第16話 無一文会議、警察には頼れません

 私達は結局、出発地点の公園に逆戻りした。ラーメン屋の店主はもう姿を消していて、静謐な帳に包まれた公園の砂場の円い縁に、私達は腰を下ろした。


「それじゃあ、結果として……うちらは警察に頼れない。なぜなら未成年で賭け麻雀して、尚且つイカサマで稼いじゃった非行少女だからでーす。こういうことだよね?」

「メンちゃん! そんな言い方無いよ! 悪いのはわたし達……」

「いやいやよく思い出してみてよ、ラブっち。そもそも、ホテルで賭け麻雀しようって言った言い出しっぺは誰よ? ってはなしぃ~~」


 メンさんの流し目が私を映しているのは明らかだった。


 私は唇を噛んで、何も言い返せない悔しさを閉じ込める。メンさんの言う通りだ。私が高級レストランに行こうと言わなければ。沼田和義への対抗心を燃やさなければ、そもそも賭け麻雀もイカサマもする必要もな


「――メンちゃん」


 聞き覚えの無い声が、思考を途絶させた。これ、誰の声? 何も言えずに俯いていた私は勢いよく顔を上げた。


「わたし、そういう言い方、大っ嫌い」


 聞き覚えの無い声の主は…………見覚えのない感情を露にした、本条愛理その人だった。これまで三ヶ月を共にして、初めて目にした、愛理さんの怒った顔。


 深い深い蒼色の怒気が、公園の白い電灯の中に立ち昇る。


「それでも賭け麻雀をやろうって、高級レストランに行きたいって思って、それでイカサマをしたのも楽しんだのも、ぜんぶ全部わたし達が決めたことじゃない。一人だけ悪いみたいな言い方しないで」

「……ご、めん」


 私は何を目にしているんだろう? 

 目を擦るけれど、メンさんがしおしおした顔でラブさんに謝った光景は変わらなかった。ラブさんはそんなしょぼくれてしまったメンさんをぴったりと抱きしめて、呟いた。

「責めるならわたしにして。自分が寂しいからって、メンちゃんを誘ったのは、わたしだから」

「……ん~~ぅ」


 メンさんの顔は、ラブさんの陰に隠れて見えない。でもラブさんの肩に自分の顔を擦り付けていた。


 ……なによ、結局何も言えないじゃない。二人から視線を逸らし、私は太ももに肘を立てて、頬杖をついた。


「お? 話終わった?」

「……一応聞くけれど、何を作ってるのかしら?」

「泥団子! ねぇ、めっちゃツヤツヤに仕上がったと思わない⁉ あたし、こんなにツヤツヤしてる泥団子作れたの初めてで」


 私は泥団子を砕いてから、プラさんの切ない悲鳴に消されないように、声を張り上げた。


「ひとまず自分達が何を持ってるのか確認してみましょう。どんなものでも構わないので……あ、泥団子は除きます」


 しばらくして、私達は各々の所持品を手のひらに載せ、砂場の中心に差し出す。


 ラブさんの手にはイチゴ飴が三つ。私の手には茶色い手帳。メンさんの手には、防水カバーを被せている大切そうな本。プラさんは……第二の泥団子を創造中だった。


「メンちゃん、それって」

「そう! 私の大好きな俳優の写真集! すごくない? 手乗りサイズだよ⁉ もうお守りっていうか、あの山もこの本が支えになって登れたようなもんだからね!」


 嬉々とした様子で、写真集のことを話し出す。


 よく見れば、部活中もしきりに頬ずりしていた俳優と同じだった。写真集をよく出すのだろうか。それにしても、手乗りサイズの写真集はかなり珍しい。


 思い返してみると、山越えの時も彼女は精神的に限界が来たら、写真集にキスしたり、写真集に顔を埋めて息を荒げていた。


 よっぽど好きなんだろう。

 私もこの手帳には思い入れはあるが、あそこまでではない。


 年季の入った革のカバーに包まれた手帳は、祖父の日記帳だ。いや正確に言えば、旅行記だ。


 ぺりぺりぺり、と引っ付いたページを破かないようにめくってみる。もう乾いているが、あの夕立のせいで所々が滲んでしまっていた。


 それでも内容は分かる。というか頭に入っている。そこには一局一局の手牌から相手の捨て牌まで事細やかにメモしてある。


 麻雀日本一周旅行・九州編。

 それがこの手帳のタイトル。


「ゆく先々の雀荘で旅費を稼いでは旅を続け、日本をぐるりと一周したらしいわよ」

「何それ、凄い!」

「何それ、新手のバカ?」


 手帳の説明をすると、メンさんとラブさんは対照的な反応を見せてくれた。やっぱり、ラブさんって少し変わってるわね。


 私はクスリと笑ってから、「20年以上前のことだから、新手ではないでしょ。古参のバカよ」と言った。


 そう、祖父は麻雀バカだった。

 積み木だと思って、牌で遊んでいた幼い孫娘を『麻雀に興味がある』と勘違いして、麻雀のイロハを文字通り叩き込むほどだった。


 あの祖父は一切の手加減をしなかった。

 号泣させられたのも、十や二十じゃきかない。何回、鬼じじぃと心中で罵ったことか。それでも和了あがったら、胴上げして喜んでくれた。喜怒哀楽がどれも激しいのだ、あの鬼じじぃは。


 手帳を介して、向こうに行った祖父と会えた気がして、懐かしさから目を細めた。ひとしきり郷愁の想いを堪能すると、私は手帳をスカートのポケットに戻した。


「けれど……結局あまり役に立つものは無さそうね」

「てーかさ、なんで持ってるもの確認したの?」


 メンさんが質問してきた。ちょっと意外だったから、少し戸惑ったけれど私はこれから取るべき行動を提示してみた。


「警察の庇護に頼れない以上、私達は自力で帰るしかないのよ。それには帰りの旅費――つまり4人分の飛行機代を、何かしらの方法で稼がないと」


 ざっと一人三万円。

 全員で十二万円手に入れなければ、私達は東京に帰れないのだ。


 私が言わんとしたことは既に伝わったようで、ラブさんもメンさんもプラさん……は団子職人になってるから無視するとして。砂場の砂が圧しつけられそうなほど重い沈黙が落ちる。


「…………」

 深く、息を吸う。


 ラブさんはあぁ言ってくれたけど、この状況は私の我儘のせいで起きたのは間違いない。


 私には、みんなを家に帰す責任がある。


 ラーメン屋の屋台で固めた決意と中身は同じ。それでも、そこに至るまでの過程がこの一、二時間で随分と変わった。


「…………」

 吸った息に言葉を乗せて、私は、みんなに宣言した。


「――――私が、麻雀で飛行機代を稼ぐわ」


 メンさんが目を見開く。流石のプラさんも泥団子より私の言の葉に興味が移った。ただ……ラブさんだけが、どうしてか悲しそうに目を細めていた。


「は? 何言ってんの、あんた。そんなの無理に決まってんじゃん!」

「え、なに? 要は麻雀で勝ちまくって、飛行機代稼ぐってこと? 面白そー」

「……それは、やめようよナルちゃん。わたし、もう」


 声を荒げるメンさん、意味分かってんのか目を輝かせるプラさん、そして痛そうに胸を抑えるラブさんを見回した上で、私は自分に向かって言葉を紡ぐ。



「 まかせて。私がみんなを、帰してみせるから 」



 普通の雀荘のレートはテンピン。つまり1千点で100円だ。そのレートで4人分の飛行機代を稼ぐのは相当厳しい。


 ――――でも、それ以外、みんなを帰せる手段が、私には思いつかなかった。

 手掛かりはある。


 私は再び手帳を広げ、祖父が記した情報を参照する。そこには雀荘の詳細や当時の常連客の打ち方の癖まで分析されていた。


 20年も前の情報だ。雀荘は潰れているかもしれないし、カモれる常連客もいないかもしれない。それでも、可能性の芽はある。


 否、芽吹かせてみせると意を決して……私はおもむろに立って、メンさんへ語り掛ける。


「メンさん。つかぬことをお聞きしますが」

「え、なに急に丁寧になって」

「――先程の写真集、すごく小さかったですね。写真集にしては珍しく」


 彼女はヒマワリが咲いたような笑顔を浮かべ、自分の好きな俳優に興味を持ってくれた友人に写真集の詳細を話す。


「そうなんだよ~~! 通常サイズなら今でも買えるけど、このサイズのは抽選式の握手会に行って更にビンゴ大会で勝たないともらえない会場限定品でさ! もう、手放したら、絶対手に入らないの!」

「そうなんですね……」


 座っているメンさんの肩を抑えつけて、立ち上がれないようにする。

 その頃には意図を察したプラさんが、指をワサワサさせながらメンさんの背後に忍び寄る。


 ラブさんは私達二人を交互に見やって、おずおずと尋ねてきた。


「えっと、何を……?」

「賭け事に参加するには『頭金』が必要なんです」

「え? なに? あれ? なにこの空気? ちょっ、ねぇ⁉ なに考えてんの⁉ あ、うそ、まってまってまって! やめてやめてそれだけはやめ」


 プラさんがメンさんの谷間に手を突っ込んで、彼女の大事な写真集を取り出した。


 さて、ブックオフどこかしら?

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