紅潮(悠夏パート・現在⑦)
鏡で自分の顔を確認すると、やっぱり赤くなっていた。道理で顔が熱いはずだ。なんとなく体が少し浮いている感じがする。お酒で酔うってこんな感じなんだ。
柊と駅で別れた後、アパートに帰ってくる途中でコンビニに立ち寄ってお酒を一本だけ買ってみた。何か身分証明書を見せろと言われたりするのかと思っていたけど、レジ横のタッチパネルに一回触っただけで済んだ。私、意外と大人に見えるのかな。
アルコール度数が弱いものを選んで買ったのだけど、それを一本飲んだだけで酔ってしまった。私の両親もあまりお酒を飲む方ではなく、たまに飲んでいる姿を見たときも確かに顔が真っ赤になっていたから、その体質を引き継いだのかもしれない。
そわそわする身体を落ち着かせるためにベッドの上に寝転んだ。安い組み立て式のベッドだからか、上に乗ると少し軋む音がする。その度に自分の体重が増えたんじゃないかと心配になる。そんなベッドの上で、あっという間に過ぎた一泊二日の旅行の事を思い返す。
ずっと悠夏のそばにいるから。
私も、ずっと悠夏といたいから。
悠夏を見捨てたりしないから。
私を抱きしめる柊が耳元で囁いた言葉が、私の不安をかき消していった。体が密着していたとか、心臓の鼓動が柊に聞こえていたんじゃないかとか、私の涙で柊の浴衣が濡れてしまったとか、そんなことは後から気がついたことで。文字通り柊の温かさに包まれていたその瞬間は、ただ放心状態のままだった。
もし昨日、柊に言われたようにホテルでお酒を飲み、酔った状態であんな状況に陥っていたら。自分の気持ちを抑えきれなくなっていたかもしれない。
もし、柊に想いを伝えたらどうなるかな。
柊の言葉をそのまま受け取っていいのなら。
私が柊にそんな感情を抱いていることが分かっても、一緒にいてくれるのかな。
こんなことを考えるということは、私は柊に伝えたいのかもしれない。
「あなたが好きです」と。
つい昨日までは関係が壊れてしまうことが怖くて、想いを伝えたいという気持ちには蓋をしていたけれど。
柊がずっと私のそばにいると言ってくれたから。
その蓋が少しずつ開き始めているのかもしれない。
「私は何があっても、悠夏を見捨てたりしないから」
そんな柊の優しさに乗じて想いを伝えるのは、卑怯だろうか。
*********
お風呂から上がってスマホをチェックすると、柊から大量の写真が送られてきていた。どの写真も、私が一人で写っている。中には、撮られていることに私が気づいていない写真もある。行きの電車の中から帰りの電車の中までの写真を比べると、私の表情がだんだん柔らかくなっていくのが分かる。緊張が少しずつ解れていき、心の底から楽しんでいる表情へと変わっていく。柊には私がこんな風に見えていたのかな。
そんな私も柊ほどではないが、何枚か写真を撮っていた。それを振り返って気づいたのは、自分が撮影した写真も、ほとんど柊が一人で写っているものだということだ。風景だけを撮影したものを覗けば、すべて柊が写っている。一緒に旅行に行ったのに、二人で写っている写真がないとは。少し勿体ないことをした。
そんな写真の中に一枚、こっそり撮影したものがある。
撮影された時間を確認すると、朝五時頃だったようだ。目を覚ました私は、隣のベッドでまだ寝ている柊を起こさないように気をつけながら立ち上がり、窓のカーテンを少しだけ開けた。外は明るくなり始めていて、海がまた新しい姿を見せていた。それをスマホで撮影してからカーテンを閉めてベッドまで戻った私は、眠っている柊に視線を移した。
夏にも関わらず布団を首元まで掛けてスヤスヤと眠っている柊。気持ちよさそうな寝顔を見ていると、体の奥から得体の知れない何かがじわじわと湧き上がってきて、何故かじっとしていられなくなって無意味に部屋中をぐるぐる歩き回ってしまった。
すると仰向けで眠っていた柊が寝返りを打ち、私のベッドの方へ体を向けた。冷静なり自分の足音で起こしてしまったのかと柊の様子を確認したが、相変わらず小さな寝息を立てて眠るその姿を見て一安心した。
しばらくその場で深呼吸をして落ち着きを取り戻した私は、そっと自分のベッドに腰かけた。掛け布団を握った両手を顔の前で重ね、ふかふかの布団の中に埋まっている柊がまるで赤ちゃんのように見えて、また例の衝動が湧き上がってきた。
少しくらいなら。
まだ残っている眠気で気が緩み、魔が差してしまったのかもしれない。柊の寝顔に向けて伸びる自分の右手を制すことができなかった。
寝息に合わせて微かに動いている柊の頬に、右手の人差し指でそっと触れた。決して力強く押さなくても指先が沈み込むほどその肌は柔らかく、触れている僅かな面積から高揚感と背徳感が私の身体に流れ込んできた。
ほんの少し触れるだけのつもりだったのに、止めることができない。大きくなっていく欲に逆らうことができず、手のひら全体で柊の頬を包み込むように触れた。その柔らかさと肌触りがより鮮明に伝わってくる。
そっと頬を撫でてみる。すると、柊は眠ったまま少し微笑んで、私の手のひらに自ら頬をすり合わせてきた。起きているのかと思い慌てて手を放すと、柊の寝顔は元に戻り、その寝息が途切れることはなかった。
ようやく我に返った私は慌ててベッドに入ったものの、右手にはまだ柊の頬に触れた感触がはっきり残っていて、柊の微笑みが脳裏に焼き付いて離れなかった。
すっかり眠気が吹き飛んでしまった私は、あんなに心地よかったベッドの中で居場所を見つけることができずに何度も寝返りを繰り返し、柊の寝顔を目撃しては再び居心地が悪くなるというループに突入していった。
それでも治まることのない衝動にかられを確認すると、やっぱり赤くなっていた。道理で顔が熱いはずだ。なんとなく体が少し浮いている感じがする。お酒で酔うってこんな感じなんだ。
柊と駅で別れた後、アパートに帰ってくる途中でコンビニに立ち寄ってお酒を一本だけ買ってみた。何か身分証明書を見せろと言われたりするのかと思っていたけど、レジ横のタッチパネルに一回触っただけで済んだ。私、意外と大人に見えるのかな。
アルコール度数が弱いものを選んで買ったのだけど、それを一本飲んだだけで酔ってしまった。私の両親もあまりお酒を飲む方ではなく、たまに飲んでいる姿を見たときも確かに顔が真っ赤になっていたから、その体質を引き継いだのかもしれない。
そわそわする身体を落ち着かせるためにベッドの上に寝転んだ。安い組み立て式のベッドだからか、上に乗ると少し軋む音がする。その度に自分の体重が増えたんじゃないかと心配になる。そんなベッドの上で、あっという間に過ぎた一泊二日の旅行の事を思い返す。
ずっと悠夏のそばにいるから。
私も、ずっと悠夏といたいから。
悠夏を見捨てたりしないから。
私を抱きしめる柊が耳元で囁いた言葉が、私の不安をかき消していった。体が密着していたとか、心臓の鼓動が柊に聞こえていたんじゃないかとか、私の涙で柊の浴衣が濡れてしまったとか、そんなことは後から気がついたことで。文字通り柊の温かさに包まれていたその瞬間は、ただ放心状態のままだった。
もし昨日、柊に言われたようにホテルでお酒を飲み、酔った状態であんな状況に陥っていたら。自分の気持ちを抑えきれなくなっていたかもしれない。
もし、柊に想いを伝えたらどうなるかな。
柊の言葉をそのまま受け取っていいのなら。
私が柊にそんな感情を抱いていることが分かっても、一緒にいてくれるのかな。
こんなことを考えるということは、私は柊に伝えたいのかもしれない。
「あなたが好きです」と。
つい昨日までは関係が壊れてしまうことが怖くて、想いを伝えたいという気持ちには蓋をしていたけれど。
柊がずっと私のそばにいると言ってくれたから。
その蓋が少しずつ開き始めているのかもしれない。
「私は何があっても、悠夏を見捨てたりしないから」
そんな柊の優しさに乗じて想いを伝えるのは、卑怯だろうか。
*********
お風呂から上がってスマホをチェックすると、柊から大量の写真が送られてきていた。どの写真も、私が一人で写っている。中には、撮られていることに私が気づいていない写真もある。行きの電車の中から帰りの電車の中までの写真を比べると、私の表情がだんだん柔らかくなっていくのが分かる。緊張が少しずつ解れていき、心の底から楽しんでいる表情へと変わっていく。柊には私がこんな風に見えていたのかな。
そんな私も柊ほどではないが、何枚か写真を撮っていた。それを振り返って気づいたのは、自分が撮影した写真も、ほとんど柊が一人で写っているものだということだ。風景だけを撮影したものを覗けば、すべて柊が写っている。一緒に旅行に行ったのに、二人で写っている写真がないとは。少し勿体ないことをした。
そんな写真の中に一枚、こっそり撮影したものがある。
撮影された時間を確認すると、朝五時頃だったようだ。目を覚ました私は、隣のベッドでまだ寝ている柊を起こさないように気をつけながら立ち上がり、窓のカーテンを少しだけ開けた。外は明るくなり始めていて、海がまた新しい姿を見せていた。それをスマホで撮影してからカーテンを閉めてベッドまで戻った私は、眠っている柊に視線を移した。
夏にも関わらず布団を首元まで掛けてスヤスヤと眠っている柊。気持ちよさそうな寝顔を見ていると、体の奥から得体の知れない何かがじわじわと湧き上がってきて、何故かじっとしていられなくなって無意味に部屋中をぐるぐる歩き回ってしまった。
すると仰向けで眠っていた柊が寝返りを打ち、私のベッドの方へ体を向けた。冷静なり自分の足音で起こしてしまったのかと柊の様子を確認したが、相変わらず小さな寝息を立てて眠るその姿を見て一安心した。
しばらくその場で深呼吸をして落ち着きを取り戻した私は、そっと自分のベッドに腰かけた。掛け布団を握った両手を顔の前で重ね、ふかふかの布団の中に埋まっている柊がまるで赤ちゃんのように見えて、また例の衝動が湧き上がってきた。
少しくらいなら。
まだ残っている眠気で気が緩み、魔が差してしまったのかもしれない。柊の寝顔に向けて伸びる自分の右手を制すことができなかった。
寝息に合わせて微かに動いている柊の頬に、右手の人差し指でそっと触れた。決して力強く押さなくても指先が沈み込むほどその肌は柔らかく、触れている僅かな面積から高揚感と背徳感が私の身体に流れ込んできた。
ほんの少し触れるだけのつもりだったのに、止めることができない。大きくなっていく欲に逆らうことができず、手のひら全体で柊の頬を包み込むように触れた。その柔らかさと肌触りがより鮮明に伝わってくる。
そっと頬を撫でてみる。すると、柊は眠ったまま少し微笑んで、私の手のひらに自ら頬をすり合わせてきた。起きているのかと思い慌てて手を放すと、柊の寝顔は元に戻り、その寝息が途切れることはなかった。
ようやく我に返った私は慌ててベッドに入ったものの、右手にはまだ柊の頬に触れた感触がはっきり残っていて、柊の微笑みが脳裏に焼き付いて離れなかった。
すっかり眠気が吹き飛んでしまった私は、あんなに心地よかったベッドの中で居場所を見つけることができずに何度も寝返りを繰り返し、柊の寝顔を目撃しては再び居心地が悪くなるというループに突入していった。
それでも治まることのない衝動に駆られた私は、何故か枕元に置いていたスマホを手に取り、ベッドの中から柊の寝顔を撮影してしまったのだ。
この写真を見ていると、あの感覚が蘇ってくると共に、心臓が妙な高鳴りを始める。これは、お酒を飲んだせいだよね?
柊の寝顔の写真を閉じて、その他の写真を全て柊に送信してから、布団を頭から被った。
*********
枕元でスマホが軽快に奏でるアラーム音で目が覚めた。それを止めてから、ゆっくりと身体を起こす。今日からまたバイトだ。あと二週間も経たずに、大学の授業が始まる。いよいよ夏休みも終盤だ。
もう一度スマホを確認すると、柊からメッセージが届いていた。アプリを開くと、『なに撮ってんの!』というメッセージと共に、赤い怒りマークが大量に送られてきていた。何事かと思い、寝る前に送った写真を遡ると......
「あっ」
部屋で一人、声を上げてしまった。
これは送らないと決めていた、柊の寝顔の写真がしっかり送信されていた。
勢い余って、一緒に送ってしまっていたようだ。
......さて、どうしよう。
写真をばっちり確認されている手前、何も言い訳が思いつかない。
そこで、ふと思う。
別に......正直に言ってもいいんじゃない?
バカにしてる訳じゃないし。本心だし。
そう思った私は、柊にどんな反応をされるのか気になり、少し緊張しながらメッセージを打ち込んだ。
『ごめん。可愛かったから』
大丈夫だよね?
意を決して、送信ボタンを押した。
気がつくと、ベッドの上で正座していた。
割とすぐに既読を知らせるマークは付いたけど、何も返信がない。
......やっぱりマズかったかな?
それからもしばらく待っていたけど、柊からの返信がなかった。私のスマホに起きた動きといえば、美玖さんから届いた『悠夏の歯って、丈夫?』という謎のメッセージだけだった。
こんな時に、意味の分からない......
寝起きの勢いで正直にメッセージを送ってしまったことを少し後悔しながら、急いでバイトにでかける支度に取り掛かった。
*********
何日かぶりのバイト。相変わらずお客さんは少ない。とても楽でいいのだけど。
「
先輩がレジの交代をするために休憩室から顔を出した。「分かりました」と言い、先輩と入れ替わりで休憩室の中へ入った。エプロンを外してイスに座ったところで、ここの人たちに配るお土産を買い忘れていたことに気づく。お盆明けには、先輩が地元のお土産を買ってきてくれたのに。次はしっかり買わなければ。そんなことを1人で考えながらスマホを開くと、柊から返信が届いていた。
『仕返しだ』
『悠夏の方が可愛いよ』
......なんだって?
そしてメッセージと共に1枚の写真が送られていた。そこに写っているのは、ぐっすりと眠っている私だった。
柊も撮ってたのか......
昨日の夜に送られてきた写真の中には無かった。つまり、柊も私と同じような考えだったということか。寝顔の写真だけは送らないでおこうと......
恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちに、こみ上げる笑いが重なり、胸の奥がそわそわしてくる。
とりあえず、柊の反応を真似て『なに撮ってんの!』というメッセージに、大量の怒りマークを付けて返信した。
さて、新しく本でも読もうかな。そう思っていると、スマホが小刻みに震える音が聞こえてきた。それは止まらないまま、しばらく続いている。
あれ?電話だ。
画面を見ると、『柊』という文字が。
「もしもし?」
『もしもし。今、大丈夫?』
「うん。少しなら」
『あのさ、今日の夜って空いてる?』
「空いてるよ」
『一緒にご飯食べない?』
夕食の誘いだった。ということは、場所はもう決まっている。
「いいよ。いつもの場所でいい?」
『もちろん』
「いつもの時間で」
『オッケー』
「じゃあ......」
『あ、そうだ』
電話を切り上げようとすると、柊の何かを思い出したような声が聞こえた。
「どうしたの?」
『真希から変な連絡がこなかった?』
真希さんからではないが、似たような心当たりはある。
「いや。でも美玖さんからは送られてきたよ。『悠夏の歯って、丈夫?』って」
『な、なんじゃそりゃ』
「わかんない。真希さんからは?」
『なんか、あんこ好き?って』
「あ、あんこ?」
『うん。意味わかんない』
「どうしちゃったんだろうね」
『あの二人のことだから、大したことないんだろうけど。じゃあ、ファミレスでね』
「うん。じゃあ......」
『悠夏』
また切り上げようとしたら、柊が話を続けた。
「今度はどうしたの」
『私なんかより、絶対に悠夏の寝顔の方が可愛いからね』
その言葉を私の左耳に残したまま、柊は電話を切った。
寝起きで送った私のメッセージは、とんでもない劇薬に姿を変えて、私に跳ね返ってきた。
「悠夏ちゃん、ちょっと?」
「は、はい!」
スマホを手に持ったまま固まっていると、店長に声をかけられた。
「ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど」
「あ、はい。なんですか?」
「もうすぐ注文してた本が大量に届くんだけど......あれ?」
「......なんですか?」
「クーラーついてるよね?暑いの?」
「いえ、特にそういう訳では」
「それならいいんだけど。悠夏ちゃん、顔が赤いから」
「だ、大丈夫です!行きます。今、行きますから!」
急いでエプロンを着て、店長の後ろをついて行く。
......やっぱり私は、すぐに顔が赤くなる体質みたいだ。
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