第22話 雀鬼のあなたへ

 強気な姿勢を崩さなかったおかげか、1局目は誰も和了ることなく流局。支払われた3本の点棒は次に和了った者の総取りとなった。


 2局目からは最早、異様な様相に呈してきた。


 私はどんな危険牌でも捨てて捨てて捨てまくり、真っすぐにあの役を目指す。

 対して猪狩伎はがんがんポンやチーを使って、捨牌を取り込み、攻撃力を増やす。


 まるで殴り合いのような、打牌の応酬。

 負ける時のことなんて、考えてない。考えられない。それはあの男も同じだ。

 他プレイヤーの状況も負けを抑える戦略も並べられた牌の予測も、何も考えない。


 ただ和了るのは私だ俺だと吼えて、不確定な『運の流れ』を奪い合う。


 殴り合いの余波で山牌は消し飛び、河には牌が降り積もる。

 普通の麻雀ではあり得ない状況。私も猪狩伎も、いつ同卓のおじいさん二人にわき腹を刺されるか分からない。いや、とっくにそうなってもおかしくないのに、なぜか流局するまで私と猪狩伎はり合えてしまっていた。


 3局目に突入する。


 一心に牌を混ぜる。


 来い。

 想いを練り混ぜるように。


 来い、来い。

 祈りを叶えさせるように。


 来い来い来い! 

 ギンギラに目を輝かせる。


 そんなあやふやで不確かであるかどうかも分からない、人の手に届かない何かへと、手を伸ばし続け――――手のひらに、軽くて柔らかい衣のような感触を覚えた。



カチン! 



「っ⁉」


 牌と牌がかち合う音に、肩が跳ねる。気づけば、もうシャッフルも配牌も終わっていて、手元には手牌が並べられている。


 へ、なに、どういうこと? 


 シャッフルから配牌までの記憶がすっぽり抜け落ちている。なのに、私は山牌から牌を抜き取って、しっかりと手牌を並べている。


 同卓の3人を見回しても、不自然は無い。

 皆、普通の顔で自分の手牌を起こしていた。


「……ナルちゃん大丈夫?」


 肩をつつかれて、私は自分の挙動の不自然さを指摘された。心配そうにこちらを覗きこむラブさんに「だ、大丈夫よ」と返してから手牌を起こす。



 瞬間、―――――――脳髄が戦慄わなないた。



 来た。

 全身の細胞一つ一つが振動しているかのように、体中がぞわぞわする。


 来ちゃった‼

 この手牌なら、十分に狙える。これまでずっと追い求めてきた役、ではなく。

それ以上の大きな役を完成させるチャンスが訪れた!


 私は訪れた好機の、余りの稀少性に打ち震える。

『ここで和了らなければ、もう二度とやってこない』と、手のひらに残った感触が告げていた。


 興奮を全力で胸の内に留め、表情筋を鉄筋の如く固める。

 ぜっっったいに悟られてはいけない。脳内で、深呼吸する自分を想像して、落ち着かせる。まずはバラバラになっている手牌を、牌の種類ごとに分ける。


 左から数字が書かれた萬子・竹が書かれた索子・〇が書かれた筒子に並べた後に、唯一の字牌である『東』を捨てた。


 麻雀の対局中は基本的に静かだ。淡々と打牌し、カツカツという牌音が鳴る以外は誰もしゃべらない。口を動かすよりも、目を動かしているからだ。


 自分の手牌を見て、自分が捨てた牌を見て、河に捨てられた相手の牌も見る。

何のためか。


「ポン」


 おじいさんが萬子の1を捨てたのを見取って、私は鳴いた。おじいさんが捨てた萬子の1が手牌に加わるや否や、3枚揃った萬子の1を表にして、雀卓の角に並べる。


 さっそく、一萬イーワンの刻子が出来たわ。幸先の良さを祝いながら、私は筒子の7を河に放る。


 しかし相手の捨てた牌を利用して刻子を作る「ポン」が決まってからは、もどかしかった。ツモった牌をそのまま河に捨てるという単純作業が長く続いた。


「リーチ」

 7巡目を迎えて、猪狩伎が点棒を場に収める。

 必要な牌が来ない焦りと相まって、猪狩伎の放つオーラに鋭さが宿った気がした。まるで居合の構えでも取ってるかのように。


 いつでもぶった切ってあがってやると宣告された気分ね。


 牌を捨てようとする手に躊躇が生まれる。

 この牌を捨てたことが起因で、猪狩伎が抜刀ロンするかもしれない。ここにきて今更、そんな怯えが生まれるなんて。

 私はフッと頬を緩め……索子の6を打牌する。


 危険上等! 切れるものなら切ってみろ!


 鼓動が若干早まるが、杞憂だった。猪狩伎はロンをすることなく、またしばらく打牌の音だけが空間にこだまする。


 よし! 索子の9をツモった。

 手牌に加えて、九索キュウソウの刻子が出来上がる。和了まで、残り2枚。一向聴イーシャンテンに突入した。


 でも……少し、まずいかもしれない。雀卓を一瞥すると明らかだ。

 山牌がどんどん減っていき、プレイヤーの前の河には少なくない捨て牌が重なっている。


 和了に必要な種類の牌は、索子の1と筒子の9。


 猪狩伎やおじいさん達の河を見る限り、誰も一索イーソウ九筒キュウピンを捨てていない。つまり、二種の牌の行方は、誰かの手牌に組み込まれているか、山牌の中で眠っているかだ。


 山牌から拾えるツモれる回数はあとわずか。

 そのわずかなチャンスで、二種類の牌を引き当てるのは困難だ。だとすれば、3人の誰かが一索イーソウ九筒キュウピンを捨ててくれるのを待つしかない。


 けど……私は南場に突入してからの、自分の捨てた牌を順に思い浮かべていく。

 徹底して4・5・6を捨てていった私は、他のプレイヤーから見れば、1と9を欲しがっているように写る。


 いや十中八九、1と9の数牌を狙っていることは見破られている。


 とどめは、さっきのポンで一萬イーワンの刻子を作ったことだ。

 ポンで出来た刻子は公開しなければならないという、ポンのデメリットが今になって効いてきてる。


 あれでもう誰も1と9の数牌――――老頭牌ロウトウハイを捨ててくれないだろう。


 ……だったら、やることは最初から最後まで、一つだけだった。

 さりげなさを装って、右手を包み込むと目蓋を閉じる。



『じゃあ、お前は老頭牌ロウトウハイに愛されてるのかもな』



 目蓋の裏で、縁側に座る祖父が浮かびあがった。

「 信じるよ、おじいちゃん 」


 小さく、小さく呟いた祈りを、右手に込める。

 山牌に右手を伸ばす。牌を一つ取り、並べられた手牌の右端に置いた。


「…………っ」

 覆い隠していた手のひらを離すと―――九つの〇が刻まれた牌が、そこにあった。


               ありがとう。


 感謝の念が歓喜を上回る。

 九萬キュウマンの刻子・一萬イーマンの刻子・九索キュウソウの刻子に加え、九筒の刻子が出来上がる。


 残すはあと一枚、索子の1。


 胸の辺りで膨らむ喜びを押し込め、無表情を務めながら、顔を上げる。

 すると、対面に座る猪狩伎と目が合った。


 侮る訳でもなく、恐れる訳でもなく、目を逸らす訳でもない。ただ真っ直ぐに、眼前の雀鬼の眼差しを推し量る。


 あぁ、なんだ。


 縁側に座る祖父と同じ目をしていた。

 鬼なんかじゃない、ただ麻雀が好きな『人』の目だ。


 刀傷で塞がれ、わずかな隙間から覗く猪狩伎の左目が語り掛けた。


『まだまだ、やろうや』

 ――よろしくお願いします、と、私は敬意を込めて見つめ返す。


 最後の牌を求めて、私と猪狩伎は真っ向からぶつかり合った。

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