第19話 やんちゃな嬢ちゃん

 ――準備イカサマは終わった。

『運』の返り血に塗れた手で、私は手牌を起こした。


 筒子ピンズの1~9がずらりと並んでおり、この時点で3面子が完成していた。更には三元牌の『發』が3枚揃っており、残すは雀頭2枚を揃えるのみだった。


 よし、と内心でほくそ笑む。


 狙い通り、一向聴イーシャンテン和了あがりまで後2枚の状態)の状況に持ってこれた。積み込みの中でも、最初の手牌を良くするための『爆弾』というイカサマだ。


 沼田和義やラブさんがやっていた地和も分類上は『爆弾』だ。しかし、流石に地和を仕込むには、もう一人協力者がいないと難しい。


 とにかく、これで不要牌を捨てて和了あがれば、一気通貫+ホンイツ+役牌(發)で6翻。リーチもすれば7翻の跳満だ。


 私は逸る気持ちを抑えながら、山牌から牌を拾うツモする

 仕込んだ通りに『東』の風牌がやってきた。後、もう一枚同じ『東』がくれば和了あがりだ。不要牌を雀卓の真ん中――河に捨てる。


 リーチはまだかけない。

 一巡目から聴牌など、傍から見ればかなり怪しい。

 ある程度、巡数を稼いでからリーチを宣言した方が良いわね。


 猪狩伎は私が捨てた索子の五を見て、飄々とした態度で口笛を吹いた。


「初手、一・九でも字牌でも無く、いきなり真ん中? よっぽど良い手だったか?」

「……さぁ、どうかしら」


 麻雀は効率重視で見れば、順子と両面待ちが良いとされている。


 4・5の数牌を持っていた場合、3もしくは6を拾えツモれば、『3・4・5』か『4・5・6』の順子が出来る。

 こういう状況を、両面待ちという。


 そして、順子と刻子という二種類の面子の内、完成させやすいのは順子なのだ。

 なぜなら、同じ種類の牌が4つずつしかない麻雀において、刻子は同じ牌を3つ揃えなければならない。


 だから、刻子は中々揃うのが難しい面子なのだけど……。


 そう思って拾った二巡目の牌は『發』だった。これで『發』が手元に4枚。つまり、私以外誰も『發』を持ってないことが確定した。


 私は4枚目の『發』をすぐには捨てず、一瞬だけ迷う。カンするか? 

 いや、今は表示ドラを増やすよりも、役を崩さないのが最優先。


 ここで崩したら、何のためにイカサマをやったか分からないわ。

 『發』を河に捨てる。ふと視線を感じ、顔を上げると猪狩伎のニヤニヤした表情が目についた。


「……なによ?」

「いやぁ、別に? あのじいさんからこんな別嬪が生まれるなんてなって思っただけだよ」


 なんなの、この男。


「いちいち絡まないで」


 ぴしゃりと冷や水のような一言を浴びせる。

 けれど、猪狩伎はまるでその冷や水でのどを潤したと云わんばかりに、楽しそうに肩を揺らす。


 すると、今回の賭けには関わっていない同卓のおじいさんが目を丸める。


「えらいご機嫌だなぁ、天ちゃん」

「さっきまでむさ苦しかった空間に花が咲いたら、そりゃあ機嫌良くなっちまうよ」

「言うに事欠いて『花』ときたかぁ。良かったなぁ嬢ちゃん」


「別に。言われ慣れているし、聞き慣れているので」

 猪狩伎とおじいさん達がドッと笑う。

 ため息を吐くと、後ろで見ていたラブさんが肩をつついてきた。「そんなこと言って大丈夫なの?」と心配そうに耳打ちする。


「平気よ」と一笑に付してから、拾った牌を横向きに捨てる。と、同時に1千点の点棒を河に置いて、宣言した。


「リーチ」


 3巡目の手早いリーチによって、爆笑が鳴り止む。「え、もう⁉」と驚くおじいさん達の反応にほくそ笑んだ。


 仕込み通りなら、次の私の手番で『東』が来る。そうすれば、少しはあなたのニヤついた顔にヒビでも入るかしら。胸の辺りで膨らむ期待を押し込め、無表情を務めながら、私は猪狩伎の顔を目にした。


「――随分とやんちゃな嬢ちゃんだな」


 ヒュッ、と膨らんだ胸の中が一瞬で縮減する。


 耳に放り込まれた、小さな氷柱のような声で。


 さっきまで猪狩伎の目を輝かせていた何かが消え失せていて、ただがらんどうの穴のような暗い双眸に意識が呑み込まれる。


 どういうこと、なんで、ばれた、まさか、ただのハッタリ、でも。


 思考がぶつ切りになり、単語だけが頭の中でぐるぐると回り続ける。体の真ん中が冷たい、ざわざわと胸の中で不安がさざめく。


 この感情が、何と名付けられているか。

 知識として知ってるだけだった。だって恐怖そんなものを、私が抱く筈なんてな


「ナルちゃん! 手番だよ! ナルちゃん!」


 後ろから肩を叩かれ、ハッとする。

 振り返ると、ラブさんが不安そうに私を見ていた。


 やめて。


 唇を噛み締める。


 そんな顔しないで。


 私は雀卓に向き直る。


 大丈夫だから。


 山牌から牌を拾う。


 これで和了あがるから。


 『東』が来て、私が勝つ。

 だからあなた達は心配しないで。


 そうしてツモった牌に視線を落とし、――『南』と刻まれた牌が、視界に写り込んだ。


 なんで、とこぼれそうな言葉を飲み込む。

 動揺を奥歯で噛み潰す。

 不安を悟られるな、猪狩伎にも、ラブさん達にも、誰にも。これが想定外の事態なのだと気づかせるな。


 自分で、自分に強く命じる。

 思考を放棄し、機械のように自動的に私は『南』を河に捨てた。


「ロン」



 …………は?



 無音の光景の中、猪狩伎が自分の手牌を倒す音だけが鮮明に聞こえた。


 小四喜ショウスーシー


 東南西北トンナンシャ―ペイ、4種類の風牌のほとんどを、猪狩伎は刻子で揃えていた。西が3枚、北が3枚。そして……『東』が3枚。


 私が捨てた『南』を雀頭にして、猪狩伎は点数を申告する。


「4万8千点」


小四喜は13翻以上の役、つまり……役満。

レートはデカデカピン。1千点につき1万円。


つまり私は、たった今――48万円もの負債を負わされてしまった。


             

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