揺れる 前編(悠夏パート・現在⑨)

 電話が切れてから、私はそのまま枕に顔を埋めた。突然柊から電話がかかってきたと思ったら、いつの間にか柊の家にお邪魔して一泊することが確定してしまったようだった。それも、柊が二十歳を迎える誕生日に。


昨日の今日で、こんな展開は気持ちの整理が追いつかない。


柊の誕生日は、十二月。


あと二か月で、私は迷いを断ち切ることができるのだろうか。



*********



 柊が地元へ帰っている間は、基本的に私は大学でも一人で過ごしていた。もちろん学年も違うから、今までだって四六時中一緒にいたわけではない。それでも、大学の中に柊がいないと考えるだけで寂しくて心細かった。柊に何か連絡を取ろうかとも思ったけど、向こうでは私のことなんて考える余裕もないくらい大変な状況だということは想像に難くなく、メッセージを送ることは我慢していた。


 そんな中で、柊が地元へ帰ってから三日が経ったその日、美玖さんが二十歳の誕生日を迎えた。美玖さんから夜に行われる誕生パーティーへのお誘いを受けた私は、柊が大変な状況の中で三人だけで楽しむことに対する申し訳なさも感じつつ、この三人だけで過ごす機会もそう多くはないだろうと思って、その誘いを受けることにした。


 事前に用意していた誕生日プレゼントを持って、二人の家にお邪魔した。


「待ってたよ」


そんな声が聞こえてくるリビングのドアを開けた瞬間、良い香りがぶわっと漏れてきた。テーブルの上を見ると、大皿に盛られた唐揚げとサラダ、そして数枚の宅配ピザが並んでいた。あまり宅配ピザを食べる機会が無いから定かではないけど、おそらく一番大きなサイズだったと思う。


これ、三人だけで食べるのかな?それとも、他にも誰か来るのかな?


 そんなことを考えていて気がつかなかったけど、テーブルの向こうでは美玖さんが仁王立ちで待ち構えていた。頭に尖ったパーティー帽子を被り、"HAPPY BIRTHDAY"と書かれたサングラスをかけている。誰がどう見ても、この人が今日の主役だと分かる雰囲気を醸し出していた。ご丁寧に「本日の主役」というタスキをかけていたし。


「お、おめでとう......」


美玖さんを眺めながら立ち尽くしていた私に、真希さんは銀色に輝く缶を渡してきた。


「......ビール?」

「乾杯しよう」


そう言うと真希さんは、慣れた手つきで缶のプルタブを引いた。プシュッという音が聞こえた瞬間、真希さんの口元がニヤリと緩んだように見えたのは気のせいだろうか。


「やっと飲める!」


続いて美玖さんも同じ音を立てる。私も2人に続いてプルタブに指をかけた。


「じゃあ、主役から乾杯の挨拶を」


真希さんが軽くお辞儀をすると、美玖さんも同じように頭を下げた。この二人の間にときどき訪れる、二人にしか分からない世界観。いつも私と柊は置いていかれているけど、今日は私一人だから孤独感がいつもより大きい。


「えー、今から二十五年前。私の両親が出逢いまして......」

「長い」

「失礼しました。まあ、いろいろありまして、わたくし織田美玖、無事に二十歳を迎えることができました。これも......えっと......まあ、いいか。乾杯!」


明らかにボキャブラリーが底を突いた様子の美玖さんは、高らかに缶ビールを持つ右手を掲げてから、缶の飲み口を自分の口元まで近づけた。真希さんもそれに続き、勢いよくビールを口の中へ流し込んだ。二人が飲むのを確認してから、慎重にビールを口に含んだ。


「苦っ!」


私と美玖さんの重なった声がリビングに響いた。


「真希、よくこんなものをゴクゴク飲めるね」


美玖さんが口元を手で拭いながら「信じられない」という表情で真希さんへ視線を送った。私も言葉にこそ出さなかったけれど、大体は美玖さんと同じことを思っていた。


「そのうち美味しく感じるよ」


私と真希さんの誕生日は三ヵ月ほどの差しかない。たったそれだけの差で、味覚は変わるものなのだろうか。同い年のはずなのに、真希さんがかなり年上の女性に見えた。


「悠夏はビール飲まないの?」

「うん、初めて。苦いっていうのは知ってたけど、想像以上だった」

「でもブラックコーヒーとか飲んでるじゃん」

「それとはまた違くない?」


そうかなぁ、なんて言いながら真希さんはもうひと口、もうふた口と続けてビールを喉へ流し込んだ。あまりに美味しそうに飲んでいるので、私も試しにもうひと口飲んでみたけど、舌の中まで沁み込んでくるような苦みに顔をしかめてしまう。


「どうしても飲めなさそうだったら、他にもチューハイとかいろいろ用意してるから。ジュースもあるよ」


そう言いながら取り皿を準備する真希さんは、やっぱり、私より大人に見えた。


「ほら、食べて。唐揚げは私が揚げたんだよ」

「そうなの?すごいね」

「本当はもっと他の料理も作りたかったんだけど、ちょっと時間がなくて。結局ピザ頼んじゃった」


いつも真希さんが料理しているの?と言いながら美玖さんの方を見ると、まだビールの苦味が尾を引いているのか、缶を両手で握りながら険しい顔をしていて、私の質問は全く届いていないようだった。同居人のそんな姿に気がついた真希さんは、「無理しないで」と笑いながら缶を受け取り、ひと口それを飲んだ。まだ自分のビールも残ってるのに。美玖さんは「甘いやつ飲みたい!」と言いながら、冷蔵庫の方へパタパタと走って行った。


普段からこんなに騒がしいのかな。


下の階の人からクレームがきたりしないか心配しつつ、立ったままピザをひと切れ齧った。



********



「えへへ。ごめんねぇ」


美玖さんが缶に肘をぶつけて零れたレモンサワーを、真希さんが慣れた手つきで掃除していた。二人はほとんど同じペースで飲んでいたはずだけど、二人の酔い具合は全く合っていない。赤ら顔で呂律も怪しくなっている美玖さんに対して、真希さんは全く変わらなかった。むしろ普段よりも動きがテキパキしているようにさえ見えて、このままお酒を片手に大学のレポートの一つでも書きあげられるんじゃないか、と思うほどだった。


「優しいねぇ、真希は」

「はいはい、ありがと」

「真希が男だったら、理想の彼氏なのになぁ」

「分かったから。うわ、服も汚れてるじゃん。着替えてきなよ」

「はーい」


 立ち上がった美玖さんが、ふらふらとした足取りで自分の部屋へ消えて行く。あれが「千鳥足」というやつかな。それとは対照的に、真希さんはしっかりとした足取りでキッチンまで向かい、大量のレモンサワーを吸収してしまった布巾を洗っていた。ついでに私も、テーブルに並んでいた空き缶を持って真希さんの所まで持って行った。真希さんは「ありがと」と言ってから、缶を一つずつ濯ぎ始めた。そこで初めて、この家のキッチンをしっかり見渡した。調理器具がしっかり揃っていて、食器も綺麗に収納されている。調味料なんかも、かなりの数が並んでいた。私は、乾杯の直後に訊きそびれていたことを改めて尋ねた。


「いつも料理してるの?」

「うん。簡単なものばっかりだけどね。料理するの好きなんだ」


洗い終わった缶を、後ろに置かれているビン・缶用のゴミ箱に入れながら答えてくれた真希さんは、そのまま近くの冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを二本取り出し、片方を私にくれた。もう片方のフタを開けてひと口飲んだ真希さんは、「様子見てくるわ」と言って美玖さんの部屋へ向かった。


 テーブルまで戻って座った私も、美玖さんの部屋の方を見ながら水を飲んだ。お酒ばっかり飲んで熱くなっていた体の中を、冷たい水が通っていくのをはっきりと感じる。その直後に美玖さんの部屋のドアが開いて、苦笑いをした真希さんが戻ってきた。


「やっぱり寝てたよ」


美玖さんの様子を私に報告した真希さんは、再び冷蔵庫から水を一本持ってきて私の向かいに座った。最初に持っていた水は、きっと美玖さんの所に置いてきたのだろう。美玖さんが飲みきれなかったビールも真希さんが飲んでいたことを思い出し、この二人は互いに口をつけたものとか、そういうことは気にしないタイプなのだろう。


「顔、真っ赤だね」


私を見て笑う真希さんの顔色は、普段とほとんど変わらないように見えた。


「こんなに飲んだの初めて。いつもは甘いやつを一本飲んだだけで赤くなるもん」

「お酒に弱いんだね」

「うん。真希さんは強そうだね」

「家系がそうなんだよ。うちは両親とも酒豪だから。もっと言えば、それぞれの親も未だにお酒飲むからね。親戚で集まったときなんか、何リットルのビールを消費するんだってくらい飲むから」

「す、すごいね......」


でしょ?と笑った真希さんは、冷たくなったピザを一切れ食べて「冷たっ」と顔をしかめた。もう何時間も放置されていたから、当然なのだけど。それでも真希さんはわざわざレンジで温めるのは面倒だったのか、そのままもうひと口食べた。


「アイツはかなり酒に弱そうだね」


ウェットティッシュで口元についたピザのソースを拭きながら、真希さんが言った。「アイツ」というのは美玖さんのことだろう。


「かなり早い段階でヘロヘロになってたよね。いつも以上に子供っぽい感じになってた」

「私がビール飲んでると、毎回のように『いーなー』って近寄ってくるんだよ。後ろから抱き着いてきたり、膝の上に乗ってきたり、ご飯食べてるときに寄ってくるペットの犬みたいに。『はやく飲みたい!』ってずっと騒いでたのに、やっと飲めるようになったら、あれだもん。あんまり飲ませない方がいいかな」


真希さんにベタベタとくっつく美玖さんを頭の中で想像するのは簡単だった。ただ、真希さんの例えを聞いたせいか、想像の中の真希さんには耳と尻尾がついていた。


 二人は普段からスキンシップが激しい。「二人」と言うのは真希さんに失礼かもしれないけど。柊と四人でいる時も、いつの間にか手を繋いでいたり、美玖さんが真希さんに抱き着いていたりする。そんなとき真希さんは、そんな美玖さんを払いのけることもせず、かと言って喜ぶ訳でもなく、何でもないという表情をしている。その顔からも、美玖さんからのスキンシップは日常茶飯事なのだろうと推測できる。


そんな二人を見ていると、たまに思ってしまう。


ドキドキしたりしないのかな?と。


 私なら、日常生活で柊に抱き着かれ続けていたら、正気を失ってしまいそうなほどドキドキすると思う。逆に、私から柊に激しめのスキンシップを図るのも難しい。当然それは、私が柊に対して抱く感情が単なる友情に留まっていないのが原因なのだけど。


 つまり私の中では、二人に対して「ドキドキしないのかな?」という疑問は、「好きになっちゃったりしないのかな?」という疑問とイコールだと言える。そう思ってしまうのは私の柊に対する恋愛感情を前提としているからで、スキンシップが激しいくらいで好きになってしまうことなんて、そうそう無いということも理解している。それが、女の子同士の友達なら尚更だろう。それに、二人とも彼氏がいることだって知っている。まあ、美玖さんの場合は過去形だけど。


 そんなことを考えてしまう私は、美玖さんがときどき口にするセリフが気になっていた。


「真希が男だったら、理想の彼氏なのに」


 二人と知り合ってから、私はこのセリフを何度か聞いている。特に美玖さんが彼氏と別れてからは、このセリフを聞く頻度が高い気がする。


 つまり、美玖さんにとって真希さんは理想の恋人なのだ。自分と同じ女性だということを除けば。


そのことについて、真希さんはどう思っているんだろう。


真希さんも同じようなことを考えたりするのかな。


そんなことが頭を過ぎった。


 きっとその疑問を抱くところまでは、シラフの私でも辿り着いたと思う。ただ、そこから先が問題だった。どうやらお酒に酔った私は、思ったことをすぐに口にする人間になってしまうようだった。それに気づいたのは、既に手遅れになった後だったけど。


「美玖さんが男の子だったら、どうする?」


自分の口から出たその言葉が耳に入り、驚いてしまった。何を言ってるんだと後悔したが、真希さんの表情から判断すると、もう私の言葉はしっかり耳に届いてしまっていたようだった。


「男だったら......って?」

「いや、ほら。えっと......なんだっけ」


思ったことはすぐに口を衝いて出たのに、言い訳をしようと頭をフル回転させても、ごまかす方法が見つからなかった。仕方なく、素直に思っていたことを白状することにした。


「その......美玖さんがよく言ってるでしょ?『真希が男だったら、理想の彼氏なのに』って。そんなことを真希さんも思ったりするのかなぁ、なんて......」


ああ、と小さく頷いた真希さんは、私の目を真っすぐ見ながら言った。


「思わないよ」


やけに真剣な顔になった真希さんに見つめられ、なんだか悪いことを訊いてしまったなと思って目を逸らした。


「考えたこともないかな。美玖が男だったら、なんて。アイツが私の男バージョンをどんな風に妄想しているのかは分からないけど、少なくともアイツの男版は、私にとって理想の男ではないし」


目の前に並べられる言葉を、酔った頭で必死に理解しようとしていた私に真希さんは、「要するに、アイツが男だったら付き合ってるかって話でしょ?」と付け加えた。頷く私に、真希さんは更に続けた。


「そもそも、お互いにどっちかが男だったら、逆に仲良くなってないだろうしね。もし性格から何から、全部が今の美玖のままだったとしても、仲良くなるきっかけがなかったと思う」


私のどうしようもない質問に、そこまで真剣に答えてくれたのが申し訳なかった。真希さんからは笑顔が消えていて、もしかしたら機嫌を損ねてしまったかもしれないと思い始めていた。


変なことを訊いてごめんね。


そう言おうと口を開けた私に、真希さんは驚きの言葉をぶつけてきた。


「付き合うんだとしたら、今のままの美玖がいいかな」


謝るための準備をしていた私の口から「え!?」という大きな声が飛び出した。


「い、今のままって......女の子の美玖さんってこと?」

「そうだよ」


予想外の答えに私とは対照的に、真希さんは相変わらず冷静なままペットボトルの水を手に取って話を続けた。


「私が好きなのは、男じゃない美玖......っていう言い方はおかしいけど。美玖と一緒に遊んでいたいから。もし明日、美玖にいきなり付き合ってって言われたら、頷いちゃうかもしれない」

「そ、そっか......」

「まあ、アイツが『真希が男だったら』なんて言ってる時点でそんなことはあり得ないし、現時点で私もアイツに対して恋愛感情を持ってる訳じゃないから。そうなる可能性なんてゼロに等しいけど、嫌ではない。それどころか......もしかしたら、今の彼氏を捨てて美玖を選んでしまいそうな気もする」


想像以上の方向に真希さんが話題を進めてしまい、どのように反応したら良いのか困っていた私に真希さんは、逆に疑問を投げ返してきた。


「どうして急にそんなことが気になったの?」

「え、いや、まあ......なんとなく」


やばい、と思った。酔っている状態でこの話題を逆に掘り下げられると、何かの拍子に私の秘密がこぼれてしまいそうだったから。どうにかしてこの話題を終わらせなければ。とにかく冷静になろうとしてペットボトルの水を口に含んだ瞬間、真希さんは私の予想を遥かに通り越した質問をぶつけてきた。


「悠夏と柊って、付き合ってるの?」

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