30 桐島家での日常を過ごして
桐島家の夕飯は蟹だった。
かにかまではなく本物の蟹。
それをしゃぶしゃぶしていただくのは非常に美味で、ほっぺたが落ちそうなという表現を使いたくなるほどに贅沢な食事だった。
ただ、何事にも例外というものはある。
蟹は人を無口にするという言葉があるがそれはこの家にだけは当てはまらないようだ。
「志門君、蟹は美味しいでしょ?」
「ああ。ていうかこんなのご馳走になってよかったのか?」
「いいのよ。でも不思議よね、熱が入ると蟹って真っ赤になるわ」
「ああ、あれはアスタキサンチンっていう色素成分が熱でタンパク質と分離されるから、甲殻類は熱すると赤くなるらしいよ」
「ふーん、博識なのね」
以前テレビで見たことの受け売りだけど、と謙遜したが桐島はとても感心していた。
まぁ、俺も小説家の端くれ。雑学くらいは持ってるさ。
「じゃあ私のあそこがピンクなのもそういうこと?」
「絶対に違います」
「あら、どこを想像したの今?」
「……知らん」
「どこ?もしかして下のお口?あれ、私はお口の中の舌の話してたんだけど」
「じゃあそうだよ」
「ベロチューしない?」
「流れが雑だな!」
桐島が舌をんべっと出したのがなぜか妙にエロかった。
そして蟹を食べる仕草もなぜかエロい。
せっかくのご馳走なんだから黙って堪能させてくれよ……
「志門君、まだまだいっぱいあるからお腹いっぱい食べてね」
アイリさんが次の蟹を皿にのせて運んできた。
しかしまぁ、ここまで贅沢な食事を当たり前のように食べているのだからやっぱり相当な金持ちなんだろう。
俺がこいつと結婚したら逆玉ってやつか。
……いや、そんなことは考えるな。
「今日の蟹はどうだい。仕事の関係でもらったんだけど大きいだろ」
四郎さんが上機嫌に話しかけてくる。
お酒も入ってるせいか顔が蟹のように赤くなってる。
「ええ、とても美味しいです」
「娘のパンツとどっちがうまい?」
「蟹です!」
「そうか、娘は蟹以下なのか」
「そうじゃなくって!」
「お父さん、志門君は私のパンツの食感が好きなのよ。味じゃないわ」
「フォローになってねぇよ!」
パンツの食感ってなんだよ。
俺、あの時マジで窒息死するかと思ったぞ。
しかしこの家族、一切ぶれないな。
「いやはや、大勢で食べる蟹はうまいな。はっはっは」
四郎さんはこの通り平常運転。
「志門君、いっぱい食べていっぱい精をつけてね。あ、変な意味じゃないわよー」
アイリさんもこの通り。
「志門君、たぎってこない?」
桐島はもはや言うまでもない。
なんだこの家族は?ここまで全員がねじぶっ飛んでてよく社会に溶け込んでこれたなおい。
うちの家も結構緩いと思っていたけどここは別格だ。
ねじがゆるんゆるんというか、もはやついてないまである。
「しかし志門君。娘のパンツは現在何枚持ってるのだ?」
「え、そんな話しないといけないの……」
「照れることはない。堂々と言いたまえ」
「ええと、三枚かな?」
「少なっ!」
「え、そういう反応なん!?」
いや、一体俺が何枚持ってたら納得だったんだよって話だ。
ていうか普通、娘のパンツを同級生男子が持ってたら即通報ものだと思うけど。
「お父さん、正確には八枚よ。五枚新品があるから」
「やっぱりあれ持たせたのわざとか!」
「イリア、穿いてないパンツなどパンツではない!」
「パンツだよ!」
口をひらけばパンツパンツパンツパンツ。
パンツがゲシュタルト崩壊を起こしていくように連呼される。
もう何の話を誰としているのかもさっぱりだ。
しかし蟹だけは変わることなく俺の口に旨味をたっぷり届けてくれる。
この味覚だけが俺と現世を繋ぎとめてくれている、ような気がする。
「さて、そろそろ雑炊でもするか」
「いいわねーパパ。お米持ってくるね」
「志門君も食べるだろう?」
「え、ええ」
「なんだ、やっぱりパンツの方が」
「蟹がいいですって!」
しつこいくらいにパンツと言いたがる桐島父だった。
「じゃあ雑炊作るわよー」
「ママ、今日は穿いてないのか?」
「ええ、もちろん」
「うむ」
何がうむなのだ。
それだけパンツと言ってるやつの嫁がノーパンってのもおかしな話だ。
「志門君、ちなみに今日は柚葉ちゃんにもお土産を包もうと思ってるの」
「え、蟹くれるの?喜ぶよあいつ」
「ごめんなさい蟹はなくて貝なの。ホタテとかいっぱいあって」
「そっか。でもあいつ魚介好きだし喜ぶよ」
「志門君には私のあわび」
「言うと思ったよ!」
食事中の下ネタはやめなさいと、何度言ってもこの変態家族は聞き入れることはなかった。
ていうかその二本の指でくぱぁっとする仕草やめろ!
結局夜遅くまで晩餐会は続き、俺が本当に解放されたのは夜の十時を回った頃だった。
「イリア、志門君をお見送りなさい」
四郎さんの一言で俺と桐島は一緒に家を出た。
「今日はご馳走様。随分いいものばかり食べさせてもらったよ」
「いいのよ。うちの両親も喜んでたし」
「……まぁ、それならよかったけど」
帰り道、着物姿の桐島と二人で並んで歩いているとよくないことを考えている自分に気が付いた。
今日一日、楽しかったなと。
うん、騒がしいだけだったけどそれでも家族の暖かさが心地よかったとどこかで思っている自分がいる。
うちの両親は仕事だのなんだので基本的に子供には無関心だったし、全員が揃って食事なんて随分前から記憶にない。
だから、ちょっとこいつの家が羨ましいとは思った。
「いつでも来てくれていいのよ」
「まぁ、そのうちまた。だな」
「毎日いてくれてもいいのよ」
「それは断る」
「でも来るのは来てくれるんだ。ふふ、よかった」
「……」
なんか、すっかりこいつの思惑にはまった気がするけど。
今日は蟹に免じて見逃してやろうか。
「志門君」
「なんだ」
呼ばれて彼女の方を見る。
すると、後ろに手を組んだ彼女が少しだけ首を傾けて、足を交差して立ちながら俺の方を見ている。
「……なんだよ」
「やっぱり。月、綺麗だね」
頬を朱く染めながらそう言って。彼女はサッと振り向くと帰っていった。
……あれ、なんか普通だったな。
ま、まてまて普通に可愛かったな今の。
ま、まてまてまて。ちょっとキュンとしたのはなぜだ。
「お、おい桐島」
俺は彼女を呼び止めた。
しかし歩みを止めない彼女は、少しだけ振り向いて遠慮気味に手を振ってからまた前を向いて去っていく。
おいおいおい。やめろって。
そんなまともな雰囲気を出すんじゃない。
ちょっとドキドキしちゃうじゃないか!
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