第18話 『運殺し』に手を染めるJK

「こんばんは、突然お邪魔してすみません、猪狩伎いかりぎ天哉てんやさんはいますか!」


 瞬間、空気の重みが変わった。

 部屋の中は店内に漂う空気と違い、何か大切なものを賭ける者が放つ剣呑さに包まれていた。


 こんなのは、あのホテルでさえ無かった。気迫のレベルが違う。全身の毛穴がぶわりと開いた感覚を味わう。


 そんな状況の中においても、ごく自然体にゆるりと麻雀を打っている者がちらほらいて。その内の一人が紫煙をふわりとドーナッツ状に吹き出した。


「俺になんか用かい?」


 落ち着いた物腰、穏やかな声音。それらすべての印象を覆す、左目蓋の上を走る縦一直線の傷跡。私はカモがまだいた事実に安堵し、祖父の名と祖父との関係を一言でまとめて放つ。


「成瀬実莉。成瀬清涯しんがいの孫娘よ。」


 すると猪狩伎は右目を大いに見開き、カッカッカッと膝を叩いて笑い出した。


「あのジジィ、孫いたのかよ⁉」

「天ちゃん。誰だい、あのめんこいのは?」

「えらく若いなー嬢ちゃんたち。駄目だよ? そんな年で賭博なんてさ」

「……のっぴきならない事情なので」


 猪狩伎と同卓のおじいさん達はすごくフレンドリーだった。限界まで張りつめていたラブさん達は少し表情を緩めて、おじいさん達に会釈する。


「まぁまぁまぁ、こっちゃ来いこっちゃ来い! 後ろの子は友達か?」


 猪狩伎はお盆とお正月の時にしか会えない姪を呼ぶように、手招きする。


 なんなの? この人?

 奇妙な親密さが、私には逆に不気味に思えた。それに何故か無性に腹立たしい。


 招かれるままに雀卓の間を縫って進む。猪狩伎は、私達がここに来た事情や賭け麻雀をする理由も尋ねずに、率直に尋ねた。


「レートは?」

「デカピンで」


 少し食い気味に即答する。

 同卓のおじいさんや同部屋の人達が「おぉ」とざわめく。


 1名を除いて。


「あれ? 良いの? デカデカピンじゃなくて」


 意外そうに。

 むしろ私がそう言うと思っていたと言わんばかりの口調だった。けれど私も含め、この部屋にいる全ての人間が騒然とする。


 デカデカピン。

 そのレートは1千点で1万円。

 4翻以上の役を出せば、満貫(1万2千点)で、12万の大金が動く。役満(13翻)だと……48万。


 なのに、この男はそんなこと理解してないかのように、朗らかに思い出話に花を咲かせた。


「君のじいちゃんとは、いつもデカデカでやり合ってさぁ。いやぁホント勘弁してほしかったわー。カッカッカ!」


 あの鬼じじぃ、馬鹿じゃないの⁉


 殺意に迫るほどの怒気が湧いてくるが、当人にこの怒りの矛先をぶつけることはできないことに遅れて気づく。ぎりっと歯を鳴らしながら、私はそんなに手持ちがないことを告げる。


 すると、猪狩伎はおもむろに懐をまさぐって、ぽいと雀卓の中心に何かを放る。

 そこには、輪ゴムで丸められた50人ほどの諭吉が……⁉


 背後でラブさんが気絶しかけるのを感じた。二人が慌てて支える間も、話はとんとん拍子に進んでいく。


「東南戦でどう?」


 猪狩伎は至極自然に、微笑んでいた。


 あぁ、そうか。私はここにきてようやく気付く。

 なぜこの男を前にした時から、こんなに苛立つのか。


 この男は私を、成瀬実莉を見ていない。

 この男がやりたいのは、私の血に宿る成瀬清涯しんがいとのリターンマッチなのだ。


 それに気づいた時には、私は卓に着いていた。

 対面の席に腰を下ろした時点で、猪狩伎は初めて私、成瀬実莉に向かって尋ねる。


「君が負けたらどうする?」

「決めなくていいわ。勝つのは私だから」


 断言する。宣言する。

 それは負けた時の私の処遇は、全て猪狩伎に委ねるという意味でもあった。

 猪狩伎の瞳から郷愁の念が消え去り、極道らしく口の端を凶悪に吊り上げた。


「んじゃ、やろかい」

「よろしくお願いします」


 デカデカピンの東場1局、その幕は含みも溜めもなく、あっさりと上がった。『親』は猪狩伎からだ。


 四方から伸びる手が牌をシャッフルしていく。私は視界に意識を集中させつつ、指先の感覚を鋭く砥いでいく。


 表を向いている牌を覚えてから裏返し、有効な牌は自分の手牌になるように考えながら配置する。

 最初から裏返っている牌は一瞬だけ指の腹で絵柄を撫で、その感触から牌を特定。同様に有効牌を自分が取る位置の山牌に仕込んだ。


 麻雀に限らず、賭博が行われるゲームには必ず『運』が介在する余地が与えられている。運という不確定要素があるからこそ、それを引き当てた時の快感に人は酔いしれる。


 積み込みイカサマは、その『運』を殺して『絶対』という肉を手に入れる行為なのだ。


 負けるわけにはいかない。

 背中に注がれる視線を感じる度に、強く思う。


 メンさんはすぐ私に突っかかるけれど、いつだって私に本心でぶつかってくれる。


 プラさんは本当にバカだけど、あの明るさに何度も助けられてきた。


 そして……ラブさん。あなたは本当に優しくて、初めて会った時、私を「すごい」って言ってくれて――――あなたの前で、カッコ悪いところなんて見せれない。



 私がみんなを帰すんだ。

だってこれは、賭け麻雀このゲームは――――――――私が始めたんだから‼



 山牌から各々4つずつ牌を取っていき、配牌が終わる。

――準備イカサマは終わった。


『運』の返り血に塗れた手で、私は手牌を起こした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る