四人で一人 前編(柊パート・現在⑩)

 一日の寒暖差がより激しくなってきた十一月中旬。アラームを設定した時刻よりも前に寒さで目を覚ましてしまうことが増えて、冷たい空気が充満する部屋で飲む起き抜けのコーヒーが更に美味しく感じるようになった。起きてすぐにコーヒーを飲むのは体に良くないと聞いたことがあるけど、お構いなしで飲んでしまっている。美味しいのだから、仕方ない。


 今日は土曜日なのに、平日と同じような時間に起きてしまった。いつも通りコーヒーを飲みながら、平日とは少し雰囲気の違うニュース番組をぼんやり眺める。


 最近の私は、このように家で一人で過ごしている時間に物思いにふけることが増えた。その原因は、主に悠夏だった。


 私がおじいちゃんの葬儀に出るために地元へ帰っている間、悠夏が美玖の誕生日を祝うために美玖と真希が暮らす家に遊びに行ったということは聞いていた。そのおかげか、私が東京へ戻って来てからは悠夏とあの二人がかなり仲良くなっているように感じた。何度か私がバイトしている時間に三人そろってカフェまでやってきて、閉店後まで楽しそうにお喋りしていたこともある。


 特にこの一か月の間に悠夏は、よく真希と遊んでいるようだった。毎週の土日には悠夏を夕食に誘っているのだけど、何度か「真希さんと約束があるから」と断られた。大学の食堂でいつも通り四人で昼食を食べるときも、向かい合って座る悠夏と真希で会話が弾むことが増えたように感じる。


 もちろん、悠夏と真希が親密になることに何も問題はない。むしろ喜ばしいことのはずだ。なのに、悠夏から「真希さん」という名前が出る度に胸がざわついてしまう。


 悠夏が真希と美玖の家に泊まったことを知った私は、つい衝動的に「私の誕生日に、家に泊まりに来てほしい」と言ってしまった。悠夏は「分かった」と言ってくれたけど、電話越しに聞こえたその声は明らかに困惑していた。その一件で反省した私は、この面倒な性格を直さなければいけないと自分に言い聞かせていた。だけど、東京へ戻って来た私に待っていたこの状況に嫉妬心はさらに大きくさせられるばかりで、今朝のように一人で過ごしている瞬間に、酷い自己嫌悪に襲われることが増えるだけだった。


 言ってしまえば、悠夏はただの友人だ。過去にあった出来事のおかげで、他の友達よりもほんの少し特別な関係性で繋がっているだけ。それだけなのに、ここまで執着してしまう自分が怖い。


 悠夏に対してこんな感情を抱くなら、いつか私に大好きな彼氏ができたりしたら一体どうなってしまうのだろう。彼氏のメールやSNSを細かくチェックし、その行動を逐一監視するような束縛女に成り果ててしまうのではないだろうか。


 部屋に一人でいる状況でそんなことを考え始めると、どんどん気分が落ち込んでしまう。これ以上は暗い気持ちになりたくない私は、昼からのバイトまではかなり時間が空いていたけど早めに家を出ることにして、悠夏とお揃いのマグカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。



*********



「早くない?」


お店へやって来た由香里さんの第一声だ。自分よりも先に私が店内にいることが初めてだったから驚いたのだろう。


「早く起きちゃって、暇だったので来ました。勤務時間には含めなくても大丈夫ですよ」

「どうやって入ったの?」

「前に貰った鍵で開けました」


ここでバイトを始めてすぐの頃に「念のため渡しておくね」と由香里さんからカフェの鍵を貰っていた。だけど一度も使う機会がなかったから、由香里さんもすっかり忘れていたのだろう。なるほどね、なんて言いながら中へ入って来たけど、その表情はいまいちピンときていない様子だった。


「そういえば昨日の夜、美玖ちゃんと真希ちゃんが来てたのよ」


エプロンを着ながら由香里さんが教えてくれた。


「あれ?昨日は私がいないって知ってたと思うんですけど」

「だから『柊ちゃんはいないよ』って言ったんだけど、『たまには柊がいないときに来てみようと思って』だって」

「へえ......」


あの二人も去年から頻繁にここへ来ているから、由香里さんともすっかり顔なじみだ。だから別に何も不思議なことではない。だけど、私には念のため確認しておきたい事があった。


「あの......悠夏は来てませんでした?」

「悠夏ちゃん?来てないけど」

「そうですか......」

「悠夏ちゃんは、それこそ柊ちゃんがいる時しか来ないんじゃない?」

「で、ですよねぇ」


よかった、と一安心している自分にまた呆れてしまう。せっかく早めに家を出たのに、これでは意味がない。せめてバイト中だけでもこの事を考えないようにしなければ。そう気持ちを切り替えようとしていたとき。


「なんでほっとしてるのよ」


由香里さんはこういう時に限って、その勘の鋭さを存分に発揮する。指摘されて一瞬動揺してしまうけど、すぐに気を引き締める。こういう時は慌てたりしてはいけない。由香里さんの言葉を理解できていない風を装いながら、こう言い放つのだ。


「......何がですか?」


狐につままれたような表情を意識するのがポイントだ。少しでも心当たりのある反応を見せると、すぐ由香里さんに指摘されてしまうから。


「いや、悠夏ちゃんは来てなかったって言ったら、柊ちゃんが笑ってたから」

「.........笑ってた?」

「ニコっとしてたよ。いや、ニヤって感じかな?」


そう言うと由香里さんは私に歩み寄ってきて、両手で私の頬を軽く叩いた。今の由香里さんの表情こそ、「ニヤッという感じ」だ。


......作戦失敗。


だが、ここですんなりと認めるわけにはいかない。


「ニヤッともしてませんし、ほっともしてません」

「嘘だ。悠夏ちゃんの話をするときの柊ちゃん、すごく分かりやすいんだから。悠夏ちゃんと話すときはすごく楽しそうなのに、そこに美玖ちゃんと真希ちゃんが入って三人で盛り上がったりすると、途端にシュンとしちゃって。隠してるつもりかもしれないけど、周りにはバレバレだからね」


......何も言い返せなかった。


 悠夏本人には私のこの性格が知られているだろうなとは覚悟していたけど、まさか第三者の目から見ても分かるほど態度に出ていたとは思わなかった。


 ただ、冷静に思い返してみれば、悠夏と由香里さんが二人で海へ遊びに行ったことを知ったとき、しつこく由香里さんに連絡を入れ続けていたという事があった。今更、この件についてごまかしたところで、もはや後の祭りだったというわけだ。わかりました、と言って頬から手を振り払うと、由香里さんはそのニヤケ顔を少し引き締めて、こう語り始めた。


「実際問題、あの二人に限らずこれからも悠夏ちゃんが仲良くなる人は増えていくと思うよ。大学の同級生で気が合う友達を見つけるかもしれないし、彼氏だってできるでしょう。大学を出て働き始めれば、どんな仕事だとしても、関わっていく人の数は学生時代よりも増えるんだから。柊ちゃんは、悠夏ちゃんの周りに集まる人たち全員に嫉妬していくつもり?そんなに露骨に態度に出してたら、いつか悠夏ちゃんに呆れられちゃうよ?」


耳が痛い、とはこの事か。何から何まで由香里さんが言っていることが正しいようにしか聞こえなかった。自分で自分を責めるよりも、他人に真正面から注意されると、より落ち込んでしまう。そんな状態の私に由香里さんは、さらに追い打ちをかける。


「それに柊ちゃんだって、悠夏ちゃんが東京に来る一年前からあの二人と仲良くしてたじゃない。それで、夏には悠夏ちゃんを置いて一人で地元に帰って、そこでも友達と楽しくしてたんでしょ?それでいて、悠夏ちゃんが他の人と仲良くするのが嫌だって、都合が良すぎない?」

「い、嫌だってわけじゃ......」

「仲の良い人が増えたからって、悠夏ちゃんが柊ちゃんを見捨てると思う?少しくらい我慢しなさいよ。不安にならなくても大丈夫だから。これからは意識して、せめて悠夏ちゃんがいるときくらいは、露骨な態度を出さないように気を付けなさいね」


私は、「はい」と声を絞り出して頷くことしか出来なかった。


「よし。じゃあ、そろそろお店開けるよ」


手をパチンと打ち鳴らしてから由香里さんは開店準備に取り掛かった。


「特別に今から勤務時間にしてあげるから。その代わり、その暗い顔のままでいるのはやめてよね。コーヒーが美味しくなくなっちゃう」

「......わかりました」


 こうして普段よりも早い時間から働き始めた私は結局、その落ち込んだ気持ちをかき消すことができなかった。由香里さんに注意されることはなかったから、顔には出てなかったのかもしれないけれど、体の内側に充満した靄は最後まで出て行ってくれることはなかった。



*********



 由香里さんに軽くお説教をされてから二週間ほどが経ったけど、私が抱えている胸騒ぎは一向に収まる気配がなかった。それどころか、最近の悠夏の様子をより注意深く見てしまい、さらに心配事が増してしまった。


 この二週間で分かったのは、悠夏は私と二人きりになると明らかに居心地が悪そうにしている、ということだ。


 四人で行動しているときの悠夏は表情も豊かで、私たちの話に笑ってくれて、自分からも楽しそうに喋ってくれる。一か月前までとはやはり印象が違っていて、今の悠夏は、むしろ中学時代に教室でクラスメイトと大騒ぎしていた「黛さん」を思い出させる雰囲気を纏っている。


 そんな悠夏が私と二人きりになると、途端に静かになってしまう。隣同士で歩いていてもどこか上の空で、私が声をかけるとソワソワし始めて、妙に早口で話したり、その声が上擦ったりする。ふとした瞬間に目が合っても、すぐに逸らされてしまう。私も明らかに様子がおかしい悠夏との距離感を掴みかねてしまい、私たちの間には奇妙な空気が漂っていた。 


 今まで悠夏とはどんな話をしていたんだっけ。


 会話を切り出していたのは私?それとも悠夏?


 考えるほど自然に振る舞うことが難しくなっていき、気がつけば二人そろって俯きながら無言で歩いているような状態になってしまう。そんな状態だから当然、手を繋いで歩くことなんてなかった。

 

 やっぱり由香里さんの言う通り、私はもう呆れられてしまったのだろうか。もう私と一緒にいるのが面倒になっているけど、誘われるから仕方なく付き合ってくれているだけなのかもしれない。


 その事を直接悠夏に確認する勇気など持ち合わせていない私は、悠夏の変化に気づいていないフリをして、今までと変わらず悠夏のそばにいることしかできなかった。

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