第44話 敗北を悟る

 手牌を見ると、ダブドラの七索は1枚しか無かった。本当だったら2枚、もしくは刻子にしたかったのに。歯噛みしながら萬子の1を河に捨てて、山から牌を拾う。


 その牌を見て、わたしは目を丸くした。

 ――七索⁉ なんでここに⁉ 


 確か、わたしここには字牌の『東』を仕込んだ筈なのに……。

 どうしてか分からずにいたけれど、落ち着いて考えてみれば理由は一つしかない。

 バッと思い当たる理由の方へ……ナルちゃんがいる方へと、わたしは振り返った。


「あら? どうしたのかしら、ラブさん?」


 ナルちゃんは小さく鼻を鳴らして、髪をくるくると指に巻きつけていた。

 ナルちゃ~~~~~~ん! わたしは感激で声が上擦りそうになった。


 ナルちゃんの手と洗牌シャッフルが、深海に投げ込まれる前の麻雀牌に少なくない影響を与えたんだ。


 これで本当の麻雀と結果が繋がりつつあった『積み込み合戦』に偶然ギャンブル性が生まれた。


 でもここまでしてようやくわたし達は、メリッサと麻雀で戦えるようになるんだ。

 わたしの隣にいてくれて……ありがとう、ナルちゃん!


「さぁて、では東場3局目を開局しようじゃないか」


 メリッサは尚も余裕そうな笑みを浮かべて、開局を告げた。

 牌を捨てては拾ってを繰り返す。かちゃかちゃと牌音がこだまするだけで、この場にいる誰も声を出さない。


 それぞれの河に捨て牌が降り積もっていく。大抵、序盤の捨て牌は字牌か1と9の数牌だけ。駆け引きは捨て牌の数が6つを越えた所から始まる。


「リーチ」


 メリッサが宣言と共に、索子の5を横向きにして捨てた。

 するとゲームはまだ終わってないのに、メリッサの腕輪から閃光が奔る。


 指の爪が全部吹き飛んだと錯覚するほどの、1千点分の電撃に対して、メリッサは眉を少しひそめるだけだった。


 わたしは自分の胸をギュッと握りしめる。

 永田町ルールでドラのインフレが起こってるのに、わざわざ1千点犠牲にして、リーチ=1翻を確保してきた。メリッサの今の手牌は安手なのかも。


 でもどんな安手でも和了られたら、わたしの親が終わってしまう。メリッサのリーチ宣言で緊張に縛られる心に、静かに言い聞かせる。


 だいじょうぶ。落ち着いて……相手をよく見るんだ。

 河に捨てられた牌から、わたしはメリッサの手牌を推測する。

 麻雀は相手の捨て牌を見ることで、相手の手牌をある程度、推測できる。

 特に推測しやすいのは順子だ。


 1~9の数牌には、(1《イー》・4《スー》・7《チー》)、(2《リャン》・5《ウー》・8《パー》)、(3《サブ》・6《ロー》・9《キュー》)という仲良しのグルーブ=『スジ』が3つ存在してる。


 そして、数牌を河に捨てたら、同じスジの数牌じゃ和了れなくなるっていう制約ルールがある。


 つまり、メリッサは5の索子を捨てた時点で、同じ仲良しグループの2と8の索子じゃロン和了あがりが出来なくなっていた。


 メリッサの河から流れ《スジ》を読み込み、わたしは4面子雀頭を完成させる。


「 ツモ。2万4千点 」 


 もう躊躇わない。

 三色同順(2翻の役)とドラ6枚で、8翻になる。

 腕輪が手牌をスキャンしてすぐ、ナルちゃんとメリッサに倍満級の電撃が流れる。

「カッ……は、ハハハ。これは中々キツいなァ」

「いい気味ね」


 青白い閃光が止んで、目蓋を開けば自分の設けたルールに苦しむメリッサがいた。黒髪からジジッと電流を漏らしながら、ナルちゃんは皮肉たっぷりに嘲笑う。


 これで、わたしの持ち点は4万点。

 メリッサの半分の点しか手に入らなかったけど、この調子なら追いつけるかもし


「 ロン。8000点 」


 鉄槌のように重たいメリッサの宣言が、わたしの頭に振り下ろされる。

 バジンッッ‼ と、舞い上がった気持ちが閃光によって叩き落とされた。


「安手だったが、まぁ良い。これで東場は終わり。今度はワタシのターンだ。――――突き放す気で行くから、死ぬ気で喰らいついてこい」


 紅蓮の瞳が、闇の中で苛烈に輝く。


 ――――だめだ。


 わたしは歯を食いしばって、沈みそうな顔をグッと引き上げる。


 もう折れちゃだめだ! 

 帰る、絶対にみんなで帰るんだ! 


 ドブンッ‼ と、集中する過程を省略ハブいて、わたしはメリッサの座す深淵へと一気に潜り込む。


『……ずいぶん無茶したねぇ』


 わたしは静観を貫く。

 もう意思ことばを交わす必要なんて無い。


 南場1局。

 メリッサは自分が親でいるこのターンで、役満を叩き出す気だ。


 一度でも役満を出されて、2本場に連荘したら――――メリッサは自分の持てる技量全てを注いで、そのまま役満を連発する。


 可能かどうかの問題じゃない。『そうする』という強烈な意志が、血塗られた瞳からビシビシ伝わってくるの。


 何度もここに潜り続けて、ぶつかり合ってきたからこそ……分かる。


『どうやら君の方が覚悟を決めているらしい。隙の無い、良い心の構え方だ』


 海流に揺れるメリッサの白髪が、その燐光の輝きを後光の如く増やしていく。

 ここが、分水嶺だ! 


 わたしはキッと眦を吊り上げて、美しくも悍ましい怪物へ、鋭い視線の切っ先を突きつけた。


        『 すこし   乱暴しようじゃないか   』


 その時メリッサは初めて―――――笑うのをやめた。


 瞬間、わたしの視界いっぱいにメリッサの爪先が映った。


『 え ? 』


 白い槍みたいな蹴りが、わたしが構えた心ごと蹴り貫かんと迫る。

『ひぁっ!』と声を上げて、わたしは体を思いっきりのけ反らせた。情けない声を閉じ込めた気泡だけが昇っていき……美脚の槍に吹き飛ばされる。


『貰うよ』

『え……あ⁉』


 槍の切っ先――爪先を見やれば、メリッサは足の指で南場のダブドラである萬子の4を掴んでいた。


 勝負の最中じゃなかったら惚れ惚れと見つめてたかもしれない美脚を引っ込めて、メリッサはバレエのような挙動で深海を跳ね上がる。


『まずい!』


 わたしは死に物狂いでメリッサに追い縋る。

 手を伸ばして、足で海水を蹴って、指で圧し掛かる水圧を掻き分けて、メリッサが残していったおこぼれのような牌を拾っていく。


 ――――――――でも。


 白光の軌跡が、深淵を蜿蜒と切り裂いていく。


 うねうねと、ジグザグと、駆け抜ける様は白い稲光にも神聖な白蛇にすら見えて、メリッサが深淵のメリッサ足る証を、視界に、心に、刻み付けられる。


『――ぁ』


 敗北の予感ゆびさきが、わたしの腰から背筋を沿って首筋を撫でていく。

 身体が、自分の意志に反してぞくぞく震えて……その場に留まることしか出来なくなった。


 わたしが手に出来たのは、偶然わたしの手のひらへ落ちてきた数牌だけ。


 そうして、わたしは、何もできないまま『積み込み』を終える。

 終えて、しまった。


「フヒッ」


 胸がざわつくことはなかった。


「ヒャハッ」


 目蓋を閉じて尚、深淵のメリッサの白い髪と赤い瞳が鮮明に浮かんでくる。


「ヒャハッ! ヒャハハッ!」


 メリッサの中で、快楽が暴れ狂う。


「キャッッッッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ‼‼‼」


 地団太を踏み、噴火の如く吹き上げる享楽の嬌声を大地に降ろして、


「ハッ、アッハ!」


 収まることを知らない愉悦の感情が、彼女の背を弓なりに背を逸らせて、


「アハハハハハハハハハハハハハハハハァァァーーーーーーーーーーーーッッッッ‼‼‼‼‼」


 恍惚とした相貌を、降り注ぐ月光に照らし出させた。

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