第28話 ナンバープレート

 優しく握ってくれていた春木の手が、ぐしゃりと卵を握りつぶすように、うちの手首をきつく締めつけた。

 鈍い痛みに呻くうちの背後から「だって」と低く、重い声が降りかかる。


「しばらくは俺達と一緒にいてもらうから」


 バンのドアが開かれ、車内から二人の男が出てくる。こっちに近づいてくる。


「はなっ……はなして!」


 このままじゃ振り解けないのは手首に食い込む指の力で分かってる。だから痛みに耐えて、何度も何度も蹴りつけるけど、春木は一向に力を緩めない。


 そうこうしてる内に、バンから出てきた二人組がすぐそこまで来ていた。

 夜の闇が視界に、抵抗する気力に覆いかぶさってくる。抗いたいのに、手足からどんどん力が抜けていく。


 やだ、うちは帰るんだ。みんなと一緒に、あの駅に入って。

 みんなと…………。


 お高くとまった成瀬ナルっちの顔が、バカ言ってる初古先輩プラっちの顔が、にっこりと微笑む愛理ラブっちの顔が浮かんだ。


 みんなの力になるはずだったのに。


「 たすけ、てぇ 」


 消え入りそうな、か細いか細い声を喉から引き絞った。




「呼ばれて飛び出てジャジャジャァァァァァァン‼‼‼」




 金髪のポニーテールが、真っ白な街灯の光の下に、躍り出てきた。

 横合いからの飛び蹴りが突き刺さり、春木の体がくの字に折れ曲がる。


「がはっ⁉」


 何が起きたか分からないといった顔のまま、地べたに転がる春木。その鼻っ面に目掛けて、


「ふんっ!」


プラっちは躊躇なく踵で踏み抜いた。


 うわぁぁぁあ⁉ めっちゃ嫌な音した!

 確実に何かが砕けたような、乾いた音が耳に届いて、たまらず耳を塞ぐ。


「なにやってんの⁉ 走れよ、おっぱい‼」

「いったぁ⁉」


 パァンとお尻叩かれる。

 膝から崩れ落ちそうだったうちの足に、踏ん張る力が注がれる。

ガソリンを入れたエンジンみたいに、足が回り始めて、揺れるポニーテールにすぐ追いつく。


「あれ、絶対鼻折れたよね⁉ きれいな鼻筋だったのに‼」

「第一声それ⁉ あたしよりバカって意外といるよね!」

「大丈夫なの、殺してない⁉」

「鼻くらい潰れてもだいじょうぶっしょー! 人間って皮膚呼吸もしてるし」


 バカだ、こいつ!

 バカだから躊躇が無いんだ!

 ……助かった。


「あ、りがと」

 荒くなった呼吸に混じった、息絶え絶えのお礼を、プラっちはちゃんと受け取っていた。


「ハッハッ」と浅い呼吸を繰り返しながら浮かべた、底抜けに明るい微笑みが、


「どういたしま

 言いかけた返事ごと、視界から消え失せた。


 え。


 腰に強い衝撃。

 走ってた勢いのまま、前へ転がる。

 体のあちこちがヒリヒリして痛む。特に頬が一番アスファルトに擦ったようで、涙が出る。


「抵抗しやがって」


 体が起こせない。骨が軋む。

 路面に這いつくばったまま、声がした背後を振り返る。


 二人組の男が追いついてきた。

 うちの腰を蹴りつけたっぽいメッシュの男が足を下ろす。その少し後ろで、耳にピアスをした大柄な男が、プラっちのポニーテールを掴み上げていた。


 路面から爪先が浮いているプラっちの顔が痛みに喘いでいる。


「っ! やめてぇ!」

「だったら」

「おとなしくする! おとなしくするから……手を放してぇ」


 メッシュが顎で指し示すと、耳ピアスが手を放した。解放されたプラっちが膝を折って、アスファルトに手をつく。うちはすぐさま駆け寄った。


「だいじょうぶ⁉」

「禿げるかと思ったぁー」

「おら、さっさと立て」


 メッシュがうちらを立ち上がらせようと腕を伸ばす。反射的にその腕を振り払う。キッと睨みつけるけど、濡れたこの目じゃ大して意味は無かった。


 メッシュがうちの後ろに、耳ピアスがプラっちの後ろについて、また十字路へ足を進める。


 ――――うちのせいだ。

 あんなに速く駆けていた足が、重い。一歩一歩が重くて、十字路までの距離が遠く感じる。


 なにが目の保養よ。なにがイケメン成分よ。

 顔の良さで、薄っぺらな優しさでホイホイついていっちゃって。助けに来てくれた友達まで道連れにして。


「めん……ご、め……ご」


 もう何もかも遅いのに、謝ろうとする自分に腹が立つ。自分への怒りからぎゅっと指を曲げるけど……手が、腕が、肩が震えて力が入らなかった。


 震えに気づいた途端、息が浅くなる。空気が欲しくて、呼吸を繰り返すけど、苦しさが募るばかりだった。


 自分達がこれからどうなるのか。考えたくないのに、嫌な想像ばっかりどんどん溢れてくる。目の前がどんどんぼやけて、どんどん頬を伝って落ちていく。


 滲んだ視界の向こうが白ばむ。街灯の光だ。

 長かった十字路までの道のりがとうとう終わってしまって、溢れ出る想像に真実味が付け足されていく。もう顔を上げる気力も無くなった。




「 長崎の200、た46‐10 」




 凛とした鈴のような声で、何かを読み上げる。

 それが車のナンバーだと気づいた瞬間と、バッと顔を上げた瞬間は同じときの中だった。


 涙のベールの向こうで、ナルっちとラブっちがバンの前に並んで仁王立ちしていた。

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