23 変態は隠すのがお嫌いなようです
今日は月が綺麗。この言葉についてあれこれ説明することは今更不要であるとも考えたが、敢えて少しだけ説明しよう。
夏目漱石が英語教師をしていた時、教え子がアイラブユーを直訳したことに対して「月が綺麗ですね、とでも訳しておきなさい」と言った逸話からくる隠語。
最も文献は残っておらず都市伝説扱いではあるが。
つまりは、好きですと相手に告白する時のオシャレな言い方というわけで。
ちなみに桐島が別れ際にそう呟いた時の天気は曇り。
月なんて出てやしない。
ということはやはりそういう意味で捉えて良いのだろう。
「……どうしようタムッチ先生。俺、告白されたかも」
「ええ?もしかして同じ部活の女の子に?」
「……はい」
桐島は意味深な言葉を残すと、すたこらさっさと俺の様子など確認もせず闇夜に消えて行った。
そして俺は放心状態で家に戻ってから、タムッチ先生との打ち合わせに入ってるというのが今。
「えー、めっちゃ青春!いいですねぇ、付き合うんですか?」
「いや、さすがにそれは……ないですよ」
「ふーん、でもその割にツカサ先生顔がニヤけてますよ?」
「え、うそ!?」
思わず顔を触る。
俺、変態に告白されて喜んでるのか?
「とにかく。相手が告白してきたんならそれなりに返事してあげないと失礼ですよ」
「返事って言ってもですね……」
「ちなみにOKなら死んでもいい、とかが返し方の通例ですかね。断るなら月が見えませんとか、そういう感じです」
タムッチ先生から雑学は授かった。
しかし肝心なのは返し方よりもどうしたいか、である。
もちろんノーと言うべきなのだろうが、始末が悪いことに桐島イリアは超絶美人なのだ。
俺のタイプ、どストライクと言っても過言ではない容姿だからこそ少しだけ迷う。
「……ちょっと考えます」
「うんうん、ゆっくり考えてあげてください。それより週末の件、楽しみにしてましたけど私と会って大丈夫ですか?彼女に悪いんじゃ」
「それは断じてないので問題ないです。予定通り、うまく行ったらご飯お願いします」
そうだ、俺はタムッチ先生と会って話すという絶好の機会を週末に控えているのにあの変態に阻害されてたまるかという話だ。
結局この日は時間も遅かったのでほとんど雑談のみで打ち合わせを終えた。
しかし寝たところで何か事情が変わるわけでも世界線が変動するわけでもなく、桐島に告白されたという事実は消えていない。
「おにい、イリアお姉ちゃんが迎えにきたよ」
と朝から元気な柚葉の声が部屋まで届く。
俺は気まずいので部屋を、というよりベッドから起き上がりたくなかったのだが、柚葉のエルボードロップにより強制的に現実世界へ引き摺り出されてしまう。
「いてて……柚葉のやつめ」
「おはよう志門君」
「あ、ああ…………」
下に降りたら桐島が、まるで我が家のようにコーヒーを飲みながらくつろいでいる。
ただ、その姿を見て少し言葉を失う俺。
なぜかと言えば、桐島を見るのが恥ずかしいからである。
こいつの昨日の発言の真意が知りたい。
そう思えば思うほど、変態の前だというのに妙な緊張に包まれてしまう。
「あ、あのさ」
「月が綺麗ね」
「は?」
「月が綺麗ね」
「……」
「つ・き・が・き・れ・い・ね!」
「聞こえてんだよ!」
連発された。
昨日の風情のある告白はどこ行ったと言わんばかりに、雰囲気もくそもない発言を連発される。
「何が言いたい」
「あなた、この意味知らないの?かの夏目漱石が」
「知ってるよ!」
「じゃあ、返事をもらいたいのだけれど」
まだ今は朝だ。
昨日のそれが告白だったかすら怪しい状況で、返事はおろか意味すら半信半疑だった俺は当然、その返答など用意していなかった。
「ま、まだ考えてない……」
「ふーん。一言『俺の奴隷になってください』と言えば解決するのに」
「そんな返し方載ってなかったぞ?」
「あら、調べてくれたんだ嬉しい」
「……」
結局変態にミステリアスなんて必要ない、ということ。
昨日の発言は告白。俺は、好きだと桐島に言われたというわけである。
「それよりそろそろ学校行かないと遅刻だわ。行きましょしもべくん」
「俺が奴隷になってんじゃねえか!」
「今のは
「うまくないわ!」
朝から下品な奴だ。
しかし、なんで俺はこいつの告白を保留なんかした?この場ですっぱりと「月が見えましぇーん」とおどけてやればよかったのではないか。
変態と縁を切る絶好の機会を逸してしまい、どうしたものかと悩んでいるところで登校中の詩に遭遇する。
「二人ともおはよー。相変わらず仲いいね」
「青川さん、この前はご馳走様。とっても美味しかったわ」
「また作ってあげるからいつでも言ってよ。それより、毎朝迎えなんて桐島さんも献身的だねぇ」
「ええ、私は彼のしもべ」
「わーっ!もういいから行くぞ」
え、どうしたの?とこっちを見る詩を置いて、俺は変態の手を引いて学校へ急いだ。
ごめん詩、俺まだSМには目覚めてないから!
「今日は一段と積極的ね。手なんか握って」
「うるさい、詩に近づけさせたくないだけだ」
そう言って校舎の隅の方まで桐島を連れ出すと、彼女が足を止める。
「ど、どうした?」
「あなた、青川さんの事好きなの?」
桐島が言う。
いつになく真剣な表情で。
「それはない」
「あら、言い切るのね」
「ない。あいつは幼馴染だ。」
「ふぅん。でも、彼女に迫られたらどうするつもり?」
また。
桐島が少しいぶかしげに俺を見ながら質問する。
「それの方がない」
「もしもの話よ」
「だとしてもだ」
「幼馴染ってめんどくさいのね。でも、好きだったんでしょ?」
もう一度。
桐島がそう俺に訊いた。
しかし、俺は詩に恋愛感情など持ったことはない。
……正確には持たないようにずっと頑張ってきた、という方が正しい。
一度あいつを好きになってしまった時、仮に結ばれなかったら二度と元の関係に戻れなくなると思っていたので、その覚悟が持てない俺は彼女との恋愛よりも、幼馴染としてずっと近くにいる道を選んだ。
だからあいつに好きな人ができたと訊いた時はホッとした部分もあった。
詩は俺の初恋にすらならなかった、というだけの話だ。
「そんなことはない。だからもう詩のことはいいだろ」
「そうね。今は私とあなたの問題よね。あーあ、月が綺麗だわー」
「そんな投げやりな言い方で告白するな!」
「月って綺麗よねー。あー綺麗。綺麗だわー」
「なんか恥ずかしくなるからやめろ」
「私だって恥ずかしいのに」
「は?」
「あ、チャイム鳴ってるわ。行きましょう」
「お、おう」
今日は月が綺麗なようだ。
朝から何度も褒めたたえられたお月様は、まだ朝方ではあったが快晴の空にうっすらと姿を覗かせている。
◇
「見て司。月が綺麗だよ」
と。ある休み時間に詩が言ってきて俺は心底ドキッとした。
本当にただ、昼間の空に浮かぶ月を見た感想だったが俺はそのせいで動悸が激しくなっていた。
「びっくりさせるなよ」
「何が?今日は半月だって」
「そうか。」
「そうだ、今日は天気もいいし桐島さんと夜のお散歩デートとかいいんじゃない?」
詩が。嬉しそうにそう語るのだが俺はちっとも嬉しくない提案だった。
「あのさ、なんで俺があいつと夜にデートせにゃならん」
「いいからいいから。夜六時に駅前に集合。いい?」
「お前の頼みでもそれはきけないな」
「じゃあ桐島さんのパンツ被ってる画像、柚葉に見せるよ」
「な、なんでお前がそれを!?」
「ひみつー」
出た。詩お得意の秘密、だ。
しかし今日のそれは秘密にも何にもなっていない。
だってあの画像は桐島しか持ってないのだから、あいつに貰った意外にあり得ないからである。
それに当の本人は隠すつもりもないようだ。
こっちを見る変態が、スマホの画面を指さす仕草をした後に、頭の上に拳を置いて「てへっ」と表情を緩める。
全く笑えんわ!俺がどんどん変態になっていくじゃねぇか。
あいつは人の秘密も下半身も自分の気持ちも何もかも隠すつもりはないご様子だ。
でも、テヘってしたのはちょっと可愛かったな……とか思っちゃいない。
断じてだ。
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