第20話 決壊するプライド
麻雀の上がり方には2種類ある。
プレイヤー全員から点棒を徴収する『ツモ』と、プレイヤー一人のみから点棒を徴収する『ロン』だ。
ツモは、最後の一枚=上がり牌を自力で引いた場合の上がり方。
対してロンは、他のプレイヤーが捨てた牌を利用した上がり方だ。
要は……私は猪狩伎の上がり牌である『南』をむざむざ猪狩伎にプレゼントしてしまった。
東場1局2本場。
「ツモ、子2千点の親4千点!」
過失を埋め直そうと。
負けた分を取り返そうと、歯を食いしばって麻雀を打つ。
東場2局。
「ロン。2千点」
2連続で
けれど到底、48万の損失を取り戻すほどではない。
それで良い!
安い勝ちでも構わない。『親』が回って来れば、こっちのもの!
麻雀には、『親』と『子』があり、点数の配分が異なる。同じ役満でも『子』なら3万2千点だが、『親』なら4万8千点になる。
東場3局、私が『親』のターンだ。
牌をかき混ぜる。ガチャガチャとけたましい牌音が鳴る最中に、一瞬だけ猪狩伎に視線を向ける。
猪狩伎はじっと私の手の動きから目を離さなかった。
たらりと流れる汗の感触が冷たい。
もう『
迂闊にやれば、同じ轍を踏むことになる。
さっきの小四喜、あれは運によるものじゃない。
猪狩伎の技によって引き寄せられた役だ。
136枚の牌の中から、私が積み込みでどの牌を取ったか把握した上で、私の上がり牌である『東』を全て占有したんだ、猪狩伎は!
イカサマにはイカサマで返す。
刀傷で塞がれ、わずかな隙間から覗く猪狩伎の左目がそう物語っていた。
不幸中の幸いなのは、こちらがイカサマをしなければ、猪狩伎もイカサマはしてこないことだった。
先程の2局は積み込みを使わずに打ったが、猪狩伎の様子や手牌に違和感は無かった。もし、これで猪狩伎の方から積極的に積み込みを使われたら、まったく太刀打ちできなかった。
いや……本当に?
私は雀卓の下にある点棒の入ったボックスを見下ろす。
点棒は少しずつ取り戻してはいるが、普通に打っていたら、埒が明かない。けれど大きく勝つためにイカサマを使えば、どうなるかは目に見えている。
――
『親』を連続で続ける。そのためには、常に『子』より早く和了(あが)り続けなければいけない。
主導権は、渡さない!
指先に力が込められる。石礫が弾けるような音と共に私は河に牌を捨てる。
捨てて――――しまった。
あ、と思った時にはもう遅い。
平静を失い、焦りに塗れた捨牌に、猪狩伎が嘆息を漏らすと同時に宣言する。
「ロン。8千点」
僅かでも取り返していた点棒が、猪狩伎の元へ移動する。
『子』である猪狩伎が先に
ラストゲームである4局目は、誰も和了ることなく流局となった。
こうして、前半戦である東場はあっけなく幕を下ろした。
*
「逃げよう」
後半戦である南場が始まる前にトイレ休憩と称して、三人は私を女子トイレに連れ込んだ。
そしてトイレのドアが閉め終わらない内に、プラさんは臆面もなくそう告げた。
「いや、どうやってよ⁉」
「ばっきゃ野郎、こーいう時はトイレの窓からってのが相場ってもんよ!」
「ここ地下だっつーの!」
メンさんとプラさんが逃げる手段について言い争っている。
内容は不毛だけど、二人がこの話をしているという時点で、もう勝ちの目は限りなく薄いことを示していた。
いや、ちがう。
仮に二人が何も言わなかったとしても、とっくのとうに私は私自身に見切りをつけている。
次、麻雀に挑んだら。
次、あの席に戻ったら。
次、このトイレから出たら……私は負ける。
確定に近づきつつある未来から目を背けるように、瞼の裏にこれまでのことが駆け巡る。
助っ人で入った運動部の試合、人間としての価値が定められる定期試験や今後の人生に格付けがされていく受験。
苦境に立たされることは何度もあった。でもその度に乗り越えて、勝利を確信したことも幾度となくあった。
――――けれど、敗北を確信したことなんて一度たりとも無かった。
嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。
否定するたびに、目頭が熱くなっていく。
まだ負けてない。私は、まだ。
そうやって足掻こうとすればするほど、惨めさが募る。
「……ご」
喉が詰まる。
私のせいで。
私が、麻雀で稼ぐなんて言わなければ。
軽率に猪狩伎に挑まなければ。
ホテルでみんなを賭け麻雀に誘わなければ。
沼田なんかと張り合ってレストランに行こうなんて思わなければ。
絶対に勝たなきゃいけなかったのに。負けるわけにはいかなかったのに。私のせいで、私のせいで、私のせいで、皆……帰れない。
肌が粟立つ。
胸の中からじくじくと、棘が刺さる。
血の気が引いて体は冷たくなっていくのに瞳だけは熱くなっていく。
叫び出したいのをぐっとこらえて、スカートの端を握りしめる。
自分の浅慮さを恨み、自分の弱さを苛む。
辛い。辛い、辛い、もうもうもう――――楽になりたい。
そう思った瞬間、喉に詰まっていた、口にできなかった、今まで一度も使ってこなかった言葉が飛び出た。
「ごめんなさ」
――――雨の香りが、飛び出しかけた謝罪ごと私の顔を包み込んだ。
なに⁉
バタバタと腕を宙に彷徨わせる。
押し当てられるブラウスの生地の感触を唇と鼻頭で感じる。息苦しさから逃れようとするけど、後頭部に腕を回されて動かせない。
控えめだけど柔らかな胸の感触から離れようと抵抗する腕が
「 謝らないで 」
ぴたりと、止まる。
謝らないで。
そう言ったラブさんの顔は見えない。でも、彼女の声は頭上から降ってきた。
「ナルちゃんは悪くないよ。謝らないで。ごめん……ごめんね」
ぽん、と柔く。
「ナルちゃんにだけ背負わせて……向き合わせて」
ぽん、と柔く――――背中を叩かれる。
それだけで、どぉして……こんなに暖かいんだろう。
棘が一本、二本と抜けていく。
落ち着いてくると、ラブさんの腕にそこまで力が込められていないことに気づく。息苦しさが和らぐと、ブラウスに染みついた香りが鼻腔に入り込む。
山や雨で
「っ~~~~!」
顔を深く深く埋めて、嗚咽する。
背中を擦るラブさんの手のひらから、温もりが溶け出て、苛んでいた胸の中に沁み込む。
あぁ、情けない……自分が情けない。こんな、子どもみたいに。
せめて声を抑えようと努めるけれど、
「なにも泣かなくても良いでしょ~⁉」とメンさんが叫び、
「ナルちゃんは真面目だかんなー」とプラさんが言うのが聞こえた。
頭の天辺に異なる感触の手のひらが二つ乗せられる。
一つはおっかなびっくりといった手つきで、もう一つは気負いを取り払うような軽い手つきで、私の髪を撫でる。
どの位、そうしていたのか私には分からない。
でも、ラブさんの胸元から顔を離した時には波紋が一切起きていない湖面を見つめているような心持ちになっていた。
「ねぇ、ナルちゃん。これは、わたしの提案なんだけど」
だからこそ、私はラブさんの次の言葉に、静かに耳を傾けられた。
「勝とうとしなくて、良いんじゃないかな?」
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