忘れた頃に彼女は

フジ ハルヒ

大学2年生、東京2年生(柊パート・現在①)

 スーツや制服を着た人がひしめき合う駅のホーム。冷静に見れば異様な光景だが、その中に入ってしばらくすれば何も思わなくなる。


 東京の朝の満員電車にも今やすっかり慣れてしまった。大学2年生になり、去年よりも1限目に授業がある日が減ったことで通学はかなり楽になった。ときどき冷静になって、朝の通勤ラッシュの光景に吐き気を覚えることはあるが。


 家賃をケチって大学から少し離れた所にアパートの部屋を借りたばかりに、1限目がある日は2本の満員電車を乗り継いで大学まで行かなければならなくなってしまった私。入学したての頃はラッシュアワーを避けるためにかなり早起きして、大学近くのファストフード店で時間を潰したりしていた。それでも、バイトを始めたり友達と遊ぶようになるうちに早起きが苦になってやめた。私と同じく上京を考えているらしい妹には、少し家賃が高くついても電車一本で大学まで行けるところに住むようにアドバイスをしておこう。


 また、上京したばかりの頃は大量の路線が交錯する東京に目眩がしていた。なぜ違う鉄道会社で同じ名前の駅があって、その場所が離れているのだろう。少しくらい駅名での差別化を図ったりはしないのだろうか。スマホで乗り換えを調べる度にぶつぶつ一人で文句を言っていたが、今ではある程度の土地勘も身につき、学校帰りの寄り道も余裕だ。


 それでも未だに迷子になることはあって、まだまだ東京を自分の住処だと認識することは難しい。これくらいの方が毎日が新鮮で良いよね、と自分に言い聞かせながら、今日も私は電車に揺られるのだ。



*********



「ごめん。やっちゃったね」


空席がほとんど無くなった大学の食堂を覗いてから、申し訳なさそうに美玖みくが呟いた。提出期限ギリギリの課題を先生のところまで提出しに向かった美玖を真希まきと二人で待っていたおかげで、完全に遅れを取ってしまった。


「別にいいって。たまには外で食べようよ」

「そうだね。ほら、行こう」


私に同調した真希が美玖の手を引っ張りながら、食堂の入口に背を向けて歩き出した。私はいつも通りその後ろをついていく。三人でどこかに行くときは、このように二人の後ろで楽しそうな会話を聴きながら歩くのが好きだ。


 入学した直後の新入生の集会で、たまたま近くの席に座っていた二人。話しているうちに意気投合して、大学では基本的に三人で過ごすようになった。美玖は明るいベージュのショートヘアーで、無邪気な性格。一方の真希はダークブラウンのセミロングで、美玖よりは冷静な性格。正反対に見えるこの二人の相性が良くて、まるで姉妹のようだ。


 似ているところも多くて、共にものぐさな二人は大学の外へ昼食を食べに行くのが面倒だからと食堂ばかり使うので、私も普段はそれに便乗している。せっかく「東京の女子大生」なのだからオシャレなお店でランチでもしたいところだが、美玖と真希はそういうことにはさっぱり興味がないようだった。今日は二人を外へ連れ出すチャンスだと思ったのも束の間、二人は迷うことなく大学の近くのファストフード店に入っていった。私が去年に朝の時間潰しに使っていた所だ。まあ、この二人が洒落た雰囲気のカフェでランチなんて似合わないか。横並びで大きなハンバーガーを大口開けて頬張っている二人を見て、思わず笑ってしまった。


「柊、なに笑ってるの?」


口の中にハンバーガーが入ったまま美玖が喋るものだから、二回ほど聞き返してようやく理解できた。


「いや、二人らしいなと思って」

「なにが」

「その女子らしくない感じ」


どういう意味、と真希が3、4本のポテトを摘みながら言う。


「だって、ほら。美玖は口の周りをハンバーガーのソースでギトギトにしてさ。真希もコーラのLサイズをがぶ飲み。しかもゼロカロリーのやつでもないでしょ?」

「だって太らない体質なんだもん」

「嫌味か」


私と美玖の声が揃った。


「嫌味って、あんただって食べてるじゃない」と真希が美玖をポテトで指しながら言う。


美玖は「私はその分、バイト終わりに必死に運動してるんだから」と言い終わると同時に、ハンバーガーの最後のひと欠片を口に放り込んだ。


 美玖はスポーツジムの受付のバイトをしていて、よくシフト終わりに器具を使って運動をしているらしい。一度だけ真希と冷やかしついでにジムへ行ったが、生まれつき文化系の私は速攻でダウンしてしまった。負けず嫌いの真希はしばらく頑張っていたようだったが、結局最後は私と同じようにダウン。二人揃って更衣室で座り込んでいたところへ、「何しに来たの、ひよっこ」とニヤニヤにながら美玖が入ってきたことを覚えている。


「まあ、そんな二人だから仲良くなったんだけどね」と一応のフォローをすると、二人ともニコっと笑う。やっぱりよく似ている。


 昼食を終えて学校へ戻り、今日最後の3限目の授業を受けた後、二人と別れて駅まで歩く。真希は4限目の授業へ向かい、美玖は他の大学に通う彼氏とデートあるからと言って学校前からバスに乗ってどこかへ行ってしまった。真希が4限目に授業を入れたのも、1年先輩の彼氏の授業時間に合わせたからだ。あの二人、あんな感じでしっかり彼氏はいるのだ。そう思うとなんだか虚しくなってくる。その一方で、私も今すぐ彼氏が欲しい訳ではないのもまた事実だ。私にはおそらく恋愛はできないのだと高校生の頃に学んだから。


 誰かに訊かれたわけでも、誰かが聞いているわけでもない言い訳を脳内で呟きながら歩いていると、すぐに駅に辿り着く。朝とは打って変わって人が少ない。ホームで待つ人のほとんどが私と同じく3限目で授業を終えた学生だろう。ホームに入ってきた電車に乗り込み、人のいない車両の角に立ってから、ワイヤレスイヤホンをつけてスマホで音楽を再生する。こうやって音楽を聴きながら、高速で流れていく外の景色を見るのが好きだ。確かに美玖と真希と一緒にいるのも楽しいが、あの二人は例外のようなもので、基本的に幼い頃から私は一人の時間が好きなのだ。


 乗り換えをする駅で降りたけど、今日は一旦そのまま改札を出る。バイトがないので、近くの本屋へ行ってみようと思い立ったからだ。東京に慣れてきた去年の夏ごろ、なんとなく乗り換えをせずに駅を出て外を歩いていたときに見つけたこの少し大きめの本屋。昔から本が好きな私は、ここを気に入ってたまに学校帰りに訪れていた。2年生になってからは忙しくてなかなか来れていなかったから、ここに来るのは久しぶりだ。新しい本でも買おうか。


 店の前まで来たところでイヤホンを外す。入口に近づくと、少し軋んだ音を鳴らしながら自動ドアが開いた。そこを潜って店内に入ると、書店特有の香りの中を歩いて新刊のコーナーに向かう。棚をひと通り眺めてみるが、気になる本は特になかった。


 文庫本のコーナーへ移動する。端から眺めながらゆっくり歩いていると、中学生の頃によく読んでいた作家の名前のを見つけた。教室の隅の席で一人、この作家のミステリー小説を読んでいた。あの時は発売されたばかりでハードカバーのものを読んでいたのに、もう文庫本になっているのかと驚く。懐かしくなってその本と、何冊かの小説を手に取ってレジへ向かった。


 今まではレジに一人の店員が立っていたが、今日は二人が並んでいた。見覚えのある男性の店員さんの横で、若い女の子がお客さんに対応している。私と同年代に見える彼女は、まだレジに慣れていないような様子だ。きっとアルバイトを始めたばかりで、研修も兼ねているのだろう。


 そんなことを考えているとすぐに私の番がきた。持っていた文庫本たちを「お願いします」と言ってカウンターに置いた。すると次の瞬間、その女の子は一瞬「あっ」という声を出した後で、動きを止めた。そしてすぐに「......お預かりします」と言って本のバーコードを読み取り始めた。


「あっ」ってなんだろう。何か重大なミスでも犯したのかな。


「あの、えっと......カバーは......お付けしますか?」

「いえ、大丈夫です」


私は書店で貰うカバーを必要だと思ったことがない。それに、まだぎこちない店員さんに一冊ずつカバーを付けさせるのも申し訳ないと思ったから断った。ますます小さな声で「かしこまりました」と小さく言ったその店員さんは、そのまま文庫本をビニール袋に入れてから、私が出した3枚の千円札をレジに入れ、お釣りをトレーに置いてくれた。思いのほかスムーズな動きに何故か安心する。お釣りは手渡しよりも、こんな風にトレーでくれる方が好きだ。


「ありがとうございます」

「あの......あ、ありがとうございました。またお越しください」


私が軽く頭を下げて行こうとすると、男の店員さんの方から「いつもありがとうございます」と言われた。覚えられていたのかと思うと恥ずかしくなる。


 自動ドアが軋む音を背後に感じながら外に出て、肩から下げたバッグにビニール袋ごと本を入れようとしたが、教科書がいっぱいで微妙に入りきらない。私がサークルにでも入っていれば、部室に全部置いておけるのに。結局諦めて、手に持って歩くしかなかった。


 イヤホンをつけて音楽を聴きながら駅まで歩いていると、ここまで来た時よりも人通りが多くなっている事に気づいた。この近くには中高一貫の学校があり、どうやらその下校時刻と重なってしまったようだった。


 駅に辿りつき、改札を通ってホームへ向かうと、ちょうど電車が入ってくるところだった。少し早歩きで乗り込むと、既に車内には制服を着た男女がたくさんいる。そこに私と同じ道を歩いて来た学生たちも加わり、車両のほとんどを中高生が占めている状態になった。


 乗車口の側に場所を確保して、流れる景色を見ながら音楽を聞く。大学の最寄り駅から乗った電車の中とやっていることは同じだけど、今はイヤホンから流れる音楽の隙間から学生の楽しそうな声が束になって入り込んでくる。その音を聞いていると、何故か今日出会った本屋の店員さんのことが頭に浮かんだ。


 いかにも「緊張しています」というような声と動き。少しおかしくて確かに印象には残る。でも、それだけじゃない。何かが私の中に引っ掛かっている。なんだろう、この感覚。


 もう一度、あの子を頭の中で描いてみる。私より少し高い身長。肩まで伸びた黒い髪。一瞬だけ目が合ったときの「あっ」という声と表情。若干のつり目がその瞬間だけ見開き、また元に戻る。


 控えめに私へ注がれる視線。


「あっ!」


今度は私が声を上げてしまった。その直後、ここが電車の中だということを思い出して口を手で覆う。


いつから私は彼女を忘れていたのだろう。


まさか東京でまゆずみさんと再会するなんて、想像もしていなかった。

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