03 パンツをもらったら、パンツを奪われた

 先刻。初体験よりも、ファーストキスよりも、なんなら初めて誰かとお付き合いするよりも前に同級生のパンツを口に咥えて窒息死しかけた哀れな男のことを少しだけ語らせていただきたい。


 興味がない、なんて辛辣なご意見は今は控えていただこう。それくらい俺の心中は穏やかでないとお察し願う。


 志門司という男はいわゆるぼっちキャラだ。

 身体は細く髪は長め、背丈もそこそこで幼馴染以外に友人と呼べる人間はおらず妄想ばかりが捗る落ちこぼれだ。


 ただ、ほぼぼっちな生活でもなんとかやっていけているのには二つほど理由がある。

 一つは言わずもがな、詩の存在だ。


 彼女と親しいというだけで優越感を持つなど、まるでクラスの人気者の小判鮫をしているだけで自分までカースト上位にいると勘違いしている輩と差異がないように思うだろうが、実際彼女と親しいことへの優位性は隠せない。


 もちろん有利不利なんて話だけではなく、この高校に来れたのだって彼女が受験の時に散々世話を焼いてくれたからに他ならない。

 詩は推薦入学が決まっていたというのに、俺よりも真剣に受験勉強に向き合ってくれていたし、そんな彼女と同じ高校に行きたいと思わせてくれたことも俺の受験勉強のモチベーションになっていた。


 それくらい詩は特別で、それでいて俺にとっては当たり前であり欠かせない存在なのだ。


 ではもう一つは何か。それは俺が密かに小説家もどきのことをやっていると言う点である。


 天才高校生ラノベ作家、なんて響きは帯に書かれた妄言で実際は泣かず飛ばずの中堅ウェブ小説家といったところ。


 たまたま昨年応募したコンテストで特別賞をもらい意気揚々と出版したが、あまり売り上げが伸びず作家という立場と学費の足しになるほどの印税が手に入ったところで俺の功績は止まっている。


 それでも本を出した、というだけでそれなりに外の人脈にありつくことができ、今はその頃知り合った漫画家の人と共作を描くために四苦八苦していると言う感じだ。


「おはようございます、ツカサ先生」

「おはようございますタムッチ先生。でもその先生ってのいい加減やめてください。俺はまだ駆け出しですから」

「いえいえ、ファンからすれば先生は先生ですよ。自信持ってください」


 今自室のモニター越しに話をしているのはタムッチ先生。同人漫画家として活躍しており、この春から青年誌への連載も決まった俺なんかと違って本当のプロだ。

 顔出しNGとのことで画面から顔が見切れるように映っている先生は女性ということだけわかっている。

 とても可愛い声で、画面からのぞかせる体はとても色っぽい。

 きっとロリ巨乳なお姉さんなのだろうと、勝手に脳内イメージで彼女のまだ見ぬ顔を形成している。


 知り合ったのは俺宛てに届いたファンレターから。

 名前の売れた先生がファンと言ってくれたことが嬉しくて、すぐにインスタでやり取りを始め意気投合した。


 そんな彼女が連載の合間に俺の脚本で漫画を書きたいと言ってくれた。

 だから毎日そのための打ち合わせと脚本作りに追われるのが日課となっている。


 忙しい日々には遊ぶだけの友人など不要。むしろ必要なのはこうした趣味趣向の合うパートナーであると達観したようなことを言ってみたり。


「それで、今日は帰りが遅かったですね。また幼なじみの方とお勉強?」

「はい、それもあったのですが……」


 咄嗟に桐島の事を話そうとしてやめた。

 そりゃあそうだ、何せ相手は女性。いきなり画面の向こうから「女子ってノーパンになって男の口にパンツ突っ込むものなんですか?」などと、直接会ってもいない男子から聞かれたら即通報案件だろう。

 

 特に時勢としてセクハラやモラハラなど、ハラスメントに厳しい世の中なのでそんな与太話は笑いにもならない。

 

 ただ、詩の意見だけでは弱い。同級生というフィルターのかかった彼女の話は無難なものばかり。第三者の意見というものがどうしても欲しかった。


「ええと、女性って男性にいきなり下着を見せたり渡したりとか、そんな性癖の人もいるんですか?」


 無難に質問したつもりだったが全然ダメだった。

 こんなの只の変態じゃないか、と訊きながらに思う。


「え、どうしたんですか急に?」


 戸惑われた。当然である。うん、誤魔化そう。


「え、いや……そんな話をちょっと、考えてて」

「ああ、そういう。そうですねー、でもそんな人想像もできませんが、きっと好きな相手じゃないとそんなことしないと思いますよ」

「好きな、相手……」

「はい、変態だって変態なりの矜持ってものがないと本当にただの変質者ですからね」

「ふむ、なるほど」


 つまり彼女は俺にある一定の好意、またはそれ以上のものを持っていて、だから変態ではあっても変質者ではないということ、か。


 うん、よくわからん。


「もしかして、そういう人に遭遇したんですか?」

「え、いやそうじゃなくて、なんとなくですよなんとなく」

「ふーん。でも、そんな話も面白そうですね。新作も期待してます」

「あはは、ありがとうございます」


 タムッチ先生は俺が続けているウェブでの執筆活動も応援してくれている。

 こうして身近にファンと呼べる人がいることは創作においてなにより励みになるもの。

 しかもそれが既に何作も同人誌を出版している売れっ子作家さんなのだからなおさらというものだ。


「じゃあ、また明日。ありがとうございました」

「はい、お身体に気を付けてくださいね」


 打ち合わせを一時間程度行ってから、モニターの電源を落とす。

 

 今日も彼女に元気をもらった。

 同級生からはパンツをもらった俺ではあるが。


 ……あ、そういえばパンツ、ポケットに入れたままだ。

 

 そっと取り出したそれはまだ少しあたたかい、気がした。

 俺の体温でそうなっているのか、彼女のぬくもりが保温されていたのかは定かでない。

 しかし生温かい女性のパンツというのはそれだけで結構そそるものがある。


 少し変な気が起きそうになりながらも自粛して、捨てるわけにもいかず隠し場所を探しているとパンツに何か書いているのを発見した。


 これは、もしや俺へのメッセージ?

 まさか、愛の告白、とか。


『嗅いだ感想求む』


 ……ダメだ、死にたい。

 

 少しでも期待した俺は俺自身を許せなかった。

 だから死にたいとすら思う。もちろん窒息死以外で、だ。


 そっとベッドの下にそれを隠した後、俺は風呂に入ることを選択した。


 ちなみに今は妹とほぼ二人暮らし。

 昨年父の単身赴任が決まった際に、母もついて行くと言い出してこうなった。


 たまに帰ってはくるのでほぼ、という言い方にしたが、まぁ兄妹で二人暮らしなどたまったものではない。


「おにい、さっさと風呂入ってよ。夕食も片付かないから早く食べて。まじトロいんだけど」


 二つ下の妹、柚葉ゆずはについて詳しくは後ほど語るとして。

 まぁ一言で言えば反抗期だ。そんな彼女との二人暮らしは相当辛い。

 ただ、家事全般をやってくれるという面で俺は感謝をしているし、だからこそ彼女には何も言えない。


 俺と違って学校では人気者らしいので、きっと外では猫を被ったようにヘラヘラしているのだろう。少しはその側面をお兄ちゃんにも見せてほしいのだが。


 なんてことを考えながら湯舟に浸かり天井を見上げる。

 いつもここでは考え事をして、その後小説の原案を頭に浮かべる。


 すると声が聞こえてくる。

 なに、声が聞こえると言ってもそれは脳内での話。


 俺クラスになれば作品の中のヒロインたちの声が、鮮明に脳内で再生されるのだ。

 この声に耳を傾けながら、俺は風呂を愉しんでいる。


「ねぇ、パンツもらっていい?」


 ……ダメだ、まだ桐島が頭に残っている。


「あ、靴下でもいいわね」


 ……いかんいかん、忘れろ。変態のことなんて。


「ねぇってば、返事ないなら両方もらうわよ」

「……なんで桐島が家にいるんだよ!」


 扉の向こう、すりガラス越しに見える脱衣所で動くシルエットはそれだけで男の注目を引くには十分なほどの色気があった。


 しかし、その影は俺の脱いだ着替えを物色しているご様子。

 もはやコソ泥にしか見えない。


「おい、どうやって入った」

「失礼ね、ちゃんと妹さんに入れてもらったわよ」

「それでどうして脱衣所にくるんだ」

「うーん、お宝さがし?」

「それ部屋でエロ本探すやつだろ!」


 どこの世界に同級生の家の風呂場で宝探しするヒロインがいるのだ。

 いかん、こいつ変態のみならずストーカーでもあるのか?


「ねぇ、そんなことよりパンツ」

「全部もってけ泥棒!いいからどっか行け!」


 思わず叫んでしまった。

 もってけ泥棒なんて、俺はとても太っ腹である。


 そして俺のパンツと靴下は変態に連れ去られた。

 多分二度と会うことはない、だろう。


 先ほどまで身に着けていた下着と永遠の別れを済ませた後、俺はもうしばらくあたたまろうと風呂に浸かる。

 しかしすぐに柚葉がやってきて、声をかけてくる。


「おにい、来てるけど」


 随分ととげのある言い方に聞こえたのは気のせいだろうか。

 普通の知らせのようだが、俺には「あれ誰、彼女?まじキモいんだけどくそ兄」って言われたような気がした。うん、もうそれくらい妹に怯えているのだ俺は。


 避けたくても避けられないことがあるのが世の常。

 今、俺は一人の同級生、否。一匹の変態から逃れる術を知らない。


 不本意、とても不本意ではあったが俺は少ししてから風呂を出て着替えを済ませてリビングへ行く。

 するとそこには美しい同級生が、なんとも可愛らしいピンクがかったスウェット姿で座っていた。


「ゆっくりね。お風呂はいつも長いの?」


 まるで初めて彼女が泊まりにきたかのような、そんなシチュエーションなのに俺は興奮しない。むしろうんざりする。


 なぜかって?


 だって彼女


 俺のパンツ嗅いでるんだもん。

 


 

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