第36話 光明のチェキ
逃げた。
わたし達は、走って逃げた。
廃ビルから、二人を置いてきた事実から……あの白髪の女から。
夏の夜の、淀んだ熱気を切り裂く勢いで、駆ける。
頬に風が当たる。耳元で風を切る音がする。
何も考えたくない、全部忘れたい、夢であって欲しい。
そう思えば思うほど、足はわたしの体をいっそう早く前に運んで。
前に進めば進むほど、泥のような惨めさが全身を塗りたくった。
「あっ」
地面を蹴りつけた足が空を切る。
フワッと浮いたと思った途端、地面に叩きつけられる。
痛みは感じなかった。でも、まとわりついた泥が重くて、立ち上がれない。
「……もう十分よ」
なにが、って言う前に、前を走っていたナルちゃんがわたしに手を差し伸べてた。わたしは黙ったまま手を取って立ち上がる。そして、自分達が今アーチ型の石橋の上に立っていることに気付く。
手すりに寄りかかったナルちゃんの横に移る。
薄暗くて、ここからじゃ見えにくいけど、堤防にハートの形の石があった。
「……隠れミッ〇ーみたいって、メンさん言ってたわね」
「そうだね」
わたしは橋の向こう側を見やる。アイス屋さんのリアカーはもう撤収していた。
「そっ、か……わたし達、さっきまでここにいたんだよね」
「たった数時間前だけれどね」
「信じられないねぇ」
なんにも面白いなんて思ってないのに、乾いた笑い声が漏れる。
教会を見学して、中華街に行って、石橋でハート石見つけて、カステラ味のアイスを食べた。たったそれだけの、今日の出来事が懐かしく……遠く感じ始めてる自分が信じられなかった。
もう、4人で帰れないことを受け入れ始めている自分が、信じられなかった。
「……なんで、こんなことになっちゃったんだろ」
「……そんなの、私にだって分からな――――――ん?」
言いかけて、ナルちゃんが眉をひそめた。
怪訝な横顔を目にして、わたしも首を傾げて――――――プラちゃんの言動が頭によぎる。
『もーちょっと、この街で遊んでからでいーじゃん!』
『はーい、それじゃ、締めくくりとして地方都市によくある廃ビルに潜入してみようぜ~!』
『いや、なんか面白いの映らないかな~ってね。人生に一回くらいは心霊写真撮ってみたく』
「プラちゃんのせいじゃん‼⁉」
「あのバカのせいじゃない‼⁉」
ほぼ同時に、わたし達は石橋の上で叫んだ。
まばらに歩いてる通行人の視線が刺さるけど、わたしは構わず手すりをバンバン叩いた。
「プラちゃんが肝試しなんて言わなきゃ、こんなことになってないじゃん!」
「そもそも、今日の朝さっさと警察署に行ってれば、今頃帰れたかもしれないじゃない!」
「なにが締めくくりだよ! 肝試しなんて、オチにも目玉にもなってないよ! ていうか、旅行の最後締めくくるより、自分の頭のネジ締めてよ!」
「衝動的にプラプラと騒いで、考えなしにプラプラうろついて! そのくせ人を巻き込んで!もう少し計画的に動くってことできないの、あの留年生はぁ‼」
叫び過ぎて、肩で息をする。
自分の声で耳の奥がキーンと鳴っていた。
隣を向くと、ひっどい顔したナルちゃんが映る。
お互いの顔を見た途端、頬がぷくっと膨らんだのも、吹き出して笑ったのも、同時だった。
ひとしきり笑い合った後、わたしとナルちゃんは揃って肩を落とした。
「あーもう……一発、説教かまさないと、気が済まないわ」
「はーもう……一回くらい文句言わないと、気が済まないよ」
「また思い出したのだけれど……この旅のトラブルのほとんど、あの二人のせいじゃない?」
「……あっ、ほんとだ! メンちゃんも勝手に飛び出して、イケメンにほいほい騙されて」
「ほんとに世話が焼けるわ」
「世話が焼けるね」
「たくさん苦労掛けさせられたわ」
「苦労掛けさせられたね」
「……だから、取り戻さないとね」
「……うん、助けないと」
怒って、怒り切って、怒りを通り越して呆れて、ため息が出る。
でも、そのため息が、懐かしさを取っ払ってくれた。
勝手に遠ざけていた4人で帰る
「でも、どうすれば」
「ねぇ、さっき思い出したんだけど」
考え込むナルちゃんに、わたしは手を挙げてみる。
プラちゃんの言動を振り返って、気づいたことがある。プラちゃんは、わたしが猪狩伎さんから貰ったチェキで部屋の撮影をしていた。
そして二人が銃から逃げた時に、プラちゃんはチェキを放り投げた。ナルちゃんは捨てられたチェキを咄嗟に拾ったから、チェキは今ナルちゃんが持っている。
「たしかそれって、データ保存できる機種だよね?」
「っ!」
ナルちゃんはわたしが言わんとしてることを察して、すぐに胸元からチェキを取り出した。内蔵されたデータメモリーには、今日一日撮影した写真がすべて保存されていた。
一番下の、最後に撮った写真を選択して、印刷する。
ジジーッという音ともに出力されたフィルムは真っ白だった。
けれど、真っ白なフィルムの上にじわじわと画像が浮かび上がってくる。
「……このことだけは、プラさんに感謝しなければいけないわね」
状況打開のための光明を目の前にして、ナルちゃんの頬がうっすらと朱に染まる。
かく言うわたしも浮かび上がった希望を見下ろして、身震いした。
浮かび上がった画像に映るのは、一組の男女。ジャケットを肩に掛けた男がこちらを睨み、白髪の女が赤い瞳を丸くして、こちらを見ている。
二人の足元には――――たくさんの拳銃が入った木箱がずらりと敷き詰められていた。
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