第10話 わたし達4人は、先生に置き去りにされました

 麻雀同好会に入ってすぐ、沼田先生は公言した。

『俺が君らに教えるのはイカサマの方法、それだけだ』と。


 最初は眉をひそめたわたしだったけど、イカサマを学ぶってことは同じイカサマに引っ掛からないようになることだと、後で知った。


 わたし達が誰かにカモにされないように、あの人なりの考えがあって教えてくれたんだろう。


 まぁ、でも教えられた技をどう使うかは本人達次第な訳であり。


「あの料理美味しかったねー!」

「うち、そもそもフルコースなんて初めてだったよ!」

「プラさん! あなた露骨に仕込み過ぎよ! 危うくバレるとこだったわ!」

「いーじゃんいーじゃん。その甲斐あって、いっちばん高いフルコース食べれたんだし!」


 夏の夜空の下、泡風呂ジャグジーに浸かりながら、わたし達4人は勝利の喜びを分かち合っていた。

 思う存分、最上階のレストランの料理に舌鼓を打ったメンちゃんはすっかりご満悦だった。


「今日のうちら凄くない⁉ なーんかバイトするの馬鹿らしくなっちゃうわ~」

「でも、それは相手が高レートで、東風戦を受け入れてくれたからよ。平常時はこんなに上手くいきっこないわ」

「あと自動卓じゃなかったのが運良かったよね! あたしらの技って手積み限定だしさ~」

「……そうだね」


 有頂天だった気分が、プラちゃんの指摘でちょっと冷静になる。


 今時はイカサマ防止も兼ねて、どこの雀荘も全自動卓――つまり機械が自動でシャッフルしてくれるものが多い。

 こんな高級ホテルなら尚更、自動卓だし…………おかしいな、わたし。


 みんなと美味しいもの食べれて幸せなのに……自動卓だったら良かった、って思っちゃう。


 そしたら、あのおじいさんとおばあさんと――――――もっと。


 わたしは口元まで湯船に浸かって、ポコポコと泡を出す。するとナルちゃんがわたしの頭を撫でながら、このホテルの雀卓が手積みである訳を話した。


「簡単なことよ。珍しくここの麻雀卓が手積みだったから、沼田和義はこのホテルを気に入ってるのよ」

「そういうことかー」と、プラちゃんが手を叩く。


 わたしは伸びをして、湯船に背を預けた。


 ジャグジーの湯加減は絶妙で、思わず「ほぅ」と吐息が出る。ドクターフィッシュみたいに、きめ細やかな泡が体の疲労を取ってくれる。

 少しくすぐったいけど、そのくすぐりが胸の中のチクチクをちょっとずつ和らげてくれた。


 エステとはまた違う気持ち良さに微睡(まどろ)んで、空を仰ぐ。こっちの夜空は東京のそれよりずっと澄んでいて、白い瞬きにキラキラと彩られていた。


 至福って、こーいうことを言うんだろうなぁ~。


 思ってた以上に「非日常」にはしゃいでたみたいで、その反動がやってきた。意識がふにゃふにゃになって、舟を漕いでる自分に気づいていて……。


 すると、スマホをいじっていたメンちゃんが唐突に目を輝かせた。


「え、まじ! 行く行く! ねぇ皆、沼先ぬませんが花火買ってきてくれたって!」

「やるーーーーー‼」

 わたしは跳ね起きた。

 こうしてわたし達はバスローブ姿で沼田先生のところに行って、ホテルの駐車場で花火を楽しんだ。こんな風に、楽しい合宿旅行はあっという間に過ぎ去っていった。


                *


「ったく、ぐーすか寝やがって、こいつら」

「あはは……皆は日が昇るまで話し込んでましたから」


 合宿最終日、帰りの車に揺られて、3人は後部座席で気持ちよさそうに寝ていた。

 運転席の沼田先生は呆れた視線を後ろに送る。助手席に座るわたしは、そんな先生の様子を見て、少し申し訳ない気持ちになった。


 チェックアウト前にまたプールに入ったせいか、車内はプールの匂いに満ちてる。


「わたし、この匂いちょっと好きなんですよ」

「あー、わかる。なんつーか青春って感じするよ。俺には縁遠いものだわ」


 教師なんだから、むしろ身近なのでは? 

 って思ったけど、なんとなくお口にチャックをしておいた。


 車の窓が開いて、空気が入れ替わる。塩素の匂いが薄れていって、少し熱気が混じった風が入り込んでくる。


 ふと、スンスンと鼻を鳴らす。

 熱気だけじゃなく、濃厚な緑の匂いも混じっていた。見渡す限りの稲畑だった。来た時にも薄々感じてたけど、ホテル周辺の稲畑に人の気配はまったくない。

 お昼だけど……ちょっと怖いな。耳がざわざわと騒がしい雑踏を望んでいると、沼田先生が「いやーにしても」と、わざとらしく大きめの声をあげた。

 

「しっかり楽しみ尽くしたみたいだなぁ。まさか本条が麻雀で稼ぐとは。しかも初積み込み」

「自分でもちょっとビックリしてます。あれだけ先生に部活で教えてもらったのにできなくて……なのに」

「なんでできたんだろうって?」


 先生の声が不思議と響いて聞こえてきた。

 その不思議な響きに驚いて、わたしは車窓から運転席の方へ振り返る。沼田先生の表情はにこやかだ。口元が緩んでいて笑っているのが分かる。


 でも、なんだろう…………こわい。


「そりゃ簡単なことさ。君の中に【欲】が生まれたから。人が最も力を発揮するのは、【欲】を抱いた時だからね。部活で成功しなかったのは、単に君が現状に満たされ、満足してたからさ」


 ――――満ち足りた奴に、【欲】が生まれるかよ。


 小さく。ほんとうに小さく、先生はそう呟いた。


 車の窓から入る風の音で消えそうなくらい小さな声は、わたしの心に信じられないほど重く、圧し掛かった。


「え、と……え、先生?」

「はーい、じゃあここで本条にサプライズクーイズ。人が最も欲深になる時、つまり人がイカサマをする時ってどんな時でしょぉーか?」

「どうしたんですか? なんで急にそんな……」

「はい。ごぉー、よぉーん、さーん」


 おふざけの、陽気な声で先生はカウントダウンを始める。でもわたしはちっとも盛り上がれなかった。ただ……ただ、サングラスの向こうにある目が見えなくて、分からなくて、こわい。


「にぃー、いーち」


 カウントが終わる間際、わたしは「あっ」と気づいた。

 ――人って目を見ないと、どんな顔してるのかも分からなくなるんだ、って。


 ニヤニヤした口元のまま、先生の手が、わたしの顔に影を落とした。


「はい、解答無し。じゃ、これは本条の宿題だな」

「…………へ」


 涙がにじむほどきつく閉じた目をおそるおそる開くと、先生はわたしの濡れた髪をくしゃくしゃに撫でていた。

 ぽかんと口を開いていたら、先生はくっくっくっと喉を鳴らしながら、サングラスを少しだけ押し上げた。


 その目は、生徒に何かを教えようとする教師の目。わたしの見知った目だった。


「こんなんでビビってんじゃないよぉ、まったくさ。そんな罪悪感感じてるんなら、最初からイカサマするなー非行少女」

「なっ、なんですか⁉ なんなんですか、もうっ!」


 いやっ! 髪崩れちゃう! やだぁー! わしゃわしゃと犬みたいに撫でてくる先生の手を剥がそうとしたけど、びくともしない! 


「まっ、気にすんな。人間誰だって悪さの一つや二つやっちまってるさ。まぁーだからこそ、不運ってのは、人間にしか降りかからないんだけどな」

「もう何の話ですか⁉ わたし、分かんないですよぉ!」

「楽しい旅行から帰る時にしておく心掛けってやつさ。不運は甘んじて受けるべし、されど向き合えってね。その方が気楽だろぉ。『なんで私だけこんな目に~』とか思うよりさ」


 先生の手のひらの感触が消える。わたしは「むー」と唸りながら、窓とにらめっこして、指で髪を梳く。窓に映りこむ先生の顔は、今度はサングラスを掛けていても分かった。だって、わたし達と麻雀を打ってる時に散々見かける表情だから。

 

 まだまだ稲畑の風景は変わらず、わたしの髪が整い始めた時だった。

 ブシュゥゥゥと、空気が噴き出す音と共に、車が減速していった。


「マジかよ」と後方を見やる先生の様子から、わたしはタイヤがパンクした音だと遅れて気づいた。


「スペア持ってきて良かったな……本条。悪いが皆を起こして降りてくれねーか。その間に交換するからよ」

「はっ、はい!」


 わたしは助手席から降りて、3人を揺さぶって起こす。

 皆、まだ寝ぼけ眼で覚束ない足取りだった。わたしは羊飼いのような気分で、車から離れた所に皆を誘導した。


「パンク~~~?」

 メンちゃんが不満げに目を擦り、


「まぁ仕方ないねー」

 プラちゃんは諦観と共に背伸びをし、


「……でも、タぃヤは、潰れてらいわよ?」

 ナルちゃんは眠気で口が回っていなかった。


「あっはは、ナルちゃんったら。あの音は空気が抜けたお」


 ――――ブロロロロ……と、エンジンの息吹が遠のいていく。


 ぺちゃんこになったと思い込んでいたタイヤはあぜ道をよく転がり、運転席の窓から先生が手をひらひらと振っていた。



「「「「 …………え? 」」」」



 意図せず、わたし達は同じ想いと呟きを四重奏していた重ねていた


「ちょっ、えっ、なん、まっ! 待って沼先ぬません⁉ 沼先⁉」

「笑えない、これは笑えないわよ⁉」

「止まれ沼田ぁぁぁぁあああああ‼‼」


 メンちゃんとプラちゃんが追いかけるけど、車は少しもスピードを緩めず、彼方へ走り去る。


 呆然とするわたしの肩を、ナルちゃんがガッと掴む。


「スマホは⁉ なにをトチ狂ったのか聞きだしてやる!」

「……昨日の夜、みんな自分のカバンに入れてたよ」


 震える指先を持ち上げて、わたしは皆のカバンの行方を指し示す。……走り去った車と同じ方角を。ナルちゃんが愕然と目を見開く。


「ラブっち、ナルっち! これ見て!」


 走り戻ってくるメンちゃん、その手には一枚のルーズリーフが握られていた。重石と一緒に道端に置かれていたらしい。


 四角く折りたたまれたルーズリーフを開き、4人で覗き込む。



『行きは肩代わりしてやったんだ!

    帰りは自分達でなんとかしろーぃ。

       PS.家に帰るまでが合宿旅行だ・ぜ☆』



 投げやりに、清々したように、または面白がってるように、書き殴られた文字。

 顔を上げると、三者三様の、引きつった表情が目に入った。


「――ざっっっっけんじゃねぇぇえぇぇえぇぇえぇ‼」

「沼田和義ぃ‼ 帰ったらただじゃ済ませないわよ、ぜったい‼」

「意味分かんない! マジで意味わっっかんない‼」


 プラちゃんが咆え、ナルちゃんが拳を固く握りしめ、メンちゃんがルーズリーフを破く。


 でもわたしは、直前まで沼田先生と話していたわたしだけは、先生との車の中での会話を思い返していた。


「不運は……甘んじて、受けるべし……されど向き合え……」


 先生の言っていたことを繰り返し、呟いて、思う。

 ――――いや先生、これを不運って言うのは、ちょっと無理矢理過ぎませんか?


 なにはともあれ、高校2年の夏休み。

 わたし達4人は、先生に置き去りにされました。


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