しかけてくる人には、ちゃんと対応する。それ以外は、ずっと本を読んで自分の世界に閉じこもる。それが私にとっては心地よかった。


 ただ、中学校に上がってからも厄介なことはあった。年に何度かある学校行事だ。文化祭に体育祭、合唱コンクール。なぜか中学校の行事は「団結」「協力」を求めてくる。クラスで団結することが素晴らしいことだという価値観を押し付けられる。それでみんなもすっかりその気になっちゃって。一年生の合唱コンクールの時なんか、真面目に練習しない数人に向かってクラスの男子が突然、「みんなで力を合わせようぜ!」なんて演説を始めて。何人かの女子がそれに感激して泣き始めたりして。私は寒気が止まらなかった。たしかその後、その『演説くん』と泣いていた女子の一人が付き合い始めたとか聞いた気がする。一人ぼっちで本を読んでいても、あれだけみんながその事で騒いでいたら、知りたくなくても耳に入ってくる。


 そんな感じで、中学生になると同級生の中に誰かと付き合い始める人たちが増え、彼氏や彼女と楽しそうに学校から帰ったりする人たちが目立った。私の偏見かもしれないが、誰かと付き合っている人は高確率で、学校行事のときにクラスの中心になろうとする人間だ。世間では『リア充』とか『陽キャ』とかって呼ばれる人間だろう。


 別に彼らが楽しく幸せにやるのは何も問題ないけど、そうではない私のような人間にもその雰囲気を押し付けられる事が嫌いだった。私は朝の読書の時間に大声でおしゃべりしてる人がいても、立ち上がって読書の大切さを熱く語ったりしないのに。もし演説したとしても、どうせ聞き入れる気もないだろうし。なぜだか「大勢で楽しくやろう」という考えの方が正当化されている気がしてならなかった。


 そんな日々の中。突然、私が苦手な『リア充』グループの一人の女子から声をかけられるようになってしまったのだ。


 授業の間の休み時間に、私の好きなミステリー小説を読んでいたとき。何の予兆もなくいきなり声をかけられた。


「ねぇ、なに読んでるの?」

「へ?な、なに?」

「どんな本読んでるのかなぁと思って」

「えっと......ミステリー小説」

「へぇ。面白い?」

「う、うん。面白い」

「そっか」

「......」


私から本の感想を聞いた彼女は、「悠夏!次の数学の宿題やった?」という友人の声に引っ張られるように「じゃあね」とだけ言って自分の席へ戻って行ってしまった。


 それが初めての会話だった。だけど、その前から彼女の名前は知っていた。


 黛悠夏まゆずみゆうかさん。一年の頃は別のクラスだったけど、昼休みには頻繁に私のクラスの男子のところに友達と来て楽しそうにおしゃべりしていた。茶色い髪の毛が目立っていたから、私でも彼女は顔と名前が一致して覚えていた。同じクラスになって分かったが、友達も多いみたいだった。


 そんな黛さんがなぜ私に話しかけてきたのかがさっぱりわからなかった。この一度きりならまだよかったのだが、それからも黛さんは時々思い出したように私に話しかけてきた。私の名前を覚えたようで、必ず名前を呼ばれてから会話が始まる。しかも、どの会話もほとんど内容がない短い会話だった。


「香月さん、また新しい本読んでるね」

「う、うん」

「本好きなんだね」


「香月さん、本が好きなら、国語は得意?」

「え、うーん......数学も好きだけど」

「やっぱり?授業で答えてたもんね」


「香月さん、下の名前はなんて読むの?」

「......しゅう」

「へぇ、かっこいい名前だね!」


 いつも黛さんに質問されて私が答える。それに対しての感想を言うと、すぐに黛さんは友達の元へ戻って行く。本当にただそれだけだった。


 たまに席に戻って行く黛さんを目で追っていると、彼女の友達と目が合うことがあった。決まってその友達は、私を不思議そうな目で見ていた。きっと黛さんのような友達がたくさんいる女子が、私のような独りぼっちの地味な女に話しかけている理由がわからなかったのだろう。だって私にもわからないもん。


 それまで教室ではずっと誰にも話しかけられずに過ごすことが当たり前だったから、黛さんに話しかけられるのは正直に言うと疲れた。自分の殻に閉じこもっているときに、その殻を外からこじ開けられている感覚。話しかけられたって気の利いた答えを言うこともできない。これはお互いにとって何か得があるのだろうか?そんな疑問が私の中で沸き上がっていた。


 とにかく、黛さんが話しかけてくること以外は特に変わった出来事もなく時は過ぎ、そのまま夏休みに突入していった。


 長い夏休みを挟んだら黛さんもきっと話しかけてこなくなるだろう、なんて思っていたのだが、休み明け初日から早速声をかけられた。


「ねえ、香月さんは夏休み何してた?」


本から黛さんの顔に視線を移すと、明らかに日焼けしていた。すぐにまた本に視線を戻して「特に何も」と答えた。


「ええ?せっかくの夏休みなのに。勿体ないよ」

「......別にいいでしょ」

「私はね、海に行ったよ。楽しかったよぉ」

「よかったね」

「香月さんも来年は海に行ってみなよ。楽しいから。じゃあね」


日焼けしようが何しようが、黛さんは相変わらず一方的に楽しそうに喋って自分の友達のところへ戻って行く。


 「海に行ってみなよ。楽しいから」という言葉。なんだか上から物を言われている気がした。まあ、私が座って黛さんは立っていたから、物理的に上から物を言われていたのだけど。身長も黛さんの方が高いし。忘れかけていた負の感情がじわじわと湧き上がるのを感じていた。

 

 その日の放課後、夏休み明けの委員会があった。委員会に入っている人は学校に残り、入っていない人はそれぞれ部活に行くか下校となる。一年生の頃はどこにも入らなかった私は、園芸委員会というところに入っていた。委員会決めの時に誰も入りたがらなかったから、なんとなく立候補してしまったのだ。委員会の集まりは特に発言を強要されることもなく、仕事といえば毎週水曜日に朝早く登校して花壇に水をあげることくらいの、すごく楽な委員会活動だった。


 たった二十分程度の会議を終えて教室に戻ると、電気も消えた薄暗い中で黛さんが自分の席にぽつりと座っていた。私が教室の戸を開けた音につられてこちらを振り向いた黛さんは、私の顔を見ると笑顔になり「委員会?」と訊ねてきた。その質問に私は、声も出さずに頷いた。早く帰れると思っていたところで声を掛けられ、一気に気分が沈んでしまったから。そんな私を気にも留めず、黛さんは話を続けた。


「委員会に入ってたんだ」

「......園芸委員会」

「ああ。去年は湊美みなみが入ってたよ」


湊美というのは、おそらく黛さんがいつも一緒にいた友達だろう。


「私は居残り中。今日の数学でやったプリントが終わらなくて」

「......電気くらい点けたら?」

「あ、忘れてた」


それまでの会話で一番長い会話だったと思う。いつもは黛さんがすぐに自分の席に戻って会話が終わっていたけど、その時は既に自分の席に座った状態で私に話しかけていたからだろう。


 さっと荷物を持って教室を出ようとしたが、ふと思ってしまった。今、教室には私と黛さんだけ。いつも黛さんが一緒にいる友達もいない。


今なら、聞けるかもしれない。私に話しかけてくる理由を。


「......ま、黛さん」

「ん?」

「ひとつ聞きたいんだけど」

「なに?」

「......どうして、私に話しかけてくるの?」


私の言葉を聞いた黛さんはうーん、と言って一瞬考えた後、「なんか香月さんが気になったんだよね」と言った。


「気になった?」

「そう。香月さんが寂しそうに見えたから」


寂しそうに?


......私が?


「私がいつ見ても香月さん、一人で本を読んでるから。誰も話す相手がいないのって、寂しいでしょ?」


別に、そんなことないけど。


「だから、せめて私が気軽に話せる関係になれたら、香月さんが学校に来るのが楽しくなるんじゃないかと思って」

「......」


私は黙ってしまった。頭の中では、小学生の頃のあの日を思い出していた。



「あいつ、いつも本読んでるよな」

「だろ?俺も去年同じクラスだったけど、毎日あれだよ」

「友達いないんだろうね」

「寂しいな」



あの日の、私の耳に飛び込んできた勝手な会話を思い出していた。


私は友達ができない訳じゃない。


私は友達を作っていないだけ。


一人が好きなだけなのに。


一人の世界に閉じこもるのが好きなだけなのに。



「それに......」


「黛さんも他の人と一緒なんだね」



気が付くと私は、黛さんの言葉を遮ってそう言い放っていた。


「え?」


黛さんはよくわからない、という顔でこちらを見ていた。当然だ。でも、私の中で何かが外れた。何かの糸が切れた。もう止められなかった。


「確かに他の人から見れば、私は寂しい人間に見えるかもね。でも私は、一人で本を読むのが好きなの。誰とも交わらないで、一人でいるのが好きなの。黛さんはたくさんの友達と一緒にいて、一緒に遊ぶのが楽しいのかもしれないけど。みんながみんな大勢でいることが好きなわけじゃないの。『私と話せるようになれば楽しくなるんじゃないかな』って?それは自分勝手だよ。私は一人でいたいの。放っておいてよ」


 自分の口から「放っておいてよ」なんていう言葉が出るとは思わなかった。床から視線を黛さんの顔に向ける。黛さんは驚いたような、そして少し悲しそうな表情を浮かべていた。その顔を見て冷静になった私は、「ごめん」とだけ呟いて、急いで教室を出た。


なんで私、こんなに怒ってるんだろう。


なんで私、あんなこと言ったんだろう。


多分、私が言った言葉は本心だ。だけど、その思いを声に出して、それも他人にぶつけるなんて。


自分の言葉で、他人にあんな顔をさせるなんて。自分のやってしまったことに後悔しながら、いつもより早歩きで学校を出た。


 その出来事以来、中学校を卒業するまで黛さんは一度も話しかけてこなかった。もう私たちの人生が交わることはないだろうな。そう思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る