心の扉 後編(柊パート・現在⑨)

 実家で荷物を整理していた私は、地元に帰って来てからの数日間、全く悠夏と連絡を取っていないことに気がついた。こちらへ帰る新幹線の中で『おじいちゃんが亡くなったから実家に帰ります』と送ったのが最後だ。それに対して悠夏からの返信はない。きっと、気を遣ってくれているんだろうな。



『も、もしもし』



数秒間の呼び出し音の後、慌てたような悠夏の声が聞こえてきた。何か都合が悪かったのだろうか。


「ごめん、何かしてた?」

『いや、何もしてないよ。うん。大丈夫』

「そっか」

『柊こそ、どうしたの?急に電話なんか』


理由なんてない。何か伝えたいこともない。強いて言えば、「悠夏と話したくなっただけ」だ。それをそのまま伝えると、電話の向こうから「うぅ」と唸るような声と共に、ドサッという音が聞こえてきた。何が起こったのかを尋ねても、悠夏は「なんでもない。なんでもない」と繰り返すだけ。その奥から聞こえるガサガサとした雑音と、何かが軋むような音から推測するに、おそらく悠夏はベッドに寝転がっている。


「ごめんね、急にいなくなっちゃって」


私は、実家へ急に帰ることになったあの日のことを謝った。私が食堂の席を確保しておくよ、という宣言をしてしまったばかりに、約束を破る形となってしまっていたからだ。


『謝ることじゃないよ。大変だったね』

「うん。急だったからね。もう落ち着いたよ」

『そっか』

「明日のお昼頃には東京に帰るから。早く会いたいな」

『ああ......うん。私も』

「明後日から大学にも行くから」

『じゃあ......待ってるね』


「待ってるね」という言い回しが可笑しくて、笑ってしまいそうになりながらも「待っててね」と返事をした。たった数日空いただけなのに、まるで何か月も会っていないかのような会話だ。実際のところ、感覚としてもかなり久しぶりな気がしている。


「なんか、遠距離恋愛のカップルみたいじゃない?」


ふと思いついた例えを言ってみた。笑ってくれるかなと期待したが、悠夏は『そ、そうかな......』と絞り出すように言ったきり黙り込んでしまった。あまりピンとこなかったみたいだ。


 私が余計なことを言ったばかりに、会話が滞ってしまった。電話の奥からは、またベッドが軋む音が聞こえてくるだけ。なんだか申し訳ない気持ちになり、私の方から新しく話題を切り出すことにする。


「昨日は何してたの?」

『き、昨日?』

「うん。金曜だから、午前中で授業は終わりだったんでしょ?バイト?」

『いや、バイトは無かった。だから......』

「だから?」

『......美玖さんと真希さんの家に行ってた』


......これは予想外だった。


「そうなんだ。楽しかった?」

『うん。楽しかったよ』

「それはよかった」


私がいない間、一緒に食堂に行ったりすることはあるかなと思っていたけれど、悠夏があの二人と遊ぶことは無いのではないかと勝手に思い込んでいた。普段から悠夏があの二人と仲良くしているのは、私が二人と友達だから仕方なく付き合ってくれているのではないかと心配したこともあった。それでも、私抜きでも三人で楽しく過ごせたということは、私の心配は杞憂だったということだ。これは、喜ばしいことのはず。



なのに。


この寂しさはなんだろう。


気持ちに靄が掛かるような、この感覚。



『美玖さんが二十歳になったから、三人で一緒にお酒を飲もうよって』

「ああ、そっか。美玖の誕生日だったね。忘れてたよ」


悠夏の誕生日に、私と旅行したときは飲まなかったのに?


『夜ごはんを食べながら三人でお酒を飲んで』

「うん」


二人と一緒に飲んだんだ。


『美玖さんがすぐに酔っぱらって寝ちゃって。それで夜中まで真希さんと......話してた』

「......泊まったの?」

『そのつもりじゃなかったんだけど、気づいたら朝になってた』


負ありの家に泊まったんだ。


気持ちに掛かった靄がどんどん大きくなっていくのが分かる。


悠夏が由香里さんと海へ行ったということを知った時と同じ、この感覚。


ダメだ。良くない。



「......楽しそう」

『う、うん。二人とあんなに一緒にいるのは初めてだったから』



 私は、悠夏のことになると急に気持ちが不安定になることが多々ある。


 悠夏が由香里さんと海へ行ったときもそう。旅行で、一緒に温泉に入ることを拒まれたときもそう。そもそも、中学校の教室で起きたあの出来事からそうだ。


 これは治さなければいけないと分かっているのに。


 我ながら、困ったものだと思う。


 美玖と真希、奈月や由香里さんにも心の扉を開けているつもりだけど、悠夏に対しては心の扉を全開にしてしまう。



『もしもし?どうしたの?』


悠夏の心配したような声で我に返った。「どうしたの?」とは言っていたけど、きっと悠夏も私のそんな性格には気づいているんだろうな。


気持ちを落ち着かせなければ。


我慢しなければ。



「私の家にも泊まりに来てほしい」



......無理だった。



『え、ええ?』


明らかに困惑している悠夏の声。


「二人ばっかりずるいよ。私も悠夏と夜中までお酒飲みたいもん」

『でも、柊はまだ飲めないし......』

「飲めるようになったら来てくれる?」

『いや、まあ、いいけど......』

「約束だよ」

『わ、分かった』

「じゃあ、またね」

『え?ちょっと......』


電話を切り、すぐに後悔する。


またやってしまった......


こんな調子では、悠夏に疎ましく思われるのも時間の問題だ。


そうなったら、立ち直れないかもしれないな。


本当に、気を付けなければいけない。


そう思う一方で、悠夏が私の部屋に泊まりに来る日が早くも楽しみになっている自分もいる。


私の誕生日まであと二か月。


......待ちきれない。


 落ち着くためにコーヒーでも飲もうと部屋を出ると、隣の部屋から藍が心配そうに顔を出していた。


「ん?どうしたの?」

「いや、もう少し声のボリュームは下げた方がいいかと......」

「あ、ごめん。うるさかったよね」


受験勉強もラストスパートに差し掛かる妹が隣の部屋にいるにも関わらず、大声で電話する姉。なんとも迷惑な話だ。


「まあ、私はいいんだけど。もしお父さんとお母さんに内容が聞こえてたら......びっくりすると思うし」

「え?」

「大事な話は、ちゃんと向き合って話した方が良いと思うし。漏れ聞こえてくる電話で知るのは、心臓に悪いと思うよ」

「......何言ってんの?」


藍が何を言っているのかさっぱり分からなかった。支離滅裂な発言を終えた藍は、何故か頷きながら部屋の中へ戻って行った。


勉強しすぎかな。疲れてるんだろうな。


藍の分もコーヒーを淹れてあげよう。

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