第37話 失墜の代紋

 写真から顔を上げて、互いに顔を見合わせると、声を出さずに頷き合う。

 わたし達はすぐに警察署へ向かって、走り出した。


 急げ。いそげ、いそげ、いそげ!

 夜の街の、賑やかな喧騒を切り裂く勢いで、駆ける。


 肩で風を切る。

 スカートがなびいて、なんだか視線を感じるけど、頭を振って無視。


「ラブさん! 警察署に行くのは私だけでも」


 振り返るナルちゃんの言葉に、首を横に振る。

 一人だけ訴えに行ったって、警察が話を信じてくれる保証は無いかもしれない。


 それに……友達の命が懸かってるのに、わたしだけ休んでなんかいられない!


 歯を食いしばって、うつむきかけた頭をグイと上げる。

 腕を力いっぱい振って、疲れて鈍くなってきた足を前へ前へと踏み出させる。

 警察署への道はナルちゃんが暗記してる。わたしはただナルちゃんの背中だけを頼りに、体を前に弾き出す。


 ビュンビュンと、風みたいに駆け抜けるナルちゃんの背中に必死で追い縋って……唐突に立ち止まったその背中に飛び込んだ。


「ぶっ⁉ ご、ごめっ、な、は? あれ、なんで止まっ」


 肩を上下させながら、わたしは絶え絶えの息に言葉を混じらせる。

 うろ覚えだけど、確かこの角を曲がれば警察署が見えるはずなのに。


 あと一歩のところで立ち止まるナルちゃんを不思議に思いながら、角から顔を出そうとして、


「出ていったら駄目」


 ぴしゃり、と引っ込まされる。


 なんで? 

 訴えるようにナルちゃんの方を見上げて、異変に気付く。

 涼し気な黒瞳が驚愕に見開かれ、動揺を鎮めようと胸に手を当てていた。


 どうして? ナルちゃんは何を見て、こんなにうろたえてるの?


 慎重かつ警戒しながら、角から頭を出す。

 20メートルくらい先に警察署が建っていた。入り口付近にはパトカーが数台並んでいて、入り口の前には、


「え?」


 息が止まる。

 警察署の前には、


 わたしはスカートのポケットから印刷した方の写真を取り出して、見比べる。

 ジャケットを肩に掛けて、くたびれたスーツを着ている。

 どう考えても同一人物だった。


「なんであの人がここに……」

「決まってるでしょう」


 苦虫を噛み潰したような表情で、ナルちゃんは警察署に溶け込んでいる男を睨みつける。すると、パトカーから一人の警官が降りてきて、スーツの男に駆け寄って敬礼した。


 スーツの男は懐をまさぐって――――警察手帳を警官に提示した。


「汚職警官ってことよ」


 浮かび上がった希望が、桜の代紋に撃ち落される。

 頼りにしていた警察署ひかりが、スーツの男が吐き出した紫煙に覆われて、真っ黒な光に塗りつぶされた気がした。


「どう、すれば良いの? だって、せっかく証拠があるのに! 警察が動いてくれたら、絶対に二人を助けられるのに!」

「っ、裏手に回るわよ! 他の警官に話をすれば、むしろ窮地に堕ちるのはあのおと……こ」


 語尾がしぼんでいくナルちゃんの視線の先を追いかける。

 スーツの男の淀んだ眼光が、わたし達の目を貫いていた。


 男が警官に何か話しかけると、警官も角に隠れるわたし達を見て、そして近づいてくる。


 ずんずんと自分が取り締まる側だと自負してる足取りで、取り締まられる側の存在を鋭く見据える眼で、わたし達の方へ歩いてくる。


 どう考えても、わたし達の話を聞いてくれる雰囲気じゃなかった。


「逃げるわよ!」


 叫ぶや否や、ナルちゃんがわたしの手を掴んで走り出す。

 凄いスピードで引っ張られて、つんのめりそうになりながら、わたしは後ろを振り返る。


 警官が無線で何か連絡しながら、追ってくる!


「追ってくるよ!」

「くっそ、一体何を話したあの男⁉ とにかく逃げ切るしかないわ!」


 どうやって?

 ほとんど弱音のような疑問を飲み込む。またナルちゃんにばっかり負担を掛ける訳にはいかなかったからだ。


 でも飲み込んだところで、弱音を含んだ疑問は消えずに、嫌な想像を掻き立てる。

 警察も味方してくれないなら――――どうやってメンちゃん達を助ければいいの?


 芽生えてきた不安を胸の内に秘めたまま、疲れ果ててきた体に鞭打って走る。

 駅前にも、歓楽街にも、人気があって明るい場所には必ず警官がいた。


「止まりなさい」「逃げるな」


 そんな怒鳴り声が絶えず背中に浴びせられて、うるさいって叫びそうになる。

 何にも知らないくせに! 


 そんな拒絶に似たどろどろした感情を胸いっぱいにして駆ける。

 自然と足は警官のいない所を目指すようになっていき、気づいたらわたし達は、治安の悪い南側の中でも一際荒んだ街の奥に逃げ込んでいた。


「地下雀荘に行きましょう! あそこならひとまず休めるわ!」


 わたしは返事もできないくらい呼吸が荒れていて、黙って首を縦に振る。

 ナルちゃんは迷いのない足取りで、薄暗い抜け道を通って、ゴミの腐臭も意に介さず、荒れた舗装路を進んでいく。


 手を引かれながら横目に捉えていた景色が、だんだん見覚えのある景色に変わっていく。地下雀荘に近づいてきている証拠だ。やっぱりナルちゃんはすごい。


 わたしとそう変わらない大きさの背中が頼もしく見えて。だからこそ……その背中が人影に覆われた時はすぐに気づいた。


「しゃがんで!」

「っ!」


 わたしは、自分の手を引いてくれたナルちゃんの手首を掴んでから、その場にしゃがみ込む。ナルちゃんもわたしの声にすぐ反応して、カクンと膝を落とした。


 バガン! という轟音の振動が頬にまで伝わってきた。

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