35 変態とヤンデレと時々やっぱり変態

「嫌よ」

 

 と言ったのは窮地に追い込まれた俺が蜘蛛の糸のようにすがった変態こと桐島イリア。

 自室の隅で怯えながら彼女に助けを求めて電話したのだがあっさり断られた。


 いやなんでだよ!


 普通こういう時って好きな相手に頼られた―とかで喜んで飛んでくるものじゃないのか?

 いや、さすがに都合がよすぎるというわけか。


 そんな俺の腹の内を見透かしたように桐島から『ようやく私のありがたみがわかったかしら』とメッセージが届く。


 もちろん今は従うしかなく『わかりました、すごく頼りになるのでなんとかお願いします』と返したが、そのあとは既読スルーされた。


 そして


「おにーさん、お部屋失礼しますねー」


 と言って最近登場した変態ことタムッチ先生、もといひなちゃんが勝手に部屋に入ってきた。


「か、勝手に人の部屋に入るな」

「あー、本当に先生の部屋だ!すごーい、画面越しで見るよりずっと広いですね」

「ゆ、柚葉は?」

「さぁ、どうしたと思います?」


 ニタリ。と笑う彼女を見て俺は鳥肌が立った。

 もうそのまま鳥になりそうなくらいに全身がイボイボになる。


「ま、まさか」

「お風呂に入ってくるってー」

「な、なんだよおどかすな」

「でもー、その間は二人きりですよね」


 俺は仕事のパートナーであった、いや今も一応ビジネス関係は継続してしまっているタムッチ先生の本性を知ったのはついさっきの事。


 しかし、変態がどのような人種なのかということは、少し前から勝手に距離を縮められた変態一号こと桐島イリアによって嫌というほど思い知らされている。


 そう、やつらには躊躇がないのだ。

 

 目的の為には手段を択ばず、相手がひれ伏すまで完膚なきまでに任務を遂行するのが変態たちの共通項。


 だから彼女も


「十五分もあれば一回できますね♪」


 とか言い出すのでさぁ困ったものだ。

 しかも彼女の胸元には俺を惑わす魔の谷間がナチュラルセッティング。

 これのせいで俺は余計に思考が鈍くなってしまう。


「な、何を言ってるんだ……」

「えー、今のはウノの話ですよ。やだー、先生のえっちー」


 こうやって、言葉遊びで人を弄ぶのも変態の常套手段。

 俺をからかってマウントをとって、じりじりとロープ際に追い込んでから一気に攻勢をかけるのが奴らのやり方だ。

 いやいやウノ一回に十五分って一回山札全部なくなるだろ!


 ……うむ、こんな状況だというのにまだ冷静だ。

 桐島のおかげで随分と変態に対する免疫度が上がっていると推測される。


 人生でいつの日か変態に遭遇してしまった時の為に、早いうちに変態に困らされて免疫を獲得しておくというのも人として賢い生き方なのかもしれない。


 いや、そもそもそんな奴はかしこくも何ともないが。


「ひなちゃん……ど、どうして急に俺に会おうと思ったんだい?」

「だってー、先生が最近そっけないからですよー」

「き、君の方から頻度を減らそうって話してきたじゃないか」

「そう言った時の先生の反応を試してたんです。でも言われた通りに打ち合わせの回数も減っちゃってー。私寂しかったんですよー」

「よ、寄るな!」


 目がトローンとしている。

 そして黒目が曇っている。焦点もどこか合っていない。

 うん、これは間違いなくヤンデレの目だ。

 嫉妬で彼氏刺しちゃう系の女子だ……


 ……しかし女心とは難しいのだな。

 自ら突き放しておいて、本当は追いかけてほしかったの、とか言うやつまだ実在したんだ。


「先生、そんな隅っこにいないでこっち来てくださいよ」

「いやだ、絶対何かする気だろ」

「しませんよー、先生とお仕事のことでお話がしたいんですー」

「う、嘘をつくな!」

「ひ、ひどい……私、先生とお話したいだけなのに……」

「あっ……」


 しまった、言いすぎた。

 いくら変態とは言え相手は中学生。妹の同級生じゃないか。


 それを恫喝して泣かせてしまうなんて少し大人げない。 

 仕方ない、ここは彼女を信用して話をするとしようか。


「ご、ごめん。それで、漫画のことなんだけど」

「漫画?まん〇のことじゃなくて?」

「やっぱり信用するもんかド変態め!」

「あーん、柚葉ー!」

「ま、待て待て!」


 柚葉を呼ばれるのはまずい。

 勝手に向こうから踏み込んできたとはいえ、ひなちゃんと二人きりで部屋で何をしていたのだと柚葉にいらぬ誤解を招いてしまう。


 ……頼む、桐島よ助けに来てくれ。


「あ、ちなみに桐島さんは来ませんよ」

「え、な、なんで?」

「彼女、今夜から発売のコンビニくじのために並んでますから」

「あいつそんな理由で断ったのか!」


 おのれ腐女子め……あいつの場合は性根まで腐りきってやがる。


「さ、早くしないと柚葉が上がってきちゃいますよ」

「することなんてない。帰れ」

「じゃあ……押し倒しちゃいまーす!」


 うわっ!っと声をあげてとびかかる彼女をよけようとしたが、プルンと弾むおっぱいに気をとられて一瞬反応が遅れた。

 そしてその柔らかいものに押しつぶされるように、俺は床に押し倒された。


「ふふふ、マウントとりましたー」

「や、やめろ……」

「大丈夫です、痛いのは最初だけですから」

「だから何する気だよ!」


 普通痛いのって女子なんじゃないのかというツッコミまでが飛び出すことはなかった。

 俺のズボンに手をかける彼女が、それを一気にずらそうとした瞬間、部屋のドアが勢いよく開いた。


「……なにしてるの司」

「し、詩……?」


 今俺は、ズボンが半分ずらされた状態で妹の同級生に馬乗りされている。

 そんな状況を幼馴染に目撃されてしまった。


「ち、違うんだ!助けてくれ詩!」

「……じゃあね」


 パタン。

 と虚しく扉が閉まる音と共に幼馴染の姿は見えなくなった。


 ……なんで今日に限って家に来るんだ?

 

「あーあ。幼馴染さんに見られちゃいましたねー」

「い、いいから早くそこを退いてくれ!」

「ダメです—、今から私とぱふぱふしてチョメチョメするんですー」

「言葉のチョイスがおっさんだな!」


 もうツッコミのキレもなかった。

 俺の渇いた声が虚しく響く。


 そしてついに俺は下半身を。いつぞやの桐島のようにあらわにされる……


 そう覚悟した時に


「キャー」


 と悲鳴をあげて急に飛び退いたのは先ほどまで俺の上に乗っていた変態二号ことひなちゃん。


 何が起きたのか、一瞬意味がわからなかったが部屋の入り口を見てすぐに理解。

 柚葉が立っていた。


「おにい、これどういうこと?」

「へ?」

 

 冷静に状況を確認した。


 上着がはだけたひなちゃんが、怯えるように部屋の隅で震えている。

 一方の俺はズボンが半分脱げている、いわゆる半ケツ状態。


 そしてひなちゃんはご丁寧に先ほどのウソ泣きの跡が目もとに残って、まるで襲われて泣いているような状況に見えるではないか。


 なるほど、よくできた状況だ。


「おにい、まさかひなちゃんに」

「ち、違う違う!話を聞いてくれ」

「まずそこに座れ。正座。それからこっち見るな変態、鬼畜、ケダモノ!」

「……はい」


 ここから柚葉の説教は夜遅くまで続いた。

 足の感覚がなくなるまで正座させられた俺は実の妹からあまりにもひどくて回想でも話せないような罵声をひたすら浴びせられた。


 ひなちゃんはというと、柚葉に心配されながらさっさと俺の部屋を出ていった。


 しかしその時に、こっちを見ながらニヤリとしたのを俺は見逃さない。

 

 あの子は、また来る気に違いない。

 そう確信させる悪魔のような表情だった。


「……というわけで、わかった?変態おにい」

「は、反省してまふ……」

「次、ひなちゃんに何かしたらちょん切るからね!」

「ど、どこをですか?」


 怖い。我が妹は実に怖かった。


 結局足が痺れてしばらく立ち上がれない俺は柚葉が部屋を出て行ってからしばらく悶えたあと、三十分くらいしてようやく動けるようになり、風呂に入ることができた。

 

 そして痛む足をさすりながらさっきの状況を振り返る。

 

 しかし詩がなぜ俺の部屋にまできたんだ?

 タイミングが良すぎるし、普通あの光景を見たら何してるんだと注意しても良さそうなもの。


 ……もしかして?


 俺は心当たりが一つだけあったので、急いで風呂を出て部屋で電話をかける。


「……もしもし」

「あら、夜のラブコールとは嬉しいわね。ちょうど私もくじでA賞引けてご満悦だったのよ」


 電話の相手はもちろん桐島だ。なんかいい買い物ができたようでいつもより声のトーンが高い。


「お前、詩を家によこしただろ」

「だって、あなたが助けてっていうから代わりに頼んだのよ」

「人選最悪だよ!ひなちゃんに馬乗りにされてるところ見られたじゃないか!」

「馬乗り?それ、ちょっと詳しく訊かせてくれるかしら」

「へ?」


 電話を切られた。

 そして五分後、桐島は家に来た。


 そして


「正座なさい変態」


 開口一番、そう言って俺を座らせる。

 珍しく怒っている様子だ。手にはさっきくじで手に入れたであろうフィギュアの箱がぶら下げられている。


「あ、あのですね桐島さん……ひなちゃんが勝手にですね」

「言い訳は無用。騎乗位でお楽しみとは随分ね」

「だ、だから違うんだって……押し倒されただけで別に何も」

「でも詩ちゃんに訊いたらパンツ脱いでたって言ってたわ」

「だ、だからそれも……」


 また怒られた。

 ていうか妹はわかるけどなんで桐島にまで怒られんといかんのだ。

 ……ヤキモチ、というやつなのか?


 ていうかそもそも助けを求めてたのに来なかったのお前じゃんか!


「おい桐島」

「喋らないでブタ野郎」

「ぐぬっ……」

「私が助けに来なかったから、とか腑抜けた言い訳しないで。男ならビシッと断りなさいよ」


 変態から至極真っ当な説法をされたことで俺は少しだけ傷ついた。

 しかしその通り、俺がはっきりしないからひなちゃん、もといタムッチ先生が暴走してしまったのかもしれない。


 そう思うと少しだけ反省に身が入る。


「……すまん」

「いいわ、もう許してあげる。柚葉と詩には私からフォロー入れておいてあげるわ」

「おお。桐島先生さすがです!」

「でも、一個だけ私の言うことを訊いてもらうことになるけど、いいかしら?」

「こ、この際だから一応訊かせてもらおうか」


 半ばやけくそだった。

 しかし詩と柚葉の信用はもはやマイナス値にまで到達しているので、俺一人でその失った信頼を回復するのは不可能と判断。変態にもすがる思いで桐島の提案を訊くことに。


 しかしさっきまで饒舌に語っていた桐島が黙り込む。

 ……なんだよ、焦らすつもりか。


「おい、早く言えよ」

「……名前」

「は?」

「ツカサって呼んでいい?」

「はい?」

「あと、イリアって呼んで、ほしいな」

「はぁ」

「もじもじ……」

「??」


 変態があからさまに恥ずかしがって手をこねこねしている。

 それに見たことない赤面。さらには大きな碧眼にうっすらと涙。


 ……え、それが恥ずかしいの?

 いやいや散々ノーパンでうろうろして下ネタぶん投げてるやつがそこは恥ずかしがるの?


 お前の羞恥心どうなってんだよ!


「だ、ダメ?」

「い、いや別にいいけど」

「じゃあ呼んで」

「……い、イリア」

「あは、ツカサ!」

「ッ!?」


 不意打ちとは卑怯なり。

 俺は心の中でそう思った。


 急に笑顔で、心底嬉しそうな笑顔で俺の名前を呼ぶ彼女の表情は見たこともないような無垢なものだった。


 それに俺はドキッとした。

 いや、キュンとしてしまった。


「じゃあねツカサ、また明日」

「あ、ああ……」

「名前」

「あ、うんまたなイリア」

「うん、ばいばーい」


 思わず。俺もバイバイと手を振ってしまった。


 今の俺は完全に思考が停止していた。


 タムッチ先生という変態に襲われてドギマギしていた俺だから、桐島が少しだけまともに見えてしまったというだけのことだと、わかっている。

 きっとそうに違いないと、わかっているのに。


 今、桐島イリアにキュンキュンしてしまっている……

 


 


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