41 変態にも弱点はある?

「ごめん、あの企画なかったことにしてくれないか」


 大崎さんの一言で、俺とタムッチ先生の共作は敢え無く散った。

 どうやら、上層部からは好評だったこの話も、社内では不評だったようである。

 大崎さんはだいぶ粘ってくれたようだけどそれでもダメだったということはやはり商業的には厳しい内容だったのだろう。


 普通であれば、一生懸命作った作品がそんな一言で紙切れになってしまうというのは作家として絶望すべき事案であるのだが、俺は内心ほっとしていた。


 これでひなちゃんと関わる理由が一つ減ったからである。


「残念だったねひなちゃん」

「絶対おかしいですよ、出せば百万部は固いと思うんですけどねー」

「まぁまぁ向こうもプロだし、売れないと思った理由があったんだろ」

「やけに冷静ですね。さては、私との仕事が減ったからほっとしてますね?」

「そ、そんなことないよ……俺だって残念だ」


 残念なのはうそではない。ただ、今は悲しみより嬉しさが上回っているだけのこと。

 これでタムッチ先生としての彼女と関わることはもうないだろうと、勝手にやれやれと一息ついたところでひなちゃんが


「この後、ランチしませんか?」


 と俺を誘ってきた。


 もちろん俺は断る。

 誰が夜な夜な自分を襲うような人間と二人っきりでランチするというのだ。


「いや、帰るよ」

「そんなー、いいじゃないですかー」

「ダメだ、俺は昨日のこと怒ってるんだぞ」

「ふーん、じゃあ私と先生がヤッたって話、全校に広めますよ?」

「なっ……い、いや脅しには屈しない。それにそんな話誰が信じるものか」


 帰り道、駅にもうすぐ着こうかというところで俺は彼女を振り切ろうと必死になる。

 しかしひなちゃんは、ニヤニヤしながら一枚の紙を俺に見せてくる。


「なんだこれ?」

「これ、来月の文化祭で行われるイベントです」

「イベント……」


 手作りのビラには『真実告白の泉。あなたは絶対に真実しか語ってはいけない』と大々的にタイトルがついていた。


「なにこれ?」

「これに参加した人は、絶対に真実しか語ってはいけないというイベントです。誰かへの気持ちを話すもよし、言えなかった罪を懺悔するもよし、それぞれです」

「いやそこで大嘘かますつもりなの?」

「えー、だってあんなことやこんなことまでしたじゃないですかー」

「してない!」


 とはいえ、このイベントは実は去年も行われていたらしく、あとで詩に訊くと「ほとんど愛の告白祭りって感じだから」という情報を得た。


 そんな場所でひなちゃんに告白、いや告発されたらたまったものではない。

 ましてや一晩を共にしたなどと嘘をつかれては逃げ場がいよいよなくなってしまう。


「……参加は取りやめてください」

「えー、でもランチに行ってくれないと私、ここでアピールしないといけなくなるしー」

「なんでも好きなもの食べにいきましょう」

「わーい」


 こんなビラを仕込んでるくらいだから、きっと彼女は俺が誘いを断ることくらい予想していたのだろう。

 どうしてこう、変態って頭までいいのだろう。

 それとも頭が良くなりすぎると変態になるのか?


 結局二人でランチへ。

 近くのファミレスに入り、さっさと注文をする。


「えへへ、先生とデートだー」

「デートじゃない」

「でもー、周りの人はそう思ってるんじゃないですか?」

「だとしても、俺は認めない」


 お待たせしましたと、頼んだランチセットが二つ運び込まれてくる。

 それを見て彼女は、またしてもニヤリ。


「先生、あーんしてくださーい」

「いやだ、しない」

「えー、してくれないと先生がパンツをあーんしてる写真をSNSに拡散しますー」

「それだけはマジでやめて!」


 変態は絶対に人の弱みを握って離さない。

 そしてそれを小出しにしながら俺を誘導していく。


「はい、あーん……」

「あむっ、んーおいしいー!」

「あ、あのさひなちゃん、どうしてひなちゃんは俺のことが好きなの?」


 好きな相手なら絶対に訊けないような質問だが、変態相手なら何とも思わないのであっさりと問いかける。


 すると


「え、先生ってイケメンじゃないですか。かっこいいから一目惚れです」


 と言われて俺は照れた。


 え、俺ってイケメンなの?そんなこと生まれて初めて言われたんだけど……


「あ、あのちなみにどの辺が?」

「えーと、切れ長の目とか低い鼻とかいつも困ってるみたいな口元とかー、全部かっこいいです—」

「そ、そうなのか」


 うわっ、なんか知らんけど嬉しい。

 まさか自分の容姿を女子が褒めてくれるなんて夢にも思ってなかった。


「せんせー、私先生じゃないとヤですー。先生よりかっこいい人ってそうそういませんし」

「ま、まぁそこまで言うのなら仕方ないなぁ。べ、別におれもひなちゃんのことを嫌いというわけではないんだ。でもちょっと控えてくれると嬉しいというか、ね」


 急に優しくなってしまった。

 まぁ人間こんなものだろうと、自分の掌返しを必死で肯定していた情けない自分であった。


 ランチが終わると、ひなちゃんは俺の言いつけを守ってくれたのかあっさり帰ると言い出した。

 そして途中まで電車で一緒に帰るのかと思いきや、先に帰れというではないか。


 ここまで聞き分けがいいと逆に不気味だが、引き止める理由もないので俺は一人で帰宅することに。

 そしてようやく家までつくと、柚葉が心配そうに出迎えてくれた。


「おにい、ひなちゃんに何もされなかった?」


 昨日までであれば、こうやって妹が心配してくれることに感動すら覚えただろうが今は違う。


 こいつは俺のことなんてこれっぽっちも心配していないからだ。

 

「おにい、絶対ひなちゃんとくっ付いたらだめだよ!私のためだと思ってイリアお姉ちゃんと早く付き合いなさい」


 妹はもう俺とイリアをくっつけることに夢中である。

 それに、自分の趣味を曝け出したことで彼女の中でとどめていた何かが決壊している。

 

「もしおにいが浮気したら、私がぶっ殺すから」


 まるで鬼嫁のようなセリフを妹に帰宅早々告げられるのは少々複雑だ。

 別に俺が誰とどうしようとお前には関係ないだろと言いたが、もちろん言えない。


 柚葉がリビングでしきりに鉛筆をカッターで削っていたからである。

 いやいや、今どき漫画家でもないと鉛筆とか使わないんじゃない?それにそんなに入念に何本も削って何に使う気だよ。


「おにい、これ結構痛いよ」


 と呟いたので用途が判明。

 予想通り俺を脅すためであった。


 慌てて部屋に逃げ込んだ俺は、バタンと扉を閉めて一息。


 はぁ……ひなちゃんとの仕事はなくなったけど、これからどうすればいいんだよ。

 部活も学校も一緒だし、家にもくるわけだし。そんなにひなちゃんを遠ざけたいなら柚葉も柚葉で彼女との付き合い方、考えてくれたらいいのに。


「そのとおりね」


 ふと。声がしたので前を見ると、堂々と俺のベッドに腰かけているお方が約一名。


「っておい!何勝手に人の部屋に入ってるんだよ」

「残念、私は柚葉ちゃんにあなたの部屋の年間パスをいただいたわ」

「勝手に変なもん作るな!」

「それより志門君、あなたひなちゃんのことで随分と悩んでるようね」


 私が相談に乗ってあげるわよと言わんばかりにどや顔をキメるイリアに対して俺は思う。

 お前も悩みの種の一つだよ!


「いや、別にお前に相談はしないけど」

「そういういじわる、ジンジン響くわね」

「……あの子は結構手ごわいからお前でも無理だって」

「じゃじゃーん。そういうと思って、私あの子の弱味を持ってきたのよ」


 彼女の手には、いかにも自作ですと言わんばかりの汚い冊子のようなものが。

 その表紙には大きく『ストロベリー先輩と私』と書かれている。ちなみに字も絵も汚い。女の子の顎、どうなってんだよそれ。


「それが何か?」

「ふふん、これがあの子のデビュー作にして黒歴史よ。ほら、見てごらんなさい」

「どれどれ……」


 中身はとても言葉で表現できるレベルではない程にひどかった。

 絵は小学生の落書きかと思うほどにひどく、セリフも無茶苦茶。

 これ、デビュー作って言えるのか?


「本当にこれをひなちゃんが?」

「ええ、二年前のコミケでいそいそと売っていたわ。最もあの頃は貧乳だったし、眼鏡もかけてたからすぐに同一人物だとは気づかなかったけど」

「でも、それならすごい成長だよな。こんなひどい絵から、今の状態になれるなんて」

「バカなのあなた。そんなわけないじゃない」

「へ?」


 またしてもイリアがどや顔。ほら、聞けよ、聞いて来いよと俺を大きな碧眼で誘ってくる。


「ど、どういうこと?」

「つまり、彼女にはゴーストライターがいるってことよ。あの子に漫画家としての才能は皆無だわ」

「え、でも部活ではノリノリだったじゃないか」

「でも、実際には書いてないでしょ?」

「た、確かに……」


 イリアの話はもっともで、そしてなるほど納得なほどにひなちゃんの弱味であるこの本を使えば彼女を黙らせることができるかもしれない。


「よし、早速その本を貸してくれ」

「嫌よ」

「な、なんでだよ」

「タダはいや、私のお願い聞いて」

「だからそれはデートに行くって」

「それは前の話。今日は今日」


 イリアはいじわるそうに俺の目当てのものを隠した後、俺に迫りながら自分の胸元に手を突っ込む。


「な、何してるんだ」

「これ、いらない?」

「なっ!」


 彼女の胸元からスルスルっと出てきたのは……ブラジャーだ。

 これは盲点だった。パンツにばかり気をとられていたが、よく考えたら下着は上下だ。

 

「どう、外したてのブラもいいものよ」

「い、いらない」

「それに私、今ノーブラなんだけどシャツから透けてないかしらねー」

「み、見ないぞ俺は」

「じゃあ感触だけ。えい」

「もふっ!?」


 俺の顔は今、とんでもなくやわらかくてふわふわしたものに包まれている。

 なんだこれは、テンピュールなんて比じゃないくらい気持ちいい。

 

 おおふっ、これは俺が求めていた母なる大地。希望の園。

 ああ、死ぬときはここにいたい……


「ぶはっ!危ない死ぬところだった」

「どうかしら、私のナマの感触」

「むむ……ノーコメントだ」

「私と付き合ったらこの胸も好きにしていいのになー」


 ひなちゃんほどではないが十分すぎるそのバストをフリフリする彼女の姿に俺はゴクリと唾を飲む。

 なるほど、俺がイリアにいくらパンツを見せられてもときめかなかった理由は、単に俺が胸フェチだったからか。


 こいつ、変態のくせに学習して進化してやがる。


「で、でもダメだ。付き合わない」

「今なら初回特典でもれなくパイ〇〇もしてあげるわよ」

「な、なんだと……」

「ていうか私と付き合ったらそもそもひなちゃんもあきらめるんじゃない?」

「た、確かにな」

「じゃあここにサインと印鑑を」

「ああ、ちょっと待って……ってこれ婚姻届!」


 案外変態の愛は重い。

 もちろん婚姻届に俺は何も書くわけがないが、イリアはしっかりと自分の名前と印鑑を押していた。


「こんな手の込んだ悪戯はやめろよ」

「絶対に書かせて見せるから」

「無理だ、方法がないよ」

「電車の中で脅してFBI全員の名前を書けというあの手法でいくわ」

「レイ・ベ〇パー!?」


 ていうかそこに俺の名前書かれたら死ぬじゃねえか!


「とにかく、現実的なお願いにしてくれ」

「わかったわ、じゃあデートの日にお互いプレゼント交換をしない?」

「べ、別にいいけど。パンツとか嫌だからな」

「パンツはしばらく柚葉ちゃんにあげる方針に切り替えたから大丈夫」

「一切大丈夫じゃねぇよ!」


 よくわからないが、プレゼントを交換することが彼女のお望みだというので、それを承諾して、ようやくひなちゃんの弱味とやらをゲットした。


「よし、これで明日彼女を撃退してやれば」

「晴れて私たちに障壁がなくなるわね」

「ちがう!」

「でも、壁はなくても膜はあるからそれはあなたが突き破ってね」

「なんでそうなるんだ」

「え、おしりがいいの?変態」

「ちがーう!」


 どこまでも元気ハツラツイリアさんだった。

 

 そして翌日、俺はひなちゃんに攻勢をかける。

 


 


 

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